June of garden 5
ケイト達のバンデンの滞在は一週間の予定だ。他の領地とは違い、商人が財力と発言権を持つ街の多いジュネラザールでは、いくら諸侯たちがいるとは言っても何日も悠長に領地を空けてはいられない。コーネリアスが少しでもジュネ城を空ければ、すぐさま共和政を叫ぶ市民たちが押し寄せてくるだろう。議会の時期で有力貴族たちが屋敷を空けている今の時期はなおのことである。
(それも悪くはないと思うけどね……)
圧政を強いるような貴族はしっかり見張っている。市民たちに不満はないと信じたいが、去年のゼッツフェルの革命による自由の風は距離的に近いジュネラザールではより強く吹いている。
それに比べてクイーンアレックスのお膝元、首都バンデンはなんと平和なことか。
日曜日、大学生の三男、アイザックがヴィラン宮殿にケイト達に会いに来るというので、談話室に行くと、嫁入り前で何かと入用なオーレリア以外の年下の兄弟たちと、その使用人たちがソファや絨毯の上に座ってくつろいでいた。完全にたまの休日を謳歌中である。
「誰の趣味?」
蓄音機からガラスをひっかくようなおかしな音楽(とも言えない雑音)が流れているので、たまたま近くにアンソニーに訊ねると、「アイザック作曲」とやさぐれた顔でため息をついた。アンソニーはマルヴィナに無理やり人形遊びの相手をさせられている。
「アンソニーはニルをアイザックお兄さまにとられちゃってご機嫌ななめなのよ」
こちらも同じく人形遊びに巻き込まれているらしち家庭教師のギルバードに人形を渡しながら、マルヴィナが笑った。彼女の言うとおり、部屋の奥でアイザックとニルが何やら真剣に議論を交わしていた。
「何のお話?」
「……あ、ケイト様」
「どうぞそのままで」
ケイトが近寄ると、その姿を見止めて慌てて姿勢を正したニルに対し、優しく制した。
「生物の進化についてですよ、お義姉さん」
足を組み替えながら、アイザックが仰々しい口調で言った。
「進化?」
「生物は神がお作りになった不変のものではなく、共通の先祖から長い年月の間に次第に変化して今の複雑で多種多様な生物が生まれた、なんていうトンデモ理論を彼が言ってきましてね」
「へえ、それは面白いね」
ニルがおや、という顔をする。するとアイザックも気づいたらしく、「ケイトは兄貴と結婚する前は宮廷で医者として働いてたんだ」と言った。
「だから義姉さんは大学も出てる。それなのにあんな男と結婚するなんて、大学は良い男の見分け方は教えてくれないようだな」
「アイザック、聞こえてるぞ」
近くでコーヒーを片手に新聞を読んでいたコーネリアスから飛んできた言葉に、アイザックは「おっと、口が滑った」と口をおさえた。
「何の本? ずいぶん年季の入った本だね」
「俺の父の研究ノートです」
ニルの脇にあった本を示すと、ニルはそう言って表紙を向けた。薄汚れ、角も擦り切れた赤茶色の本の表紙には、流れるような筆記体で何かが書いてあったがインクはにじんでいるしそもそもこちらの文字ではないのか解読不能だ。
「お父上は研究者だったの?」
「いえ、旅の途中に考えたことを記していたようで」
ちらり、とノートを覗くと、白いページは文字がびっしり詰まっていた。文の隙間にところどころ、植物の挿絵が描かれている。
「何について書いてあるの?」
「ここのページが植物の進化に関する仮説です。まあ、半分は思いつきみたいなものですけど」
「このトンデモ理論の提唱者がニルのお父上なんですよ」
アイザックは紅茶を飲みながら言った。口調は否定的だが、その目はキラキラと輝いている。
この大学生の義弟は自分が知らないことを知ることを人生の愉しみとしているのだ。彼にとって新たな知識を得ることは呼吸をすることと一緒なのだということをケイトは知っていた。
「去年来たときは天文学に凝っていて、国中の天文学者を集めて広間に星空を作ってたよね。あの、なんだっけ」
「最先端の投影型宇宙転写機ですか?」
「そうそう、それそれ。そして今年は植物学か。相変わらず君は好奇心が旺盛だね」
「そうやって褒めてくれるのはこの世ではお義姉さんだけですよ」
「ケイト、あまりこいつを調子にのらせるな」
すかさずコーネリアスの声がふってくる。アイザックはほらね、と肩をすくめた。
「貴族たちの間では花の品種改良がブームですよね、それを人為的にではなく何万年という途方もない時間をかけて自然がやってきたんだと俺は考えてるんです」
ニルはノートを閉じながら言った。
「つまり僕とその鳥も元をたどれば同じ生き物だってことか?」
アイザックは側にあった鳥かごを仰いだ。籠の中には赤と黒の小さな鳥がせわしなく動き回っている。
「鳥と人はどうでしょうね」
「でもありえない話ではないかも。この馬鹿な兄弟たちと僕が同じ両親から生まれたのだから」
「アイザック」
「冗談ですよ、兄さん」
アイザックは昔から真面目なコーネリアスをちゃかしたり、からかったりしてばかりいる。今はそのコーネリアスがほとんど宮殿へ帰ってこないため、一番下のアンソニーが目下の標的とされているようだが。
ケイトはそんな夫の兄弟たちとのやりとりを見ているのが好きだった。コーネリアスもどこか、ジュネの城にいる時よりリラックスしているように見える。
「でもやっぱり僕は信じられないな。人は最初から人だよ。そして僕は、その最初の人間になりたい」
「どうしてです?」
「だってわずらわしい人間付き合いをする必要がないからね。人間はこの世に僕一人きりだ」
「アイザックが最初の一人だったら、人類はその時点でおしまいね」
ケイトがくすくす笑うと、「でもお義姉さん」と途端に真面目な顔をする。
「僕じゃなかろうと、やっぱりなかなか難しいと思いますよ。だっていくら本能からの命令って言っても、自分以外の他者と交わろうなんて発想を最初に実行に移した奴はイカレてますよ……下の方の話ではなくて真面目な話ですよ! 兄さん!」
目をサンカクにしてこちらをふり向いたコーネリアスが何か言う前に、先回りしてアイザックが叫んだ。
「君は本当に他人というものが嫌いなのね」
「別に嫌いな訳じゃありません。僕は本質的に他者を恐れているのですよ。笑っていても腹の底では何を考えているかもわからない他人という存在を。そもそも僕が見ている夕日の赤と他人が見ている赤は同じ色なのか? 僕が聞いている小鳥の音色は同じヘ長調なのか? 僕だったら僕が僕のまま最強になることを選びますね」
「最強になってもいつか死んじゃうじゃん」
いつのまにかちゃっかりニルの隣に座っていたアンソニーがアイザックに向かって反論した。
「なかなか鋭い指摘だ、さすが我が弟よ」
アイザックに褒められたアンソニーは、露骨に嫌な顔をした。ギルバードにたしなめられている。
「種族の存続という観点から見れば、たった一人しかいない僕の死はすなわち種族の死であり、生物失格だ。だからつまり最強とは死なないようにするって意味さ、アンソニー」
「アイザックは不老不死になりたいの? アドミニオ王みたいに」
ケイトの言葉に即座に反応したのはマルヴィナだ。
「そのお話知ってる! 精霊ニルムが出てくるやつでしょ?」
「そうよ。大昔、アドミニオ王という王様がいました。王様は不老不死を求め、国中の賢者にその方法を調べるように言いました。でも賢者たちにもその方法はわからず、ついにその方法がわかった人にはお姫様と結婚させるというお触れを出しました」
エルトラントに古くから伝わるおとぎ話だ。昔、祖母から夜寝る前に読み聞かせてもらったことがある。
その不老不死を求めた王のもとに、ついに方法を知る人物が現れたという知らせが入る。その知らせを持ってきたのは、貧乏な村の青年、ヒアリコフだった。ヒアリコフは森の精霊と話をすることができた。その精霊の一人、ニルムが不老不死だったのだ。
「王様はヒアリコフにニルムを城へ連れてくるよう言いました。王様はニルムの…………身体を煎じて飲んじゃうぞっ! と言いました」
両手を掲げ、マルヴィナとアンソニーにわっと襲いかかり、くすぐられた二人はケラケラと転げまわり、物語の続きはコーネリアスが引き継いでくれた。
「ニルムはヒアリコフの助けを借りて夜、こっそり城を抜け出し、二人は王様に見つからないよう国を出て楽園ベイプでずっと楽しく暮らしました。ニルムのいなくなった王国は急激にすたれ、砂漠に埋まってしまいましたとさ。おしまい」
青大陸中に似たようなおとぎ話がある。親から子へ受け継がれる昔話。教訓は、強欲で暴虐な者は大切なものをすべて失うということだろうか。
でもさー、とそれまで黙って話を聞いていたアイザックが口を開いた。
「もしアドミニオ王が不老不死を手に入れていたとしても、自分一人だけしか長生きできなくて、親も友達も自分の奥さんや子供たちも、みんな自分をおいて先に死んでしまう訳でしょう。それって寂しくない?」
「お前が初めに不老不死がいいとか言いだしたんだろう」とコーネリアス。
「それは俺が最初から一人だったらっていう話だったでしょう。誰かと出会ってしまったら、話は別だよ」
アイザックは理屈屋であるかと思えば、あっけらかんと感情のままに走ることもある。どうにも読めない性格なのはこのためだ。
再びアイザックがニルと進化論に関する議論に戻ってしまったため、退屈してしまったアンソニーとマルヴィナ相手になぞなぞ遊びをした。コーネリアスと目が合うと、まるで父親のような優しげなまなざしでにっこりとほほ笑みかけられた。
「ニル」
お開きの時間、ケイトは帰ろうとしていたニルをそっと呼び止め、その手に小瓶を握らせた。
「これ、もしよかったら気分が優れない時にでも飲んでみて。スメタナの葉とオグの実を調合して作ったの。身体が軽くなると思う」
ニルが目を丸くした。どうして、という顔に「この前会った時に思ったの」と言い置いて、にっこり微笑んだ。公爵夫人となった今でも薬作りは得意である。ニルはまだ少し驚いた顔をしていたが、「ありがとうございます」とはにかんだその顔は同じ年頃の子供らしく、ケイトは少しほっとした。




