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ヴァルネスの門 — ヴァルネス国境・黒岩関 〜 魔王領内 —

ヴァルネスの国境は、壁ではなく断崖だった。


高さ百メートルを超える黒岩の絶壁が東西に延び、その中央にただ一つの関門がある。〈黒岩関〉——五大陸で最も堅固な国境とされ、正規の軍隊でも正面突破は不可能だと言われている。魔王の軍が外へ出るために使う門であり、外の者が内へ入るために通る門でもある。


パーティーは関門から一キロ手前の岩陰に身を潜めていた。テオが遠眼鏡で関門を観察しながら、低い声で報告した。


「衛兵は目視で三十……いや、もっといます。塔の上にも。それと——」テオは口ごもった。「塔の頂に、魔将の旗があります」


全員が黙った。魔将が直接、関門の守備についている。正面突破は論外だ。


「迂回路は」アレンが聞いた。


「断崖の東端に古い坑道があります」ゴルドが地図を広げた。「ドルグ山脈国の古い採掘坑道が、ヴァルネス領内まで延びている記録がある。三百年前のものだが——」


「崩落していなければ使える」リンが言った。


「崩落の確認は私がします」ゴルドは立ち上がった。「土魔法で構造を読める。一時間待て」


ゴルドが岩陰を離れた。残ったパーティーに、沈黙が落ちた。


その沈黙の中で、リンは口を開いた。


◆ ◆ ◆


「話しておくことがある」


全員がリンを見た。


「ヴァルネスに、探し物がある。弟だ。三年前からヴァルネスにいる」


誰も言葉を挟まなかった。リンは続けた。


「カイ・クロウ。水と風の魔法使いだ。自分の意志で魔王に会いに行った——封印修復の術式を提供する代わりに、五大陸の戦争を止めろと取引しに。今もヴァルネスにいる。封印に関わっているなら、〈灰の玉座〉に近い場所のはずだ」


また沈黙。今度は少し長い沈黙だった。


最初に口を開いたのは、シアだった。


「……なぜ今まで言わなかった」怒りではなく、確認するような口調だった。


「任務に関係ないと思っていた。だが関係がある可能性が出てきた。だから言う」


「関係があると気づいたのはいつだ」


「シルヴァニアで。封印修復に術式の提供者が必要だという記述を見たとき」


シアはリンをしばらく見た。それから視線を外し、岩壁に向けた。怒っているのか考えているのか、表情で読めない。


アレンが言った。


「弟を助けることと、封印修復、両方やる。それでいいか」


「……それでいいのか」リンは聞き返した。


「任務外でも動くのは、あなたが先に見せてくれた。ヴェルクで」


リンは返す言葉を持たなかった。アレンは続けた。


「カイ・クロウが封印の術式を知っているなら、むしろ力になれるかもしれない。それに——」アレンは少し間を置いた。「あなたが一人で抱えていたものを話してくれた。それだけで、今日から少し違う」


エルが静かに言った。


「三十年と、三年。重さは違うけれど。……よく話してくれました、リン」


ゴルドが戻ってきたのは、ちょうどその時だった。


「坑道、使える。幅は狭いが全員通れる。ただし途中に一箇所、闇魔法の結界がある」


「私が解く」リンはすぐに言った。


「頼もしい。じゃあ行くぞ」


◆ ◆ ◆


坑道は暗く、狭く、三百年分の湿気と埃が積もっていた。ゴルドが土魔法で天井の弱い箇所を補強しながら先頭を歩き、エルが後方を守った。テオが燭台を持ち、シアが火魔法で補助の灯りを作った。


中ほどで、結界に当たった。


空気が変わる場所——見えない壁のように、一歩踏み込もうとすると体が重くなる。闇魔法の圧迫だ。リンは前に出た。左手の環が熱を持ち始める。


結界を読む。組み方は精緻だが、三年以上前に設置されたものだ——経年で中心部の術式が僅かに緩んでいる。リンは左手から闇魔法を細く伸ばし、緩んだ箇所を探った。まるで錠前の中に指を差し込むように、慎重に、丁寧に。


ゴルドの環が熱を発して制御を助ける。シアの火が灯りを保つ。エルが背後で気配を探る。アレンがリンの隣で静かに立っている——何もしないが、そこにいる。


かちり、と音がした。結界が解けた。


「……見事だ」テオが息を吐いた。


「ゴルドの環がなければ無理だった」リンは正直に言った。


「チームの仕事だ」ゴルドが短く言った。「進むぞ」


◆ ◆ ◆


坑道を抜けると、ヴァルネス領内だった。


空の色が違った。曇っているわけではないのに、光が薄い。闇属性の魔力が大気に満ちているせいで、昼間でも世界全体がわずかに翳っている。リンの左手の傷跡が、三年前の夜を思い出すように疼いた。


アレンが周囲を見渡した。


「……これが魔王の国か」


「初めてか」リンが聞いた。


「当然だ。入れる場所じゃない」アレンは少し間を置いた。「怖いとは思わない。ただ——重い」


「慣れる」


「あなたは慣れているのか」


リンは答えなかった。慣れてはいない。ただ、慣れたふりをする方法を知っている——それは違う話だ。


◆ ◆ ◆


最初の異変は、日が傾き始めたころに起きた。


エルが突然立ち止まった。


「気配。多い——十、二十……もっと」


全員が武器を構えた。次の瞬間、四方の岩陰から魔王軍の兵士が現れた。数は三十を超える。全員が黒鎧、闇魔法の光が武器に宿っている。正規軍だ——工作員や実験体とは違う、訓練された戦力だ。


包囲が完成した。


そして兵士の列が左右に割れ、一人の男が前に出た。


黒い鎧。顔の半分を覆う仮面。


リンの手が止まった。


「三年ぶりだ、リン・クロウ」


魔将だった。三年前の廃村カルサで、リンに闇魔法を宿した男。


パーティーの全員が緊張した。シアが両手に火魔法を構える。アレンが光の聖剣を抜く。ゴルドが足元に術式を展開し始める。エルが三本の矢を同時につがえる。


魔将は剣を抜かなかった。ただリンを見ていた。


「待て」リンはパーティーに言った。「まず聞く」


そしてリンは魔将に向き直った。


「カイは生きているか」


「生きている」


「会わせろ」


「それが目的で来たのか。封印修復ではなく」


「両方だ」


魔将は少し沈黙した。仮面の奥の目が、リンを測っている。それからパーティー全員を順に見て、最後にまたリンに戻った。


「……陛下があなたたちの入国を、予め知っていた。坑道の結界を解かれることも、込みで」


全員の空気が変わった。罠だったのか——そう思った瞬間、魔将が続けた。


「止めろと言われなかった。通せとも言われなかった。ただ——様子を見てこい、と」


リンは魔将の目を読んだ。嘘ではない。だが全てでもない。


「魔王は何を考えている」


「それは陛下に直接聞け」魔将は踵を返した。「ついてこい。カイ・クロウのところへ案内する」


兵士たちが道を開けた。


リンはパーティーを見た。アレンが頷いた。シアが舌打ちしたが剣を収めた。ゴルドが腕を組んだ。エルが矢を外した。テオが「これは……罠では、ないのでしょうか」と言い、誰も答えなかった。


リンは魔将の背を追った。


ヴァルネスの重い空気の中を、六人が歩いた。〈灰の玉座〉まで、もう遠くない。


そしてカイに会える。三年ぶりに。


リンの左手の傷跡が、今夜初めて、痛みではなく熱として疼いた。

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