鉄の沈黙 — 傭兵都市ガルダ・鉄仮面団詰め所 —
鉄仮面団の詰め所は、赤牙団のものより装飾が少なかった。
壁に並ぶのは武器と、退役した構成員の名を刻んだ銘板だけ。機能だけを残した建物——団の気風がそのまま表れていた。
頭目のデュバル・ハーンは、面会の間ずっと、顔の鉄仮面を外さなかった。年齢不詳。声だけが、低く落ち着いている。
「リン・クロウ。ガロの紹介で来たか」
「話は聞いているか」
「概要だけだ。市民代表とやらを、五大陸会議に出す話だろう」
デュバルの声には、感情がほとんど乗っていなかった。ミラが緊張しながら署名の束を差し出したが、デュバルはそれを見もしなかった。
「数の話はいい。聞きたいのは一つだ——なぜ俺たちが、自分の権力を削る話に乗らなければならない」
◆ ◆ ◆
ミラが口を開こうとした。リンが先に言った。
「乗らなくていい」
ミラが驚いてリンを見た。デュバルも、初めて反応らしい反応を見せた——仮面の奥の目が、わずかに動いた。
「……どういう意味だ」デュバルが聞いた。
「無理に説得する話じゃない。鉄仮面団が断るなら、それでいい。五大陸会議は鉄仮面団抜きで進む。それだけだ」
沈黙が落ちた。
ミラが小声で「リンさん……」と言いかけたが、リンは続けた。
「ただ、断った場合に何が起きるかは、考えておいた方がいい」
「脅しか」
「事実だ。赤牙団は乗った。グラウン連邦の半分が、新しい仕組みの中に入る。鉄仮面団だけが旧来のままだったら——お前の団は、十七都市の中で『変化を拒んだ団』として記録される。それが、構成員の生活にとって得か損か、お前が考えればいい」
デュバルはしばらく動かなかった。
◆ ◆ ◆
長い沈黙のあと、デュバルが鉄仮面に手をかけた。ゆっくりと外す。
下から現れたのは、思いのほか若い顔だった。三十代前半。深い傷跡が左頬から顎にかけて走っている。
「……この仮面は、十五年前につけた。先代の頭目に拾われたとき、顔を見られたくなかった」
「理由は聞かない」リンは言った。
「聞かなくていい。話す」デュバルは仮面を机に置いた。「俺は、もともと農民の子だった。傭兵団の抗争で村が焼かれた。家族を全員失った。仮面をつけたのは——顔を覚えていられたくなかったからだ。誰の顔も。自分の顔も」
ミラが息を呑んだ。
「俺がこの団の頭目になったのは、力で団を支配するためじゃない。……二度と、抗争で誰かの村が焼かれないようにするためだ。だが、それを実現する手段が『力』しかなかった。力で抗争を抑え、力で団員を従わせ、力で——」デュバルは言葉を切った。「お前の言う『新しい仕組み』とやらが、力に頼らない方法だというなら」
デュバルはミラを見た。初めて、まっすぐに。
「ミラ・ヴォルク。お前の署名を、もう一度見せてくれ」
◆ ◆ ◆
ミラが署名を差し出した。デュバルは今度はそれを丁寧に読んだ。一枚、また一枚。
「……ヴェルクの名前が多いな」
「あの広場の事件のあと、市民の意識が変わったんです」
「あの事件か」デュバルは少し目を伏せた。「俺の団員が真っ先に動こうとした事件だ。止めてくれて、結果的に助かった」
デュバルは署名をミラに返した。
「条件を言う」
「……はい」
「鉄仮面団も、新しい仕組みに加わる。だが俺たちの団員——多くが、俺と同じように抗争で全てを失った者たちだ。彼らに『力を失う』ではなく『別の方法で守る力を得る』と説明できる仕組みにしてくれ。じゃないと、団内部で反発が起きる」
リンとミラは顔を見合わせた。
「……できると思います」ミラは言った。「赤牙団のガロ様も、似た懸念を持っていました。両団で一緒に、その仕組みを作るのはどうでしょう」
「悪くない」デュバルは頷いた。
◆ ◆ ◆
交渉が終わり、詰め所を出る前に、デュバルがリンに聞いた。
「一つだけ聞きたい。お前は、なぜこんな面倒なことに首を突っ込む。流れ者なら、関わらない方が楽だろう」
リンは少し考えた。
「一年前、北で多くのものを見た。自分の意志で動いた人間、動かされた人間、抱えてきたものを下ろせた人間。……関わらない方が楽だというのは、知っている。だが楽な方を選び続けたら、ヴェルクの広場の子供は今も、扉を閉めて隠れる側のままだ」
デュバルはしばらくリンを見た。それから、初めて小さく笑った。
「……お前みたいなのが流れ者をやっているのが、もったいないな」
「流れ者じゃなくなる予定はない」
「だろうな。顔を見ればわかる」
デュバルは仮面を被り直さなかった。机の上に置いたままだった。
◆ ◆ ◆
詰め所を出て、夕暮れのガルダを歩きながら、ミラが言った。
「……今日一日で、わかったことがあります」
「何だ」
「権力を持つ人たちが、必ずしも権力を守りたいわけじゃないってこと。ガロ様もデュバル様も、本当は——何かを守りたかっただけなんですね。それが、たまたま『権力』という形を取っていただけで」
リンは少し考えた。
「魔王もそうだった」
「……魔王陛下も、ですか」
「三百年、何かを守ろうとして、それが闇の支配という形になっていた。中身は、誰かを失った悲しみだった」
ミラはしばらく黙った。
「リンさんは、いろんな人の『中身』を見てきたんですね」
「見ようとしてきたわけじゃない。ただ——剣を抜く前に、相手を見る癖がついているだけだ」
夕陽がガルダの街並みを赤く染めていた。傭兵都市の空気は、一年前と変わらず鉄と汗の匂いがする。だが、その下を歩く人々の表情には、少しずつ違うものが混じり始めていた。
リンとミラは、宿への道を歩いた。
明日は、赤牙団と鉄仮面団、両方の幹部を集めた最初の合同会議が開かれる。グラウン連邦の代表選出は、まだ始まったばかりだった。




