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頭目たちの椅子 — 傭兵都市ガルダ・赤牙団詰め所 —

赤牙団の詰め所は、ヴェルクで見たものより小さいが、空気は同じだった。


入口で衛兵がリンの顔を見た瞬間、表情が変わった。〈闇斬り〉の名は、グラウン連邦のどの都市でも通る。だがその名が、今日は別の意味を持って衛兵の前に立っていた。


「リン・クロウ殿……何の用で」


「頭目に会いたい。隣にいるのはミラ・ヴォルク」


衛兵はミラを見た。一瞬、明らかに見下す表情が浮かんだ。だがリンの隣にいるという事実が、その表情を押し戻した。


「……お通しします」


◆ ◆ ◆


赤牙団の頭目、ガロ・ヴェスクは、五十代の大柄な男だった。古傷の多い顔に、疲れが滲んでいる。一年前の事件——一族の前頭目が暗殺された一件——以来、この男が団を引き継いでいた。


「リン・クロウ。……北での話は聞いている。世話になったらしいな、うちの団も」


「世話になったのはこっちだ。本題に入る」


リンはミラを見た。ミラは少し緊張した様子で、署名の束を取り出した。


「五大陸会議の、グラウン連邦代表の選出について、お話を聞いていただきたく——」


ガロは署名の束を見た。手に取り、ぱらぱらと流し見て、また置いた。表情は変わらなかった。


「数千の署名か。立派なものだ。……だが、知っているか? この国の歴史で『代表』を決めるのは、常に力を持つ者だった。十七都市、それぞれの傭兵団の力関係で均衡が成り立っている。その均衡を変えるとなれば——」


「戦争になる、と言いたいのか」リンが遮った。


「いや」ガロは少し間を置いた。「逆だ。戦争にならない、と言いたい」


リンとミラは、二人とも一瞬戸惑った。


◆ ◆ ◆


ガロは椅子に深く座り直した。


「一年前、お前がこの広場で両陣営を止めた日のことは覚えている。あの日、俺は赤牙団の副頭目だった。前頭目が殺された直後で、誰を信じていいかわからなかった。……あの日、お前が言ったことを覚えているか」


「誰が得をするか考えろ、と言った」


「それだ」ガロは頷いた。「あれ以来、俺は考え続けている。傭兵団の支配が続くことで、誰が得をするか。……答えは、頭目たちだ。市民は得をしない。むしろ、いつ抗争に巻き込まれるかわからない不安の中で生きている」


ガロは机の上で手を組んだ。


「俺は前頭目を殺した黒幕——ヴァルネスの工作だと、お前たちが証明してくれた。その時から、この団の正当性について考えている。俺たちは『力で街を守る』という名目で支配しているが、実際には街を不安にさせる側でもあった」


ミラが息を呑んだ。これは予想していなかった反応だった。


「……ガロ様は、賛成されるんですか」ミラがおそるおそる聞いた。


「賛成も反対もない」ガロは言った。「俺個人の意見では決められない。赤牙団には三百人の構成員がいる。全員が、この団での地位と生活で食っている。代表選出の方法が変われば、その三百人の生活も変わる」


◆ ◆ ◆


ガロは少し、声を落とした。


「正直に言う。俺が一番恐れているのは——民衆代表が選ばれた結果、何も変わらないことだ」


「どういう意味だ」リンが聞いた。


「五大陸会議で『代表』の枠を一つ作って、それで終わりにされることだ。象徴として一人選んで、実際の力関係——傭兵団の支配構造はそのまま残す。それなら、変化は形だけで、三百人の構成員の生活も、市民の不安も、何も変わらない」


リンは少し考えた。ガロの言葉には、リンが予想していた「権力を失いたくない」という単純な抵抗とは違う、別の重さがあった。


「では、何が必要だ」


「会議の場で、一回限りの『代表』を選ぶだけでは足りない。継続的に、市民の声を吸い上げる仕組みが必要だ。……それを作るには、傭兵団の協力が必要になる。なぜなら、今この国で『組織』として機能しているのは、傭兵団しかないからだ」


ガロはミラを見た。


「ミラ・ヴォルク。お前が集めた署名は、十七都市に散らばる個人の声だ。それを束ねて、継続的な仕組みにするには——既存の組織の枠組みを使うのが一番早い。俺たちと、組めるか」


ミラは驚いた顔をした。


「……傭兵団と、民衆運動が組む、ということですか」


「そうだ。お前たちは『正当性』を持っている。俺たちは『組織』を持っている。どちらか一方では、長続きしない」


◆ ◆ ◆


ミラは少し沈黙した。それから、まっすぐガロを見た。


「条件があります」


「言ってみろ」


「組む場合、傭兵団側の意思決定にも、市民の代表が参加できるようにしてください。一方的に『協力』ではなく、対等に」


ガロは少し笑った。初めて見せた笑顔だった。


「……それを最初に言うか。気に入った」


ガロは席を立ち、机の向こうから手を伸ばした。


「鉄仮面団にも同じ話をする必要がある。あちらの頭目は俺より頭が固いが——リン・クロウが一緒なら、話は早いだろう」


「行く」リンは言った。


◆ ◆ ◆


詰め所を出ながら、ミラがリンに小声で言った。


「……予想と違いました。もっと、抵抗されると思っていました」


「私もだ」リンは正直に言った。


「ガロ様の言葉、考えたことがなかったです——『一人だけ代表を選んで終わりにされる』っていう懸念」


「政治のことは、私もわからない」リンは言った。「だが——一つだけわかることがある」


「何ですか」


「あいつは、三百人の生活を背負っている。お前は、十七都市の署名を背負っている。背負っているものの種類が違うだけで、重さは似ている」


ミラはしばらく黙った。それから、小さく頷いた。


「……対等に話す、というのは、そういうことなんですね」


「私にはわからない。だが、お前にはわかったようだ」


二人は鉄仮面団の詰め所へ向かって歩いた。陽が傾き始めていた。


リンは少し考えた。剣で解決できる問題ではない。だが——一年前、剣を抜かずに広場を止めたときと、今していることは、根のところで同じかもしれない。誰も力で押し切らない。誰も切り捨てない。それだけだ。

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