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第三十八話 控え違い

第三十八話です。


今回は、平吉が任された小さな控えで、初めてはっきりと間違える話です。


包み紙の数。

客へ出す紙、店で使う紙、捨てる紙。


前回、ようやく控えの形を覚え始めた平吉でしたが、店が忙しくなると、紙の動きを追いきれなくなります。


三枚だったのか。

四枚だったのか。


間違えた時、わからなくなった時、それをどう扱うのか。


平吉が、控え違いの怖さと、隠さず残すことの意味を知る回です。


朝の包み紙の数は、合っていた。


平吉は、昨日決めた通りに並べた。


右に、客へ出せる紙。


真ん中に、店で使う紙。


左に、捨てる紙。


それから、朝の数を控えた。


客へ出せる紙、六。

店で使う紙、九。

捨てる紙、三。


昨日と同じように、手前から数える。


一度目。


二度目。


三度目。


どれも同じ数だった。


平吉は、胸の中で小さく息を吐いた。


今日は大丈夫だ。


そう思った。


そのすぐ後で、利助の声が飛んできた。


「大丈夫と思うな」


平吉は顔を上げた。


「はい」


利助は品箱を整えながら言った。


「大丈夫と思った時に、手が軽くなる」


「はい」


「数は軽い手を嫌う」


「はい」


平吉は頭を下げた。


利助は、平吉の胸の中まで見ているようだった。


包み紙の控えは、小さい。


けれど、昨日より少しだけ形ができた。


朝の数。


出入り。


夕方の数。


紙切れには、三つの場所を作った。


入ったもの。

使ったもの。

捨てたもの。


平吉は、そこに小さな印をつけるつもりだった。


今日は、動いた時に残す。


朝と夕方だけで済ませない。


そう決めていた。



午前中は、うまくいった。


針を包むために、客へ出せる紙を一枚使った。


平吉はすぐに印をつけた。


客へ出せる紙、一枚出。


紐を包む時、定吉が紙を一枚取った。


平吉はそれも見た。


「定吉、一枚使いました」


「見てるなあ」


定吉は少し嫌そうに言ったが、平吉は印をつけた。


客へ出せる紙、もう一枚出。


その後、利助が奥から古い紙を二枚持ってきた。


「店で使う方へ入れろ」


「はい」


平吉は、店で使う紙に二枚入れ、控えに印をつけた。


入、二。


ここまでは合っていた。


平吉は、紙切れを見て、ほんの少し嬉しくなった。


朝の数。


途中の出入り。


それが残っている。


昨日より見えている。


清次の控えのように、道の途中が残っている。


相模屋の中で、紙がどこから入り、どこへ出たか。


小さな道が見える。


平吉は、また胸の中で思いかけた。


今日は大丈夫だ。


その時、店先に三人の客が続けて入ってきた。



忙しくなる時は、急に来る。


年配の女が針を求めた。


若い男が紐を見た。


小僧が油紙を一枚だけ欲しいと言った。


利助が女の相手をする。


定吉が若い男に紐を出す。


平吉は小僧へ油紙を出した。


「一枚でいい」


小僧は急いでいた。


「はい」


平吉は油紙を取る。


包むほどのものではない。


だが、小僧は懐に入れると言う。


折れないように、薄い紙を一枚添える。


客へ出せる紙から一枚。


平吉は、紙を添えて渡した。


銭を受け取る。


釣りはない。


小僧はすぐに出ていった。


続けて、若い男が紐を二本買うことになった。


定吉が包もうとして、平吉に言った。


「紙」


平吉は、客へ出せる紙を一枚渡した。


定吉が包む。


利助の方では、針の包みが終わり、また一枚紙が使われた。


その時、店の外から声がした。


「相模屋さん、荷の控えを預かってる」


運びの男だった。


利助が顔を上げる。


宗兵衛も帳場で目を動かす。


店先にはまだ客がいる。


紙は動く。


品も動く。


声も動く。


平吉の頭の中で、すべてが一度に重なった。


油紙の小僧に一枚。


定吉に一枚。


利助が針で一枚。


三枚。


三枚出。


そう思った。


だが、すぐに利助が言った。


「平吉、奥の細い紐を」


「はい」


平吉は控えに印をつける前に、奥へ走った。


細い紐。


右の箱。


いや、右ではなく、定吉がよく使う細い紐は下の段。


平吉は箱を取り、店先へ戻る。


若い男が柄を選ぶ。


利助が運びの男に控えを受け取る。


宗兵衛が帳場から声をかける。


定吉が紙を探す。


「兄さん、もう一枚」


「はい」


平吉は、客へ出せる紙を一枚渡した。


これで四枚。


いや、今のはさっきの紐の包み直しか。


さっきの紙は大きさが合わなかったのか。


使った紙は戻ったのか。


戻った紙は店で使う方へ移したのか。


平吉は一瞬、わからなくなった。


だが、客が待っている。


若い男は紐を受け取る。


年配の女は針を持って帰る。


運びの男は、控えを置いて帰る。


店先が落ち着いた時、平吉は紙切れを見た。


まだ、印をつけていない。


胸が冷えた。


何枚、出た。


三枚か。


四枚か。


添えた紙は数えるのか。


包み直した紙は戻したのか。


定吉が受け取った紙は、結局使ったのか。


利助が使った針の紙は、客へ出せる紙だったか、小さい紙だったか。


平吉は、指が止まった。



「どうした」


利助の声だった。


平吉は、紙切れを持ったまま立っていた。


「……今の出入りを、まだつけていません」


利助は平吉を見る。


「なぜ」


「客が続いて、後でつけようと思いました」


「それで」


平吉は唇を噛みそうになった。


「枚数が、はっきりしません」


定吉が、少し気まずそうに紙の山を見た。


利助は怒鳴らない。


その静けさが、余計に怖かった。


「いくつだと思う」


「三枚か、四枚です」


「思う、か」


「はい」


「なら、控えにはどう書く」


平吉は答えられなかった。


三枚と書けば、四枚だった時に違う。


四枚と書けば、三枚だった時に違う。


空けておけば、動いたものを残していないことになる。


平吉の手が、少し震えた。


「わかりません」


利助は言った。


「わからないなら、わからないと残せ」


平吉は顔を上げた。


「わからない、と」


「そうだ」


「そんな控えで、よいのですか」


「よいわけがない」


利助の声は静かだった。


「だが、わからないものをわかった顔で書くよりはましだ」


平吉は胸に刺さった。


わからないものを、わかった顔で書く。


それは、傷物を正物の顔で売るのに似ている。


中身が違うのに、きれいな顔をさせる。


控えでも同じなのだ。


平吉は、紙切れに印をつけた。


客へ出せる紙、出、三か四。


三と四の間に小さく迷いの印を描いた。


それは汚い控えだった。


見栄えも悪い。


だが、嘘ではない。


利助は、それを見て言った。


「夕方、合うか見る」


「はい」


「ただし、数が合っても、よしではない」


平吉は顔を伏せた。


「はい」


数が合っても、よしではない。


途中が曖昧なら、控えは汚れている。



夕方、平吉は包み紙を数えた。


朝の数。


午前の出入り。


昼の曖昧な出。


午後の入と出。


すべてを見ながら、夕方の数を合わせる。


客へ出せる紙は、一枚少なかった。


計算上は、三枚出たことにすれば合わない。


四枚出たことにすれば合う。


つまり、あの時の出は四枚だったらしい。


平吉は、控えの迷いの印の横に、四、と書いた。


だが、胸は晴れなかった。


合った。


けれど、合っただけだ。


その場で見ていなかった。


後で数が合ったから、そうだったのだろうと直した。


それは、清い控えではない。


利助が横に立っていた。


「合ったな」


「はい」


「よかったか」


平吉は首を横に振った。


「よくありません」


「なぜ」


「その時に見ていませんでした」


「そうだ」


「後で、合う方に直しました」


「そうだ」


「それは、動いたものを動いた時に残したのではありません」


利助は頷いた。


「わかっているならいい」


平吉は少しだけ顔を上げた。


利助は続けた。


「いい、とは、許すという意味ではない」


「はい」


「どこで崩れたかが見えたという意味だ」


「はい」


「どこだ」


平吉は答えた。


「客が重なった時です」


「それだけか」


「後でつけようと思った時です」


「それだけか」


平吉は考えた。


もっと前かもしれない。


忙しくなった時、紙を置く場所が決まっていなかった。


使った紙と、戻った紙と、包み直した紙が混ざった。


定吉に渡した紙が使われたのか戻ったのか、見ていなかった。


「戻った紙を置く場所を決めていませんでした」


利助は目を細めた。


「それだ」


平吉は息を呑んだ。


利助は続けた。


「忙しい時に、考えながら分けようとするから乱れる」


「はい」


「先に場所を決めろ」


「はい」


「使う紙。戻った紙。店で使う紙。捨てる紙」


「はい」


「忙しい時ほど、手が勝手に置けるようにしておけ」


平吉は深く頷いた。


「はい」


利助は、控えの紙を指した。


「明日は、戻りの場所を作れ」


「はい」


「それから、客が重なった時は、声に出せ」


「声に」


「一枚出。もう一枚出。戻り一枚。声に出せば、自分の耳も控えになる」


平吉は、はっとした。


耳も控えになる。


定吉の頭の中の控え。


清次の紙の控え。


自分の帳面。


そして、声と耳。


控えは紙だけではない。


動くために、使えるものは全部使う。


「はい」


利助は、少しだけ頷いた。



その時、宗兵衛が帳場から声をかけた。


「平吉」


「はい」


「今日の控えは、汚れたな」


「はい」


平吉はまっすぐ答えた。


「汚れました」


「隠さなかったな」


平吉は、少し息を止めた。


「はい」


「なぜ」


なぜ。


平吉は考えた。


隠したら、あとで困るから。


利助にばれるから。


宗兵衛が怖いから。


どれも少しある。


でも、それだけではない。


「わからないものを、わかった顔で書けば、次の手が直せないからです」


宗兵衛は黙っている。


平吉は続けた。


「数だけ合っても、どこで崩れたかわからなければ、また同じことをすると思いました」


宗兵衛は少しだけ頷いた。


「そうだ」


平吉の胸の奥が、少し熱くなった。


宗兵衛は続けた。


「帳面を汚すのは、間違いだけではない」


「はい」


「間違いを隠す手だ」


平吉は深く頭を下げた。


「はい」


「間違えた控えは、直せることがある」


「はい」


「隠した控えは、腐る」


腐る。


その言葉は、平吉の胸に重く落ちた。


傷物を隠せば、暖簾に傷がつく。


濡れた糸を入れれば、店の品が濁る。


わからない数をわかった顔で書けば、控えが腐る。


紙でも、腐るのだ。


平吉は、初めてそう思った。


宗兵衛は言った。


「今日は、汚れたところを残せ」


「はい」


「明日は、汚れない形に変えろ」


「はい」


「それができるなら、今日の汚れは無駄ではない」


平吉は、深く頭を下げた。


「はい」



その夜、平吉は自分の帳面を開いた。


今日は、包み紙の山を四つ描いた。


客へ出す紙。


戻った紙。


店で使う紙。


捨てる紙。


昨日は三つだった。


今日は四つに増えた。


その間に、細い道を描く。


紙が出る道。


戻る道。


店へ回る道。


捨てる道。


それから、口の印と耳の印を描いた。


声に出す。


耳で聞く。


自分の耳も控えにする。


定吉が覗いてきた。


「今日は俺、描かれてないよな」


「描いてない」


「本当か」


「本当」


定吉は帳面を見た。


「山が増えてる」


「戻った紙の場所を作る」


「ああ、あれか」


定吉は少し気まずそうに頭をかいた。


「俺も、戻した紙その辺に置いたかも」


「たぶん、それでわからなくなった」


「悪かったって」


「俺も見てなかった」


定吉は、平吉の帳面をじっと見た。


「これ、明日は俺も声出せばいいのか」


平吉は顔を上げた。


「いいのか」


「俺が紙使う時も、声出した方がわかるだろ」


平吉は少し驚いた。


「助かる」


定吉は少し得意げに鼻を鳴らした。


「じゃあ言ってやる。紙、一枚出。戻り一枚。兄さん、耳で控えろ」


平吉は笑った。


「はい」


「あと、かんざし鳥も描くなよ」


「今日は描かない」


「よし」


二人は小さく笑った。


だが、平吉の胸にはまだ昼の冷たさが残っていた。


わからない。


その一瞬。


三枚か、四枚か。


あの怖さ。


あれを忘れてはいけない。


だから平吉は、帳面の端に、わざと乱れた線を描いた。


控え違いの印。


きれいに直さない。


今日、自分の手が崩れた跡だ。


定吉が聞いた。


「その変な線は?」


「今日の汚れ」


「消さないのか」


「消さない」


「なんで」


「明日の形を変えるため」


定吉は少し黙って、それから言った。


「それも、ちょっとわかる」


平吉は頷いた。


「うん」


「はい」


「はい」



平吉は、帳面を閉じる前に、今日の言葉を胸に置いた。


間違いだけが、帳面を汚すのではない。


間違いを隠す手が、帳面を腐らせる。


平吉は、まだ本帳には触れない。


銭にも、掛けにも触れていない。


任されたのは、包み紙の小さな控えだけだ。


それでも、間違えた時の胸の冷たさは、本物だった。


もし、これが銭なら。


もし、これが掛けなら。


もし、これが客の名なら。


そう思うと、むしろの上に座っていても、背筋が伸びた。


小さな控えで崩れた自分を、今日見られてよかったのかもしれない。


ここで崩れたから、直せる。


隠さなかったから、形を変えられる。


平吉は小さく唱えた。


「汚れたところを、残せ」


定吉が眠そうに言った。


「今日の念仏、暗いな」


「でも、大事」


「まあな」


平吉は帳面を閉じた。


明日は、山を四つにする。


戻った紙の場所を作る。


紙が動いたら、声に出す。


耳も控えにする。


控え違いは、恥ずかしい。


だが、恥ずかしいからこそ、隠してはいけない。


帳場の影は、包み紙の一枚にも落ちる。


その影の中で、自分の手がどこで崩れるかを見る。


それが、相模屋の小僧になるための道なのだと思った。


第三十八話 了

ここまで読んでいただきありがとうございます。


第三十八話では、平吉が包み紙の控えを間違えました。


朝の数は合っていた。

途中の出入りも、最初は見えていた。


けれど、客が重なり、品が動き、紙が出たり戻ったりする中で、平吉は枚数を見失ってしまいます。


三枚なのか。

四枚なのか。


わからないものを、わかった顔で書くことはできない。


利助は、平吉に「わからないなら、わからないと残せ」と教えます。


そして宗兵衛は、


「帳面を汚すのは、間違いだけではない」

「間違いを隠す手だ」


と告げました。


間違えた控えは、直せることがある。

けれど、隠した控えは腐る。


平吉は、控え違いを通して、間違いそのものよりも、間違えた後の手が問われることを知ります。


小さな包み紙の控えでも、崩れる時は崩れる。

だからこそ、汚れたところを残し、明日の形を変える。


次回は、客が平吉を覚えて戻ってくることで、「売れたこと」と「戻ってきたこと」の違いに触れる話になります。


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