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第三十七話 小さな控え

第三十七話です。


今回は、平吉が初めて「小さな控え」を任される話です。


とはいっても、本帳ではありません。

銭でも、掛けでも、品の数でもありません。


任されたのは、使い終えた包み紙の数。


けれど、相模屋の中のものを数え、残すということは、平吉にとって大きな一歩でした。


小さな控えほど、軽く見てはいけない。


包み紙一枚から、平吉が帳場へ続く細い道を見つけていく回です。


「平吉」


朝の掃き掃除を終えた時、利助に呼ばれた。


平吉は箒を壁に立て、すぐに背筋を伸ばした。


「はい」


利助は、店の奥にある小さな箱を指した。


中には、使い終えた包み紙が畳まれて入っている。


きれいに使えなくなったもの。

端が破れたもの。

品を包むには少し小さいもの。

けれど、捨てるにはまだ早いもの。


平吉は、その箱を掃除の時に何度も見ていた。


油紙とは違う。


薄紙とも違う。


店で使った後に残る、紙の端たちだった。


「今日から、これを数えろ」


平吉は一瞬、意味がわからなかった。


「これ、ですか」


「そうだ」


「包み紙を、ですか」


「そうだ」


利助は短く答えた。


宗兵衛は帳場にいる。


こちらを見ているのか、見ていないのか、わからない。


定吉は店先で品箱を整えながら、ちらちらとこちらを見ていた。


平吉の胸が、少し強く鳴った。


数える。


相模屋の中のものを。


自分が。


「本帳ではない」


利助は先に言った。


平吉は慌てて頭を下げた。


「はい」


「銭でもない」


「はい」


「掛けでもない」


「はい」


「品の数でもない」


「はい」


「ただの、使い終えた包み紙だ」


ただの。


利助はそう言った。


だが、平吉にはただのものには思えなかった。


相模屋の中にあるものを、数として残す。


それだけで、帳場の影が一歩こちらに寄ってきたように感じた。


利助は、さらに小さな板と、古い紙切れを差し出した。


「朝に数える。夕方にも数える」


「はい」


「新しく使えなくなったものは、夕方に足す」


「はい」


「使い道のあるものと、捨てるものを分ける」


「はい」


「迷ったら聞け」


「はい」


「勝手に捨てるな」


「はい」


「勝手に戻すな」


「はい」


平吉は、両手で板と紙を受け取った。


手が少し湿っていた。


緊張している。


ただの包み紙。


そう言われたのに、重かった。



利助は、包み紙を箱から出した。


「まず分けろ」


「はい」


平吉は膝をつき、一枚ずつ広げた。


大きいもの。


小さいもの。


端が破れたもの。


油がついているもの。


まだ内包みに使えそうなもの。


完全に汚れているもの。


どれが使えるのか。


どれが使えないのか。


平吉は迷った。


紙は紙だ。


少し破れていても、何かには使えるかもしれない。


だが、客へ品を包む紙として出してよいものと、店の中で使うものと、もう捨てるしかないものは違う。


平吉は一枚を手にして言った。


「これは、小さいですが、針の包みなら使えそうです」


利助は見た。


「よい」


次の一枚。


端が破れ、中央もくしゃりとしている。


「これは……」


平吉は迷った。


「使えなさそうです」


利助は言った。


「何に」


「客へ出す包みには」


「店の中では」


平吉はもう一度紙を見た。


「こぼれた粉や埃を集める時なら、使えるかもしれません」


「なら、捨てるではない」


「はい」


利助は紙を横へ置いた。


「客へ出せるもの。店で使うもの。捨てるもの。この三つに分けろ」


「はい」


「使える、使えない、で分けるな」


平吉は顔を上げた。


利助は続けた。


「何に使えるかで分けろ」


平吉は深く頷いた。


「はい」


何に使えるか。


それは、傷物の時と同じだった。


傷があるから終わりではない。


使い道を見る。


ただし、正物の顔はさせない。


包み紙も同じ。


客へ出せる顔か。

店の中でなら役に立つか。

もう役目を終えたか。


紙にも行き先がある。


平吉は、一枚ずつ分け始めた。



最初の数は、思ったより難しかった。


客へ出せる包み紙が七枚。


店で使う紙が十一枚。


捨てる紙が四枚。


平吉は、古い紙切れに印をつけた。


七。


十一。


四。


七は書ける。


四も何とか書ける。


十一は、十と一で書けばよい。


だが、数字を書く手が震えた。


これまで、自分の帳面には線や丸を描いてきた。


間違えても、自分が直せばよかった。


だが、これは相模屋の中の控えだ。


小さなものでも、自分だけのものではない。


間違えれば、店の中の数が違う。


平吉は、もう一度数えた。


客へ出せる紙。


一、二、三、四、五、六、七。


店で使う紙。


一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一。


捨てる紙。


一、二、三、四。


合っている。


それでも不安で、もう一度数えた。


利助が言った。


「何度数える」


平吉は慌てた。


「すみません」


「謝るな。答えろ」


「不安だったので、三度数えました」


利助は少しだけ頷いた。


「最初はそれでいい」


平吉は息を吐いた。


「ただし」


「はい」


「毎度、同じ数え方をしろ」


「同じ数え方」


「手前から。右から。大きいものから。何でもいい。だが、行き当たりばったりに数えるな」


「はい」


「数は、手順が乱れると乱れる」


平吉は、その言葉を胸に入れた。


数は、手順が乱れると乱れる。


紙が動くのではない。


自分の目と手が乱れるのだ。


平吉は、客へ出せる紙を右に、店で使う紙を真ん中に、捨てる紙を左に置き直した。


そして、手前から数えることにした。


「手前から、右、真ん中、左の順で数えます」


利助は頷いた。


「そうしろ」



昼になると、店は忙しくなった。


手ぬぐいが売れた。


針が出た。


紐が二本売れた。


油紙も少し出た。


包み紙は使われていく。


新しい紙も出る。


破れた紙も増える。


平吉は、店先の仕事をしながら、朝に分けた紙のことが気になって仕方がなかった。


今、利助が使った紙はどちらから取ったのか。


定吉が小さな品を包んだ紙は、客へ出せる方だったか。


破れた紙は、どこへ置くべきか。


気にしすぎると、客への返事が遅れる。


客を見なければならない。


だが、紙も見る。


品も見る。


利助も見る。


定吉も見る。


頭の中がいっぱいになる。


その時、定吉が小さな声で言った。


「兄さん、客」


平吉ははっとした。


目の前に、針を求める女が立っていた。


「細い針を」


「は、はい」


平吉は慌てて針の箱へ手を伸ばす。


利助の視線が刺さった。


平吉は客へ頭を下げた。


「失礼しました。細い針ですね」


女は少し怪訝な顔をしたが、頷いた。


針を出す。


用を聞く。


包む。


銭を受ける。


平吉は、ひとつひとつ慎重に行った。


客が帰ると、利助が低い声で言った。


「控えに気を取られて、客を落とすな」


「はい」


「控えは店を助けるものだ」


「はい」


「客を見る目を奪うなら、邪魔だ」


平吉は頭を下げた。


「はい」


胸が痛かった。


任されたことが嬉しくて、紙ばかり見ていた。


それでは、控えに負けている。


清次の控えの話で聞いたばかりではないか。


控えは、動くため。


手を止めるためではない。


平吉は唇を結んだ。



夕方、店仕舞いの前に、利助が言った。


「数えろ」


「はい」


平吉は、朝と同じ場所に包み紙を並べた。


右に、客へ出せるもの。


真ん中に、店で使うもの。


左に、捨てるもの。


だが、朝と数が変わっている。


客へ出せる紙は減っている。


店で使う紙は増えている。


捨てる紙も増えている。


平吉は手前から数えた。


客へ出せる紙。


一、二、三、四。


店で使う紙。


一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二、十三。


捨てる紙。


一、二、三、四、五、六。


紙切れに書く。


客へ出せるもの、四。

店で使うもの、十三。

捨てるもの、六。


平吉は、朝の数と見比べた。


朝は、七、十一、四。


夕方は、四、十三、六。


客へ出せるものが三枚減った。


店で使うものが二枚増えた。


捨てるものが二枚増えた。


だが、増えたり減ったりした合計が合うのか、平吉にはすぐにわからなかった。


七と十一と四で、いくつだったか。


平吉は丸を描いて数えようとした。


利助が言った。


「声に出せ」


「はい」


「朝は」


「七、十一、四です」


「合わせて」


平吉は指を折る。


七と十一で十八。

十八と四で二十二。


「二十二です」


「夕方は」


「四、十三、六です」


「合わせて」


四と十三で十七。

十七と六で二十三。


平吉は止まった。


二十三。


一枚増えている。


朝より一枚多い。


なぜだ。


包み紙は使われて減るはずだ。


破れた紙が増えるのはわかる。


だが、全体の枚数が増えている。


「一枚、多いです」


利助は黙っている。


定吉が近くでにやりとした。


平吉は焦った。


数え間違いか。


置き間違いか。


昼に誰かが別の紙を入れたのか。


それとも、朝の数えが間違っていたのか。


利助は言った。


「どうする」


平吉はすぐに答えそうになった。


数え直します。


だが、それだけでいいのか。


まず、もう一度同じ手順で数える。


平吉は右、真ん中、左の順に数え直した。


客へ出せるもの、四。


店で使うもの、十三。


捨てるもの、六。


やはり二十三。


「夕方の数は、同じです」


「朝は」


「朝を数え直すことはできません」


「そうだ」


「なので、朝の数えを間違えたか、昼に別の紙が加わったかだと思います」


利助は頷かない。


「思います、で終わるな」


平吉は考えた。


昼に、何があった。


手ぬぐいを包んだ。

針を包んだ。

紐を包んだ。

油紙を出した。


その時、定吉が奥から小さな紙を持ってきて、箱に入れた気がする。


いや、見たような気がするだけか。


平吉は定吉を見た。


定吉は口を尖らせた。


「俺、昼に古い包み紙を一枚足した」


利助が定吉を見る。


「なぜ言わなかった」


定吉は少し肩をすくめた。


「兄さんが気づくかと思って」


利助の目が細くなる。


定吉は慌てて姿勢を正した。


「……すみません」


平吉は胸を撫で下ろしそうになった。


だが、すぐに違うと思った。


定吉が足した。


だから数が合わなかった。


それで終わりではない。


自分が、昼に加わったものを控えなかったのだ。


平吉は頭を下げた。


「俺が、昼に増えた紙を見ていませんでした」


利助は平吉を見た。


「そうだ」


「はい」


「数は、朝と夕方だけ見れば足りると思ったか」


「はい。思っていました」


「違う」


「はい」


「動いた時に見る」


「はい」


「動いた時に残す」


平吉は深く頷いた。


「はい」


利助は続けた。


「控えは、終わってから辻褄を合わせるためだけにあるのではない」


「はい」


「動いたものを、動いた時に残すためにある」


平吉は、胸に強く刻んだ。


動いたものを、動いた時に残す。


朝と夕方だけでは足りない。


途中で増えたもの。


途中で減ったもの。


使ったもの。


戻したもの。


それをその時に見る。


でなければ、後で数だけ合わせようとしても、何が起きたかわからない。



宗兵衛が帳場から言った。


「平吉」


「はい」


「今日の控えは汚れたか」


平吉は息を止めた。


汚れた。


間違えた。


一枚多かった。


途中で加わったものを残していなかった。


「はい」


平吉は答えた。


「汚れました」


定吉が少し気まずそうにした。


だが、宗兵衛はすぐに言った。


「何で汚れた」


平吉は考えた。


紙を足した定吉のせい。


そう言えば簡単だ。


だが、違う。


「動いた時に、俺が見なかったことで汚れました」


宗兵衛は黙っている。


「朝と夕方だけ数えればよいと思って、途中で加わるものを控えていませんでした」


宗兵衛は少しだけ頷いた。


「では、明日はどうする」


「途中で紙が加わった時、減った時に、印をつけます」


「どこに」


平吉は紙切れを見た。


今の紙には、朝と夕方の数しかない。


途中の動きを書く場所がない。


「朝の数の下に、出入りを書く場所を作ります」


「出入り」


「はい。入った紙。使った紙。捨てる紙」


宗兵衛は、利助を見た。


利助が頷いた。


「それでよい」


平吉は胸の奥が少し熱くなった。


今日の控えは汚れた。


だが、明日の控えの形が一つできた。


間違いを隠さなければ、次の形にできる。


それもまた、これまで何度も教わってきたことだった。


宗兵衛は言った。


「小さな控えほど、軽く見るな」


「はい」


「小さいもので手が乱れる者に、大きいものは任せられん」


平吉は深く頭を下げた。


「はい」


その言葉は厳しかった。


だが、平吉の胸には、どこか嬉しさもあった。


小さな控え。


包み紙。


ただの紙。


それでも、これを乱さなければ、いつかもう少し先に進めるかもしれない。



その夜、平吉は自分の帳面を開いた。


今日は、包み紙の絵を描いた。


三つの山。


客へ出せる紙。

店で使う紙。

捨てる紙。


その横に、朝の印。


夕方の印。


そして、その間に小さな道を描いた。


昼の間に紙が動く道。


その道の途中に、定吉の顔を描きかけて、やめた。


人の顔は描かない。


定吉のせいにしない。


代わりに、紙が一枚、横から入ってくる印を描いた。


入った時に残す。


出た時に残す。


平吉は、その下に、手と目の絵を描いた。


動いた時に見る。


動いた時に書く。


定吉が覗いた。


「俺の顔、描こうとしただろ」


平吉はぎくりとした。


「描いてない」


「描こうとした顔だった」


「描いてないからいいだろ」


定吉は少し笑った。


「今日のは、俺も悪かった」


平吉は顔を上げた。


定吉がそんなことを言うのは珍しかった。


「でも、俺が見てなかった」


「そうだけど、俺も言わなかった」


定吉は横に座った。


「利助さんに怒られるかな」


「たぶん、明日も何か言われる」


「やだなあ」


「俺もやだ」


二人は小さく笑った。


定吉は、平吉の帳面を指した。


「この三つの山、わかりやすいな」


「客へ出す、店で使う、捨てる」


「うん。それは俺でもわかる」


「明日は、出入りもつける」


「出入り?」


「途中で入ったり、使ったりしたら、印をつける」


定吉は少し考えた。


「面倒くさいな」


「面倒くさい」


「でも、やらないと一枚増える」


「うん」


「はい」


「はい」


定吉はむしろに横になった。


「包み紙一枚で、こんなに怒られるとは思わなかった」


平吉は帳面を見ながら言った。


「一枚だから、だと思う」


定吉が顔だけ向けた。


「どういうこと」


「包み紙一枚で乱れるなら、銭一文でも乱れるから」


定吉は黙った。


それから、少し悔しそうに言った。


「それ、利助さんっぽい」


「俺の言葉」


「うそだ」


「今、考えた」


「じゃあ、まあまあ」


平吉は少し笑った。



帳面を閉じる前に、平吉はもう一つ印を足した。


小さな紙。


その隣に、大きな帳面。


小さな紙から、大きな帳面へ細い道を引いた。


まだ、遠い。


とても遠い。


だが、道がないわけではない。


小さな控えを汚さないこと。


動いたものを、動いた時に残すこと。


間違えた時に、人のせいにせず、どこで自分の目が離れたかを見ること。


それが、帳場へ続く細い道なのかもしれない。


平吉は小さく唱えた。


「小さいものほど、軽く見るな」


定吉が眠そうに言った。


「今日の念仏か」


「うん」


「包み紙の念仏」


「大事な念仏」


「増えるなあ」


平吉はうなずいた。


本当に増えていく。


だが、その一つ一つが、明日の手を直すためにある。


清次の控えも。

自分の帳面も。

今日の包み紙の控えも。


紙は動かない。


だが、人の手を直す。


平吉は、むしろの上で横になった。


明日は、朝だけでなく、昼も見る。


夕方だけでなく、動いた時に見る。


小さな控えは、小さくない。


それを汚さずに済ませられた時、平吉はほんの少しだけ、帳場のそばへ近づける気がした。


第三十七話 了

ここまで読んでいただきありがとうございます。


第三十七話では、平吉が初めて相模屋の中の小さな控えを任されました。


任されたのは、使い終えた包み紙の数。


本帳でも、銭でも、掛けでもありません。

それでも、平吉にとっては大きな仕事でした。


客へ出せる紙。

店で使う紙。

捨てる紙。


ただ数えるだけではなく、何に使えるかで分けること。

そして、朝と夕方だけでなく、動いたものを動いた時に残すこと。


小さな控えでも、途中の動きを見落とせば数は乱れます。

包み紙一枚で乱れるなら、銭一文でも乱れる。


平吉は、その怖さを知りました。


宗兵衛の、


「小さな控えほど、軽く見るな」


という言葉は、平吉に重く残ります。


小さな紙から、大きな帳面へ。

まだ遠い道ですが、平吉はその細い道を少しだけ見つけました。


次回は、控え違いを通して、平吉が間違いをどう扱うかを学ぶ話になります。


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