8・口封じ
とにかく何がなんでも飛行機に乗らなければ。
どうやったら警察に信じてもらえるのか。
いったい誰がこんなことを。
バングル社のプロジェクトのものたちがこんなことをするわけがない。
もし見つかったら飛行機に乗れないので仕事が
できないことがわかっている。
小型爆弾とやらが偶然ポケットに入るなんてことは考えられない。
じっと見てくる警察官。音のない部屋で永久の頭は忙しなく動いていた。
「パスポートを出してください」
これから飛行機に乗るのだからもちろん持っている。
偽造されたパスポートだが出さないわけには
いかない。
永久は警察官が運んできた自分の大きめのバッグからパスポートを二つ出し、机の上に置いた。
「拝見しますね。えーと、山本聡さんと、
山本恵美さん。ご夫婦ですか?」
「はい」
「ご旅行ですか?」
「そうです」
警察官がじろじろとパスポートを見ている。
永久の背中にイヤな汗が流れた。
「山本恵美さん」
警察官が女に話しかけたが、女は聞こえていないようだ。
視線を合わせることもなくニコニコ笑って自分の髪を触っている。
警察官はもう一度女に話しかけた。
「妻は、精神の病気でして。自分の世界に
閉じこもって誰の声も聞こえないみたいです」
「そうですか。ではご主人にお聞きするしかないんですね」
「はい」
隣に座っていた女の肩がとん、と永久に当たった。
永久は腕を回して女の肩を抱き、優しく撫でた。
「何者かにこの小型爆弾を入れられた、と
山本さんは言っていましたが心当たりは?」
「あるわけないです。爆弾なんてそんな恐ろしいもの」
「わかりました。ではその上着はいつから着用されていますか?」
「これは今朝、家を出る時…」
スッと永久が口を閉じる。警察官はすぐに永久の顔色に注目した。
「この上着は…」
この上着を着せてくれたのは紅苑だった。
朝、永久よりも早起きして朝食を作ってくれて…
紅苑ならポケットに爆弾を入れることが可能だ。というか、紅苑にしかできない。
ホテルにいた男とは近づいてもいないのだから。
「山本さん?なにか思い出したんですね」
「あ、いえ、」
「なんでもいいので話してください」
「ホントになにも」
紅苑のことを言うわけにもいかない。
今の永久は山本聡と名乗っている。仮に紅苑の
ことを告げて警察が連絡したとしても、紅苑は
そんな名前の人は知らない、と言うだけだ。
しかしなぜ紅苑が。いや、紅苑のはずがない。
紅苑には空港へ行くと言っていたから、
こんなことをしたら引っかかって飛行機に
乗れないことぐらい紅苑にもわかっているはず。
「…」
わかっていてやったとしたら…
「山本さん。この小型爆弾の出どころが
わかるまで調べないとなりません。
申し訳ないんですが今から警察署へご同行願います」
「そんな。困ります。旅行もですが、仕事も兼ねているんです。先方をお待たせするわけにはいきません」
「たとえ仕事でもこのまま出国していただけません。ご理解ください」
部屋にいた他の警察官が警察署に電話をかけている。
バングル社に連絡することもできない永久は
絶望した。
紅苑が本当に入れたのかもわからないし、
それを警察に話すこともできない。
知らない、と言い通すことしかできないのだ。
失敗は許されないのに…自分はどうなるのだろう。
全てを話せば警察は保護してくれるのだろうか。
刑務所に入ればバングル社も狙えない。
H.Oが留置所で殺された事件があったからこそ
警察は特に守りを固くしているはずだ。
幸い女はひとことも話さない。
永久の思い通りにことを運べるということだ。
無実が証明されたら警察署から出されてしまう。
仕事の全てを把握して、その上失敗した永久は
外に出たらどうなってしまうのか。
それならばいっそのこと、爆弾は自分が入れて
日本から持ち出そうとしていた、と言った方が
良いのではないだろうか。
なんでもいい。罪を被って刑務所へ行った方が
永久の身の安全は守られる。
目を閉じた永久は考えに考えた。
「山本さん。迎えが来たようなので行きましょうか」
「はい」
来た時と同じように永久は両腕を警察官に
掴まれて部屋を出る。
派出所から出て狭い通路を進んで行くと
駐車場があり、そこにパトカーが停まっていた。
パトカーに乗っていた二人の警察官がドアを開けて中から出てくる。
永久が話した内容が記された用紙と小型爆弾の
入ったビニール袋を渡して警察官たちは引き継ぎをしていた。
パトカーの向こうには数台の車が停まっている。
職員専用の駐車場なのだろう。空港が動いているこの時間は車にはもちろん誰も乗っていない。
「では、山本さん。奥さんと一緒に後ろに乗ってください。私も隣に座ります」
派出所の警察官が永久にそう言って後部座席の
ドアを開けた。パトカーに乗って来た二人の
警察官は運転席と助手席に乗るのだろう。
はい、と素直に返事をした永久は先に女を乗せようとした。
「…」
パトカーの向こうに停まっている数台の中の一台。
中には誰もいないと思っていたのに、真正面に
こちらを向いて停めてある白い車の運転席に
帽子を被った紅苑が乗っていた。
「…紅苑?」
窓を開けているのだろう。少し出た白い手。
今朝、永久の背中を優しく抱きしめてくれた
手だった。
「山本さん」
警察に促された永久は震える唇を噛む。
ここで紅苑に詰め寄るわけにはいかない。
何もできない永久は女をパトカーに乗せ、
自分も乗ろうして腰をかがめて頭を下げた。
パン!と誰かが手を叩いたような音が駐車場に響く。
警察官たちがサッと辺りを見回した。
その横でずるり、と永久が冷たいコンクリートの地面に滑り落ちた。
「山本さん!」
永久の背中。ちょうど心臓の真裏に黒い穴が開き、そこから細い煙が糸を引くように出ていた。
「山本さん!」
「救急車!」
二人の警察官が床に倒れた永久を抱き起こすと
もう胸は真っ赤に染まっていた。
救急車を呼んでいる警察官がパトカーの中に乗り、女の様子を見る。
女は夫が撃たれたというのに素知らぬ顔で髪を
いじっていた。
パトカーに乗ってここへ来た警察官二人が拳銃をかまえて駐車場内をぐるりと見回したが、
人影も見えない。
時間が止まったように動きのない駐車場。
人が出て行った形跡もなければ、車も動いていない。
しかし発砲されたことは事実。警察官二人は拳銃をかまえたまま駐車場内を歩いた。
「山本さん、すぐに救急車が来ますから。
しっかりしてください」
「う……」
警察としても自分たちが付き添っている中で
撃たれたのはマズイだろう。
もう無理だと頭ではわかっていたが、永久が
助かることを願った。
警察官の腕の中で必死で息をしている永久が、
そろりと血に塗れた手を伸ばした。
「…紅苑…」
その声は警察には聞こえない。
薄れゆく意識の中で永久の目には車に乗っていた紅苑が映っていた。
紅苑はパトカーの向こうにいた。
自分は背後から撃たれたので撃ったのは紅苑
ではない。
なぜ紅苑はここにいるのか。爆弾を入れたのは
やはり紅苑なのか。目的はなんだ。
俺を…守るため、か。
考えようとすればするほど永久の脳裏には優しい紅苑の笑顔が浮かんだ。
「うぅ……」
彼は俺に勇気をくれた。安心させてくれた。
…味方だと思っていた。
最期に永久はもう一度紅苑の名前を呼んだ。
しかしその声はもう音にはならなかった。
「山本さん!しっかりして!」
呼吸していない永久を警察官が揺らす。
なんの反応もないのを見てもう一人の警察官と
顔を見合わせた。
もう永久が死亡していることがわかっていたが、救急車を待つ。
拳銃をかまえて駐車場内を歩いていた警察官二人はまだ撃った犯人を探していた。
車に乗っていた警察官も開けたドアから顔を出して、辺りを見回している。
その隣でずっとニコニコと笑って髪をいじっていた女の顔がスッと真顔になった。
「皐月」
「……」
「皐月」
女はその声にバッ!と目を見開く。色のないその大きな瞳は真っ直ぐにその声だけを聞いていた。
女は髪を結んでいたヘアゴムを解いて口に入れ、グッと噛み締める。
すぐに口の端から真っ赤な血が溢れ出した。
ぐらり、と女の体が隣の警察官に向かって倒れた。
夫が亡くなったことに気づいて泣き崩れたのかと思った警察官が声をかけた。
「奥さん、え?奥さん?」
口から血を流し、女はもう絶命していた。
今日は仕事が休みなので紅苑はベッドに入って
眠っていた。そろそろ昼かな、と思いながらも
うとうとしていると、鍵の開く音がした。
紅苑がベッドから出てリビングに行くと、白生がソファに座っていた。
「おつかれ。どうなった?」
冷蔵庫から水を出して白生に渡し、紅苑は
すぐにキャップを開けて乾いたのどに流し込む。
水を受け取った白生は被っていた帽子を脱いだ。
「A.Kは撃たれた。一緒にいた女は自殺した」
「撃たれたって…警察じゃないよね?」
「お抱え狙撃手だろ。俺も見てたけどどこから
狙ったのかもわかんなかった」
白生もごくごく、と水を飲んで大きな息を吐く。
あの駐車場では本当に全く動きがなかった。
どこから撃ったのか本当に見当もつかなかった。
「白生がわかんないなんて」
「マジでわかんなかった」
「永久…死んだの?」
白生の横顔がうん、と頷く。紅苑は寝癖のついた髪をガシガシ、と搔いた。
「警察で全部吐かせるのって難しいね。
てか、着くまでに殺られるなんて」
「バングル社はA.K、永久の動きを完全に
把握している。ここにいる時ぐらいじゃね?
わかなかったのってさ」
おそらく永久は盗聴されている。
しかし紅苑の部屋は盗聴機が作動しないように
なっているのだ。
逆に言えば紅苑の部屋を出た瞬間から永久は
全ての行動や言動を監視されていたということだ。
「で、女はなんで自殺したの?」
「たぶんだけど薬かなんかで頭おかしくなって
たんだろうな。ひとことも話さないし、
ずっとニヤニヤして自分の髪の毛で遊んでたよ。
でも、そんな女だけどひとつだけ教え込まれていた。自分の名前を呼ばれたらヘアゴムを口に入れてグッと噛め、って」
犬にお手やおすわりを教えるのと同じだ。
その声が聞こえたら勝手に体が動くように女は
躾けられていたのだ。
ヘアゴムに毒でも仕込んであったのだろう。
口に入れて思い切り噛んだ女はすぐに絶命した。
「パトカーの死角に一人の男がしゃがんでいた。そいつが女の名前を呼んだ。読唇したから
間違いない」
永久が亡くなって、警察官たちが慌てていた最中、車に近づいた黒い影。
窓のすぐそばにいた女に向かって、はめていた
マスクを下げて名前を呼んだ。
「皐月、って」
「…やっぱり」
永久と一緒にいたのはクラブアスタロトを急に
辞めた皐月だった。
その男が、皐月の名前を呼ぶためにわざわざ
危険をおかして近づいたことが疑問だったが、
よく考えると皐月の精神は崩壊している。
耳にイヤホンなどを付けさせていても外して
しまう可能性があるからだ。
「皐月がなぜ永久と海外へ行こうとしていたのか」
「二人ともいなくなったから聞けないよね。
警察は詠一が留置所で殺されてから厳重だから、警察署に入る前に始末したってことか」
「クラブアスタロトも関係してるみたいだから
紅苑はもう少し残った方がいい」
うん、と頷いた紅苑はため息をついて窓の方へ
歩いて行った。
真上に昇る太陽が眩しい。
今朝、永久に強く抱きしめられた腕がヒリヒリした。
「永久、俺の顔見てお前の名前呼んでた。
声は聞こえなかったけど」
「俺が小型爆弾入れたって気づいてただろうからね」
「うーん。それはそうかもしれないけど、恨みはこもってなかったぜ。最期も呼んでたし」
車に乗ってそれを見ていた白生には、永久の唇の動きに愛しさが込められているように見えた。
「愛してたんじゃね?本気でお前のこと」
「どうだろ。依存じゃないかな。
それに本気で愛してたら白生と俺を間違えなくね?いくら双子だからってさ」
そう言ってはみたものの、白生には紅苑の心は
バレていた。
できることなら警察に捕まって全てのことを
告白させたかった。
そして永久のことを警察が守ってくれたら…
かわいそうな人だったから。
「紅苑が、小型爆弾を入れた理由。永久はきっとわかってたよ」
「かなあ。でもさ、だんだんと見えて来たよね」
「だな。バングル社のプロジェクト。絶対に掴む」
紅苑がペットボトルを差し出すと、白生がそれに自分のペットボトルをボン、とぶつける。
同じ顔をした二人は強く頷き合った。




