7・愛という名の依存
紅苑と白生。二人の考えは同じようだ。
目が合った二人は揃って苦笑いをした。
「詠一で失敗したけど、ね」
「それしかないか」
「それに、警察も留置所で殺られてるんだ。
同じボケは二回もしないだろ」
永久を警察に閉じ込める。そして安全を確保する代わりに全てを吐かせる。
問題は永久になんの罪を着せるかだ。
詠一と同じ仕掛けをしても永久は乗ってこないだろう。
かといってバングル社に警察を向かわせるわけにもいかない。
紅苑と白生は前を向いて、何もない壁を見つめた。
「A.Kの動きを探ってみる」
「下手なこと聞くなよ?怪しまれたらそこで
終わりだからな」
「気をつけるよ。そこからまた考えよう」
おう、と返事をした白生が水の残ったペットボトルをぶら下げて部屋を出て行く。
皐月は今、どこでどうなっているのだろう。
急がなければならない気がした。
永久を探りたかったのだが、あれからバングル社はクラブアスタロトに来ないし永久も家に来ない。
かといってこちらから連絡すると怪しまれる。
焦る気持ちを押さえて、紅苑はひたすら機会を
待っていた。
皐月が辞めてしばらくしたある日、仕事を終えて帰宅した紅苑が風呂に入っていると、インターホンが鳴っているのが薄らと聞こえた。
永久だ。すぐに開けたいところだが、紅苑は
特に慌てずいつもと同じように髪や体を洗った。
永久が来たということは明日はプロジェクトと
やらの仕事の日。
皐月は関係しているのか。風呂の中で紅苑は
永久からどう探り出そうかを考えていた。
風呂から出てタオルで髪を拭いているとまた
インターホンが鳴った。
今度はすぐにモニターの前に行き、通話を押した。
「来てくれたの?」
「何かしてたの?」
何度もインターホンを押したのだろう。永久は少し拗ねたようなことを言った。
永久の後ろではエントランスの柔らかい明かりが揺れている。
それに反して永久の表情は固い。
風呂に入っていた、と言いながら紅苑は開錠した。
「ごめん」
紅苑の濡れた髪を見て永久の表情が少し和む。
紅苑の部屋の明かりを確認していた永久は居留守を使われたと思っていたのだ。
「なかなか出てくれないから何かあったのかって心配したよ。こっちこそごめん。
風邪ひいたらダメだから髪乾かしてきて」
ううん、と首を横に振った紅苑を永久が洗面所に連れて行き、そのままドライヤーで髪を乾かした。
「ありがとう」
照れたように笑う紅苑。永久も微笑み返したが
明日のことを考えると心から笑えなかった。
二人でソファに座ると同時に永久が紅苑を
抱きしめる。
体が壊れそうなほどの力に、息を細くした紅苑が手を伸ばして抱きしめ返した。
「明日…プロジェクトの仕事?」
うん、と小さく頷いた永久を紅苑は力いっぱい
抱きしめてその手で背中をゆっくりとさすった。
プロジェクトの仕事に向かう永久はこんなにも
怖くて辛くて悲しいのだ。
そしてそれはなぜだ。何をしようとしている?
いや、何をやらされている?
どう聞こう。怪しまれたら終わりなのだ。
「明日、いつもよりもっと朝早いんだけど
泊まっていい?」
「もちろん。うれしい。早いって、電車ない時間?タクシーで行くの?」
バングル社はここからそう遠くないので泊まった時は電車のある時間でも永久はいつもタクシーで行っていた。
「いや、明日は珍しく直接空港だから始発の電車で行くよ。その方が早い」
「空港か。出張なんだね。おつかれさま。
朝早くから大変だ」
さらり、と普通の返しをしながらも紅苑の頭は
素早く回転していた。
珍しく直接空港。ということはいつもはバングル社に寄ってから空港ということだ。
永久はどこに行かされているのか。しかしここから先は聞くことはできない。
紅苑は何事もなかったかのように永久を抱きしめる。キスをしてきた永久に体をゆだね、二人はそのままソファに沈んだ。
明け方四時。ベッドから身を起こした紅苑は
まだぐっすりと眠っている永久を見つめた。
紅苑の中で果てた永久はすぐに眠った。
いつもなら何度も求めてくるのに昨夜は一度だけだった。
不安を取り除くため、そしてぐっすりと眠るために永久は紅苑と体を重ねる。
一度だけだったということは昨夜はすぐに安心して眠れたのだろう。
それが仕事に慣れてきたからだとしたら。
永久にとっては悲しい話だ。
まだ真っ暗なキッチンに行き、簡単な朝食を作る。
一時間もしないうちに寝室のドアが勢いよく開いた。
「ビックリした。おはよう永久」
「…いなくなったのかと思った」
永久がペタペタと音をさせながら歩き、紅苑を
抱きしめた。
「出張だろ?朝ごはんしっかり食べないと」
「作ってくれたの?」
「簡単なもので悪いけど。食べよ」
紅苑が体を離そうとするとさらに強く抱きしめ
られた。
弱火で温めていたスープの鍋からコトコトと音がして、部屋中にいい匂いを広げている。
永久はうれしそうに紅苑の耳にキスをした。
「ありがとう」
「ううん。仕事、がんばって。帰ってきたら一緒になにかおいしいものでも食べに行こ」
紅苑がニコッと笑うと、永久は悲しそうな瞳で
笑った。
「紅苑」
「ん?」
「俺、お前のこと好きだよ」
好きな人などできなかった。作ってはいけないと思っていたのかもしれない。
しかし紅苑と過ごす時間が、永久にとって
勇気と優しさをもらえる大切な時間になっていた。
紅苑を失うことは考えられない。
よくわからないが、この感じがきっと、好き、というものなのだろう。
紅苑がいないと無理だ。
永久はそれを伝えておきたかった。
「俺も。永久が好き」
微笑み合ってキスを交わす。こうしていると普通の恋人同士みたいだ。
幸せとうらはらに、永久は自分の運命を呪う。
しかしその残酷な運命を乗り越えてでも紅苑と
一緒にいたい、とこの時初めて願った。
いや、残酷な自分の運命には紅苑は必要なのだ。
朝食を済ませて出かける支度をする。
スーツの上着を持ってきた紅苑がそれを後ろから永久に羽織らせた。
「ありがとう。いってくる」
「いってらっしゃい」
玄関まで見送りに来た紅苑を抱きしめ、
まだ明けきっていない外へ一歩踏み出した。
大きめのバッグを肩にかけた永久は、空港近くのホテルに入った。カードキーを持っているのでそのままエレベーターで上階に行く。
まだ朝早いので通路にも人が少ない。
音のしない通路を歩いて802号室の前に立ち、
カードキーをセンサーに当てた。
カチャ、と小さく響いたのを確認して中に入る。
入ってすぐに置いてある椅子に座っていた男が
見ていた携帯から顔を上げた。
「おつかれさん」
それだけ言って、男は椅子から立ち上がりベッドにうつ伏せになっていた女を立たせた。
「支度は済んでるよ。よろしく」
「はい」
男が言った通り、女はもうすでに着替えも
済ませていた。
永久の前に連れて来られた女は、後ろに一つに
結んだ髪を自分の胸の辺りに持って来てずっと
触っている。目は落ち着きなく左右に揺れていた。
永久が女の手を握ったが、女はそれに気づかずにまだ自分の髪をいじっていた。
「これ」
男は永久に券の入った白い封筒を渡し、部屋を出て行った。
空港にはタクシーですぐに着いたが、女は歩くのが極端に遅いので永久はヒヤヒヤした。
なんとしても飛行機に乗らないとならない。
引っぱりたいのを我慢してゆっくりと並んで歩き、なんとか搭乗手続きを済ませることができた。
搭乗までにまだ時間があることを確認して
永久はひと息ついた。
サングラスをかけた永久は、髪を触りながらついてくる女の方を時折見ながら金属探知機のゲートに向かう。
女には何一つ引っ掛かるようなものはつけさせていない。
永久は女の手を腕で挟んで自分の時計を外した。
女を先に通して次に永久が通る。
永久が通った瞬間、ピーピー、と反応する音が
鳴った。
「お客様、大変申し訳ございませんがこちらに」
係員が探知機のゲートから離れたところに置いてあるハンディタイプの探知機を持ってきた。
幸い女はおとなしい。永久は女から手を放して
係員の指示に従った。
時計は外したし引っかかるようなアクセサリーはつけていないので探知機が鳴った原因が全く
わからなかったが、何も怪しいものは持っていない永久は堂々としていた。
ハンディタイプの探知機が永久の体の上を滑る。
女は永久のそばで壁に持たれて、自分の髪を指でくるくるとして笑っていた。
「失礼いたします。こちらの上着のポケットの中を拝見させていただきます」
よろしいでしょうか、ではなく、そう言いきった係員が永久のスーツのポケットに手袋をはめた手を突っ込む。
スーツのポケットには何も入っていないはず。
永久は、はい、と言って首を傾げた。
係員の手がポケットの中に入り、ゴソゴソとした後スッと出てきた。
あまりにもその往復が早かったが、何も入っていないことを知っている永久は表情も変えなかった。
「お客様、少々こちらでお待ちください」
「はい。搭乗には間に合いますよね?」
係員は永久の問いに頷きもせず、自分のポケットから携帯を取り出した。
「こちら保安検査場です。はい。はい。
よろしくお願いします」
それだけ言って電話を切った係員は、再び永久の体にハンディタイプの探知機を滑らせた。
女の髪は触りすぎてもつれてしまっている。
永久は探知機に体を晒して、サングラスの向こうで笑っている女を見ていた。
一人楽しそうにしている女。
心が入っていないその笑顔が、なぜか永久には
やたらと眩しく映った。
バタバタと走る音が聞こえる。永久がその音へと顔を向けると同時に、探知機を持っていた係員が強く永久の腕を掴んだ。
「お疲れ様です」
やってきたのは三人の警察官だった。
係員は永久を掴んでいる手と反対の手を差し出してゆっくりと開いた。
「これです」
係員の手のひらの上に乗っていたのは、親指ほどの大きさの黒い長方体。その側面にはスイッチのような物が付いている。
「なんですか、これ」
永久は思わず声を出した。
自分のポケットから出てきた物なのだろう。
しかし全く見覚えがない。
警察官が白い布でその黒い物体掴み、ビニールの袋に入れた。
「何なのかを調べますので我々と一緒に移動してもらえますか?」
「あの、僕はそんなもの、」
「お話もゆっくり聞きます。とりあえずこちらへ」
他の客もいる。警察官が来ていることでその場にいる全員が永久をじろじろと見ていた。
ここで言い合いをしても仕方がない。
何が起こったのかわからなかったが、ここは着いて行くしかなさそうだ。
警察官二人に両腕を掴まれた永久と、もう一人の警察官に掴まれた女は無理やり歩かされた。
空港の中にある一室。入り口には【空港警察派出所】と書いている。
その中に入れられた永久と女は、一番奥にある
部屋で椅子に座らされた。
取り調べ室なのだろうか。窓のない灰色の部屋。
真ん中に置かれた机の前に永久と女は並んで座った。
「ここで少しお待ちいただけますか?」
警察官は丁寧な物腰だ。何もなかった場合のことも考えているのだろう。
「はい。あの、飛行機には乗れますか?」
永久がそう聞くと、部屋を出ようとしていた警察官は振り向いた。
「そちらも含めて、お待ちください」
バタン、と閉まったドア。中には永久と女、
そして警察官が二人。何を聞いてもムダだとわかった永久は頭の中で出来事を整理した。
女は隣で相変わらず自分の髪を指に巻き付けて
笑っている。
警察官二人は永久よりもそんな女を見ていた。
30分ほど経った頃、さっき出て行った警察官が
戻って来た。手には黒い物体の入ったビニール袋と一枚の用紙を持っていた。
「お待たせしました。あなたがポケットに入れて持ち出そうとしていたのは小型の爆弾ですね」
「は?」
戻って来た警察官は椅子に座りながらそう言った。
永久にはやっぱりなんのことかさっぱりわからない。
しかしポケットに入れたのは自分ではないことだけはわかっていた。
「入れた覚えがないです」
「入れた覚えがない。ということは入れられた、と言いたいんですか?」
「はい。入っていたのならそれしか考えられません」
永久は正直に答えた。しかし警察官は大きなため息をつき、持っていた用紙に目を落とした。




