6・消された女
次のプロジェクトの仕事に行く前日。
永久はまた紅苑の部屋にやって来た。
前回の初仕事の時と同じく怖さや不安を紅苑に
ぶつけ、朝まで何度も二人は体を重ねた。
夜明け前。仕事に行く永久を紅苑は笑顔で見送った。
「いってらっしゃい」
「うん…行ってくる」
「淡々とこなせばいいんだよ。難しい仕事なんだろ?あまり考えないで」
そう言った紅苑に永久は安心したように抱きついた。
紅苑には仕事の内容は言っていないのになぜか不安を取り除いてくれる。
それが永久には一筋の光が差したようだった。
バングル社の次の予約の日。前回と同じく年配の四人の後ろから永久がクラブアスタロトに入って来た。
時折合う視線に紅苑が小さく頷くと、永久もホッとした表情で頷き返した。
今回もバングル社の面々にしかわからないような話し方で四人は話をしている。
永久はあいづちを打つだけで発言はしなかった。
「赤田くん、どうだ?このプロジェクトにも慣れたか?」
一人がそう言うと残りの三人が一斉に永久の方を見た。
永久の名字は赤田。名字も名前もどちらでも
AKというネームは使える。
やはり永久がAKで間違いないようだ。
紅苑は空いたグラスをトレーに乗せながらバングル社の三人と同じく永久の返事を待った。
「いえ、僕はまだまだです」
「こういう控えめなところが良いんだよ」
「そうですね。好青年だ」
天涯孤独だから選ばれたのは間違いないが、
それとともに自分たちの言うことを素直に聞いて思うままになる人材、というのもあるのだろう。
永久の前の詠一は思うままになりにくかったのか。
結局、バングル社の四人が永久に話しかけたのはそのひとことのみだった。
「注文が多すぎて回らないよ。うれしい悲鳴だがね」
「用意するにも時間がかかりますしね」
「でも、お客様の要望には答えないと」
紅苑は全く興味のない顔でシャンパンを注ぐ。
口元は微笑んでいるが四人の目を見ない。
ここにいるキャストの女性たちも紅苑と同じような表情をしていた。
「皐月さん」
いつのまにか入って来ていたママの梨香子が
バングル社のメンバーの間に座っていたキャストの皐月に手招きをする。
皐月は失礼します、と立ち上がって、梨香子のいる部屋の隅まで歩いて行った。
紅苑はトレーに乗せたグラスを奥の小部屋まで
運ぶためにゆっくりとそろりと歩く。
ちょうど皐月がママのところに着いた時、紅苑がその横を通り過ぎた。
「バングル社様のアフターに行ってちょうだい」
「あ、はい」
「大丈夫よ。場所はこの先にある私の知り合いのお店だから。ここと同じように座ってるだけ。私も後でご挨拶に伺うから」
梨香子の知り合いの店、そして後で梨香子が来る、と聞いた皐月は安心して微笑む。
梨香子は皐月の肩をぽんぽん、として部屋を出て行った。
皐月はまだこの店に来て半年も経たない。
おとなしい人だが、見た目が美しいので客は
なんとかついている。
アフターに行けと言われた皐月だったが、
VIPルームに勤務したのは今回が初めてだった。
それから30分ほど経った頃、バングル社の面々が帰り支度を始める。今日も永久がカードで支払いをした。
紅苑がいたからなのだろうか、永久は顔色も普通で前回とは比べものにならないほど普通だった。
バングル社と皐月を見送り、ボーイの瀬戸と紅苑は店内に戻った。
紅苑は予約ノートを見て来る、と瀬戸に言い、
事務室に入る。キャストの情報が何かないかと
探していた時に一つだけ鍵のかかっている
引き出しを見つけた。
スーツの襟の裏から細い針金を取り出す。
防犯カメラに背を向けて、紅苑はその針金で
引き出しの鍵を開けた。
右手だけで引き出しを開けて中身を確認する。
左手は机の上に置いてある予約ノートの上に置き、顔もそちらを向けていた。
カメラには予約ノートを見ているように映っているはずだ。
引き出しの中にはファイリングされたものが三冊。
右手で素早くめくっていくと、キャストの情報が載っているものがあった。
「…」
源氏名、本名、生年月日、住所しか載っていないがそれでじゅうぶん。
紅苑は皐月のところを全て暗記して元通りに
引き出しに鍵をかけ、何食わぬ顔で事務室から出て行った。
家に帰った紅苑はバッグを放り投げてすぐに携帯をタップした。
「もしもし、」
「紅苑ちゃん!無事か?」
「声デカいんだって。無事だってば。ちょっと
調べて欲しことがあるんだよ。
古谷皐月。古い谷って書いて古谷、皐月は五月じゃない方の難しい方の皐月。
2002年1月2日生まれ。住所は…」
話しながら冷蔵庫を開けて水のペットボトルを出し、ごくごくと半分ほど飲み干した。
「家族関係調べるの?」
「そうだね。あと履歴も」
「わかった。調べたらまた連絡する」
「あ、パパ待って、」
紅苑が、電話の相手の父に叫んだ。
「白生は?今空いてる?」
「空いてると思うよ」
「わかった。じゃあ古谷皐月の件よろしく」
携帯をテーブルに伏せて残りの水を飲む。
ソファに座って腕を組んだ。
バングル社のようなVIPには粗相があってはなら
ない。皐月はまだ新人同然だ。
皐月よりもベテランのキャストは山ほどいる。
それなのになぜアフターに皐月を付けたのか。
今もたぶん皐月と一緒にいるであろう永久に
聞きたいが聞けない。
紅苑は着替えもせずに一人目を閉じて考えを巡らせていた。
数日後、店の開店準備をしているとママの梨香子が私服で店にやって来た。
「おはようございます」
ボーイたちが梨香子に挨拶をする。それに梨香子もおはよう、と言って店の一番奥の席に座った。
「面接ですか?」
「そうなのよ。そろそろ来ると思うんだけど」
紅苑がこの店で働き出してから少なくとも月に
一度は面接をしている。
入れ替わりの激しい店なのだが、それも入って来てすぐに辞めてしまうキャストが多い。
ボーイたちにはわからない女たちの裏の世界が
あるのだろうか。
いじめとまではいかなくても、古株のキャストには厳しい人が多いのかもしれない。
「そう言えば皐月さんが急に辞めたもんな」
瀬戸のつぶやきに、隣でグラスを並べていた紅苑が目を丸くした。
「え、皐月さん…辞めたんですか?」
「うん。VIPのアフター行ってたじゃん。
あの後すぐに辞めたらしいよ。
なんかされたのかな。そんなことないか。
向こうは一流の会社だから」
「でも、なんかあったんでしょうね」
紅苑がそう言うと、布巾を絞っていた瀬戸がうん、と頷いた。
その時、店に面接を受ける女性が入って来た。
梨香子自ら入り口に迎えに行き、女性とともに
奥の席に座った。
「自信をなくした、とかも考えられるよな。
ママがVIP専用のキャストに選んでアフターまで
行かせたのになにもできなかった、とか」
「確かに。自信喪失して辞めたのかもしれませんね」
紅苑が賛同すると瀬戸はうれしそうにまた
拭き掃除を始める。
紅苑もグラスを並べ終えたので布巾を持って
各テーブルを拭きに回った。
「出身はどちら?」
テーブルを拭いている紅苑の耳に梨香子の声が
入ってくる。前職は?と紅苑にも聞いた質問など当たり障りのないことを梨香子は聞いていた。
紅苑の携帯がポケットの中で震える。あちこちで準備をしている賑やかな店内ではそのバイブ音は聞こえない。
ブーブー、と響いている携帯を無視して紅苑は
テーブルを拭きながら面接内容を聞いていた。
「では、おってご連絡いたします」
「よろしくお願いします」
来た時と同じように梨香子が入り口へ向かう。
店に出る支度を今からするのだろう。
そのまま梨香子は戻って来なかった。
紅苑は瀬戸に電話をしてくる、と言ってロッカーに入る。
ボーイ専用のロッカーが並ぶ狭い部屋。
今の時間はもちろん誰もいなかった。
着信履歴を見ると父からだった。皐月のことを
調べてくれたのだろう。
個人情報を扱うのでラインなどの残るツールは
極力使用しない。
紅苑は着信履歴の父の名前をタップして、
ロッカーに背を向けてから耳に携帯を当てた。
「ごめん。仕事中で出れなかった」
「そうだったんだ。こっちこそごめん。今は
大丈夫なの?」
仕事中、と言ったからなのだろうか。父はいつもの大きな声をひそめていた。
「うん大丈夫。で、わかった?」
「うん。古谷皐月には身内はいない。児童養護施設の出身で高校を卒業後、渋谷のガールズバーで勤務。そののちにそっちに移ったみたいだ」
「やっぱり」
「やっぱり、だね」
いくら見える範囲に誰もいないとはいえ、どこで聞き耳を立てられているかわからない。
紅苑は父に家に帰ったら電話する、とだけ言って通話を終わらせた。
仕事が終わり家に着き、ドアを開けようとした
紅苑の手首が後ろから何者かにガシッと掴まれた。
掴まれた方と反対側の肘を思い切り後ろに振る。
確実に腹に当たるはずが、紅苑の肘は空振りした。
「俺がいるの気づかなかった?」
振り向いた紅苑に白生が笑いかける。
紅苑が何も言わずにドアを開けると白生もついて中に入った。
「考えごとしてたから」
「考えごとしてるからって気ぃ抜きすぎだよ」
「お前みたいに気配消して来るやつなんて滅多にいないから大丈夫だよ」
紅苑がバッグを置いて上着を脱ぐ。白生はその間冷蔵庫を開けた。
「水しかない」
「飲んでいいよ」
しょぼん、とした白生が水のペットボトルを二本持って来てソファに座り、一本を紅苑に渡した。
「パパに頼まれた?」
「うん。それと、俺になんか用があるんだろ?」
二人でキャップを開けて水を飲む。
今ここで永久に来られては困るので、紅苑は留守に見えるように部屋の明かりを落とした。
「皐月ってキャストのことを調べてもらってたんだ。
バングル社の席についてて、この前アフターに
行った女なんだけどまだ入店して半年経たない
ど素人なんだよ?」
「ほお。変な話だな」
「キレイだからかな、って思ってたんだけど、
皐月よりもキレイな子はたくさんいる。
で、パパに調べてもらったらやっぱり皐月は親も親戚もいない」
天涯孤独だからプロジェクトに選ばれた、と
言った永久。
たとえ殺されても行方不明になっても騒ぎ立てる人間がいないということだ。
「で、皐月はそのアフターに行ったあとすぐに
店を辞めた」
「辞めるって皐月から連絡あったの?」
「ってことになってるけど、ないだろうな」
殺される理由はない。バングル社のあの四人は
決して他人にわかるように話さない。皐月に
なにか感じ取られた発言をしてしまったものが
いたとしたらそれは永久の可能性が高いが、
永久は飲みの場ではほとんど話さない。
皐月が殺される理由はやはり思いつかないのだ。
紅苑が見解を話すと、白生は腕を組んで天井を
見上げた。
「殺されたんじゃなかったら、皐月はどこかに監禁されてるってことか」
「だとしても目的はわかんないけどね」
「A.Kに聞けたら早いけど…無理だよな」
紅苑と白生は今までの経緯を整理した。
入店して半年経たない皐月がVIPルームのキャストに抜擢されていきなりアフターも行かされた。
そして皐月は店を辞めた。
決定したのはママの梨香子だが、梨香子は
バングル社に皐月を付けるようにと頼まれていたのかもしれない。
「でもさ、前回バングル社が来た時は皐月はいなかったんだよ。
前回もいて、それで気に入ってママに頼んだ、
とかならわかる気もするけど」
「だよな。ということは監禁するのは誰でも良かった。
ママが皐月を選んだ、ということだ」
何らかの理由で女が必要だった。
いなくなっても探す家族や親戚がいない皐月が好都合だったのだ。
「皐月を探すのは不可能だよね」
「厳しいな。A.Kなら知ってるだろうけど」
「ママを問い詰めることも無理だし。
ママはたぶん女を渡して金でももらっているか、弱みかなんか握られてるかでやってるだけだろうね」
「だろうな。なぜ女を横流しするか…
根本なんて教えてもらってないだろ」
永久は全てを知っている。この仕事が怖い、と
言っていた永久。
クラブアスタロトのキャストの入れ替わりが激しい理由はどうやらいじめとかではなさそうだ。
紅苑が白生の方へ顔を向けると、白生も同時に紅苑を見て頷いた。




