29・人身売買
身寄りのない人間を差し出した梨香子。
そして売りに出すまでの間、薬漬けにする
ために監禁したイズモとカスガ。
三人にそれをさせていたのは誰か。
川路は目の前にあるペットボトルの水を
ひとくち飲み、BOL社のメンバーを
観察した。
「イズモさん、カスガさん、そして
梨香子さんにそれぞれの仕事を依頼して
いたのが…」
鳥居と本堂が泳がせていた視線をスッと
固定した。
榊は一人目を閉じている。この三人も
白生が同席している限り、もう嘘は
つけないのだ。
「依頼していたのはバングル社内で作った
BOL社という組織。
代表は亡くなられた寺東さんだと思って
いましたがその上にまだ命と呼ばれている
誰も正体を知らない人物がいるみたいですね」
本堂が固めていた視線を川路に向けて、
俺は!と急に大声で叫んだ。
全員の視線が本堂に集まる。肩で息をした
本堂が首をぶんぶん、と激しく横に振った。
「俺は寺東さんに無理やりBOL社に
入れられたんだ」
「それなら俺もだよ」
本堂の隣に座っていた鳥居がそう言って
ため息をついた。
「こんなことやらされるなんてもちろん
知らなかった。連れて来られていきなり
仕事をやれと言われて…」
「そうです。本堂の言う通りです。
やらない、なんて選択肢はありません
でしたよ。死にたくないならイエスと
言い続けるしかなかった」
これは本当の話だろう。
実際、白生もそうだった。
死にたくないなら、と鳥居が言ったことが
その通りなのだ。
勝手に表に出せないように仕事内容を
無理やり教えられた。
断ったとしてそのまま帰してもらえる
はずがないことぐらい誰にでもわかるのだ。
「ここにいる皆さんは、売られる人と
同じく全員が天涯孤独です。だから
選ばれたんでしょうね」
さらりと川路は言ったがこんなに恐ろしい
ことはないだろう。
失敗すれば、使えなくなれば、いつでも
始末できるということなのだから。
「無理やり仕事をさせられていた方も
いますし、金が必要だからこの仕事を
受けた方もいる。
しかしあなた方のしていたことは人身売買。
これは立派な犯罪です」
鳥居と本堂は首をがくん、と垂れた。
もうバングル社に戻ることも許されない。
人生を狂わされてしまったのだ。
「そして、罪はそれだけではありません。
おわかりかとは思いますが…」
川路がイズモとカスガの方へ顔を向けた。
「イズモさん、カスガさん。あなたたちは
監禁していた方に、名前を呼んだら毒を
含むように教えていましたよね」
「それもBOL社から言われて、」
「わかっています。しかし実際に毒を
含んで自殺した皐月さんという方が
います」
皐月の名前を聞いたBOL社メンバーの
顔色が一気に冷えた。
警察は今回の件以外も知っている。
紅苑と白生が関わっていたのは今回の件
だけのはずなのに。
だんだんと明かされていく警察のカードに
BOL社のメンバーたちは恐怖を覚えた。
「クラブアスタロトで勤務していた
皐月さんを売るために海外へ連れていく
役目をしていたのが、赤田永久さん。
AKと呼ばれていた人物です」
紅苑が永久を警察に保護してもらうために
小型爆弾を永久の上着のポケットに入れた
ことで永久は予定通り成田空港で空港警察に
捕まった。
それゆえにBOL社は皐月を自殺させたのだ。
皐月がそんなことになるとも知らなかった
紅苑は、永久を警察で守ろうとしただけ
だった。それも裏目に出てしまったが。
「警察署に向かう車に乗る赤田永久さんを、
梨香子さん。あなたが射殺しましたね」
返事をしない代わりに梨香子は目を閉じた。
「赤田永久さんだけではない。窃盗の罪で
留置所に入れられていた大宮詠一さん、
H.Oと呼ばれていた人物も梨香子さんが
射殺した。
赤田永久さんの時、現場である空港で
待機していた梨香子さんは合図とともに
ライフルで赤田さんを射殺。
しかし留置所にいた大宮詠一さんの時は
その場でではなく、殺すように事前に指示が
出ていた」
川路の言う通りだった。なんの言い逃れも
できない。梨香子は閉じていた目を開けて
一点を見つめる。
そしてようやく口を開いた。
「高校の時から射撃をしていました。
オリンピックを目指していた時期もあった
ほど熱中していました。
でも…大学の時に両親が自ら命を絶ち、
そこから私の人生も大きく変わりました」
「ご苦労されたんですね。銀座のクラブの
ママにまでなられたんですから相当な努力を
して来られたんでしょう」
川路が優しく頷くと、梨香子は急に高らかに
笑い始めた。
狂ったように笑う梨香子に、鳥居と本堂は
眉根を寄せた。
「太い客をたくさん持ってないと銀座で
店なんてやってられないんです。
でも私にはそれがない。
存続させるためには自らお金を用意する
しかなかった。お金のためなら何でもした。
カッコ悪い話です」
「寺東さんは元々の客だったんですね?」
「私がまだキャストだった頃からの客です。
あの人はお金を使ってくれるから手放したく
なかった」
だから梨香子は寺東からの申し出を受けた
のだ。
身寄りのない人間を用意すること。
そして裏切り者を射撃の腕を生かして
射殺することを。
「寺東さんは仕事関係で知り合った客も
店に連れて来てくれたりして。あの人との
間には色恋はなかったけど、可愛がって
もらいました。
寺東さん、本当に良い人だったんです」
笑うのをやめた梨香子は昔を懐かしむ
ような目をした。
金も必要だったのかもしれないが、世話に
なった寺東になにか返したいという思いも
あったのだろう。
その寺東が亡くなった。梨香子は何を思って
いるのか。
「梨香子さんに合図を出していたのは…」
「榊さんです。寺東さんがいた頃も
榊さんは必ず現場にいました」
「今回だけではなく、毎回ですね」
毎回現場に出向いている梨香子の証言は
確実だ。
榊は白生たちのような付き添い人をのぞいて
BOL社では一番下っ端に位置する。
だから危険な現場に駆り出されていたのか。
梨香子はクラブアスタロトでしか榊と言葉を
交わしたことがなかったが、おとなしい
優しいそうな人なので、かわいそうに、と
いう目で見ていた。
「そうですか。榊さん、今、
梨香子さんが言ったように毎回空港に
行っていたんですか?」
「…はあ」
川路の方を見ずに、榊は小さな声で答えた。
寺東に連れて来られて、無理やり仕事を
させられたと鳥居と本堂が言っていた時、
同じ境遇のはずの榊はひとことも発さな
かったのに。
「榊さんは、梨香子さんに合図を送る時、
寺東さんから指示を受けていたんですか?」
「そうです」
「では今回は?」
「…」
川路が鳥居と本堂を見ると、二人とも
慌てて首を横に振った。
普通であれば寺東がいない今回、指示を
出すとすれば榊の上司に当たるこの二人と
考えるのが正論だ。
「今回も、ですが私たちは今までも指示など
出したことはありません。
現場にいないのに状況が掴めるわけ
ないでしょ」
「確かに。榊さんが手を上げてから
梨香子さんが発砲するまでは一、二秒でした。
ということはギリギリまで手を上げる
タイミングを見計らっていたということに
なりますね」
現場にいるからこそ合図を出せるのだ。
早めに合図を出してもたもたしていたら
逃げられる可能性が高い。
「ということは、おかしいですよね」
現場に来ていなかった寺東さんが指示を
出す、というのは無理ですよね」
榊は返事をしない。
川路の言いたいことに気づいた梨香子の
顔が真っ青になった。
「榊さん…」
梨香子が震える声で榊を呼ぶ。それでも榊は
目を伏せたまま動かない。
「あなたがご自身で判断して梨香子さんに
合図を送った、ということで間違いない
ですね。
売られる人間の付き添いがなんらかの
理由で警察に捕まってしまったら何を
話されるかわからない。
それを阻止するのがあなたの役目」
榊は寺東がいた時からずっと現場に
出向いている。
自分の判断で梨香子にGOサインを出して
いたのが真実ならば、寺東のいない今回も
いつも通りな流れになったことに頷けるのだ。
「榊さん。あなたは誰の指示も受けずに、
動けるということになります。
そして売られる人間に自殺させるのも
あなたの判断」
本堂がジロリ、と目だけで見た榊は顔色
ひとつ変えずにじっとしている。
川路が説明するまでもなくBOL社の
メンバーたちはことがわかり、落ち着きを
なくしていた。
「メールや電話でしかやり取りをしない、
寺東さんの上にいる人物。
命さん…」
川路は体ごと榊の方を向いて頷いた。
「榊さん。命さんは…あなたですね」
「違います」
なんの感情も入っていない乾いた返事を
した榊はあきれたようにため息をついた。
「なんでそうなるんですか」
白生が隣に座っている川路の腰を
ぼん、と軽く叩く。
それに気づいた川路は白生の手を軽く
叩き返した。
「あらためまして川路白生です。
ここからは私が話します。
市川白生が川路紅苑の付き添い人として
選ばれたのち、市川白生を逃すために
榊さんは付き添い人を代わることを申し出た」
白生が話し始めても榊は目を伏せたままだ。
鳥居も本堂も梨香子と同じく青ざめた顔で
白生をじっと見ていた。
「市川白生には鳥居さんと本堂さんを
説得して交代してもらう、と榊さんは
言っていましたが、
本堂さんに確認したところそんな説得は
受けておらず、命さんから交代の指示が
あった、と証言されていました」
「それは本当です。命さんから指示です。
榊くんには会ってさえいません」
鳥居も頷く。二人とも命からの指示で
白生と榊が交代したことを知ったのだ。
「先に命さんに許可を取っただけですよ」
「それもおかしな話です。もし本当に
命さんが別にいるのなら、鳥居さんと
本堂さんと相談して決めたことではなく、
榊さん一人の意見を命さんが通すとは
思えません」
序列があるBOL社だ。
それは常々榊も言っていた。
それなのに鳥居と本堂をすっ飛ばして
いきなり命に、というのはやはり
考えられない。
白生は交代すると言い出した辺りから
おかしい、と思い始めていた。
紅苑とグルかもしれないと疑い、
付き添い人から白生を外した。
その後に出たDNA鑑定で二人が他人だと
証明されたはずだが、榊が心からそれを
信じていないことも白生にはわかっていた。
「寺東さんがいた時は、何かあった時は
榊くんは必ず私たちに報告をして、それを
私たちが寺東さんに、というカタチでした」
「ですよね。焦ったのか、慌てたのか。
もしくはお二人に交代することを拒否される
ことを恐れて…ではなく、榊さんが命さん
なら簡単なことです。
命さんとして、交代、とお二人に指示を
出すだけなんですから」
もう榊は何も言い返さない。
これで命は榊だった、ということが証明
されたようなものだ。
そうなってくると梨香子に合図を出す大役を、
誰からも指示されることなく榊がしていたと
いうことは当然なのだ。
「市川くん」
数分の沈黙ののち、榊がここへ来て初めて
白生の目を見た。
他のメンバー、そして川路と紅苑も目を
合わせている二人を交互に見ていた。
「はい」
「ひとつ聞きたいことがあります」
「なんですか」
白生をBOL社に入れたことを悔やんで
いた榊。
最初、できることなら榊だけでも救って
やりたいとさえ思うほど白生に寄り添って
くれていた。
その榊が真実のボス。
うっすら感じていたことが、点と点が線に
なり、日に日に濃くなっていくのが白生には
正直悲しかった。
「市川くん。君がしてることは…
おとり捜査だよね」
「…」
「日本はおとり捜査は違法ですよ」
この部屋にいる全員が動きを止めた。
その中で紅苑の口元だけがゆっくりと微笑みを
作っていた。




