28・美しき狙撃手
紅苑は、床に顔を押さえられている榊の
そばに腰を下ろした。
「紅苑」
榊がもう一度名前を呼ぶと、紅苑は耳から
外して持っていたイヤーカフを、自分の口
ではなく榊の口の中に押し入れた。
「んっ!」
吐き出さないように頭と顎を強く押さえる。
榊は黒目をあちこちに動かし、顔を真っ赤
にして体をくねらせた。
警官たちに押さえつけられているので大きな
動きはできない。
体は数人の警察官に、そして紅苑には顔を
押さえられた。
「んん!」
「我慢しなくても噛んでいいよ」
「ん!ふ!」
「自分でやったら?どうせどっかから
射殺されるんだろ?」
床に座りって榊の顔を押さえている紅苑の
後ろに、怪しいとずっと思われていた白生が
いつのまにか立っていた。
「放してやれ」
白生にそう言われた紅苑が榊から手を放す
と、榊は勢いよくイヤーカフを吐き出した。
榊は大きな口を開けて息をし、血走った
目で白生を見上げた。
「やっぱりお前ら、グルだったんだな。
おんなじ顔してるもんな。
じゃあなんでDNA鑑定では【他人】って
出たんだよ」
全く人が変わってしまった榊。
白生は少なからず動揺していた。
白生を逃すために交代したのではないと
いうことももうわかっていたが、今までの
気の弱そうな優しい榊が一瞬で崩れ去った
ようだった。
スッと白生が自分の短い前髪を掴む。
そしてそれを真下に引くとずるり、と
ウィッグが外れた。
「見張り番に俺の髪の毛を採取
しろって命令したのは、榊さんですね。
これは人毛ウィッグだから、紅苑とは他人
という鑑定で間違いない」
「…クソ」
川路が榊の吐いたイヤーカフをハンカチで
回収する。
そばにいた警官がそれをビニールの袋に
入れた。
「榊さん。駐車場に車を停めてあります
のでそちらまで行きましょう」
起こされた榊は並んで立っている白生と
紅苑を睨みつけた。
そしてそのまま両側から腕を持たれて
しぶしぶ歩いて行った。
駐車場でBOL社のメンバーたちを三台の
車に分けて乗せる。
後部座席にイズモとカスガが乗っていた
車に紅苑が乗り込んだ。
運転席と助手席には私服警官。
自分たちの並びに乗って来た紅苑を見て
イズモとカスガは目を大きく見開いた。
「紅苑。お前やっぱり…
ずっと正気だったのか」
紅苑が座ったことにより真ん中になった
イズモが呟くような小さな声で聞いた。
「そうでもない。結構な量の薬を入れられ
てたから終始ぼんやりはしてたよ」
普通の人間なら思考回路を破壊されて
廃人になるレベルの量だった。
紅苑的にはぼんやり、と感じていたが
普通に生活しろ、と言われたらできる
ぐらいだ。
「じゃあ、なんで逃げなかった」
「それはおいおい話すよ」
今から警察に向かう。
そこで紅苑の正体とやらを知らされるのだ。
イズモは、自分たちがどのぐらいの罪に
なるのか、と気になっていたが、
それよりも紅苑が売られる前に捕まった
ことになぜかホッとしていた。
紅苑が乗った車の隣に停めていた車には
鳥居と本堂が川路とともに後部座席に
乗っていた。
そして川路が乗った車の正面に停めて
いた車に榊を乗せようとしていた警官の
後ろには白生がついていた。
「抵抗するな。乗りなさい」
車に乗ろうとしない榊を私服警官が無理
やり押さえて乗せようとする。
その時、榊がスッと手を上げた。
この職員専用の駐車場には今は他に
誰もいない。
数台の車が停まっているだけだ。
この光景。白生は永久の時と同じ場面だ、
と思い出していた。
榊は手を上げてすぐにしゃがんだ。
それを見た白生は、榊を車に乗せようと
していた私服警官に素早く覆い被さって
一緒に倒れた。
パン!
榊の乗る車の開けていたドアの窓が
その音とともに一瞬でガシャン、と
バラバラに崩れる。
地面に倒れた榊と私服警官の上から
バッ!と立ち上がった白生は、すぐに
胸につけていたホルダーから拳銃を抜いて
灰色の壁目掛けて発砲した。
その音を聞いて川路と紅苑がそれぞれ
乗っていた車の窓を開ける。
白生が撃ったその先で、ドサ、という鈍い
音がした。
白生は拳銃をかまえたまま音のした方へ
走っていく。
榊を乗せる車の運転席に乗っていた警官も
飛び出して白生の後を追った。
ドサ、と聞こえたのは人が倒れた音だった。
倒れた人は真っ黒のロングコートを着て
ライフルを抱きしめている。
白生が撃った弾はすねをかすっていただけ
だったが、真っ黒のズボンの裾からは血が
流れていた。
「立てるか?」
この人物こそが狙撃手だ。
あの時、永久を一発で仕留めた人物と同じ、
BOL社が雇っている外部の人間だ。
やはり今回も人目につかぬようにして空港で
スタンバイしていたのだ。
白生は、ライフルを抱きしめて地面に蹲って
いる体を起こして被っているコートのフード
を頭から外した。
「これは予想外」
白生がそう言ったのも無理はない。
フードから流れた長い髪をかき上げたのは
クラブアスタロトのママ、梨香子だった。
「あなた、射的かなんかやってたの?」
白生にそう聞いた梨香子は、傷の痛みに
美しい顔を歪めた。
「練習ぐらいですよ。ママは…この腕なら
オリンピック目指してたとか?」
かなりの距離から狙い撃つ。
それなりの腕がないと失敗して捕まって
しまうし、ターゲットを殺せない。
クラブアスタロトのママ、梨香子がさっき
撃った弾も白生が覆い被さって倒れていな
かったら確実に私服警官の頭を撃ち抜いて
いた。
ミスをしたものを始末する、もしくは
捕まった者の口を封じるために雇われた
狙撃手。
それが梨香子だった。
白生は私服警官とともに梨香子を榊の
隣に乗せ、その隣に座った。
榊が手を上げたのは、撃て、という合図
だったのだろう。
もちろん榊ではなく警官を狙って。
警官が撃たれたことにより、パニックに
なっている間に榊は逃げようとでも思って
いたのか。
榊は最初から死ぬつもりなどないのだ。
無事に全員を回収した三台の車は順に空港の
職員用の駐車場を出発する。
現場に残った警察官たちが立ち入り禁止の
テープを各出入り口に次々と設置していった。
普段なら取り調べというものは一人ずつ
行う。
しかし川路の判断でBOL社全員を会議室に
入れ、中には川路、紅苑、白生の三人が
入る。
そして入り口を多めの警察官で固めた。
まだ容疑の段階だがこの川路の判断は
異例で、入り口を固めている警察官たち
にも緊張が走った。
「まず、私たちのことを話します」
真四角に置かれた長机。川路、紅苑、
白生の三人は並んで座り、その向こう側に
はBOL社のメンバーが一列に並んで座った。
川路が話し出したのにメンバーは全員下を
向いている。
紅苑と白生にはメンバーたちの様々な思いが
見えるようだった。
「私は警視総監の川路です」
「警視総監?」
鳥居がバケモノでも見るような目で川路を
見た。
警視総監は警視庁のトップ。
それぐらいはここにいるメンバー全員が
知っていたが、なぜその警視総監が
いわゆる現場にいるのかが飲み込めて
いなかった。
「私が直々に作り指揮をしているのが、
今回動いている組織犯罪特別捜査課。
主に三人で調査をして、現場に向かう時
には相応の課のものたちに協力を要請して
います」
三人、と言った川路の声に梨香子以外が
一斉に顔を上げて、川路と並んで座って
いる白生と紅苑を見た。
「組織犯罪特別捜査課の川路紅苑です」
「同じく川路白生です」
市川、と名乗っていた白生までもが川路姓。
親子か何かなのだろう。しかしBOL社の
メンバーたちにはそんなことは今更もう
どうでも良かった。
「皆さんはクラブアスタロトで勤務されて
いた崎本神奈さんをご存知ですね」
誰も返事をしない。しかし川路は全員が
知っていると決めて話を進めた。
「約一年前、私は川崎の工場地帯にある
倉庫を視察していました。
その時に飛び出して来たのが神奈さんです」
叫び声が聞こえる。女が走っているところ
を取り押さえされていた、など近くの倉庫
から度重なる通報があった。
警察官が何度か見に行ったが特に何もない。
倉庫はいたって普通の倉庫だった。
その話を聞いた川路はなぜか嫌な予感が
して自ら視察に行ったのだった。
そこで神奈を保護した。今思えば虫の知らせ
というものだったようだ。
「神奈さんは保護した時、精神に異常を
きたしていました。
話も何もできない状態だったので、再び
倉庫を見に行こうと思っていた矢先、
全焼しました」
神奈をもう連れ戻せないと思ったのだろう。
証拠隠滅のため、BOL社は倉庫を焼き
払った。
「神奈さんが回復してきて少しずつお話を
聞くことができたんです」
誰もひとことも発さない。
神奈が正気に戻った時点でほぼめくれて
いるのはわかっているはずなのに。
紅苑には、こちらがどこまでわかっている
のかを、BOL社のメンバーたちが探って
いるように感じた。
「イズモさん。カスガさん」
川路に名前を呼ばれた二人はバッ!と顔を
上げて川路ではなく、その隣の紅苑を見た。
目が合った紅苑はしっかりとした表情で頷く。
その顔は全てを話して大丈夫、と言っている
みたいだった。
「神奈さんを川崎の倉庫で監禁していた
のは、いや、監禁しろと命令されていたのは
あなたたち二人と亡くなられたイセさんの
三人ですね?」
カスガが鳥居、本堂、そして榊を目だけで
見たが、誰も目を合わせなかった。
「…」
イズモもカスガも肯定も否定もしない。
どうしていいかわからなくてずっと目を
泳がせていた。
「イズモさん。カスガさん。
そしてイセさんを含めたあなたたち三人は
雇われていた。
金をもらう代わりに連れて来た人間を監禁
して、薬を注射して精神を破壊させると
いう仕事をしていたんですよね」
実際に監禁していた紅苑がここにいる限り
もう逃げられない。
黙秘をしてもいいのだが、イズモは小さく
頷いた。
「なぜそんなことをさせられていたのか、
理由はご存知ですか?」
「…売るから」
「どこに?」
「そこまでは知らない。俺たちは監禁して
いる間に連れて来られたヤツがケガしたり
しないようにとか、なんかしたりしない
ように見張って…
風呂に入れてメシも三食食わせて」
イズモはボソ、ボソ、と途切れ途切れに
話した。
隠すこともできなければ嘘をつくことも
できない。真実を話すしかないのだ。
「行き先まではわからないけど、売られて
いく人間をキレイな状態を保つのが
あなたたちの仕事ですね。
薬を注射して精神を破壊し抵抗できなく
する。
それも命令されたことですか?」
「はい」
ここが警察でなければこんな発言をした
自分はこの場で殺されていただろう。
イズモはそんなことを考えながら話した。
一つ話し始めると、もう怖くもなんとも
なくなる。それはカスガも同じだった。
「わかりました。イズモさんとカスガさん
には後でまたお伺いします。
次に、クラブアスタロトのママさん、
梨香子さん」
顔を上げたのは店で見る梨香子では
なかった。
ほとんどノーメイクなのが幼ささえ感じ
させる。
いつも来ている着物ではなく、店では
決して着ない黒のフード付きのコートで
髪も下ろしている。
そしてその美しい顔はすでに悲しそうに
歪んでいた。
「あなたは店のキャスト、今回はボーイ
ですが…雇っていた人を差し出していま
したね?その代わりに金をもらって」
梨香子は顔にかかっている乱れた髪を
うっとおしそうにはらい、返事もせずに
ただ川路を見ていた。
「天涯孤独。わざわざ身寄りのない人間を
雇い入れて、それを売りに出す。
後腐れもなにもないですもんね。
いなくなっても探されない」
梨香子もイズモとカスガと同じだった。
ここに紅苑がいる以上、嘘をついても
仕方ないのだ。
「…銀座でお店を継続させていくには
お金が必要なんです。ただそれだけ」
「なるほど。それにしても梨香子さん、
射撃の腕はたいしたものですね。
まあ、この話も後ほどお伺いします」
入り口から入って来た二人の警察官が
ペットボトルの水を全員の前に置いていく。
ラベルのない透明なペットボトルが
BOL社のメンバーに異様な光を浴びせた。




