2・二人の出会い
この日もまた居酒屋で待ち合わせをしていた。
詠一が店に入ると、いつもは先に来ていた紅苑がいない。
残業なのだろうか。紅苑は事務関係の仕事をしているので何かトラブルでもあったのか。
もうしはらくして来なかったらラインをしよう。
注文したビールをひとくち飲むと、紅苑が入って来た。
「お待たせ」
「どした?残業か?」
会い初めてそろそろ一ヶ月になる。なんだか疲れた顔の紅苑を見て詠一は心配になった。
「そうなんだよ。計算ミス。昨日遅くまで本を読んじゃって寝不足だったからかな」
「ミスなんて誰にでもあるよ。やり直したんならOK」
詠一がそう言うと紅苑は安心したように微笑んだ。
しかし寝不足だからなのだろうか、この日の紅苑は酒も食事も進んでいない。
詠一は早めに切り上げた方がいい、と考えた。
「早いけどそろそろ帰ろ。ゆっくり寝て」
「大丈夫。明日休みだし、もう少し」
そうは言っているが紅苑の頭はゆらゆらしている。
詠一は伝票を持って先に金を払いに行く。
あまり食べてもいないし飲んでもいないので安い。
助かった、と詠一は胸を撫で下ろした。
再びテーブルに行き、半分眠っている紅苑を抱えて店を出る。外へ出たものの紅苑の家がわからないのでかわいそうだとは思ったが、うとうととしている紅苑の耳元に口を近づけて起こした。
「紅苑。家どこだ?」
「この先の…信号渡ってすぐのマンション。
でも、大丈夫だよ、詠一に悪い…」
「俺は暇だからいいんだよ。こんなふらふらな人、一人で帰らせる方が心配だし」
ありがとう、と紅苑は小さな声で言った。
詠一は紅苑を肩に担ぐようにして歩き、小さく見えている信号を目指した。
家に送り、すぐに帰ろうとした詠一に紅苑は申し訳なさそうな顔をした。
「甘えついでにあと10分だけいてくれない?」
「いいけど、どうした?」
「シャワー入りたいんだ。大丈夫だと思うけど、」
「わかったわかった。倒れたら大変だから居るよ」
今も壁に手を添えている紅苑。詠一が家に入ると安心したように笑っていた。
広くも狭くもないごくごく普通のマンション。
詠一の住むアパートと広さ的には変わらないのではないだろうか。
紅苑は詠一を小さなソファに座らせようとしたが詠一は風呂まで紅苑を支えて行った。
風呂場についてしまえば狭いので、壁を持ちながら移動できる。
詠一は部屋に戻り小さなソファに座った。
シャワーの音が聞こえてきたのに安心する。
することもないので部屋を見回したが、なんの特徴もない部屋だ。
最初に居酒屋で奢ってくれた時は金持ちか?とも思ったがそれからはずっと割り勘。
話を聞く限り紅苑は普通の、特に高級取りでもないサラリーマンだ。
部屋を見て、それが真実だとわかった。
ガタン、と割と大きな音が聞こえた。
詠一があわてて風呂場に向かうと、紅苑が洗面所の床に手をついてぺちゃりと座っていた。
「おい!転んだのか」
「ごめん…ふらついちゃって」
体を拭いていた途中なのだろう。まだところどころ水滴のついている体を詠一はゆっくりと起こした。
一瞬立ったものの、すぐにぐにゃりとなる紅苑を詠一が倒れないように抱きとめた。
「寝不足なのに酒飲むから」
「飲みたかったんだよ。詠一と」
「それはうれしいけど…」
詠一は床に落ちたバスタオルで、もたれかかっている紅苑の濡れた髪を拭く。
男にしては丸くキレイな体がいやでも目に入る。
何も着ていない紅苑の体が今頃になって艶めいて見えた。
「よし拭けた。服はどこだ?」
詠一はなるべく紅苑から視線を逸らしてバスタオルを握りしめる。いつのまにか紅苑の腕は詠一の腰に巻きついていた。
「クローゼット」
「ここにないの?わかった。取ってくるわ」
「一緒に行く」
紅苑の吐く息が熱い。風呂上がりのいい匂いが
詠一の思考回路を乱す。
それでも紅苑を転ばせないように抱きかかえて、部屋に戻った。
クローゼットのある寝室。ここも何てことない
普通の部屋だ。
ドアを閉めると真っ暗になったので、詠一は片手で壁にあるはずのスイッチを探した。
片手を放したのでずり落ちそうに紅苑が、あわてて詠一の首に両の腕を回す。
すぐ近くになった瞳は濡れて、揺れていた。
当たり前のように詠一は紅苑の唇に自分の唇を押しつける。固く閉じている紅苑の唇は、こんなことに不慣れだ、と語っているようで、それがさらに詠一の本能を呼び覚ました。
舌で唇を開かせてそのまま舌を入れると、本当にぎこちなく紅苑が舌を絡ませてきた。
詠一はゲイではない。恋愛には正直興味がない。しかし男だ。目の前にある美しいものをみすみす見過ごすことなどできるはずもなかった。
ベッドに倒れ込み、詠一は紅苑の体に指と舌を
這わせた。目が慣れてきてハッキリと見えた紅苑の体は美しすぎて光を放っているみたいだった。
女と寝たのはいつだったか、と考えるほど昔だ。
紅苑は男だが、男とか女とかどうでもいいと思えるほど詠一の心を昂らせた。
体を重ねてから紅苑は変わった。
良い方向に、と詠一は思っていた。喜怒哀楽はあまり出さなくなったがそれは心を許してくれているからこそで、自然体の紅苑が心地良かった。
しかし愛してるか、と聞かれたら正直わからない。男だから愛したところで未来が見えないからとかそんなくだらないことではなく、詠一はやはり愛とか恋よりもギャンブルが好きなのだ。
紅苑とは居酒屋で毎週のように会っていたが、関係を持つようになってからは月に一度居酒屋に行く程度であとは紅苑の部屋に通っていた。
その分の金はギャンブルに回る。詠一はギャンブルのことは紅苑には一切話していなかった。
話さないのは捨てられたくないからなのかどうかもわからない。
ただ、紅苑といると落ち着くし、紅苑には言葉にできない不思議な魅力があった。
そんな風に過ごしていたある日、詠一は紅苑から家に現金を置いていることを聞いたのだ。
最初は盗もうなんて気は毛頭なかった。
数字を見るだけじゃつまらない、と言ったのを
紅苑らしい、と笑っていたぐらいだ。
家賃と借金を滞納しているのも今に始まったことではない。それなのになぜ、詠一は紅苑の金を盗んでしまったのか。紅苑と終わることもわかっていたのに。
インターホンと言ってもモニターも何もない。
ピンポン、という昔ながらの音が響くだけだ。
詠一はそっと近づいて、ドアに付いている小さなスコープを覗く。見たことのある顔。いつも来る借金取りだった。
一瞬、警察かと思った詠一は、ふう、と大きな息を吐く。紅苑がこの銀の箱がなくなっていることに気づいていれば詠一に電話なりラインなりしてくるはずだがそれもない。
詠一はドアを開けた。
「電気ついたのが見えたんで。おかえりなさい」
「見張ってたんですか」
「たまたまですよ。それより大宮さん、今月分
いただけますか?なんなら先月、先々月分も」
ドアから顔を出して辺りを伺う。警察は来ないと思ってはいるが念のためだ。
借金取りを玄関に入れて、詠一はドアを閉めた。
「おい。なんだよ」
玄関のドアが閉まり、近所の住人に聞かれないのでいきなりガラが悪くなった借金取りが詠一をにらんだ。
「家に入れるとか。どうした」
「ここで待っててください。金持って来ます」
「あるのかよ。珍しい」
ふ、と笑った借金取りに、詠一は引き攣った笑みを返して部屋に戻る。玄関から丸見えの部屋に置いていた銀の箱を持って奥のトイレに行こうとしたその時、ピンポン、とまたインターホンが鳴った。
複数の所から金を借りているので、今いる借金取りとは別のヤツが来たのだろう。
ちょうどいい。300万の中からとりあえず50万ずつ渡して置けばしばらくはうるさくないだろう。
詠一は箱を持ったまままた戻り、狭い玄関に立っている借金取り避けてドアを開けた。
「はい」
「大宮詠一さんですか?私、竹の塚署の…」
警察手帳を見せようとした警官の目の前で今開いたばかりのドアが勢いよくバン!と閉まった。
「大宮さん。お話をお伺いしたいんですが。
開けていただけますか?」
「警察?お前、何やったんだよ」
鍵をかけた詠一が借金取りの男の手を引いて部屋に入る。そしてゴムベルトを巻いた銀の缶を借金取りに渡した。
「この中に金が入ってる。300はある。これで
お前んとこの借金はチャラになるだろ」
「300?足りねえよ」
「あとはなんとかする。とりあえずこれ持って
帰ってくれ」
詠一がその辺にあった大きなバッグに銀の缶の箱を詰め、ファスナーをしっかりと閉めて借金取りに渡した。
「お前、こんな金、泥棒でもやったのか?警察、」
「あれは関係ない。俺がドアを開けたらすぐに帰れ」
借金取りを窓から逃したりしたらよけいに怪しまれる。
警察が来たのは紅苑が通報したからだ。
本来ならば借金取りたちに払った残りの200万を
元手に明日競艇に行こうと考えていたのに。
しかしこうなった以上しかたない。せっかく盗んだ金だ。せめて一つでも借金を終わらせておけば後が楽になる。
詠一がドアを開けると当たり前だが警察はまだ居た。
「すみません。ビックリして。閉めてしまって」
「はあ?」
「あ、お前帰っていいよ。また連絡するわ」
友達を装って、詠一がそう言うと借金取りの男はおう、と言って普通に帰って行った。
「すみませんね。お友達が来られてたのに」
「いえ、で、お話って」
「大宮詠一さん。あなたにお金を盗まれた、と
通報がありました。ここではなんですから署までご同行願えますか?」
任意同行なので詠一には拒否する権利がある。
身に覚えがない、という顔をしながら詠一はどう拒否するかを考えていた。
「盗んだ、って…泥棒ですよね。俺、そんなことやってないんですけど」
「確かにあなたに現金を盗まれた、と」
「本当にしてないです」
アパートの廊下には誰もいないが、並んでいる古びたドアの向こうで聞き耳を立てている住人もいるはず。
ここで押し問答して帰らせたとしても警察は必ずまた来る。
考えた末、詠一は警察署に行くことにした。
「無実を証明したいので行きます」
「ご協力ありがとうございます」
警察官は詠一がドアの鍵を閉めるのを待ってから廊下を歩いて行く。それについて行くと、後ろからもう一人の警察官が詠一について来た。
ドアの影に隠れてもう一人いたのか。
そんなことを考えながら詠一はサイレンの消えたパトカーに乗り込んだ。
警察署に着くと、ドラマなどでよく見る取り調べ室ではなく普通の会議室のようなところに通された。
大きな窓がある。昼間なら日差しが降り注いでいるだろう。
長机の一つに詠一は警察官と並んで座る。
後から入って来た二人の警察官が正面に座った。
「大宮詠一さん。29歳。住所は…」
詠一のことを読み上げる警察官に頷く。
間違いありません、と言って詠一は警察官の目を真っ直ぐ見つめた。




