3・詠一の保身
「本日の21:00頃、どちらにおられましたか?」
「21:00は恋人の家にいました」
「その方のお名前は?」
「川路紅苑です」
正面に座っている警察官が一人で質問する。
その警察官の隣と、詠一の隣の警察官は黙っていた。
黙っている二人は詠一が暴れたり逃げたりした場合に押さえるためにいるのだろう。
しらを切り通すつもりの詠一は逃げるつもりも暴れるつもりもないので別に恐怖でもなかった。
「川路さんのところには何時頃まで?」
「ハッキリ覚えてませんが友人から連絡があり、急ぎの用だ、と言われたので川路さんが風呂に入っている間に帰りました」
「何も言わずに?」
正面の警察官は家に来た警察官とは違う者だった。
今までに調べた情報が書いてある用紙を手元に持っていてずっと視線はそこに置いていた。
「あわててたので後で連絡しようと、」
「川路さんの部屋から玄関に向かうまでに風呂場、洗面所がありますよね。普通に声ぐらい掛けられるんじゃないですか?」
「向こうは風呂に入ってますし、事情を説明する時間も惜しかったので」
細かいところまで聞いてくる。紅苑のマンションを飛び出した時から考えていた嘘を詠一はあたかも本当のように言った。
しかしこの嘘は警察ではなく紅苑に問い詰められた時に言うつもりだったのでそんな細かいところまで作っていなかったのだ。
用紙から顔を上げた警察官と目が合う。
詠一は自分でも余裕がなくなってきたことに気づいていた。
「わかりました。ご友人はなぜあなたを急いで
呼び出したんですか?」
「それは、個人情報なので」
「黙秘ですね。さっき警察官が家に訪ねた時にいた人は?」
「あ、あれが友人です」
借金取りも友人のように振る舞って帰って行ったのでそう言っても怪しくはない。
あわててあの借金取りに箱を渡してしまったが、ちゃんとしてくれているのだろうか。
ここから出たら真っ先に確かめないと。
詠一が金のことを考えていると、うんうん、と
頷いていた正面の警察官がまた用紙に目を落とした。
「あなたは21:00頃川路さんの家にいた。
その後友人からの急用の連絡が入り、川路さんに何も言わずに帰宅した」
「はい」
「川路さんの家を出る時に何か持っていきませんでしたか?」
どくん、と大きな音を立ててしまった心臓。
聞こえるはずもないのに詠一は思わず胸に手を当てた。
「自分のバッグだけですけど」
「実はですね、川路さんはあなただ、と断言しているんです。もちろん被害届も出てまして。
川路さんが風呂から出たらあなたがいなかった。
すぐに部屋に置いていた現金を確認したら
なかった、と」
「知りません。盗ってないです」
少し怒った顔をした詠一を、警察官はまあまあ、と手を振って宥めた。
詠一は警察官を見ながら自分を落ち着かせた。
簡単なことだ。知らない、と言い通せばいい。
紅苑が言っているだけで証拠も何もないのだから。
「川路さんが風呂に入っていた時間はおよそ20分。風呂に入ってすぐに大宮さんが出て行ったとしても、20分という短い時間に泥棒が入るというのも考えにくいんです」
「そんなこと言われても。川路さんの勘違いとかではないんですか?あるのにないと勘違いしてるとか」
正面の警察官はうーん、と言ってまた詠一を見た。
20分間、実際にはもっと短い時間に泥棒が入ってあの箱を探し出して盗んだ、ということは正直ありえない。
もし詠一が本当に盗んでいないとすれば、紅苑が勘違いして騒いでいる、というのが一番妥当な解釈だろう。
「川路さんは気づいてすぐに通報されました。
本来ならばまずはあなたに連絡しますよね。
でもそれをなさらなかったんです。なせだかわかりますか?」
「わかりません」
「あなたが盗んだと確信していたからです」
確かに盗めるのは詠一しかいない。しかし恋人同士だ。
普通なら疑っても、何かの間違いではないかと考える。
それなのに紅苑はなんの躊躇もせずに通報したのだ。
「そんなに信用されてなかったんですかね」
「それはなんとも。大宮さんは川路さんから家に現金を置いていることは聞いてましたか?」
「いいえ。知りませんでした」
不利になることは捨てていかなければならない。
たとえ紅苑と言っていることが食い違っても。
どちらが嘘をついているかなどわからないからだ。
「川路さんは、現金を置いていることも大宮さんは知っている、と言っていましたが」
「聞いたことないです。それも勘違いじゃないかな」
しらばっくれるのも慣れてきた。そして詠一は自分が出て行ってすぐに通報した紅苑に少なからず腹が立ってきていたのだ。
こんなことをしてしまって言える立場ではないが、仲の良いカップルだと詠一は思っていた。
一気に冷めたような感覚だ。
「わかりました。では大宮さんはご自分のバッグだけを持って、川路さんの家を出たんですね」
「はい」
「その時に置いていた現金をバッグに入れて出て行ったとか」
「無理でしょ。僕のバッグはボディバッグですよ。あんなデカい箱入るわけがない」
今も詠一はそのバッグを身につけている。
背中に回していたバッグを前に回してきてポンポン、と叩いた。
「これです。このバッグで今日は川路さんちにも
行きました。嘘だと思うなら川路さんに聞いて
ください」
「失礼しました。では質問を変えますね。
私たちは先ほどから現金、としか言ってないです。いくらあったのかとかも。
それなのになぜそのバッグに入るはずがない、と言ったんですか?
なぜ、デカい箱に現金が入っていたことをご存知なのですか?」
「…」
誘導尋問だった。詠一の顔から一気に血の気が引く。
バッグに添えていた指がガタガタ、と震え出した。
詠一の頭の中には常にあの銀の缶の箱があった。
それを基準に答えていたのだから仕方ない。
しかしここで認めたら逮捕されるのだ。
「あー。忘れてました。今、思い出した。
そういえば川路さんにこの箱の中に貯金してる、と見せてもらったことがあります。
それでだ」
「さっきは知らないとおっしゃってましたが」
「だから思い出したって。それが記憶の片隅にあったんですよ。だからデカい箱だと言ったんですね」
見苦しい言い訳だが盗んだことを認めるわけにはいかない。
詠一は大きく息を吸って余裕の表情を浮かべた。
その時、部屋のドアが開いて入って来た警察官か新たな用紙を正面の警察官に渡してすぐに出て行った。
「調べてたんですが、大宮さんのご友人の身元がわかりました」
詠一の部屋の前でチラリと会っただけなのに。
これは違う、と言い切れそうだ。
詠一は普通にはい、と返事をした。
「ほんわかファイナンス勤務の中岡さんですね」
「え?違いますけど」
「大宮さんの家から出て来た方がご友人だと先ほど伺いましたが?」
「そうですけど、そんな名前ではないです」
「おかしいですね。ご友人が車に乗って帰られたのでナンバーから割り出しました。間違いないです。
まあ、もしお名前が違ってもご本人には違いないので」
首を傾げながらも詠一は言い訳を考えていた。
警察側からすると中岡が詠一に偽名を名乗ろうが名乗るまいがここまで来たら関係ない。
「今、ご友人の中岡さんのところにうちのものが行っていますので連絡を待ちますね」
終わった、と思わざるを得なかった。
中岡は全てを話すだろう。それどころか中身だけ抜いてこの中に現金などなかった、と言い出すかもしれない。
それでも知らない、と言い切れるだろうか。
認めなければ捕まることはないのか。
5分も経たないうちに正面の警察官の携帯が鳴った。
「はい。ご苦労さん。うん、うん、なるほど」
中岡のところへ行った警察官からだろう。
自分では普通の顔をしているつもりなのに、詠一の顔は激しく歪んでいた。
しばらく話して電話を切った警察官が詠一に携帯の画面に映し出した一枚の写真を見せた。
「この箱に間違いありませんか?」
そこには詠一が必死で抱えて走ったゴムベルトの止まった銀の缶の箱が写っていた。
「どんなのかまでは覚えてません」
「そうですか。ほんわかファイナンスの中岡さんが、大宮さんから借金の返済に充ててくれ、とこの箱を渡されたと証言してます」
「知りません」
「では、この写真も見てください」
警察官が指で携帯をスライドさせると、今度は蓋の開いた箱が写っていた。
詠一も見たことがなかった箱の中身。思わず身を乗り出して見てしまった。
「…」
箱の中には折り紙の束が三つ。その一枚目には
【現金なんて入ってるわけないだろ。バーカ】と、書かれていた。
確かに紅苑に中身を見せてもらったわけではない。持ち上げた時に札束ぐらいの重さだ、と思っただけだ。
盗んで走っている時も、揺れるたびに中の札束が当たる感触と音があった。それが折り紙の束だったということなのか。
「中岡さんは大宮さんに騙された、と怒っています。
中岡さんは泥棒でもしたのか、と聞いたが大宮さんはしてないと答えた、とも証言されています」
借金取りの中岡は何も知らずに貸した金を返してもらえたと思っていただけなので罪はない。
もちろん現金も受け取っていないのだ。
「中岡さんに渡す前に現金を抜いたんですか?」
「抜くわけないだろ!家に着いた途端にこの、中岡が来たんだから!俺は開けてない!」
ハッ!と気づいて詠一は自分の口を押さえたがもう遅かった。
一瞬、しん、となった部屋。詠一の荒い呼吸だけが流れていた。
インターホンのモニターの中で手を振っている男がニコニコと笑っている。
紅苑がドアを開けると目の前に紙袋があった。
「ケーキ買って来た。紅苑好きだろ」
「それはありがとう。どうぞ」
いつ来ても動きのない部屋。ここで本当に紅苑は住んでいるのか、と不思議になるぐらいだ。
紙袋を持って前を歩いている紅苑の背中に男はひとり微笑んだ。
「コーヒーでいい?」
「うん。ありがとう」
小さなソファの前に置いてある小さなテーブル。その上にケーキとコーヒーを並べて二人で手を合わせた。
「いただきます」
「いただきます。白生はチョコなんだ」
「俺はあんまり甘いもん得意じゃないから」
ふーん、と言いながら紅苑はイチゴショートを
美味しそうに頬張る。
白生はパクッとひとくち食べてから紅苑を見た。
「大宮、パクられることになった」
「だろうね」
「中の現金のありかは吐かないけど」
「吐けないだろうね」
ふふ、と笑う紅苑に白生も笑った。
元々中に現金など入っていない。しかし紅苑が
入っていると言い、詠一も入っているはずなのに、と証言している。
肝心の現金だけがどこかに行った形になっているのだ。
それにしても人間とはおもしろい。
見たこともないのに話を聞くだけであの銀の箱の中身が現金だと信じ込めるのだから。
「でもまだ何もまくれてない」
「今回の件だけか。まあ、パクられたんならそれでいいよ。安全第一」
「徐々に吐いていくかな」
白生がそう言うと、紅苑は指を拳銃の形にして白生に向けた。
「吐く前に殺されるか。でも留置所にいたら
大丈夫だろ。そのために、」
「どうだろ。バングル社はデカいから殺し屋の
一人や二人お抱えでいそうだしな」
「お抱え?運転手みたいに言うなよ」
紅苑は心配そうに眉根を寄せた。
わかっていたことだが詠一は建設会社勤務ではない。
ギャンブル狂だということも紅苑は知っていたが詠一は決して言わなかった。
「で、その次に狙われるのが紅苑だな」
「恋人だったしね。いろんなこと聞いてるかも
しれないもんね」
「他人事だな」
「詠一からはマジでなんにも聞いてないけど。
でもそう言っても信じないだろ」
詠一と過ごしていた三ヶ月間、詠一は紅苑に何一つ本当の仕事の話はしなかった。
実際働いていない建設会社の話はよくしていたが、本業の話はしない。
口の固い男だった。そうでなければできない仕事なのだろう。
「引っ越さないと、だな」
「うん。どこがいい?」
「次はねえ…」
白生がポケットに手を突っ込み、四つ折りにしていた紙を取り出して広げた。
「銀座」
「家賃高そう」
「ここよりは絶対高い」
「家具と家電付いてんだろな」
紅苑の荷物はそこまで大きくないスーツケース一つ。
それだけを持って引っ越すのだ。
「ついてるついてる。じゃあこれ置いて行くわ」
「いいよ。もう覚えたし。てか白生、帰るの?」
「俺もいろいろ忙しいんだよ。またな」
自分の使った皿とカップをキッチンに置いて、
白生はサッと部屋を出て行く。
まだ残っているコーヒーを飲みながら紅苑はテレビをつけた。




