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17・消えゆく愛命





紅苑ぐえんが深い眠りに入るまでもう少しかかる。

BOL社の五人は途切れがちな会話の繋ぎに

チビチビと酒を飲んでいた。


「30分後には到着するそうです」


鳥居とりいとともに寺東てらとうの下で働いている本堂ほんどう

そう言って寺東に自分の携帯を見せた。


BOL社に役職などはないがリーダーが

寺東だとするとそのすぐ下、いわゆる

No.2が鳥居と本堂だった。

そしてさかき白生しろうという順になる。


本堂の携帯には見張り番からの連絡が

来ていた。

チラッとそれを見た寺東は、うん、と

頷いただけでまた一点を見つめた。


「僕と146でお送りします」


ボーイが片付けをするために部屋にいるので

白生のことを146と呼んだ鳥居は、白生と

目を合わせてから寺東を見た。


寺東はうん、と頷き、もうぐっすり眠って

しまった紅苑に視線を落とした。


少し汚れたペイズリー柄の壁の前をボーイが

トレーを持って行ったり来たりしている。


無表情なこのボーイは早く帰りたいのだろう。

トレーいっぱいに乗せたグラスや皿を持って

部屋を出て行った。


「車が来たみたいです。行こうか」


鳥居に声をかけられた白生が立ち上がって

紅苑を抱える。

全く力が入っていない紅苑を白生が両手で

抱き上げた。


本堂と榊は帰り支度をしている。それなのに

寺東はまだ微動だにせず座っていた。


「ではお送りしてきます」


「よろしくお願いします」


鳥居に返事をしたのは本堂と榊。

寺東は無言だった。


市川いちかわくん。君の荷物はこれだけ?」


「はい」


「持って行くね。先に下で待ってて」


紅苑を抱えている白生が榊に頭を下げる。

そして鳥居とともに部屋を出た。


「こっちだよ」


入って来た入り口と反対方向。

従業員が出入りしていそうなドアの方へ

鳥居は歩いて行った。


白生も体を返して鳥居の後に続き、古びた

ドアへ向かって歩いた。


外へ出てみるとあちこちで草が伸びた荒地。

こちら側は店の裏になるのだろう。

荒地の周りには車が一台やっと通れるほどの

路地しかなかった。


その荒地に黒い車が停まっていた。

スモークガラスで後部座席は見えない。

前には二人の男が乗っているがこちらに

気づいていないのか前を向いている。


鳥居が助手席の窓をコンコン、とノックすると

スー、と窓が開いた。


「あ、おつかれさまです」


「おつかれさま。よろしく頼むよ」


二人の男は降りてこない。この二人がどうやら

商品を監禁する倉庫の見張り番のようだ。


鳥居が後部座席のドアを開けると、後ろには

誰も乗っていなかった。


「ここに寝かせて」


「はい」


鳥居の指示通り、白生は紅苑をシートの上に

そっと降ろす。

眠っている紅苑はそのままパタリとシートに

横になった。


「寺東さんがまた近いうちに様子を見に行く」


「はいよ」


後部座席の方から鳥居がそう言うと二人の男は

振り向いて頷いた。


「市川くん、行こうか」


「はい」


白生と鳥居が車のドアを閉めようとした瞬間、

後ろから寺東が荒れた草を踏み倒して

走って来た。


「ダメだ!返してくれ!」


「…寺東さん?」


後部座席のドアの前にいた鳥居と白生を

寺東が押し退けて車の中に上半身を入れ、

紅苑を抱きかかえようとする。


前に座っていた二人は驚いて顔を見合わせて

車から降りようと、各々のドアを開けた。


「何してるんですか」


鳥居が寺東に覆い被さるようにして車に体を

突っこんだ。


「紅苑は売らない!」


「何を今さら。そんなこと通るわけが

ないでしょ!」


鳥居は引き剥がそうとしたが、寺東は紅苑に

しがみついて離れない。


車から降りた二人の男が、鳥居の後ろに

回ってきた。


「どうしたんですか!」


二人の男が鳥居越しで寺東に早く紅苑を放す

ように、と言ったが、寺東は紅苑を抱きしめた

手を緩めようとはしなかった。


「放してください!寺東さん!」


寺東に重なるようにしている鳥居が、もう一度

言ったが寺東は返事もせずに紅苑を抱きしめて

いた。


「お願いです!」


「寺東さん!どうしちまったんだよ!」


あまり大きな声は出せない鳥居と見張り番の

二人は寺東に顔を近づけて説得した。


鳥居が紅苑から寺東を離そうとしてさらに

体を密着させる。


見張り番の二人は一歩後ろに下がったが、

ずっと寺東を説得していた。



その時。

二人の間から聞こえたボス、という鈍い音が

そばに立っていた白生たちの耳に響いた。


鳥居がゆっくりと体を車から出す。

白生があわてて車の中を見ると、寺東はまだ

紅苑の上に重なっていた。


「…!」


声が出なかった。寺東の背中から昇った細く

白い煙がゆらゆらと真っ暗な車内で揺れている。


空港の駐車場で撃たれた永久から立ち昇って

いた煙と同じだった。


白生が立ち尽くしていると、鳥居は車から

はみ出していた寺東の足を持ち上げ、中に

押し込んでドアを閉めた。


「処分しておいてくれ」


「…わかった」


頷いた見張り番の二人は再び車に乗った。

白生がフロントガラスから中をのぞくと、

紅苑の頬に自分の頬をつけた寺東が小さな

息をしていた。


「紅苑…」


助手席の窓から聞こえた寺東の声。

紅苑の名を呼び幸せそうに微笑んで、

震える手で紅苑の体を抱きしめていた。


「紅苑…紅苑…」


かすれた声はやがて聞こえなくなり、

寺東の手がだらりと落ちた。


車に乗り込んだ二人は何事もなかったかの

ように前を向き、運転席の男はエンジンを

かける。

助手席の男が窓から鳥居に向かって頷き、

そのまま車は発進した。



「裏切り者には死を。

寺東さんが決めたことだ」


「…」


いつのまにか来ていた榊は目を伏せている。


白生はまだ焦げ臭い匂いの立ち込める荒地で

車が行ってしまった方角を見ていた。






本当に少しずつ少しずつ、寺東てらとうの体温が

消えていく。


紅苑ぐえんは暗闇の中、車が揺れるのに合わせて

寺東に最期のキスをした。


男を受けることができるのかを試すだけの

つもりだったのだろう。

それが命をかけて守ろうとしたほど紅苑に心を

奪われてしまった。


人の心などコントロールできないことは

わかっているが、紅苑は寺東に申し訳なかった。


詠一えいいちが自分のことを愛していなかったことは

わかっていた。

一緒にいて楽だし、詠一に金を使わせることを

しない紅苑は居心地の良い恋人だったのだろう。


永久えいくは愛ではなく依存だった。

BOL社の仕事をする怖さを紅苑を抱くことで

忘れようとしていた。

いつも味方でいてくれる紅苑に寄りかかっていた。


しかし寺東は。


紅苑を愛してもなんのメリットもないどころか

紅苑を愛することで命を無くすこともわかって

いたはず。


詠一や永久の時とは違う、なんの利益もない

真実の愛を紅苑は痛いほど感じていた。


いつか自分の思いのままに生きたい、と

言って微笑んでいた寺東。

寺東は最期、自分のために生きたのだろうか。


寺東の思いを汲んでやりたいが、紅苑にも

やり遂げなければならないことがある。


商品として監禁され、売られなければ証拠は

掴めない。


寺東がここで追ってくるとは正直夢にも

考えていなかった。


胸から込み上げてくるものを必死で押さえる。


冷えていく寺東の下で紅苑は小刻みに震える

唇を噛み締めることしかできなかった。


紅苑は酒を飲んでも酔わないし睡眠薬も

効かない。

特殊な訓練を受けているからだ。

父である源平げんぺい白生しろうもそうだった。


前に乗っている男たちは後ろを振り向かない。

どうせ乗っているのは死体と深く眠っている

ヤツだから、と安心しているのだろう。


しかしひとことも話さない二人が不気味だ。


監禁されるところに着いたら丸裸にされる。

紅苑は耳の奥のイヤホンを確認して、シャツに

付けてあった超小型マイクは取れないように

髪の毛に絡ませた。


店の裏から出た車は左に曲がった。

5分ほど走って高速に乗って…

曲がった箇所と道の感じ。そして時間。


潮の匂いがして来たことも手伝って、

本牧埠頭に向かっていることがわかった。


あそこなら寺東を海に捨てることもできる。

今は保護されて入院している神奈かんなが監禁

されていた川崎の倉庫は証拠隠滅のため

全焼しているので他のところだという

予想はしていたが…


紅苑の頬に重なっている寺東の頬がとうとう

冷たくなってしまった。


紅苑はまた目を閉じて寺東の頬に自分の頬を

強くくっつけた。





白生しろうのマンションの前でタクシーが止まる。

降りようとした白生をさかきが呼び止めた。


「少し時間をくれないか?」


「…はい」


以前もこんなシチュエーションがあった。

白生がBOL社に入れられた日だ。


また榊は白生のメンタルをケアしようとして

いるのか。

早いとこ紅苑ぐえんの様子を知りたかったのだが、

榊からもなんらかの情報が入るかもしれない。


白生に続いてタクシーを降りた榊は薄曇りの

月のない夜空を見上げた。



これもこの前榊が来た時と同じで、白生は

二人分の温かいコーヒーを淹れた。


榊は礼を言ってカップを手に取り、飲むこと

なく見つめていた。


寺東てらとうさんには…心なんて無いって思ってたよ」


「榊さん…」


呟くようにそう言った榊はカップに向かって

淋しそうに笑った。



BOL社に入れられてから数年。

榊がその間見て来た寺東は仕事一本の

男だった。


人を人とも思わない。道具の一つぐらいに

しか考えていない。

誰が死んでも誰が傷つけられても顔色ひとつ

変えない寺東は、榊のことは可愛がって

くれたがそれは榊が仕事ができるから

なのだろう。


寺東のことをそう語る榊に白生は小さく

頷いた。


紅苑を抱えた白生と鳥居とりいがさっきの店の

部屋を出た後すぐに榊と本堂ほんどうも部屋を出た。

もちろん寺東にも声は掛けたが、返って

こなかったので先に二人で出た。


本堂が白生たちが行った方と逆へ歩いて行く。

榊もそれに続こうとすると、後ろから走って

来た寺東に突き飛ばされた。


寺東は榊を退かして荒地へ繋がる方のドアに

向かって走っていた。

いやな予感がした榊は本堂に着いて行かずに

寺東の後を追ったのだった。


そこで見たものに榊は衝撃を受けた。


紅苑を守ろうとして、なりふりかまわず

車の中に入った寺東。

取り乱したその様は榊が今まで見たことの

なかった寺東の姿だった。


「僕は…まだよく知りませんが、寺東さんは

この仕事を成し遂げるためならなんでもする、

みたいな人だと思ってました」


「私もだよ。実際今までもそうだった。

誰かが死のうが生きようが仕事さえ達成

できたらそれでいい、という考えの人

だったんだ」


紅苑に惚れてしまったのだろう。

人間とは思えない寺東にもそんな心が存在

していたのだ。


榊の目の前で撃たれた寺東は、それでもなお

紅苑を放そうとしなかった。


「鳥居さんが言ってただろ。

裏切り者には死を、って。あれは本当に

寺東さんが言っていたことなんだ」


「鳥居さんはそれを守っただけなんですね」


あそこで寺東と紅苑を逃していたら依頼主に

商品を届けることが叶わない。


そして、命を預け合ってやって来たBOL社の

メンバーから抜け出して寺東だけ普通の

生活を送るなど許されるはずもない。


BOL社の掟とやらを考えると、鳥居のした

ことは正解だということが白生にも理解

できた。


「すごい世界だよな。市川いちかわくんにはどうやって

詫びたらいいか…」


「いえ。榊さんも商品の付き添い人を探す、

というご自分の仕事をしただけです。

もう運命だったと思って受け入れてます。

恨んだりしていません」


「ありがとう。でも、君を…死なせるわけには

いかないんだよ」


目を見開いた白生が榊を見つめる。

榊もコーヒーカップから上げた視線で白生を

真っ直ぐに見つめた。


「まだ…どうやるかとか何も考えてないんだが、市川くんをBOL社から逃す」


「何言ってるんですか?そんなことしたら、」


榊が殺される。白生は大きく首を横に振った。


強い視線を送ってくる榊。

寺東の死に直面した榊が思ったことはたった

ひとつ。後悔だったのだ、と白生は感じた。


白生と同じようにして今まで何人もBOL社に

入れて来た。

榊が直接入れたものではないものもいたの

かもしれないが、ほとんどは榊が選んだもの

たちだ。


そして誰一人守ってやれなかった。

白生がここにいるということは、それまでの

付き添い人たちはもうこの世にいないという

こと。


BOL社はもうこんなところまで来てしまった

のだ。潮時なのかもしれない。

寺東が死んだ今、もう誰の命も落とせないと

榊は身に染みているのだろう。


覚悟を決めた榊は白生にゆっくりと頷いた。


「榊さん。これは…寺東さんが始めたこと

なんですか?」


「実は私も知らないんだよ。私は寺東さんに

連れて来られた。

寺東さんはバングル社での私の上司で…

私には本当に優しい人だった」


その寺東から特別なプロジェクトに参加して

ほしいと頼まれて二つ返事でそれを受けた。

こんなことになるとは知らずに、と榊は

下を向いて白生にそう言った。




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