16・商品になる紅苑
今更他を探すのが面倒でもあるし、
見つからない。
売ってしまえばこっちのものなのだ。
もう寺東には鳥居に言い返す材料がなかった。
紅苑が売られて行くのをこのまま指を咥えて
見ていることしかできないようだ。
「あの、」
恐る恐る白生が手を挙げる。また一点を
見つめてしまった寺東の代わりに鳥居が
白生に返事をした。
「市川くんどうぞ」
「今日は僕は特に何もしなくてもいいん
ですか?」
「そうだね。仕事の流れをなんとなく把握して
くれたらいいよ」
「わかりました」
鳥居が優しく目を細めて微笑む。
そしてその細めた目で鳥居は寺東を見ていた。
バングル社の名前で予約していたBOL社が
VIPルームに入ってから二時間が経った。
そろそろ声が掛かるだろう。
紅苑は自分の仕事をしながら時計を確認した。
「紅苑」
予想通りママの梨香子がVIPルームにやって
来て紅苑を呼んだ。
奥の部屋に入った梨香子は瀬戸に、そろそろ
バングル社は帰るので忙しくなってきた店の方
に戻ってくれ、と頼んだ。
瀬戸は後でまた片付けを手伝いに来るから、と
紅苑に言い残して部屋を出た。
「紅苑。こちらに」
瀬戸がいなくなった奥の部屋で、紅苑は手招き
している梨香子に近づいた。
あちこちに淡いライトはあるものの薄暗い部屋。
梨香子は赤い爪を自分の頬に当てて微笑んだ。
「バングル社様が次のお店に行かれるよう
だからおともしてちょうだい」
「え?僕でいいんですか?」
「紅苑をご指名なのよ。良かったわね。
ここはいいから着替えて来て」
紅苑はペコっと梨香子に頭を下げて奥の部屋を
出る。
その時にチラッと寺東を見たが視線は合わない。
今日ここへ来てから寺東とずっと目が合わない
のはなぜなのだろうか。
理由はいろいろ考えられるが、寺東がわざと
逸らしていることだけはわかった。
六人は二台のタクシーに分かれて乗り、梨香子の知り合いの店を目指す。
タクシーの中でひとことも話さない寺東が
紅苑は心配だった。
梨香子の知り合いの店はボーイが一人部屋に
やって来るだけであとは誰もいなかった。
貸切なのだろうか。そこまで広くない店なのに
六人しかいないので広く感じた。
ここで紅苑は酒を飲まされた。紅苑はいくら
飲んでも酔わないのだが、酔ったフリをしていると、さらに酒を勧められた。
「もう、飲めないです」
「仕事中飲めなかったんだから。ここでは
好きなだけ飲みなさい」
榊と白生が紅苑のグラスが空くとすぐに酒を注ぐ。
相手が客ということもあり、紅苑は注がれた酒を残さずに飲んだ。
「トイレに、行きたい、です」
もつれた舌で紅苑がそう言うと、寺東がスッと
立ち上がり紅苑の腕を掴んだ。
「私が付き添うから」
「あ…りがとう…ございます」
ヨタヨタ、と歩く紅苑を連れて寺東は部屋の外へ出た。
二人は狭い通路を歩いてトイレに向かう。
ふらふらと揺れている紅苑を、寺東は抱きしめた。
「紅苑。戻ったら一滴も飲むんじゃないぞ」
「でも、」
客に勧められた酒を断るのは失礼に当たる。
紅苑の言いたいことがわかった寺東はさらに
ぎゅっと抱きしめた。
「私の言うことを聞きなさい。今夜は必ず
一緒に帰ろう」
「…うれしい」
少し赤くなった頬でニコッと笑った紅苑に、
辺りかまわず寺東はキスをした。
絶対に二人で帰る。紅苑を売ることなどしない。
あとはどうなっても構わない。
紅苑が入って行ったトイレの前で、寺東は自分の拳を握りしめていた。
「ごめんね。少し飲ませ過ぎたよね」
寺東とともに戻って来た紅苑に、鳥居が手を
合わせて謝る。榊もごめんね、と言って座った
紅苑の顔を見た。
「顔色は悪くないみたいだから良かった。
ボーイさん、水を持って来て」
榊がそう言って手を上げると空いたグラスを
片付けていた無表情のボーイがペコっと頭を
下げて部屋を出て行った。
紅苑は背もたれにもたれかかっているが、
目は開けている。
水を頼んだ榊にもすみません、と小さな声で
返事をしていた。
寺東は紅苑の腰をさすりながら誰にもわからないように自分の唇を噛んだ。
いつもの流れではここで大量の酒を飲ませて
最後には水に溶かした睡眠薬をオーバードーズ
させて商品を完全に寝かせてしまう。
寺東が紅苑にここから先は何も口にするなと
言ったのは紅苑が寝かされないようにするため
だった。
ボーイが縦長のグラスに入れた水を持って来た。
受け取った榊が紅苑の手にそれを握らせる。
寺東は飲むな、と紅苑に目配せしていたが
気づいてもらえない。
思い届かず、紅苑はグラスに口をつけた。
「ありがとうございます」
ごくごく、と水を全て飲み干した紅苑は、
ふう、と息を吐いて微笑んだ。
「…」
寺東の念は紅苑に通じなかった。
多量の睡眠薬が入った水を紅苑は飲んで
しまったのだ。
眠ってしまった紅苑は今から迎えに来る
見張り番たちに車に乗せられて、本牧埠頭の
倉庫まで運ばれる。
倉庫は密室で外からは誰も入れないが
見張り番たちとのやり取りは寺東が担当していた。
どうにかして倉庫から紅苑を出せないだろうか。
しかし何をしても連れ出せなかったら…
倉庫に行くまでにカタをつけた方が連れ出せる
確率は高い。
紅苑に翻弄されている寺東はもうBOL社の
仕事や仲間のことなど眼中になかった。
「スッキリしました」
「それは良かった。本当にごめんね」
白生は必死で榊の動きを見ている。
それが鳥居には熱心に仕事を覚えようとしている姿勢に映っていた。
「横になる?」
コの字型に連なった椅子は六人で座っていても
スカスカに空いている。
しかし客の前で横になるなど失礼なので
そう提案してくれた榊に紅苑は首を横に振って
微笑んだ。
「大丈夫です。ありがとうございます」
せっかく飲ませた睡眠薬を吐かれては
元も子もない。
紅苑が大丈夫、と言ったのでみんなは安心して
また飲み始めた。
「私にもたれなさい」
寺東が紅苑の肩を抱く。ボーイとしての紅苑なら断るだろう。
しかし紅苑は甘えるようにして寺東にもたれた。
「おかわりはよろしいですか?」
空っぽのグラスを持ってぼんやりしている寺東の顔を榊がのぞき込んだ。
「私は大丈夫。よく飲んだみたいだ。
ぼんやりしてた」
「普段強いのに。お疲れなんですね」
微笑む榊に寺東も微笑み返す。
数分後、寺東にもたれたまま紅苑は眠った。




