14・これを恋と呼ぶのなら
商品である紅苑を可愛いと思ってはいけない。
それなのにどうしようもなく胸が痛かった。
「なぜ私に誘われたのか気にしてたってこと?」
「はい。理由がわからなくて。お客様のように
地位のある方が俺なんて、と」
「ははは。美しいものは美しい。
それだけだよ。
地位とかなんて関係ない。そんなものは
くだらないと思っている」
バッグを床に置いた紅苑が恥ずかしそうに
微笑む。普段着の紅苑は黒のスーツを着ている
時よりも幼く見えた。
シャワーの音が聞こえて来た。
寺東は紅苑のバッグの中身をチェックする。
川路紅苑と記された診察券やカードが財布に
あるだけでたいしたものは入っていない。
携帯がバッグの中になかったので紅苑が着て
来た上着を探る。
出てきた携帯は電源が落ちていた。
寺東が電源を入れようとしたが、充電がない
ようで入らなかった。
仕事終わりなので充電が切れてしまったの
だろう。
大丈夫だ、と思ってはみたものの。どうしても
市川と紅苑の顔がそっくりなことが引っかかる。
二人がグルということも考えたが、そうだと
したらすごい偶然なのだ。
シャワーから出て来た紅苑のまだ少し濡れた
髪からいい香りがする。
寺東はその髪を咥えて、今着たばかりの紅苑の
寝巻きを脱がせた。
熱い体は愛撫することによってさらに熱くなる。
まるで紅苑の体に甘い蜜でも塗られているかの
ように寺東は必死に舌を這わせた。
紅苑の弾む息を重ねた唇で吸い込む。
ベッドの上に向かい合わせになった二人は
お互いの体の形を確かめた。
紅苑の胸を弄っていた指先から手のひら全てを
くっつけるとリズムの良い若い鼓動が響いていた。
「この前連れて来たうちの社員の若い男。
君はあいつのことを知ってるんだな?」
知っているんだろ?ではなく、知っていることを前提にして寺東は言った。
今、手のひらから伝わってくる紅苑の鼓動が
今の発言でどう変化するのか。
市川白生との関係性を問われた紅苑は、どんなにしらばっくれても心拍までは操作できない。
寺東は紅苑の胸に押し当てた手のひらに集中した。
「…知り、ません」
「いや、知ってるだろ。お前たちは兄弟か?」
「ちが、違います。ホント、に…」
寺東の右手は動いていないが、左手は変わらず
紅苑の胸を弄っている。
吐息のような喘ぎ声を漏らしながら紅苑は首を
微かに横に振った。
「そうか」
寺東の右手が感じた紅苑の鼓動は白生のことを
聞いても全く変わらなかった。
跳ねることもなければ大きくなることも
なかったのだ。
市川白生とは他人の空似。紅苑がそう証明して
くれた。
次のバングル社の予約の日までの二週間、
紅苑は寺東に五回も呼び出された。
回を重ねるごとに寺東は紅苑を放さなく
なっていた。
予約の日の前夜、明け方の4時にまだ二人は
一つになっていた。
若くはない寺東のどこにこんな体力と性欲が
あるのか。
なにか薬でも使っているのかもしれない、と
思わずにはいられないほどだった。
しかしずっと体を重ねているわけではなかった。
ルームサービスを頼んで二人で食事をしながら
寺東は紅苑にいろんな話をした。
今まで経験してきた仕事のことや人との接し方
など、紅苑が興味を持つようなことを教えて
くれた。
寺東はとても人思いの良い上司なのだろう。
話を聞いていた紅苑は素直にそう感じた。
「紅苑」
「はい」
寺東がゆっくりと紅苑の濡れた髪を撫でる。
紅苑は喜びに満ちた表情を浮かべて汗まみれの
寺東の体にしがみついた。
「紅苑は…なんのために生きてる?」
「なんのため、ですか?」
なんという悲しい質問だろう。
人のために生きている、という人もいるが、
そういう人たちも皆結局は自分のために
生きているのではないだろうか。
自分が生きていくために、ごはんを食べる
ために働く。誰かのために生きている人たちも、まずは自分のために生きているのだ。
「自分のためです」
紅苑は寺東の悲しそうな瞳を真っ直ぐに
見つめて正直に答えた。
「そうか」
「寺東さんは?」
商品になる予定の紅苑に、寺東は自分の名を
教えていた。
本来ならば許されることではない。
教えてしまった理由は寺東自身もわからない。
ただただ、紅苑に自分の名前を呼んでほしかっただけなのかもしれない。
「私は、自分のために生きたことなどない」
「…」
「良かった。紅苑が自分のために生きていて」
目を細めて笑った寺東は本当にうれしそうだった。
紅苑の胸の中がチクチクと痛み、気づいたら
寺東の頬に自分の頬を重ねていた。
「生きてください。自分のために」
白生から聞いた榊の話。
寺東も誰かに無理やりプロジェクトに入れ
られたのだ。
自分のために生きる。
こんな当たり前のことが寺東にはできない。
紅苑の胸の中は痛みを通り越して苦しかった。
「そうだな。いつか…自分のために、
自分の思いのままに生きられたらいいな」
「願ってます」
「ありがとう。でも今、紅苑とこうしてるのは
私の思いだよ」
「うれしい」
「ずっとこうしていたいな」
力なく微笑む寺東に、紅苑は頷くことしか
できない。
榊も寺東も罪を犯してしまったが、それも自分のためではないということなのだ。
男を落とすのは朝飯前だが、こういう類の男は
本来恋とセックスを分けて考えるので、
落ちるも落ちないもない。
ただ満たされたら良いのだ。
相手など誰でもいい。
それなのに紅苑には、寺東が心でしっかりと
向き合っているように感じていた。
詠一とも永久とも違う心。
まるで恋のようだった。
「紅苑…」
寺東は紅苑の名前を呼んで細い体を抱きしめる。
下にいた紅苑もぎゅっと抱きしめ返した。
「紅苑…紅苑…」
答えるように紅苑が寺東にキスをすると、
すぐに唇を開けさせられて口内いっぱいに
舌が入ってきた。
「ん、」
「紅苑。お前が愛おしいよ」
「…」
商品になる紅苑に抱いてはいけない感情。
受け取った紅苑は抑えられないほど悲しくて
閉じた目の目尻から涙を一つシーツに落とした。
「うれしい」
「…」
「寺東さん。また、会ってください」
寺東が本当にうれしそうに頷く。
そして紅苑が流した涙を指先で拭った。
「あなたには…誰がいるんですか?」
「家族ってことか?」
「家族、友達、恋人?どなたかあなたのそばに
いてくれる方がいますか?」
紅苑がなぜそんなことを聞いたのかが寺東には
わかった。愛しいと言われたのが信じられない
のだろう。
ただのボーイの自分に、と紅苑はまだ思って
いるのだ。
「家族も恋人も友達もいない。でも、私には
命を預けられる仲間がいる」
「親友ですね」
「親友かな。向こうはどう思っているか
わからないが私は彼とともに守りたいものを
守っていきたい」
紅苑が安心したように微笑んだ。寺東に親友が
いたことが心からうれしかった。
「紅苑もだよ」
「俺も?」
「そう。紅苑は、私の想い人だ。
だからそばにいてほしい」
「はい。ずっといます。
ずっと寺東さんと一緒にいたいです」
このプロジェクト壊すのは紅苑たちだ。
寺東に罪を償わせるのも。
しかし紅苑が今寺東に言ったことは嘘ではない。
寺東が罪を償って出てくるまで待ちたいと
思っていた。
また会いたい、ともう一度言って抱きついてきた紅苑を強く抱きしめ返す。
紅苑と口づけを交わしながら、寺東はこれで
最後だと自分に言い聞かせた。




