12・紅苑、ターゲットか否か
灰皿を交換している紅苑の手を寺東が自然な
感じでスッと掴んだ。
「ボーイさんいくつ?」
「25歳です」
「女の子みたいに可愛いね」
寺東の隣に座っているキャストもかなりの
美人だ。しかしそれをさておいて寺東は
紅苑に声をかけた。
「ありがとう…ございます」
紅苑が少し怯えたようにそう言うと寺東は
ニコッと笑って紅苑の手を放し、普通に
飲み始めた。
いつも通りのわけのわからない話。
紅苑が壁際に立ってそれを聞いていると、
頼んでいた寿司が届いた。
テーブルにセッティングしている紅苑が
顔を上げると寺東と目が合う。
その度に紅苑は軽く頭を下げて黙々と仕事を
こなした。
寺東がやたらと見てくる。
ターゲットにされるのだろうか。
そうだとしたら好都合。
売られる時の相方、配達役は白生のはずなので、集められるだけ集めた証拠とともに寺東たちBOL社を差し出せる。
しかしいくらターゲットになりたいからと
いってキャストでもないのに愛想良くして
いたら怪しい。
紅苑は困ったような顔でがんばって寺東に
微笑んで見せた。
白生たちがクラブアスタロトにやって来て
三時間が経った。
その間白生はほとんど話していない。
寿司にも二、三貫手をつけただけだった。
そろそろお開きか。瀬戸と紅苑は奥の部屋で
片付けの支度をし始めた。
「ボーイさん」
榊が奥の部屋にやって来た。はい、と瀬戸が
返事をして榊の前まで行った。
「お会計お願いします」
「ありがとうございます。かしこまりました」
VIPルームを出て精算に行った瀬戸は5分は
帰ってこない。
榊は紅苑に近づいた。
「仕事中ごめんね。ちょっとこっちに来て
もらえる?」
「は、はい」
紅苑が奥の部屋から出ると、いつのまにか
キャストの女性もいなくなっていた。
なにかおかしい。自分を狙うだけなら皐月の
時のようにママの梨香子にアフターに
つかせるように頼めばいいだけなのに
なぜ直接声をかけてきたのか。
皐月の時とは違う。紅苑の胸に気持ち悪さが
走ったが、言われた通りにテーブルの端まで
行って膝をついた。
「君」
今日、ほとんど下を向いていた白生は寺東に
呼ばれてやっと顔を上げた。
「はい」
「眼鏡、外しなさい」
はあ、と不思議そうに首を傾げた白生が眼鏡を
外してテーブルの上に置いた。
四人の視線が紅苑と白生の顔を行ったり来たり
している。
白生は見えにくい目を細めてテーブルに視線を
置き、紅苑は怯えたように眉根を寄せて
寺東たちを見ていた。
「君たち二人、そっくりだね。
君を今日じっくり見た時にどこかで見たことが
あると思ってたんだけど、ここのボーイさん
だったんだね」
寺東が接触してきたのも白生と紅苑がグルでは
ないかと疑っていたからなのか。
表情を変えぬまま、紅苑は一人落胆していた。
ここで初めて白生は紅苑を見た。そしてまた
不思議そうに首を傾げた。
「あの、」
「似てますか?」
白生の言葉を遮って紅苑も首を傾げる。
確かに自分に似てると言われた人は、本人から
したら似てないと思うことが多いのだ。
紅苑のその反応に寺東は、ははは、と笑った。
「あまりにも似てるから双子かなにかかと
思ってたが、どうやら違うみたいだね」
「僕、一人っ子です」
紅苑もマジマジと白生を見つめた。
そしてまた首を傾げた。
「僕はこちらのお客様にあまり似ていないと
思うんですけど」
「まあ、本人はそう思うだろ。気にしないでくれ。似てるなあ,と思っただけだから」
バングル社の悪、BOL社からすれば確認しなければならなかったのだ。
今までたくさんの人間と出会ってきた寺東から
見ても、二人は初めて会うもの同士の目をして
いる。
疑うべき箇所はないようだった。
「悪いけどママを呼んできてくれないか?」
「かしこまりました」
戻ってきた瀬戸とすれ違いに紅苑が部屋を出る。カードを榊に返して、瀬戸はまた店に行った。
梨香子が部屋に入って来てすぐに寺東の隣に
座った。
白生を含めた他のメンバーはもう部屋から出ている。
奥で片付けをしていた紅苑が梨香子に呼ばれて
部屋に入ると、そこには寺東しかしなかった。
「紅苑。悪いけどお客様をお家までお送りして」
「え、僕がですか?」
「ご気分がすぐれないみたいなの。申し訳ない
けどお願いしますね」
断る余地などない。気分がすぐれないという
のも嘘なのはわかっていたが。
目的はなんだ。白生のことで責められるのか。
それとも今までと違う段階を踏んで売られるの
だろうか。
どちらにしても紅苑は行くしかなかった。
「お客様、少しお待ちいただけますか?
支度して参ります」
「ありがとう。すまないね」
大人しくしてはいるが、寺東はいたって普通。
具合の悪い演技をすることも放棄している。
紅苑はロッカーに財布を取りに行った。
白生に電話をしようかとも考えたが二人の関係が疑われていたとしたら危険だ。
店のロッカーから財布だけを取り、携帯は電源を落としてバッグに入れた。
白生にはこれでわかるだろう。
「お待たせしました」
「申し訳ない」
「いえ、タクシーを呼んでますので」
寺東に肩を貸して店を出る。黒のスーツ姿のまま来た紅苑は、寺東を送り届けてからすぐに店に戻るつもりだと、見せかけた。
タクシーに乗って寺東が告げた行き先は
ホテルだった。
ホテル住まいをしているのか、と思っても
いないことを思うフリをして紅苑は寺東の隣で
大人しくしていた。
タクシーから降り、また寺東に肩を貸した紅苑がやっとホテルの部屋までたどり着いた。
シングルではなくダブル。しかしそれには
気づかないフリをした。
寺東のスーツの上着を脱がせてハンガーに掛け、紅苑は頭を下げた。
「では僕はこれで失礼いたします。
お大事になさってください」
「水取ってくれない?」
「あ、はい」
帰る、と言った紅苑の声が聞こえていないかの
ように寺東はネクタイを緩めている。
紅苑が冷蔵庫から出して来た水を寺東はすぐに
ごくごく、と飲んで今度はシャツのボタンを外した。
「シャワーに入りたいんだけど手伝って」
「いや、あの、」
「酒飲んでるから。倒れたら大変でしょ」
寺東はクラブアスタロトの利用回数では
VIP中のVIPだ。
体調がすぐれないのを知っているのに置いて
帰るわけにもいかない。
はい、と小さくつぶやいて、紅苑は寺東の服を
脱がせて風呂場へ連れて行った。
「ここにいますので」
「君も一緒に入るんだよ」
「それは…お客様に失礼になります」
「私が頼んでるんだ」
裸の寺東が待っている。暖かい部屋とはいえ
このままにしておくわけにもいかない。
紅苑は慌てて服を脱いで下着だけになった。
「そんなもの履いてたら濡れるよ」
「お客様、」
「脱ぎなさい」
男同士だから別に構わないのだが、紅苑としては客と一緒に風呂に入るなど失礼にあたる、という理由を出して断ろうとしていた。
白生との関係を疑っていたから連れて来られた
のではない。
本当はもう目的もわかっていたが、恥じらう
ぐらいがちょうどいいのだ。
もし寺東が紅苑をターゲット候補として見て
いるのなら、なんとしてでも勝ち取らなければ
ならない。
「失礼します」
下着も脱いだ紅苑の手を引いて、寺東は
風呂場に入る。
紅苑が熱いシャワーを出して寺東の体に
掛けていくと40歳は過ぎていそうなのに
鍛えているのか、ほどよい筋肉がついている
体が光っているように見えた。
寺東が風邪をひかないように紅苑はあます
ところなくシャワーで包んでいった。
「君も自分の体に掛けなさい。寒いだろ」
「大丈夫で、」
言い終わらないうちにシャワーを持った紅苑は
寺東に抱きしめられていた。
紅苑の手になんとか握られているシャワーが
緩い弧を描いて壁に熱い湯を当てる。
たちまち風呂場に湯気が立ち込めて、寺東の
顔がよく見えなくなった。
紅苑からシャワーを取った寺東は、抱き合った
二人の体に湯を掛ける。
恥ずかしさに下を向いた紅苑の耳に噛みついた。
「男と寝たことは…ありそうだな」
「…」
耳を愛撫されて紅苑が思わず漏らした吐息に
ニヤリと笑う。
寺東がシャワーを床に放ると、噴水のように
跳ね上がった細かい湯が二人の体に水滴を
作っては落ちていく。
耳から頬に唇を這わせた寺東は紅苑の尻を
分けて指を挿れた。
クラブアスタロトからの帰りのタクシーは
白生と榊の二人だけだった。
もう一台のタクシーにも寺東の姿がないのを
見ていた白生はあり得る理由を考えていたの
だが、榊の目にはそんな白生が落ち込んでいる
ように映っていた。
「時間ある?」
「はあ…」
「君の家にお邪魔してもいいかな。
少し話そう」
榊は責任を感じていた。BOL社に白生を入れた
のは紛れもなく榊なのだ。
白生がバングル社に就職する時に借りたマンションの前でタクシーが停まる。
一言も話さずに二人はエレベーターに乗った。
二人掛けの小さなダイニングテーブルに榊を
座らせて白生はコーヒーを淹れる。
その間も何も話さない榊は何かを考えている
みたいに静かだった。
「どうぞ」
榊の前にコーヒーのカップを置き、白生も正面に座った。
「ありがとう。いただきます」
榊がコーヒーカップを口に運ぶ。
ひとくち飲んでゆっくりと息を吐いた。
「今日は…驚いただろ」
「はい」
白生がテーブルの上に置いていた自分の手を
ぎゅっと握りしめて、榊の方へ身を乗り出した。
「…人身売買ですよね。榊さんたちがやってる
ことって」
「そうだよ」
「なに、なにしてるんですか。
やっちゃいけないことでしょ?」
興奮した白生は立ち上がって肩で息をした。
榊はそんな白生を悲しそうな目で見上げて頷いた。
「私も…いや、私たちも君と同じだ」
「…」
「新しいプロジェクトに誘われて…
蓋を開けてみたらこんなことになっていた」
BOL社の仕事の内容が内容だ。
聞いたら抜けられないことは今の白生と同じく
瞬時にわかった。
抜ける時は死ぬ時、いや、殺される時だと
思った、と榊は白生にこくな話を隠すこと
なく話していった。
「そして私の仕事は商品を海外に届ける役を
担う人材を探すこと。
市川くんがBOL社に入ることは、面接した時
からほぼ決まっていたようなものなんだよ」
「どういうことですか?」
「君に家族がいないからだよ」
立っている白生が青ざめた顔で榊を見つめる。
榊はうん、と頷くことしかできなかった。
「…俺がいなくなっても、探す人間がいない
から?」
「そうだ」
「な…なんなんですか」
だんだんと小さくなっていく白生の声。
榊は少し冷めたコーヒーを飲んで目を伏せた。
「すまないと思っている。しかし私も逆らう
ことができないんだ。いつか放免されるまで
この仕事を続けていくしかないんだ」
「榊さん、警察に行きましょう。
俺たち二人で、」
「なんの証拠もないんだよ?誰が信じてくれる?
それに警察に行ったことがバレた時点で私も
君も殺される」
逃げ道はない。戻ることもできない。
選択もない一本道を真っ直ぐに進むしかないのだ。
再び椅子に座った白生はコーヒーを飲みながら
いい案がないか考えた。
沈黙の時間が流れる。榊は空っぽになった
カップをじっと見ていた。
「俺、仕事をしながら証拠をそろえます。
そして警察にそれを出します。
寺東さんたちが逃げられないように」
「寺東さんも…動かされているのかもしれない。
それにそんなことをすると市川くんも
捕まるんだよ?」
「かまいません。いつ殺されるかわからない
今の状況よりマシですし、
それにこんな…人を売るなんて…許されることじゃないです」
榊には白生が真面目なのはわかっていたが、
正義感がこんなに強いとは気づかなかった。
下手なことをして命を落としてしまうタイプだ。
「どんなに確固たる証拠をそろえたところで、
この仕事を考えた人間は逃げると思うよ。
おそらく全ての罪を市川くんに被せてね」
「そんな…」
「こんなことしている人間だ。自分が捕まらないためには私や市川くんの命や人生などいくらでも差し出す」
白生はまだBOL社の全貌を知らない。
知った時にメンタルを保つことができるのだろうか。
絶望した顔の白生。
それなのに榊は何もしてやることもできなかった。




