11.本当の相手と
「泣いてねーよ⋯」
鼻をすすって目元を腕で押さえながら、柊二は小さく呟いた。
思った通り、蒼汰は元の世界に帰ったようだ。
寂しく思う気持ちと、どこかほっとする気持ちを抱えて、柊二は手紙を胸ポケットにしまい部屋を出た。
鍵をかけようとしたところで人の気配がして、何気なく目を向け、そこに立つ人物に心臓が止まりそうになった。
「蒼汰⋯」
呆然と呟いてから、はっとして口を押さえる。
「先生? 何してるの?」
きょとんとした表情で見上げて来たのは、恋人だった蒼汰ではなく、井上の方だった。
「え⋯、いや、えっと⋯」
そっちこそ何をしているんだと思いながらも、すぐに返事を出来ずにいると、後ろから自分と同じ歳くらいの男性がやって来る。
「井上様、こちらのお部屋が、以前住んでた方が最近引っ越されたので空いていて⋯。そちらは?」
話の内容から、男は不動産屋のようだ。柊二を見て怪訝な顔をする。
「あ、前に、この部屋に住んでた人が知り合いで⋯」
「そうでしたか」
「先生の知り合いの人が住んでたの?」
井上も驚いた顔をしている。柊二と井上を交互に見て首を傾げる不動産屋に、教師と教え子だったことを説明し、話の流れで謁見に付き合うことになった。
「先生の友達が住んでたなら、この部屋にしよっかな〜」
「⋯いいと思うぞ」
蒼汰が住んでいた部屋にこうして井上がやって来る。偶然ではないのだろう。
トントン拍子に話が進み、契約書をもらって不動産屋を出たところで、柊二は少し話をしたいと彼を近くの公園に誘った。
自販機でコーヒーを買い、井上にはカフェオレを買って渡すと、彼は少し驚いた顔をしつつ受け取った。
猫舌だった蒼汰と同じように、ちびちびと飲む姿にふっと笑みを零して、柊二は徐に口を開いた。
「卒業式の後、行けなくて悪かったな」
「⋯ああ、うん。でも⋯、良かった」
井上は視線を落として苦笑する。
「おかげで助かったしね」
「だからって、約束を破ったのは事実だから。本当、悪かった」
大事な話があると言っていたあの日。予想はつくが、今はその内容を聞く時ではないと思う。
井上も言う気はないようで、黙ったままペットボトルの蓋を撫でている。
柊二は意を決したようにスマホを取り出して言った。
「連絡先、教えとく。なんかあったらいつでも連絡しろ」
「――え?」
「一人暮らしするんだろ?」
両親を亡くし、ここ何日かは親戚がずっと来ていたらしいが、その親戚も近くに住んでいるわけではないようで、彼はこの春から一人暮らしをするらしい。
大学生の男なら一人暮らしなんて普通で、それで心配するのは過保護もいいところだが、はじめからその予定だったのと、突然両親を亡くして一人で生きていくことになったのとでは、天と地ほどの差があるように思う。
連絡先を交換した後も、井上は少し戸惑った様子でスマホを見つめていた。
「何もなくても、連絡してきていいから」
「何もないのになんて連絡するの?」
「なんでもいいだろ。用がなくても教科準備室に来てただろうが」
「あれは、だって⋯」
ゴニョゴニョと言葉を濁して俯く。その頰が少し赤くなっていた。
柊二は小さく微笑んで、冷めたコーヒーに口をつけた。
✦✦✦
それから、時々井上から連絡が来るようになった。今日は大学の入学式だとか、バイトが決まっただとか。
柊二から連絡をするようになったのもすぐだった。
何度か一緒に食事をして、半年ほど経った頃、柊二の方から付き合おうと言った。
井上は驚いた様子で目を見開いた後、軽く肩をすくめて、
「どうしよっかな〜」
「おい」
「だって先生、俺が告白しても全然気にしてくれなかったし」
「先生って呼ぶな」
心底嫌そうに柊二が眉を寄せると、彼は楽しそうにくすくすと笑った。
そして、彼が大学4年になる頃、突然連絡がつかなくなった。バイト先にもいない。家にもいない。大学にも来ていないらしい。
普通なら怒りやら心配やらで気が気ではないだろうが、柊二は静かに笑みを浮かべて独り言を呟いた。
「気をつけてな」
✦✦✦
蒼汰がタイムスリップしていた期間はだいたい1年。もうそろそろその1年が経つ。
卒業式の時期が近付くに連れ、柊二は逸る気持ちから、日に何度もカレンダーを見つめていた。
早く会いたい。過去の自分に何度嫉妬したかわからない。
休日、気分を落ち着かせるために散歩にでも行こうか、そんなことを考え始めた時だった。
ガチャ、と玄関の鍵が開く音がした。
柊二は、はっと音のした方へ顔を向ける。
この部屋の合鍵は、1人にしか渡していない。
ドアが開いて、悪戯っぽい声が響いた。
「先生、いる〜?」
懐かしいフレーズに、無意識に笑みが溢れた。
「先生って呼ぶなって、何度も言ってるだろ」
1年ぶりに会った彼は、少しだけ大人びたように見えた。
「おかえり」
「――ただいま」
背伸びをして抱きついてくる蒼汰を、柊二は強く抱き返した。
END.




