刑事の相棒をさせられて
「ねえ知ってる? て、知ってるわけないか……」
「私ね。歌が得意なの」
「村のみんなも私の両親も私の歌を褒めてくれたの」
「私も歌うのが好きで、村に居た時は良く歌ってた」
「それでね。私が歌うとジョンがね——あ、ジョンて言うのは飼ってた犬の事ね」
「毛が長い大型犬なんだけど、私が歌うとジョンも一緒に歌うんだよ」
「あおぉぉぉぉぉんんん、て」
「聞いてみる?」
——ルーシュの回顧録より抜粋。
◇
アスイズミの顔が強張った。
ニンザはそれを見て、にこやかに頷く。
「はいはいはい。後はこちらで引き継ぎますのでぇ。ご苦労さまでした、アスイズミ君」
「ですが、これは事故か自殺の可能性が高く――」
「んんんんん?」
ニンザが首を傾げた。
笑顔は崩れていない。
それなのに、アスイズミは言葉を飲み込んだ。
「君は、もう現場を確認したんですかぁ?」
「いえ……まだです」
「死体の状態は?」
「落下による損傷が激しく――」
「落下する前の傷がないと、確認できたんですかぁ?」
「それは……」
「確認していない。部屋も見ていない。精霊にも聞けない。それなのに事故と決めた。いやいやいやいや、仕事が早い。大変よろしい」
褒めている口調だった。
アスイズミの顔から血の気が引く。
ニンザは、それ以上追及しなかった。追い詰める必要すらないと判断したのだろう。
代わりに、アウグストゥスへ顔を向けた。
目が合う。
「ところで貴方……」
ニンザはアウグストゥスの靴から頭まで、遠慮なく視線を這わせた。
「悪い人ですねぇ」
「初対面の相手に随分な挨拶ですな」
「んふっ。わたくし、そういうの分かるんです。はい」
「何を根拠に?」
「目ですよぉ。死体を見ても驚いていない。巡察官へ助言するふりをして、オーナーの反応だけを見ていた」
ニンザの笑みが深くなる。
「他人の罪を見つけた人間の顔ではありませんでしたねぇ。面白い玩具を見つけた人の顔でした」
アウグストゥスは微笑みを崩さなかった。
先ほどまでとは違う。
この男は、見ている。
「それで、私を捕らえますかな?」
「いやいやいやいや」
ニンザは片手を振った。
「今回の事件には関係なさそうですのでぇ、それはまた別のお話です。はい」
また別のお話。
その言葉には、いずれ調べるという響きがあった。
アウグストゥスは、ニンザへの評価を改めた。
ふざけた話し方は癖ではない。
相手を苛立たせ、調子を狂わせ、余計なことを喋らせるための道具だ。間延びした口調で警戒を解き、いつの間にか相手の懐へ指を突っ込む。
意志の弱い者なら、気づいた時には、この男が望む答えを自分から差し出しているだろう。
油断すれば危険だ。
アウグストゥスの中で、警戒の段階が一つ上がった。
「それよりもぉ――上から落ちてきた、この方」
ニンザは死体の周囲を一周した。
触れずに頭部の傷を覗き込み、手足の向きと血の広がりを確認する。その後で顔を上げ、最上階の割れた窓を見た。
死体と窓を何度か見比べ、落下した位置を足元から測っている。
「あの窓ですかぁ」
ナーベルの喉が動いた。
ニンザはそれを見ないまま、アスイズミへ尋ねる。
「アスイズミ君。上の部屋、現場保全は?」
「まだ行っていません」
「んん?」
「ですが、自殺の可能性が高いので、そこまでしなくてもよいかと……」
ニンザはしばらくアスイズミを見つめた。
その笑顔に耐えきれなくなったのか、アスイズミが視線を逸らす。
「そこの貴方」
今度はアウグストゥスへ声をかけた。
「どう思います?」
「なぜ私に聞くのですか?」
「貴方、こういうことに慣れていそうですからぁ」
ニンザは死体ではなく、アウグストゥスの顔を見ていた。
「ちょっと聞いてみたくなりましてねぇ」
一拍、間を置く。
「答えていただけますでしょうか。はい」
物腰は柔らかい。
だが、これは質問ではなかった。
拒否を許さない意志が、笑顔の奥に据えられている。
アウグストゥスは杖へ両手を重ねた。
「この場にあるものだけで結論を出すのは難しいですな」
「ほうほう」
「少なくとも、死体が落ちてきた部屋は確認すべきでしょう。自殺にせよ事故にせよ殺人にせよ、下だけを眺めていても分かることは少ない」
ニンザは数秒、無言でアウグストゥスを見た。
やがて口の端を持ち上げる。
「んふぅ。わたくしも、そう思います」
最初から答えを持っていた顔だった。
ニンザはナーベルへ向き直る。
「オーナー。お部屋まで案内していただけますか?」
「……分かりました」
ナーベルは頷いたものの、声が先ほどより低くなっていた。
「それから、そこの貴方」
ニンザが再びアウグストゥスを呼ぶ。
「ご一緒に」
腰を折り、片手を水平に伸ばして、芝居がかった仕草で階段を示す。
「私は宿泊の手続きをしたいのだがね」
「いやいやいや。すぐに終わりますよぉ。たぶん。おそらく。きっと」
まるで信用できない。
断れば断ったで、なぜ拒むのかとまとわりついてくるだろう。
アウグストゥスは諦め、杖を突いて歩き出した。
階段へ向かうその背中を、同行していた三人が見送る。
「旦那様、行ってしまいましたね」
ギルエルが困ったように鶏冠を揺らした。
「どうしましょう。あれ、絶対に長くなりますよ」
「放っておきなさい」
アエーシュモーは、アウグストゥスが連行同然に連れていかれる姿を一瞥しただけだった。
「それより、部屋を取ります。この騒ぎで埋まることはないでしょうが、お嬢様をいつまでも玄関に立たせておくわけにはいきません」
「でも、このままだと義父様は、私たちがどの部屋を取ったのか分からないわ」
ルーシュは階段の方を見つめた。
死体を目にした直後だというのに、その声に動揺はない。むしろ、血の臭いを気にするより、アウグストゥスと離れることの方が不満らしい。
「後ほど、私が報告いたします」
アエーシュモーは淡々と答え、ホテルの受付へ向かった。
その背後で、ルーシュは石畳の死体を一度だけ見た。
薄桃色の髪の隙間から覗く瞳が、わずかに細くなる。
だが、何も言わず、アエーシュモーの後を追った。
◇
ルシュファリアの港を越え、夜の外洋の空に星に似た輝きを放つ何者かが浮かんでいた。
何者かは考えていた。
遠い昔に排除したはずの異物の一族がルシュファリアに居る。
なぜ異物が存在しているのかは不明だが、恐らく旧文明が隠していたのだろう。
だが問題ないことだ。
遠い昔と同じく英雄を作り上げて滅ぼせばいい。
何者かの視線は、距離を無視してニンザの姿を捉えていた。
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