セレスティア・ヴァレンティア
アウグストゥス達がクルルシュへ向かっていた頃。
窓硝子を雨粒が細かく叩き、安宿の狭い一室を湿った音で満たしていた。
イグナティア小王国から西南へ下った国、ナンザセレナ。その外れにある小さな街クドゥで、セレスティアは椅子へ腰掛けたまま、朝から一言も口を利いていない。
机を挟んだ向かい側で、レオヴァンが深々と息を吐いた。
「……いい加減、あの爺さんのことは諦めろって」
あの爺さん。
アウグストゥス・ヴァーミリオンのことだった。
ザレイドでは謀略でも力でも完敗した。犯行を自白させるところまでは成功したが、それだけだ。拘束する戦力も、正式に裁くための証拠もない。
打つ手を失ってから数日。
セレスティアの機嫌は、雨空よりも悪かった。
「お前は勇者として、それでいいのか」
ようやく開いた口から出てきたのは、責める言葉だった。
レオヴァンは露骨に顔をしかめる。
「いいわけねぇだろ。けど、やれることは全部やった」
「まだ何かあるはずだ」
「ねぇよ」
即答だった。
「俺たちはあの爺さんに、自分がやったと吐かせた。だが、あの時の俺たちには正式な調査権がなかった。無理やり吐かせた自白なんざ、勇者ギルドじゃ証拠として扱ってもらえねぇ」
「本人が認めたんだぞ」
「本人が後から『脅されて嘘を言わされた』って言えば終わりだ。物証も目撃者もねぇ。自白だけじゃギルドは動かせん」
何度繰り返したか分からない会話だった。
それでもセレスティアは納得しない。肘掛けに置いた指が、一定の間隔で木を叩いている。
「ギルドが動かないなら、私たちだけで――」
「無理だ」
レオヴァンの声から、今度は苛立ちが滲んだ。
「戦力が足りねぇ。あの爺さん一人ならまだしも、下僕には化け物が何人もいる。正面から行ったら、次は逃がしてすらもらえねぇぞ」
セレスティアの指が止まる。
事実だった。
だからこそ、腹が立つ。
悪事を暴いた。
本人の口から犯行も認めさせた。
それでも捕まえられない。
法も力も、あの男を追い詰めるには足りなかった。
「そんなに捕まえたいなら、別の事件を暴くしかねぇだろ」
レオヴァンは投げやりに言った。
「別の事件?」
「ああ。勇者ギルドが追加派遣を取りやめたのは、コープスパーティーが教団の仕業ってことで片がついて、あの爺さんの無罪が確定したからだ」
「無罪ではない」
「世間では無罪なんだよ」
レオヴァンは机に頬杖をついた。
「なら、あの爺さんが別の凶悪事件に関わってる証拠を見つけろ。そっちが本物なら、ギルドも動かざるを得なくなる」
「別の事件……」
「どうせ、あの爺さんのことだ。ザレイドだけで満足するような可愛い性格じゃねぇだろ。昔から何かやってるに決まってる」
セレスティアを黙らせるために口にしただけだった。
根拠はない。
少しでも機嫌が直ればいい。その程度の言葉だった。
しかし、セレスティアの指が再び動き出した。
今度は苛立ちからではない。
記憶を探る時の癖だった。
「昔から……」
ザレイドでの戦い。
実力に差がありすぎて、聞こえた言葉を一つ一つ吟味する暇もなかった。
だが、今になって引っかかる。
あの時、ルーシュは何と言った。
――あの日、ビオランテの街で、ラローレが茨に殺されてから、私の前で大切な人がまた茨に殺されるのが怖くて……いえ、違う。怖いだけじゃない。
そして、アウグストゥスがセレスティアへ止めを刺そうとした時。
――駄目! 陛下!
「ビオランテ……ラローレ……陛下……」
セレスティアが、小さく呟いた。
「何だ?」
「黙っていろ」
レオヴァンを一言で退け、記憶へ潜る。
ビオランテ。
確か四年前、植物型の魔物に襲撃された街だ。公表された死傷者は百人前後。突然発生した魔物による災害として記録されている。
植物の魔物。
ルーシュに寄生する、影の茨。
偶然で片づけるには、言葉が繋がりすぎている。
さらにルーシュは、ヴァーミリオン男爵を「陛下」と呼んだ。
男爵に向ける呼称ではない。
戦いの最中の言い間違いにしても、出てくるはずのない言葉だった。
「あの男には、まだ秘密がある」
「急にどうした」
「ルーシュが話していた。四年前、ビオランテでラローレと言う大切な者を茨に殺されたと」
レオヴァンの頬杖が外れた。
「茨?」
「そうだ。あの娘が操る茨だ」
「それがどうしたって? あの嬢ちゃんは殺人鬼なんだから、人ぐらい殺すだろ」
「四年前と言えば、ビオランテで植物型の魔物が出た事件があっただろ……」
先ほどまで椅子に沈んでいたセレスティアが立ち上がった。
目に浮かんでいた濁りが消えている。
代わりに、獲物の傷口を見つけた猛禽の光が宿っていた。
「ラローレという者が誰なのか。植物の魔物が本当に自然発生したものなのか。そして、なぜルーシュがヴァーミリオンを陛下と呼んだのか」
「おい、待て」
セレスティアは外套を掴む。
「さすがだ、レオヴァン。お前のおかげで見落としていたものを思い出した」
「俺は適当に言っただけだぞ」
「私は今からビオランテへ行く」
「今からか?」
レオヴァンは窓を指さした。
外では雨が横殴りに降っている。日も傾き始めていた。
「もうすぐ夜だぞ。せめて明日の朝に――」
返事を待たず、セレスティアは扉を開けた。
「宿代は払っておけ」
「あ、おい!」
扉が閉まる。
廊下を遠ざかっていく靴音を聞きながら、レオヴァンはしばらく口を開けていた。
「……機嫌を直せとは思ったが、誰が本当に掘り返しに行けと言ったんだよ」
雨音の向こうで、街の鐘が鳴った。
ザレイドでアウグストゥスを捕らえ損ねた勇者は、今度は四年前の死者へ手を伸ばした。
———————お知らせ———————
そう言えば、設定変更したの知らせて無いことを思い出したので、お知らせします。
世界観が中世から、19世紀の産業革命ぐらいの発展度に変わりました。
序盤に言及した中世の一文は変えたけど、他に中世と言及した文書が残っている場合、修正抜けですので教えてくれると助かります。
よろしくお願いします。
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