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サイコパス男爵とシリアルキラー姫~42人殺した娘を、父は今日も隠し続ける~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
第一部

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全てが始まるエピローグ 第一部完

大西洋の中央に、その島はあった。


新大陸と旧大陸を結ぶ航路の、ちょうど喉元に食い込む位置。海洋貿易を握る者なら、誰もが欲しがる場所だった。


本来なら、島は戦場になるはずだった。


両大陸の大国が艦隊を送り込み、港を焼き、砲台を築き、勝者が旗を立てる。歴史とは、大抵そういう下品な欲望で出来ている。


だが、史実はそうならなかった。


一人の指導者がいた。


その男は島との貿易権を外交カードにし、各国の利害を細い糸で絡め取った。島を奪うために戦争を起こすより、中立港として利用したほうが儲かる。そう主要国に判断させた。


戦争を避けたのではない。


戦争より利益の出る構造を作った。


その島の名は、プラナタリア。


皇帝を頂点とし、その下に元老院という議会を置く島国である。


そして今、そのプラナタリアは静かに腐りかけていた。


理由は一つ。


皇帝が、十年前に失踪した。


誰にも行き先を告げず、玉座から消えたのだ。



プラナタリア元老院議員、ルサールカ・サレナの事務室では、机上の書類が今にも雪崩を起こしそうになっていた。


各国大使からの照会文。


港湾使用料の再交渉要求。


旧大陸側の海軍演習報告。


新大陸側の商会連合による買収打診。


そのどれもが、たった一つの問いを別の言葉で繰り返している。


皇帝は、まだ生きているのか。


「早く陛下を見つけ出してください、ナーガ殿!」


ルサールカは、肥えた腹を揺らしながら怒鳴った。


汗の浮いた額を布で拭い、目の前に立つ女を睨みつける。


「すでに大国どもは、陛下が死んだと思って動き始めているのです! このままでは、貿易権どころか島そのものを切り売りされかねませんぞ!」


怒鳴られている女は、少しも動じていなかった。


ナーガリア・ナジャ。


皇帝直属部隊、十三近衛猟兵サーティーンイェーガーの隊長の一人である。


長く美しい黒髪が、背中に流れている。


服装だけを見れば、とても軍人には見えない。背中と胸元、太ももに大胆なスリットが入った黒いドレス。男なら視線の置き場に困る露出だが、ルサールカは気にしている余裕などなかった。


ナーガリアもまた、自分の服装を説明する気はない。


「あの方が、そう簡単に死ぬわけがないでしょう」


淡々とした声だった。


「殺して死ぬなら、すでに百は超えて、誰かに殺させています」


「そんなことは、貴女に言われなくても分かっています!」


ルサールカは机を叩いた。


震えたインク瓶が倒れかけ、寸前で止まる。


「死んでいるはずがないから、早く見つけろと言っているのです!」


ルサールカは、ナーガリアの反論を否定する気などなかった。


千年皇帝。


そう渾名されるあの男が死ぬところなど、想像できない。


病で倒れる姿も、老いて衰える姿も、敵に首を落とされる姿も、まるで絵にならない。あの男が死ぬ時は、世界のほうが先に息を止めていそうだった。


だからこそ、厄介なのだ。


死んでいないのに、いない。


玉座が空いている。


その空白へ、諸国の欲望が鼻先を突っ込んでいる。


「他の隊長を、すでに大陸へ派遣しました」


ナーガリアは、退屈そうに言った。


「そのうち見つかるでしょう」


「そのうち、では困るのです! 今この時にも、旧大陸の連中が――」


「話がそれだけなら、私は失礼します」


ナーガリアは踵を返した。


「ルサールカ議員」


「待ちなさい、ナーガ殿! まだ話は終わって――」


許可など取らない。


ナーガリアはそのまま部屋を出た。


背後でルサールカが大声で怒鳴り散らしている。書類が机から落ちる音も聞こえた。


だが、ナーガリアは振り返らない。


廊下へ出ると、彼女は窓の外に広がる港を見下ろした。


停泊する商船。


各国の旗。


水面に揺れる金の匂い。


そして、その全てを押さえ込んでいた男の不在。


「陛下」


ナーガリアは、誰にも聞こえない声で呟いた。


「遊びにしては、長すぎますよ」


その瞳に、ほんの一瞬だけ蛇のような光が走った。



アウグストゥスと戦った夜から、数日が過ぎていた。


ザレイドの街を離れ、街道を行く馬車の中で、セレスティアは怒っていた。


座席の端に腰を下ろし、腕を組み、窓の外を睨んでいる。馬車が揺れるたびに金髪が肩で跳ねたが、彼女は一切直そうとしない。


「なぁ、機嫌直せよ」


向かいの席で、レオヴァンがうんざりした声を出した。


レオヴァンの怪我は、普通なら横になっていなければならない状態だが、セレスティアの治癒魔法で怪我だけは治っていた。


ただしセレスティアの治癒魔法は怪我は治せても痛みは残る。


そんな痛みを感じているとは思えないほど、本人は平然と座っていた。


もっとも、顔色はあまり良くない。


「あの場合、仕方ねぇだろ」


セレスティアは答えない。


「俺がああ言わなきゃ、二人とも死んでたんだぜ」


それは正しい。


セレスティアも分かっている。


分かっているから、腹が立つ。


レオヴァンではない。


降伏の言葉を相棒に吐かせ、自分は何もできなかった。その無力さが、喉の奥に錆びた針のように残っている。


結局、セレスティアは、そのやり場のない怒りをレオヴァンへぶつけるしかなかった。


「犯人は分かったんだから、探偵としての仕事なら最低限のノルマはこなしただろ」


レオヴァンは投げやりに言う。


「それで良いじゃねぇか」


「私は探偵じゃない」


セレスティアは低い声で返した。


「勇者だ」


「なら、なおさらだ」


レオヴァンは額を押さえる。


「正義の味方が悪党に負けるなんて、あっちゃいけないだろうが」


「生きてるだけ奇跡に近いんだよ」


「殺されても文句を言えた義理じゃねぇ。残念ながら、力比べは完敗だ」


「ぐっ……」


セレスティアの喉から、変な声が漏れた。


正論だった。


腹立たしいほど、正論だった。


「奴らとやるなら、もっと強くならなきゃな」


レオヴァンは窓の外を見やる。


「今のままなら何回やっても負ける。アウグストゥスも化け物だが、それ以上にあのメイドが問題だ。あいつをどうにかしねぇ限り、本丸に届かねぇ」


「分かっている」


「分かってねぇ顔してるから言ってんだよ。大体お前――」


言いかけて、レオヴァンは気づいた。


セレスティアの目が潤んでいる。


怒っている顔のまま、泣く寸前だった。


レオヴァンの口が止まる。


「……分かったよ。俺が悪かった」


途端に声が弱くなる。


「泣くなよ。面倒くせぇ」


「泣いてない」


セレスティアは即答した。


だが、声が震えていた。


「今度奴らとやる時は、誰か助っ人を呼ぼう」


レオヴァンは雑に話を畳もうとする。


「悪魔を祓える奴。アウグストゥスの術式を見抜ける奴。あと、お前が突っ込む前に首根っこ掴んで止められる奴だな」


「余計な一人を混ぜるな」


「混ぜなきゃ死ぬだろ」


「死なない」


「この前死にかけただろうが」


その瞬間、セレスティアの目から涙がこぼれた。


一粒落ちたら、もう止まらなかった。


「うぅ……あぁ゙ぁ゙ぁ゙……ぐっ、ううう……ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙……」


嗚咽というには低く、獣の唸りに近い泣き方だった。


綺麗な涙ではない。


悔しさと怒りと惨めさが、喉の奥で団子になって漏れている。


「だから泣くなって」


レオヴァンは慌てて懐を探り、ハンカチを差し出した。


「ほら、使え。洗えば落ちる。たぶん」


セレスティアはハンカチを見ない。


代わりに、レオヴァンの懐へ身を乗り出してきた。


「おい、何だよ」


困惑するレオヴァンを無視して、セレスティアは彼のシャツに顔を押しつける。


そして鼻をかんだ。


「ブシュビーーッ、ズビビビビ!」


「おまっ! 馬鹿! 何やってんだ!」


レオヴァンの悲鳴が馬車の中に響いた。


セレスティアは顔を上げ、涙目のまま鼻をすすった。


「ふん。私の意見を聞かず、勝手に降伏した罰だ」


「だからあれは降伏じゃなくて方便だって言っただろうが!」


「私のシャツではないから問題ない」


「俺のシャツの話してんだよ!」


馬車は揺れる。


外では草原が流れていく。


負け犬二人を乗せた馬車は、怒声と鼻声を響かせながら、それでも次の戦場へ向かって進んでいた。



同じ頃。


アウグストゥスたちもまた、ザレイドを離れていた。


セレスティアたちと決闘した夜、そのまま街を出た。屋敷へは戻らない。地下研究室も、社交界の足場も、ザレイドに築いた信用は、ひとまず捨てた。


目的地は、沿岸国家クルルシュ。


港を持つ国だ。


そこから船に乗り、新大陸へ渡る。


馬車は街道をゆっくり進んでいた。


車輪が小石を踏むたびに、小さく軋む音がする。窓の外には低い丘陵と、ところどころに残る秋草。ザレイドの焼け跡から離れるほど、空気の焦げ臭さは薄れていった。


「もう馬車は飽きたのです」


ギルエルが座席の上でだらしなく伸びていた。


白い羽根が、窓から入る風でふわふわ揺れている。


「空を飛びましょう。その方が早いです」


「うるさいですね、この鶏娘は」


御者台から、アエーシュモーの声が返ってきた。


馬を操る手綱さばきは正確で、声色は平坦。無表情という表情を顔に貼りつけたまま、いつも通りギルエルを刺す。


「お昼のおかずに、カラッと揚げられたいのですか?」


「んっま! 誰が鶏ですか!」


ギルエルは跳ね起きた。


煽り耐性というものを、どこかの森で落としてきた生き物である。


「コウモリ女に言われたくなどありません!」


「私は少なくとも、卵は産みません」


「産みません! 私だって産みません! たぶん!」


「今、たぶんと言いましたね」


「言ってないのです!」


二人のやりとりを聞いて、ルーシュが小さく笑った。


くすくすと、控えめな笑い声だった。


まだ顔色は悪い。


目の下にも薄い隈が残っている。


だが、廃教会で崩れ落ちていた時よりは、呼吸が落ち着いていた。


アウグストゥスは、向かいの席から三人を見ていた。


笑っているルーシュ。


騒ぐギルエル。


毒を吐くアエーシュモー。


平穏に見える。


だが、平穏とは油断の別名だ。


アウグストゥスは、頭の中で次の盤面を組んでいた。


勇者は、しばらく大人しくするだろう。


彼我の差は見せた。


アエーシュモーを攻略しなければ、本質的に自分へ届かないことも理解したはずだ。


必要なのは、悪魔王を祓える級のエクソシスト。


あるいは、竜族か巨人族の協力。


だが、あのプライドの高い種族どもが、人間の勇者に都合よく手を貸すとは思えない。半端な戦力を集めたところで、死体の山が増えるだけだということも、レオヴァンなら理解しているはずだ。


しばらくは安全だろう。


しばらくは。


その言葉の薄さを、アウグストゥス自身が一番よく知っていた。


彼はふと、ルーシュの視線に気づいた。


「どうしたのかね?」


アウグストゥスは、柔らかな笑顔を貼りつける。


老紳士の顔。


安心させるための仮面。


ルーシュは少し迷ってから、口を開いた。


「義父様こそ、どうかされたの?」


「ずっと黙っていたけれど……勇者様のこと?」


不安そうな目だった。


自分のせいでまた誰かが死ぬのではないか。


自分のせいでまたアウグストゥスが罪を重ねるのではないか。


言葉にならない怯えが、薄桃色の瞳の奥に残っている。


アウグストゥスは即座に否定した。


「いや。新大陸への道順を、頭の中で確認していただけだ」


嘘ではない。


ただし、全部ではない。


「ああ、そうだ。クルルシュには魚の名物料理があるらしいのだが、何と言ったかな?」


自分の舌では、もう確かめられない味。


だが、話題としては使える。


「アエーシュモー、知っているか?」


アウグストゥスは御者台へ声をかけた。


「さて。私は存じませんが、クルルシュに着いたら調べておきましょう」


「では頼んだ」


そのやりとりに、ギルエルが勢いよく割って入った。


「フッフッフ!」


胸を張る。


羽根も広がる。


「なぜ旦那様は、この私に聞かないのですか?」


アウグストゥスは目を細める。


「知っているのかね?」


「当然なのです!」


ギルエルは満面のドヤ顔で言った。


「その料理の名は、しょっつる鍋です!」


一瞬、馬車の中が静かになった。


「その昔、稀人(まれびと)がクルルシュに伝えた料理だそうです。魚を発酵させた調味料を使う、由緒ある鍋料理なのです」


まさかの人物が、まさかの知識を披露した。


ギルエルは愉悦に浸っている。


「どうですか、どうですか。私をただの美しい羽毛の塊だと思っていた者どもよ。ひれ伏すがいいのです」


「すごいわ、ギルエル」


ルーシュが素直に褒める。


「そんなことまで知っているのね」


「ふふん。私は高貴なる知識人なのです」


「食べ物の話だけ妙に詳しいですね」


アエーシュモーが御者台から冷たく刺す。


「本能で覚えているのでは?」


「違います! 教養です!」


「食欲を教養と呼ぶ種族は初めて見ました」


「コウモリ女は黙るのです!」


馬車の中が、少しだけ賑わう。


ルーシュもまた、小さく笑った。


それを見て、アウグストゥスは再び思考の渦へ沈む。


勇者は、やはりあの場で殺しておくべきだったか。


いや、駄目だ。


あの二人を殺したところで、追ってくる対象が勇者ギルド全体に変わるだけだ。今のほうがまだ読みやすい。セレスティアは正面から来る。レオヴァンは横から崩してくる。危険だが、性質は見えた。


見えない敵よりは、見えている敵のほうが扱いやすい。


ならば、あの二人には生きていてもらったほうが都合がいい。


今のところは。


「義父様?」


ルーシュが、またこちらを見る。


アウグストゥスは思考を切り上げた。


「いや、しょっつる鍋とやらに興味が湧いてね」


「義父様、お魚は好き?」


「好きかどうかは、これから確認するとしよう」


味覚を失った男は、穏やかに笑った。


ギルエルがまた騒ぎ、アエーシュモーが冷たく返し、ルーシュがそれを見て笑う。


馬車は、沿岸国家クルルシュへ向かって進む。


ザレイドでの事件は終わった。


少なくとも、表向きは。


だが、アウグストゥスの計算表にはまだ載っていない未来がある。


クルルシュの港で待っている、もう一つの死体。


そして彼はそこで、望んでもいない犯罪の解決に付き合わされることになる。


第一部 完


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ぶっちゃけ一部は全部、前振りでしかない。

ここからアウグストゥスが探偵役の倒叙サスペンスが、始まっていくわけですが二部の更新(カクヨムでは先行公開されています)は暫くお休みします。


と言うわけで一旦は最終回を迎えさせていただきます。

ここまでお付き合いありがとうございました。


話が溜まり次第、再開させていただきます。


お疲れさまでした。


諏訪富二一

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