ルーシュとの出会い
アウグストゥスは、セレスティアの目を見た。
(ふむ……単純に裁きたいわけでもなさそうだな)
迷いがある。
自分に対してではない。おそらく、ルーシュと自分の関係に対してだ。
ならば、そこを抉る。
「分かった」
アウグストゥスは静かに話し始めた。
「あれは五年前のことだ。この国より東の隣国、ナサレイトの田舎にある迷いの森へ出向いた時のことだ」
「迷いの森を知っているか?」
「ああ」
セレスティアは短く答える。
「その昔、魔女狩りから逃れるために、魔女が森に結界を張ったという話だろう。その森に入った者は、生きては出られないとも聞く」
「では、あの娘がその魔女だとでも言う気か?」
「慌てるな。ルーシュは、その森の近くにあった村の領主の娘だ」
アウグストゥスの視線が、わずかにルーシュへ向いた。
「三十年ほど前のある日、村の子供が迷いの森に入って出てこられなくなった。ルーシュはその子を見つけ、村へ連れ戻した」
ルーシュの肩が、小さく震えた。
「だが、その代償に影の茨に寄生された。あの茨はルーシュの怒りの感情に反応する。ほんの些細な親子喧嘩で茨は両親を敵と判断し殺し、事件に気づいた村の一部の人間も殺した、ルーシュは村を追われた。以後、迷いの森で暮らすようになった」
セレスティアは黙って聞いている。
「森の魔女の秘術に興味があった俺は、迷いの森を調べに入った。だが、俺も森を彷徨うはめになった。そこで出口まで案内してくれたのがルーシュだ」
「それが、俺とこの娘の始まりだ」
アウグストゥスは、息を置いた。
「ルーシュといるのは、その礼だ。俺の錬金術で彼女の魂に深く寄生する茨を除去する約束をしている」
「理解できたか、勇者?」
老人の声は落ち着いていた。
落ち着きすぎていた。
「お前が殺そうとしているのは、本質的にはただの少女だ」
「かわいそうな目に遭って、心を壊してしまった。ただの少女だ」
聞くべきではなかった。
セレスティアの喉の奥が、苦くなる。
ルーシュの証言も。
この男の証言も。
悪と断じるには、邪さが足りない。
だが、起こした事件の被害を考えれば、許せるわけがない。
四十二人。
西区の炎。
街を半壊させた混乱。
その中心に、この二人がいる。
同情してしまえば、死者を裏切る。
セレスティアは決意が揺らがないよう、わざと強い声で問い詰めた。
「それで、貴様はどうする気だ」
「どうとは?」
「その娘をどうするつもりかと聞いている」
「このまま治療を続けるだけだ」
アウグストゥスは平然と言った。
「だが、俺が言いたいのは、この場で悪を探すなら俺だけだということだ」
「ルーシュの茨の特性を知っておきながら、彼女を人里に連れていき、結果としてここまで犠牲者を出した。突き詰めれば、すべて俺の判断に起因する」
老人の声に、悔恨は薄い。
だが、責任を引き受ける響きだけはあった。
それが本心か、演技か。
セレスティアには、まだ見抜けない。
「裁きたければ、勇者よ」
アウグストゥスは言った。
「俺を裁け」
話しながら、アウグストゥスはセレスティアの心の動きを観察していた。
(邪悪な殺人鬼を予想していて、当てが外れたか)
(動揺が見える)
(だが俺に対する憎悪は消えていない。まあ、当然だ。街を半壊させたのは間違いなく俺だからな)
自分に関しては情状酌量の余地がない。
だからこそ、そこへ怒りを集める。
最低限、必要なのはルーシュを勇者の制裁対象から外すこと。
そのためなら、自分を悪に仕立てる程度は安かった。
遠くから、また爆音が届いた。
アウグストゥスはそれを無視し、あえて話題を変える。
「そういえば、なぜ俺がまだ屋敷に潜伏していると分かった?」
「東門を探しに行くと言っていたようだが」
セレスティアは訝しげに眉を寄せる。
「何となくだ」
「何となく?」
「貴様の性格上、一番普通の人間が選びそうにない選択をすると思った」
セレスティアは剣先を向けたまま続ける。
「普通の人間なら、逃げる余裕があるなら、最も居心地の悪い屋敷から離れて遠くへ行きたがる。だが、貴様はそこまで読むと思った。だから、逆に屋敷に残る公算が高いと踏んだ」
アウグストゥスは黙って聞いている。
「東門に行くと言ったのは、どこかで貴様が聞いている可能性があったからだ。油断させるために、あえて口に出した」
セレスティアの瞳が細くなる。
「ただ、一つ驚いたことがある」
「何だ」
「ルーシュ嬢を屋敷の中で簡単に発見できたことだ」
セレスティアはルーシュを一瞥した。
「三、四日はどこかに隠れ続けていると思っていた。まさか、あんなに早く出てくるとはな」
アウグストゥスの胸中で、冷たいものが沈む。
東門。
確かに、あの発言には違和感があった。
セレスティアの言う通りだ。ルーシュが頼まなければ、一週間まるまる地下に籠もるつもりだった。だが、ルーシュに甘すぎた。
油断したつもりはない。
だが、見下していた。
勇者を。
この街を。
世界を。
そしてルーシュが関わると、判断が甘くなる。
今回は、そこを突かれた。
(今後は気をつけるべきだな)
アウグストゥスはその失敗を、感情ではなく情報として処理した。
同時に、セレスティアへの観察を続ける。
(記憶を引用させれば、冷静さを引き出せると踏んで話を振ったが……)
人は冷静でなければ、記憶を正確には掘り返せない。
狙い通り、セレスティアは多少冷静になった。
だが、警戒心は落ちていない。
三度目の爆音が、ザレイドの夜に鳴り響いた。
瓦礫のどこかで、建物がさらに崩れる音が続く。
(残念ながら、時間切れか)
ここまで派手に戦えば、もうじき治安局が来る。
勇者の説得は諦める。
決着をつける。
その瞬間、アウグストゥスの目つきが変わった。
先ほどまでの老紳士の皮が、内側から裂ける。剣を握る手は静かなままなのに、空気だけが重くなった。獲物を前にした猛獣の気配が、廃教会の床を這う。
セレスティアは一瞬、息を詰めた。
(これが、この男の本気か)
だが、退かない。
退けば、この男は逃げる。
ルーシュも消える。
四十二人の死は、闇へ沈む。
セレスティアはフロストグレイスを構え直した。
「無駄だと思うが、最後に一度だけ交渉したい」
アウグストゥスが最後通告を口にする。
「聞く気はないが、聞くだけ聞いてやる。言ってみろ」
セレスティアの声は固い。
「ルーシュの殺人衝動は、俺が最小限に抑える」
アウグストゥスは続けた。
「犠牲者の数は、可能な限り増やさないことをここで誓ってやる」
セレスティアの表情が動いた。
「だから俺たちを見逃せ。そして追うな」
「誰にも俺たちのことを話さないなら、この場でお前を殺すのはやめてやる」
「どうだ?」
予想通りの提案だった。
そして、最悪の言葉だった。
セレスティアは少しだけ安堵した。
この男は、やはり悪だ。
犠牲者を出さない、ではない。
最小限に抑える、と言った。
つまり、また誰かが死ぬことを前提にしている。
その一言が、迷いを焼き切った。
セレスティアの顔に、自然と笑みが浮かぶ。
冷たく、鋭い笑みだった。
「断る!」
円剣が月光を受ける。
「私こそは、氷刻の冷姫セレスティア・ヴァレンティア!」
「世界を護ると誓った女だ!」
「ここで貴様を見逃す気はない!」
セレスティアが、唐突に距離を詰めた。
不意打ちに近い踏み込み。
だが、アウグストゥスは読んでいた。
刃を軽くいなす。
セレスティアは構わず追撃に移り、そのまま詠唱へ入った。
「世界よ、世界!」
円剣が唸る。
「この世で一番美しいのは誰か、応えよ!」
セレスティアの持つ魔法の中で、最大威力を誇る術式。
「それは貴方!」
袈裟斬りがアウグストゥスを襲う。
老人は難なく躱す。
「世界よ、世界! この世で最も尊ばれるべき者は誰か!」
セレスティアは、避けられることも織り込み済みで斬り込んでいた。
斬撃は詠唱の拍子。
踏み込みは距離を測るための針。
「それは貴女!」
一瞬、アウグストゥスとセレスティアの間に距離ができる。
剣では届かない。
だが、魔法なら届く。
セレスティアはその一瞬に、全てを合わせた。
「世界よ止まれ!」
氷の魔力が、礼拝堂の空気を刺す。
「お前は美しい!」
「――聖氷翼輝光輪穿!」
極寒が爆ぜた。
廃教会の床、壁、祭壇、割れたステンドグラス。全てが一瞬で白く染まる。空気中祭壇、割れたステンドグラス。全てが一瞬で白く染まる。空気中の水分が凍り、銀の粒が夜の中に散った。
継戦など考えていない。
小技で削れば、実力差に呑まれる。
ならば、最初から最大火力で叩き潰す。
それがセレスティアの判断だった。
アウグストゥスの身体にも霜が走る。
白い氷が礼服を覆い、腕を固め、頬を飲み込んでいく。老人の姿は、銀世界の中で少しずつ見えなくなった。
だが、そのさなかでも、アウグストゥスの目はルーシュを見ていた。
ルーシュの周囲だけ、霜が降りていない。
凍気は少女を避けている。
(この女、ルーシュに危害を加える気はないらしい)
確認は済んだ。
顔の八割を氷に覆われながら、わずかに動く目だけをセレスティアへ向ける。
アウグストゥスの唇は動かない。
それでも、口の中で何かを呟いた。
「――――――」
セレスティアには聞こえない。
魔力が動いた気配もない。
だが次の瞬間。
バキン、と硬質な音が鳴った。
アウグストゥスを覆っていた氷が内側から砕ける。
同時に、彼の周囲だけ霜が一瞬で蒸発した。
白い冷気が、老人の足元から逃げるように散っていく。
セレスティアの目が見開かれる。
魔法を破った。
それも、魔力の奔流ではない。
力押しではない。
何か別の理屈で、術式そのものを殺した。
だが、驚く余裕はなかった。
込められるだけの魔力を叩き込んだ反動で、セレスティアの足から力が抜ける。膝が沈み、フロストグレイスを杖のように突いて、どうにか倒れるのをこらえた。
「くっ……」
魔力切れを起こしかけている勇者。
大した疲労も見せない老人。
勝負は、明白に傾いていた。
アウグストゥスは砕けた氷の欠片を踏み、ゆっくりと前へ出る。
その背後で、ルーシュが小さく息を呑んだ。
老人は勇者を見下ろす。
そして、淡々と告げた。
「悪くない判断だった」
純粋に誉め言葉だった。
「だが、足りない」
廃教会の外で、また爆音が轟いた。
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