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サイコパス男爵とシリアルキラー姫~42人殺した娘を、父は今日も隠し続ける~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
第一部

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今やるべきこと

月光の淡い光が、セレスティアとルーシュを闇の中から浮かび上がらせていた。


廃墟と化した教会の礼拝堂の床は冷えている。


割れたステンドグラスから吹き込む風が、埃と古い祈りの匂いをかき混ぜていた。祭壇は崩れ、長椅子は傾き、神の名を刻んだ石板は半分ほど砕けている。


その中央で、ルーシュは膝をついていた。


「…………」


少女は答えない。


唇を噛み、再び目を閉じる。


「ごめんなさい」


それだけだった。


セレスティアの指が、剣の柄を白く握り込む。


目の前の少女は弱い。


今にも壊れそうだ。


だが、壊れそうな者が人を殺さない保証など、どこにもない。むしろ壊れたからこそ、四十二人が死んだ。


裁かなければならない。


誰かが。


今ここで。


「その罪――命で償え!」


剣が振り上げられた。


月光が刃に走る。


ルーシュは逃げない。抵抗しない。黒茨すら、奇妙なほど静まり返っていた。


少女はただ目を閉じ、死を受け入れている。


そして、剣が振り下ろされた。


その瞬間だった。


「待て」


低い男の声。


直後、金属が噛み合う轟音が廃礼拝堂を震わせた。


ガキィィィィィン!!


火花が散る。


振り下ろされた刃は、ルーシュへ届いていない。


一本の刀が、その軌道を受け止めていた。


異世界から召喚された稀人まれびとたちが伝えたという、片刃の剣。


その柄を握る人物を見た瞬間、セレスティアの目が見開かれた。


「ヴァーミリオン……!」


そこに立っていたのは、一人の老人だった。


白髪。


長身。


モノクル。


仕立ての良い礼服。


老齢であるにもかかわらず、その立ち姿に衰えはない。むしろ、枯れた樹の奥に毒が通っている。静かで、硬く、近づけば裂かれると本能が告げる危険があった。


アウグストゥス・ヴァーミリオンは、薄く笑うでもなく、怒鳴るでもなく、処刑場に間に合った男の目で勇者を見ていた。


「レオヴァンはどうした!」


セレスティアの問いに、老人は淡々と答える。


「ライオンの獣人のことか」


声に感情はない。


「あの男なら、俺のメイドが相手をしている」


そして一歩前へ出た。


ルーシュを庇う位置へ。


「だが、そんなことはどうでもいい」


老人は静かに言う。


「剣を引け、勇者」


「お前が殺そうとしているその少女は、悪人ではない」


「この場で裁かれるべきは、俺一人だ」


セレスティアの瞳に憎悪が宿った。


憎まなければ、この娘を斬れない。


怒りに火をくべなければ、剣を振り下ろせない。


「ふざけるな!」


怒声が礼拝堂に跳ねた。


「その娘が何をしたか、知っているだろう!」


「ああ」


「なら、なぜ庇う!」


ルーシュの罪を責めていなければ、正しさの側に立っていられない。セレスティアは、アウグストゥスではなく、自分の揺らぎを斬るように叫んでいた。


老人は答えた。


迷いなく。


「俺の娘だからだ」


ルーシュが目を見開く。


セレスティアも一瞬、言葉を失った。


その一瞬を、勇者は怒りで踏み潰した。


「ならば、その娘を殺し!」


地面を蹴る。


「その後で貴様も殺す!」


爆発的な速度だった。


セレスティアは一瞬で距離を詰める。円剣の軌道が月光を裂き、アウグストゥスの刀を弾く。


勝負は決した。


そう見えた。


だが、老人は最初から隙を晒していたわけではない。


誘っていた。


セレスティアの踏み込み。剣筋。怒りで狭くなった視界。ルーシュを斬ると宣言した瞬間に生まれる、ほんのわずかな直線。


そのすべてを、アウグストゥスは待っていた。


勇者の腕を掴む。


「なっ――」


次の瞬間、セレスティアの身体が宙を舞った。


轟音。


石床が砕ける。


勇者は礼拝堂の床へ叩きつけられていた。


「がはっ!」


肺の空気が吐き出される。


剣を離さなかったのは、さすがと言うべきか。叩きつけられながらも、セレスティアの指は氷刻の円剣を握っていた。


アウグストゥスは感情のない目で勇者を見下ろす。


それから、背後を振り返った。


そこにはルーシュがいた。


血塗れの連続殺人犯。


誰より孤独だった義理の娘。


薄桃色の髪が、床にこぼれている。目は大きく開かれたまま、声は出ない。助かったのか、まだ殺されるのか、それすら理解できていない顔だった。


アウグストゥスは静かに目を閉じる。


どこで間違えた。


何が足りなかった。


どこで狂った。


答えは出ない。


だが、一つだけ確かなことがある。


全ての始まりは――一人の少年を屋敷へ招き入れた日だった。


二か月ほど前。


ロバート・デーンという、配達の少年。


だが今は、感傷に浸っている場合ではない。


まず、ルーシュの安全を確保する。


アウグストゥスは床に叩きつけられ、なお立ち上がろうとする勇者を見た。


殺すのは簡単だ。


だが、勇者を殺せば、勇者ギルドが本格的に動く。街も、王国も、今より面倒な形でこちらへ目を向ける。ここで潰すより、心を折って引かせるほうが安全だとアウグストゥスは判断した。


「見ての通りだ、小娘」


アウグストゥスは静かに言った。


「お前と俺では、圧倒的な差がある」


「獣人とアエーシュモーもそうだ」


セレスティアの眉が動く。


「アエーシュモー。あの女は、稀人が広めた星十字教会で言うところの悪魔王の一人――アスモデウスだ」


老人は、刃ではなく事実を突きつけた。


「貴様らでは勝てん」


戦力差を誇示する。


逃走ではなく、支配の宣告。


だが、床に伏せていたセレスティアの目が、カッと見開かれた。


「それがどうした!」


寝たままの姿勢で、セレスティアは氷刻の円剣を振るった。


刃がアウグストゥスの足首を狙う。


ヒュン、と鋭い風切り音。


だが刃は空を切った。


セレスティアの殺気に反応し、アウグストゥスはすでに後ろへ跳んでいる。


「お前たちが私より強いことなど、百も承知だ」


セレスティアは剣を支えに身を起こした。


息は荒い。だが、目は死んでいない。


戦力の増強を待っていては、アウグストゥスに逃げられる。それは最初から分かっていた。だからルーシュを人質に取り、アウグストゥスに投降を迫るつもりだった。


ところが、ルーシュの告白が計算を狂わせた。


四十二人を殺したのは、アウグストゥスではなくルーシュ。


その事実に困惑し。


その一瞬で、アウグストゥスの接近を許した。


失策だ。


だが、まだ終わっていない。


セレスティアは立ち上がり、再び剣を構える。


アウグストゥスはその動きを観察していた。


(分かりきってはいたが、やはり戦力差を見せただけでは折れんか)


勇者という肩書は伊達ではない。


普通の人間なら、悪魔王の名を聞いた時点で腰が抜ける。だが、この女は怯えるより先に刃を握る。面倒な相手だ。


脅しには屈さないと確認したアウグストゥスは、別の揺さぶりを考える。


遠くで爆音が響いた。


レオヴァンとアエーシュモーの戦いが始まっている。


時間はない。


アウグストゥスは声の温度を少しだけ下げ、次の手に移った。


「まあ、待て、勇者よ」


「俺には、お前と殺し合う理由がない」


「だが、それで見逃してもらえるとも思っていない」


「だからせめて、事の経緯を説明させてくれ」


軟化の姿勢。


もちろん嘘だ。


セレスティアも、その程度は分かっている。


だが気になっていた。冷血漢、それがセレスティアの評価だったが貴族たちの話では、この男はルーシュに対してだけ妙な情を見せるという。アウグストゥスほどの男が、ただの駒にここまで踏み込むか。ルーシュの告白を聞いた今、その関係性には興味があった。


「話してみろ」


セレスティアは剣先を下げない。


「手短にだ」


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