三択
レオヴァンの声から、軽さが消えていた。
「何だ。どうした」
『簡単に言うぞ』
『この馬車にヴァーミリオンはいなかった』
「外れか」
『ああ。だが、別のものが出た』
「別のもの?」
『ヴァーミリオンにエンバーミング用の薬を売っていた闇業者だ』
セレスティアの足が止まった。
廊下の喧騒が、遠くなる。
「何だと」
「なぜ、そんな者がそこにいる」
『俺が聞きてぇよ』
レオヴァンが吐き捨てる。
『捕まえたら、勝手にゲロり始めた』
『いや、ゲロったってより、言わされてる』
『精神操作だな、こりゃ』
「聞かせろ」
『その方が早ぇ』
通信の向こうで、何かが擦れる音がした。
レオヴァンが通信具を、馬車の御者へ向けたのだろう。
次に聞こえてきた声は、ひどく平板だった。
感情がない。
台本を読まされている人形の声だった。
『この男は、私にエンバーミングに使う薬を卸していた闇業者です』
『繰り返します』
『この男は、私にエンバーミングに使う薬を卸していた闇業者です』
『これは嘘ではありません』
『他の馬車も同様です』
『全ての馬車に、エンバーミングに使った薬の取引記録を分散して持たせてあります』
セレスティアの指が、通信具を握り込む。
平板な声は続いた。
『ああ、勘違いしていただいては困るのですが、私は別に罪を認めたわけではありません』
『ただ、勇者殿が私を犯人だと疑って調べていることは知っておりました』
『そのうち無実の罪で捕まるのではないかと恐ろしくなり、私は家族と共に行方を眩ませることにしました』
『できれば、このまま私たち家族を追わないでください』
『エンバーミングの薬の件を、今まで黙っていたことは謝罪いたします』
『ですが、突然犯人のように扱われた人間が、“私はエンバーミングに詳しいです”などと自ら申し出られると思いますか』
『黙っていたのは、保身からです』
『ですが罪ではありません』
『その点については、深くお詫び申し上げ――』
そこで、レオヴァンの声が割り込んだ。
『こんな感じで、まだダラダラ言い訳が続く』
『ただ、御者の懐に忍ばせてあった薬の取引記録は本物だ』
『少なくとも俺の鼻じゃ、紙もインクも新しすぎねぇ』
『偽造だとしても、かなり手が込んでる』
『どうする? 集めるか?』
『証拠にはなると思うぜ』
セレスティアは、喉の奥で音を鳴らした。
「くっ……」
やられた。
空の馬車なら捨てられた。
囮だと断じて、屋敷に集中できた。
だが、証拠が出てきた。
それも本物に近い証拠が。
追いたくなる。
押さえたくなる。
集めたくなる。
アウグストゥスに罪を認めさせるには、証拠がいる。
その証拠が、目の前にぶら下げられている。
罠だ。
明らかな罠だ。
だが、餌は本物だった。
「くぅぅぅぅぅっ……!」
悔しさで喉が震えた。
簡単に踊らされている。
分かっている。
分かっていても、足が動きかける。
セレスティアは目を伏せ、必死に思考を組み替えた。
(アウグストゥスの狙いは何だ)
いや。
それは分かりきっている。
馬車を追わせる。
人手を割かせる。
監視の目を散らす。
こちらで動かせる人間が少ないことを理解した上で、選択肢を増やし、判断を遅らせる。
ならば、ほぼ確実に全ての馬車はフェイクだ。
だが、ほぼであって絶対ではない。
もし本当に、どれか一台に潜んでいたら。
追わなければ、そのまま逃げられる。
しかし、仮にアウグストゥスが馬車に潜んでいたとして、運悪く自分の乗る馬車を引き当てられた場合、どうする気だったのか。
レオヴァン一人なら、撒ける自信があるのか。
あるだろう。
だが、それでも余計な戦闘や接触の危険が増える。
あの男は、派手な狂気を演出しても、本筋では無駄な賭けを嫌う。
大胆に見える時ほど、退路を二つ三つ残す。
(なら、馬車は全てフェイク)
(どの馬車を選ばれても、自分は見つからない)
(その上で、追う価値だけは持たせた)
(闇業者)
(取引記録)
(エンバーミングの薬)
(無視できない餌)
最悪だった。
全く価値のない馬車なら、追わない判断もできる。
だが、証拠を載せていれば話が変わる。
追えば時間を奪われる。
追わなければ証拠を失う。
どちらを選んでも損をするように作られている。
「……いい性格をしている」
セレスティアは低く吐き捨てた。
そして決めた。
『レオヴァン』
『他の馬車を追え』
『証拠をかき集めろ』
『そっちに戻らなくていいんだな』
レオヴァンが確認する。
『ああ』
『こちらは私が何とかする』
『ヒューイにもそう伝えてくれ』
『了解だ、ボス子』
「ボス子?」
思わず聞き返した時には、通信は切れていた。
奇妙な軽口だった。
だが、その間抜けさが、張り詰めていた思考に小さな隙間を作った。
セレスティアは短く息を吐く。
「……まあ、いい」
今、集中すべきことは何か。
ヴァーミリオンを探すこと。
それ以外にない。
(事を起こした以上、後には引けない)
(この会場にそのまま潜伏している可能性は低い)
(闇業者にも“逃げる”と言わせている)
(すでに逃げた後か)
彼女は廊下を抜け、裏口へ向かった。
途中、給仕が驚いて道を空ける。
貴族の女が何か声をかけたが、無視した。
(私の精神感応なら――)
(いや、無駄か)
(深淵の魔法で情報は消されているはず)
アウグストゥスは、自分の接触痕を読まれることを警戒している。
以前、触れた時も情報はほとんど掴めなかった。
証拠品に残された残留思念も、同じように塗り潰されている可能性が高い。
だが、それでも見る価値はある。
消し忘れ。
薄い残滓。
別の者の記憶。
完璧な隠蔽ほど、わずかな綻びが命取りになる。
裏口には、降ろされた食材が積まれていた。
樽。
野菜籠。
肉の箱。
麦粉の袋。
それから、開けられたばかりの木箱。
セレスティアは木箱に手を触れ、目を閉じた。
残留思念を探る。
暗い。
深い。
黒い。
情報の糸が、泥の中に沈められている。
やはり、深淵の魔法だ。
触れた者の姿も、運んだ者の記憶も、途中で黒く塗り潰される。
(分かっていたことだ)
(当てにはしていない)
セレスティアは手を離した。
大事なのは、ここからだ。
アウグストゥスなら、どこを選ぶ。
馬車。
屋敷。
群衆。
この三択ではない。
もっと狭めろ。
もっと削れ。
あの男の性格で考えろ。
傲慢。
自尊心が高い。
他者を見下している。
しかし、その素振りをほとんど見せずに、善良な老紳士を装える慎重さがある。
頭の回転も速い。
そして、自惚れを成立させるだけの能力がある。
だから厄介だった。
ただし、完璧ではない。
能力の高さが、自分への信頼に変わる。
自分なら対処できる。
自分なら誤魔化せる。
自分なら、触れられても逃げ切れる。
その慢心が、時折リスクを軽視させる。
セレスティアの脳裏に、最初に会った時のことが浮かんだ。
アウグストゥスは、彼女に触れた。
サイコメトリーの使い手かもしれない相手に。
深淵の魔法で対策していたとはいえ、触れる必要などなかった。
それでも触れた。
なぜか。
対処できる自信があったからだ。
つまりあの男は、絶対に安全な手だけを選ぶ臆病者ではない。
自分の技量で制御できると見れば、危険な道も歩く。
(なら、もう一度考えろ)
(一、馬車のどれかに隠れている)
(二、屋敷の中にまだ身を潜めている)
(三、群衆に紛れてすでに別の場所へ移動している)
一の可能性は中度。
ギャンブル性が高い。
当たりを引かれれば面倒だ。
だが、レオヴァンやヒューイを引き離すには有効。
実際には証拠を載せた囮と見る方が自然だ。
二の可能性は低度。
屋敷内に残るのは消極的すぎる。
見つかれば終わりだ。
ただし、全員が馬車を追うと読んで残る手もある。
あの男なら、それを選ぶ度胸もある。
三の可能性が現状では最も高い。
屋敷前に群衆を集めた理由として最も自然だ。
市民、芸人、治安官、臨時雇い、貴族の従者。
人が多ければ多いほど、見失いやすい。
だが、そこで終わりではない。
群衆に紛れて、どこへ向かう。
西区は焼けている。
北門は復興資材の検問が厳しい。
南門は商人ギルドの物資輸送で混でいる。
検閲に時間を取られて足止めを食らう可能性がある。
——東門。
セレスティアの目が開いた。
セレスティアは通信具に触れた。
「私だ」
『何だよ。他の馬車ならまだ追いついてねぇぞ』
レオヴァンの声が荒い。
走っているのだろう。
風切り音が混じっていた。
「そうじゃない」
「ヴァーミリオンがどこに居るか、分かったかもしれん」
『あん?』
「私は東門へ向かう」
『東門? 何でだ』
「事情は後で話す」
『おい、また一人で――』
セレスティアは一方的に通信を切った。
そして、裏口から外へ出る。
昼の光が眩しい。
屋敷の前ではまだ乱闘が続いている。
門の外では市民が怒鳴り、治安官が笛を鳴らし、皿が割れ、芸人が逃げ惑っていた。
その混乱を背に、セレスティアは走り出す。
確信ではない。
証拠もない。
ただの直感だった。
アウグストゥスという男の傲慢さを。
慎重さを。
人を駒として並べる癖を。
そして、自分だけは盤面の外にいると思い込む悪癖を。
それら全てを加味した上での直感。
「逃がさん」
低く呟く。
金髪が風に流れた。
背後のヴァーミリオン邸では、まだ午餐会の音楽が鳴っていた。
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