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サイコパス男爵とシリアルキラー姫~42人殺した娘を、父は今日も隠し続ける~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
第一部

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三択

レオヴァンの声から、軽さが消えていた。


「何だ。どうした」


『簡単に言うぞ』


『この馬車にヴァーミリオンはいなかった』


「外れか」


『ああ。だが、別のものが出た』


「別のもの?」


『ヴァーミリオンにエンバーミング用の薬を売っていた闇業者だ』


セレスティアの足が止まった。


廊下の喧騒が、遠くなる。


「何だと」


「なぜ、そんな者がそこにいる」


『俺が聞きてぇよ』


レオヴァンが吐き捨てる。


『捕まえたら、勝手にゲロり始めた』


『いや、ゲロったってより、言わされてる』


『精神操作だな、こりゃ』


「聞かせろ」


『その方が早ぇ』


通信の向こうで、何かが擦れる音がした。


レオヴァンが通信具を、馬車の御者へ向けたのだろう。


次に聞こえてきた声は、ひどく平板だった。


感情がない。


台本を読まされている人形の声だった。


『この男は、私にエンバーミングに使う薬を卸していた闇業者です』


『繰り返します』


『この男は、私にエンバーミングに使う薬を卸していた闇業者です』


『これは嘘ではありません』


『他の馬車も同様です』


『全ての馬車に、エンバーミングに使った薬の取引記録を分散して持たせてあります』


セレスティアの指が、通信具を握り込む。


平板な声は続いた。


『ああ、勘違いしていただいては困るのですが、私は別に罪を認めたわけではありません』


『ただ、勇者殿が私を犯人だと疑って調べていることは知っておりました』


『そのうち無実の罪で捕まるのではないかと恐ろしくなり、私は家族と共に行方を眩ませることにしました』


『できれば、このまま私たち家族を追わないでください』


『エンバーミングの薬の件を、今まで黙っていたことは謝罪いたします』


『ですが、突然犯人のように扱われた人間が、“私はエンバーミングに詳しいです”などと自ら申し出られると思いますか』


『黙っていたのは、保身からです』


『ですが罪ではありません』


『その点については、深くお詫び申し上げ――』


そこで、レオヴァンの声が割り込んだ。


『こんな感じで、まだダラダラ言い訳が続く』


『ただ、御者の懐に忍ばせてあった薬の取引記録は本物だ』


『少なくとも俺の鼻じゃ、紙もインクも新しすぎねぇ』


『偽造だとしても、かなり手が込んでる』


『どうする? 集めるか?』


『証拠にはなると思うぜ』


セレスティアは、喉の奥で音を鳴らした。


「くっ……」


やられた。


空の馬車なら捨てられた。


囮だと断じて、屋敷に集中できた。


だが、証拠が出てきた。


それも本物に近い証拠が。


追いたくなる。


押さえたくなる。


集めたくなる。


アウグストゥスに罪を認めさせるには、証拠がいる。


その証拠が、目の前にぶら下げられている。


罠だ。


明らかな罠だ。


だが、餌は本物だった。


「くぅぅぅぅぅっ……!」


悔しさで喉が震えた。


簡単に踊らされている。


分かっている。


分かっていても、足が動きかける。


セレスティアは目を伏せ、必死に思考を組み替えた。


(アウグストゥスの狙いは何だ)


いや。


それは分かりきっている。


馬車を追わせる。


人手を割かせる。


監視の目を散らす。


こちらで動かせる人間が少ないことを理解した上で、選択肢を増やし、判断を遅らせる。


ならば、ほぼ確実に全ての馬車はフェイクだ。


だが、ほぼであって絶対ではない。


もし本当に、どれか一台に潜んでいたら。


追わなければ、そのまま逃げられる。


しかし、仮にアウグストゥスが馬車に潜んでいたとして、運悪く自分の乗る馬車を引き当てられた場合、どうする気だったのか。


レオヴァン一人なら、撒ける自信があるのか。


あるだろう。


だが、それでも余計な戦闘や接触の危険が増える。


あの男は、派手な狂気を演出しても、本筋では無駄な賭けを嫌う。


大胆に見える時ほど、退路を二つ三つ残す。


(なら、馬車は全てフェイク)


(どの馬車を選ばれても、自分は見つからない)


(その上で、追う価値だけは持たせた)


(闇業者)


(取引記録)


(エンバーミングの薬)


(無視できない餌)


最悪だった。


全く価値のない馬車なら、追わない判断もできる。


だが、証拠を載せていれば話が変わる。


追えば時間を奪われる。


追わなければ証拠を失う。


どちらを選んでも損をするように作られている。


「……いい性格をしている」


セレスティアは低く吐き捨てた。


そして決めた。


『レオヴァン』


『他の馬車を追え』


『証拠をかき集めろ』


『そっちに戻らなくていいんだな』


レオヴァンが確認する。


『ああ』


『こちらは私が何とかする』


『ヒューイにもそう伝えてくれ』


『了解だ、ボス子』


「ボス子?」


思わず聞き返した時には、通信は切れていた。


奇妙な軽口だった。


だが、その間抜けさが、張り詰めていた思考に小さな隙間を作った。


セレスティアは短く息を吐く。


「……まあ、いい」


今、集中すべきことは何か。


ヴァーミリオンを探すこと。


それ以外にない。


(事を起こした以上、後には引けない)


(この会場にそのまま潜伏している可能性は低い)


(闇業者にも“逃げる”と言わせている)


(すでに逃げた後か)


彼女は廊下を抜け、裏口へ向かった。


途中、給仕が驚いて道を空ける。


貴族の女が何か声をかけたが、無視した。


(私の精神感応(サイコメトリー)なら――)


(いや、無駄か)


(深淵の魔法で情報は消されているはず)


アウグストゥスは、自分の接触痕を読まれることを警戒している。


以前、触れた時も情報はほとんど掴めなかった。


証拠品に残された残留思念も、同じように塗り潰されている可能性が高い。


だが、それでも見る価値はある。


消し忘れ。


薄い残滓。


別の者の記憶。


完璧な隠蔽ほど、わずかな綻びが命取りになる。


裏口には、降ろされた食材が積まれていた。


樽。


野菜籠。


肉の箱。


麦粉の袋。


それから、開けられたばかりの木箱。


セレスティアは木箱に手を触れ、目を閉じた。


残留思念を探る。


暗い。


深い。


黒い。


情報の糸が、泥の中に沈められている。


やはり、深淵の魔法だ。


触れた者の姿も、運んだ者の記憶も、途中で黒く塗り潰される。


(分かっていたことだ)


(当てにはしていない)


セレスティアは手を離した。


大事なのは、ここからだ。


アウグストゥスなら、どこを選ぶ。


馬車。


屋敷。


群衆。


この三択ではない。


もっと狭めろ。


もっと削れ。


あの男の性格で考えろ。


傲慢。


自尊心が高い。


他者を見下している。


しかし、その素振りをほとんど見せずに、善良な老紳士を装える慎重さがある。


頭の回転も速い。


そして、自惚れを成立させるだけの能力がある。


だから厄介だった。


ただし、完璧ではない。


能力の高さが、自分への信頼に変わる。


自分なら対処できる。


自分なら誤魔化せる。


自分なら、触れられても逃げ切れる。


その慢心が、時折リスクを軽視させる。


セレスティアの脳裏に、最初に会った時のことが浮かんだ。


アウグストゥスは、彼女に触れた。


サイコメトリーの使い手かもしれない相手に。


深淵の魔法で対策していたとはいえ、触れる必要などなかった。


それでも触れた。


なぜか。


対処できる自信があったからだ。


つまりあの男は、絶対に安全な手だけを選ぶ臆病者ではない。


自分の技量で制御できると見れば、危険な道も歩く。


(なら、もう一度考えろ)


(一、馬車のどれかに隠れている)


(二、屋敷の中にまだ身を潜めている)


(三、群衆に紛れてすでに別の場所へ移動している)


一の可能性は中度。


ギャンブル性が高い。


当たりを引かれれば面倒だ。


だが、レオヴァンやヒューイを引き離すには有効。


実際には証拠を載せた囮と見る方が自然だ。


二の可能性は低度。


屋敷内に残るのは消極的すぎる。


見つかれば終わりだ。


ただし、全員が馬車を追うと読んで残る手もある。


あの男なら、それを選ぶ度胸もある。


三の可能性が現状では最も高い。


屋敷前に群衆を集めた理由として最も自然だ。


市民、芸人、治安官、臨時雇い、貴族の従者。


人が多ければ多いほど、見失いやすい。


だが、そこで終わりではない。


群衆に紛れて、どこへ向かう。


西区は焼けている。


北門は復興資材の検問が厳しい。


南門は商人ギルドの物資輸送で混でいる。


検閲に時間を取られて足止めを食らう可能性がある。


——東門。


セレスティアの目が開いた。


セレスティアは通信具に触れた。


「私だ」


『何だよ。他の馬車ならまだ追いついてねぇぞ』


レオヴァンの声が荒い。


走っているのだろう。


風切り音が混じっていた。


「そうじゃない」


「ヴァーミリオンがどこに居るか、分かったかもしれん」


『あん?』


「私は東門へ向かう」


『東門? 何でだ』


「事情は後で話す」


『おい、また一人で――』


セレスティアは一方的に通信を切った。


そして、裏口から外へ出る。


昼の光が眩しい。


屋敷の前ではまだ乱闘が続いている。


門の外では市民が怒鳴り、治安官が笛を鳴らし、皿が割れ、芸人が逃げ惑っていた。


その混乱を背に、セレスティアは走り出す。


確信ではない。


証拠もない。


ただの直感だった。


アウグストゥスという男の傲慢さを。


慎重さを。


人を駒として並べる癖を。


そして、自分だけは盤面の外にいると思い込む悪癖を。


それら全てを加味した上での直感。


「逃がさん」


低く呟く。


金髪が風に流れた。


背後のヴァーミリオン邸では、まだ午餐会の音楽が鳴っていた。


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