追うべきか、追わざるべきか
◇
アウグストゥスが若い貴族との会話を終えた直後、屋敷前の群衆が大きく波打った。
警笛が鳴る。
治安官たちが市民を押し返し始める。
「誰の許可を得て、道に集まっている!」
「道を塞ぐな! 速やかに解散しろ!」
治安官の警告に、市民は苛立った。
「うるせぇ!」
「俺たちの勝手だろ!」
「飯を配るって言ったのは男爵様だ!」
「そうだ、そうだ!」
反発の声に、治安官たちも語気を荒げる。
「逮捕されたくなければ、今すぐ立ち去れ!」
「公共の道を占拠するなら許可を取れ!」
「文句があるなら政庁へ申し立てろ!」
「政庁が何をしてくれた!」
その一言が、群衆の中に火を落とした。
コープスパーティー。
焼けた家。
運ばれた死体。
戻らない家族。
治安局に怒鳴っても仕方がない。
そんなことは誰もが分かっている。
だが、分かっていることと、黙っていられることは別だった。
誰かが突き飛ばされた。
治安官だったのか、市民だったのかは分からない。
拳が飛ぶ。
悲鳴が上がる。
屋台が倒れる。
木皿が石畳に散らばる。
次の瞬間、市民と治安官の口論は、大規模な乱闘に変わった。
「下がれ!」
「押すな!」
「捕まえろ!」
「子供がいるんだぞ!」
怒号が重なり、通りが一気に壊れる。
その混乱の中で、少し離れた辻に停められていた五台の馬車が動き出した。
セレスティアは即座に舌打ちした。
「ちっ」
通信具へ声を叩き込む。
『レオヴァン! 停まっていた馬車が動き出した!』
『何かある。気をつけろ!』
『分かってる』
レオヴァンの声が返る。
『それよりヴァーミリオンはどうした』
『こっちからは見えねぇ。教えろ』
人混みの中で丸くなりながら庭園を覗いていたヒューイが答えた。
『男爵様なら屋敷の中に入りました』
『俺からはもう見えないッス』
セレスティアは、屋根の上で身を低くする。
遠隔視の焦点を門から屋敷へ移した。
だが、壁が邪魔で中までは追えない。
「待て」
彼女は息を詰める。
「馬車が裏に回っている」
『レオヴァン! 見えるか!?』
『ああ、何か来たな』
レオヴァンの声が低くなる。
『裏口に停まった』
『荷物を降ろして――』
一拍。
『待て。何か積み込んでるぞ』
『降ろしているのか、積んでいるのか、どっちだ!』
『両方だ』
レオヴァンが答える。
『積荷を降ろして、空いたスペースに別の積荷を載せてる』
『五台全部だ』
『人が隠れて入れるくらいのデカい木箱を積み込んでやがる』
『今、表に回り出した』
『見えるか、セレス』
「ああ」
セレスティアは屋根の縁に手を置く。
「今、門を出るところ――」
そこで、彼女は声を荒げた。
「クソ!」
『どうした』
レオヴァンが即座に尋ねる。
『何があった』
「馬車が二手に分かれた」
「いや、待て」
「さらに交差点で別々に分かれて進んでいる!」
それは、あまりにも露骨な挑発だった。
見るからに怪しい動き。
追わないなら、このまま逃げるぞ。
そう言われている。
馬車は五台。
単純に考えれば、アウグストゥスたちがどこかに乗っているなら、当たりは五分の一。
こちらは三人。
セレスティア、レオヴァン、ヒューイが別々に追えば、五分の三まで上がる。
だが、問題はそこではない。
当たりを引いたとして、どうする。
アウグストゥスとアエーシュモーは、セレスティアとレオヴァンが二人がかりでも厳しい相手だ。
一人で遭遇すれば、捕まえるどころか足止めも難しい。
しかも、馬車そのものが囮という可能性もある。
五台を追わせる。
三人を屋敷から引き離す。
その隙に、アウグストゥスたちがまったく別の経路で逃げる。
それなら、完全に撒かれる。
セレスティアの奥歯が鳴った。
(屋敷が空で馬車にいるなら、追わなければ逃がす)
(見つけたところで一人ではどうしようもないが、少なくとも追跡は続けられる)
(逆に、馬車が囮で屋敷に残っているなら、全員が離れた瞬間に終わる)
(なら、屋敷を捨てるわけにはいかない)
考える時間はない。
馬車は離れていく。
人混みは荒れている。
アウグストゥスは見えない。
だが一つだけ、読めるものがあった。
(ヴァーミリオンが、私たちを今ここで殺す可能性は低い)
コープスパーティー前、勇者ギルドとは連絡を取っている。
セレスティア自身が、本部へ追加派遣の要請もしている。
ギルドはヴァーミリオンの名を知っている。
アエーシュモーの異常性も、報告している。
今、英雄級勇者の自分とレオヴァンが消えれば、最も疑わしいのは誰か。
答えは明白だ。
神話級に届く可能性すらあると報告された男爵と、そのメイド。
だから、今なら多少無茶をしても、殺される可能性は低い。
殺せない。
少なくとも、殺せば大きすぎる追跡を招く。
セレスティアは覚悟を決めた。
『レオヴァン、ヒューイ』
『馬車を追え』
『私は屋敷の中を調べる』
『追えって言っても馬車は五台だぞ』
レオヴァンが低く返す。
『どれを追えばいい』
『そこはお前の野生の勘に任せる』
沈黙。
次に返ってきたレオヴァンの声は、不機嫌そのものだった。
『おい、やめろ』
『獣人は野生児じゃねぇ』
『そういうのを差別って言うんだぞ』
『抗議は後で聞いてやる』
セレスティアは短く切る。
『いいから早く追跡しろ』
『巻かれては手遅れになる』
ヒューイが情けない声で割って入る。
『あっしは追うだけですからね』
『戦いになったら逃げますぜ』
『契約通りだ』
『ただし、目は開けておけ』
通信の向こうで、ヒューイが小さく舌打ちした。
『へいへい、勇者様は人使いが荒い』
次の瞬間、三人は散った。
レオヴァンは屋根から屋根へ。
ヒューイは人混みの中から路地へ。
そしてセレスティアは、不可視の魔法を解いて、ヴァーミリオン邸の屋根へ向かって跳んだ。
眼下では、治安官と市民の乱闘がさらに膨れ上がっている。
五台の馬車は、別々の道へ消えていく。
屋敷の中では、アウグストゥスが見えない。
罠だろう。
分かっている。
それでも踏み込むしかなった。
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