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サイコパス男爵とシリアルキラー姫~42人殺した娘を、父は今日も隠し続ける~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
第一部

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午餐会

ロゼ。


あの女のことは、残念だった。


殺す気はなかった。本当だ。


稀人(まれびと)が広めた人狼ゲームで考えてみろ。


思慮の浅い者は、多数派に流される。


大勢が口を揃えたものを真実だと思い込むのは、人の常だ。


ロゼも生きていれば、教団の犯行を疑っただろう。


何しろ、実際に教団を名乗る者たちに攫われたのだからな。


貴重な証言を失った。


その点については、俺も反省している。


俺の良心を信じろとは言わない。


俺の人間性を信じろと言っている。


目的のために最も効果的な手段を選ぶ。


それが俺だ。


無駄に殺す趣味はない。


必要なら、いくらでも殺すが。


――アウグストゥスの回顧録より抜粋



貴族街の昼は、死者の宴など最初からなかったみたいに飾り立てられていた。


ヴァーミリオン邸の鉄柵には花飾りが結ばれ、庭には白い布を掛けた長卓が並び、銀の皿と硝子の杯が陽光を弾いている。


その外側では、市民たちが通りを埋めていた。


アウグストゥスが事前に触れを出した通り、屋敷前では無料の食事が振る舞われ、普段は貴族の館に入れない者たちも、塀越しに芸人の芸を見物できる。


焼き菓子。


薄い肉の煮込み。


香草を混ぜた麦粥。


甘い果実水。


それらに群がる市民の声が、昼の空に浮かんでいた。


「押すなよ!」


「子供がいるんだ、先に通せ!」


「おい、あの芸人見えるか?」


「ヴァーミリオン男爵は太っ腹だな!」


誰も、ついこの前までこの街を死者が歩いていたことを忘れたわけではない。


だが人は、腹が減れば食べる。


笑い声があれば振り向く。


恐怖はまだ胸の底に残っていても、目の前に温かい食事があれば、ほんの少しだけ生きている気になれる。


アウグストゥスは、それをよく知っていた。


門の内側では、さらに派手だった。


普段は社交界へ呼ばれる側であり、自ら大きな催しを開くことの少ないヴァーミリオン男爵が午餐会を主催する。


それだけで物珍しい。


正式に招かれていない貴族たちまで、知人の紹介だの遠縁の縁だのを使い、どうにか門をくぐっていた。


屋敷の中には、アウグストゥスの博学さを示す品々が飾られている。


イグナティア小王国では珍しい少数種族の衣装。


遠い南方の民族が祭礼に使う仮面。


古代遺跡から出土した青銅の杯。


稀人の世界で流行しているという前衛絵画の複製。


異国の硝子工芸。


王族の蒐集室に並んでいてもおかしくない品々が、廊下にも、階段の踊り場にも、客間にも、庭へ続く回廊にも置かれていた。


貴族たちは、子供じみた興奮を隠せず声を上げる。


「噂には聞いていたが、ヴァーミリオン卿の蒐集品がここまでとはな」


「見て、あの衣装。どの種族のものかしら。奇妙だけれど、目が離せないわ」


「これは何だ? 杯か? 祭器か? 誰か分かる者はいるか?」


「こちらの絵、どう見ればよろしいの? 牛が泣いているようにも、壁が叫んでいるようにも見えますわ」


屋敷中で感嘆が上がる。


だが、アウグストゥス本人は、それらの品々に大した愛着を持っていなかった。


学術的価値の低いものに興味はない。


大半は、物好きな貴族の関心を集めるために買い集めた飾りだ。


社交界で自分の立場を確立するための、絹で包んだ餌。


彼にとっては、ただの高価なガラクタである。


(大枚をはたいて買ったガラクタが、ようやく日の目を見たな)


(もっとも、役に立つのは今回が最後だが)


喜びと驚きの声を上げる貴族たちを横目に、アウグストゥスは庭園を歩いた。


背筋は伸び、白髪は整えられ、片眼鏡の奥の瞳は穏やかに細められている。


老紳士そのものだった。


柔らかく笑い、丁寧に頷き、客の言葉に耳を傾ける。


だが意識の半分は、ずっと別の場所にあった。


セレスティア。


レオヴァン。


あの二人の姿を探している。


(会場には来ていないか)


(まあ、それはそれで構わん)


(どうせ、遠くから見ている)


(罠だと分かっていて門をくぐるほど、あの女勇者は愚かではない)


(いや、愚かではないからこそ、こちらの意図を外そうとして外から見ている)


(そこまで含めて、上出来だ)


騒ぎが起きれば、嫌でもこの会場に目を向ける。


馬車が動けば、追わずにはいられない。


見れば疑う。


疑えば判断に迷う。


迷えば、後悔が出来る。


後悔が諦めを促す。


その瞬間こそが、アウグストゥスの欲しい隙だった。


「ヴァーミリオン卿」


若い貴族が近づいてきた。


まだ二十代前半だろう。着飾ってはいるが、目だけは好奇心で輝いている。


「玄関を入ってすぐ、階段横に飾られている絵は何ですか?」


「ひどく……その、ふざけているようにも見えるのですが」


アウグストゥスは柔らかく笑った。


「あれは《ゲルニカ》と申します」


「稀人の世界の画家が描いた絵を、こちらで再現させたものです」


「ゲルニカ」


若い貴族は舌の上でその名を転がすように繰り返した。


「妙な響きですね」


「稀人の世界には、戦争や虐殺を、美しい英雄譚としてではなく、壊れた叫びとして描く画家もいるそうです」


「こちらの世界ではあまり見かけない画風でしょう」


「馬も、人も、牛も、家も、砕けた形で描かれている」


「ふざけて見えるのは、秩序ある形をわざと壊しているからです」


若い貴族の目が丸くなる。


「なるほど……ただ奇妙なだけではないのですね」


「ええ」


アウグストゥスは頷いた。


「壊れたものを、壊れたまま見せる」


「稀人の世界では、そういう表現にも値がつくようでしてな」


「さすがヴァーミリオン卿。噂に違わぬ博学ぶりです」


若い貴族は感嘆した。


「他にも気になる絵がいくつかありまして、よろしければ説明していただけませんか」


「残念ながら、今は他にご挨拶せねばならない方がございます」


アウグストゥスは申し訳なさそうに首を振る。


「後ほど、お時間があれば喜んで」


「それは残念です」


若い貴族は本当に残念そうに頭を下げ、その場を離れた。


アウグストゥスは背を見送る。


そして、その笑みのまま、庭の向こうへ意識を伸ばした。


勇者の気配はない。


だが、視線はある。


薄い。


よく隠している。


それでも、見られているという感触は消えない。


(来ているな)


その時だった。


屋敷の外に集まっていた市民たちが、一際大きくざわめいた。


笛の音が響く。


高く、鋭い。


治安局の警笛だった。



セレスティアは、ヴァーミリオン邸正面に建つ名も知らぬ貴族の屋敷、その屋根の上に潜んでいた。


不可視の魔法――不可視化(インビジブル)


気配と姿を薄くし、昼の陽射しの中に身を溶かす。


瓦屋根は熱を持っていたが、彼女は微動だにしない。


目は、ヴァーミリオン邸の庭園にいるアウグストゥスを捉え続けていた。


何も知らなければ、金持ちの貴族が道楽で派手な午餐会を開いているだけに見えるだろう。


被災した街に食事を配り、芸を見せ、貴族と平民の緊張を和らげる。


善行。


慰問。


復興の象徴。


だが、セレスティアは知っていた。


この男が、ただの善意で人を集めるはずがない。


アウグストゥス・ヴァーミリオンは、今日この日、この場所で必ず動く。


その確信があるから、彼女は屋根の上にいた。


今のところ、目立った変化はない。


アウグストゥスは庭園で貴族と話している。


屋敷内では客が蒐集品に見入っている。


外では市民が食事と芸に群がっている。


気になることがあるとすれば、ヴァーミリオン邸から少し離れた場所に停められた五台の馬車だった。


いずれも食材を積んでいる。


荷台には樽、麻袋、野菜籠、肉を入れた木箱。


この場で大量の食材を必要とする場所は、ヴァーミリオン邸以外にない。


ならば、あの馬車は間違いなく男爵が呼んだものだ。


(だが、なぜあの場所に停めている)


門の前でも、裏口でもない。


少し離れた辻。


混雑に巻き込まれすぎず、かといって目立たなすぎもしない場所。


見てくださいと言わんばかりの位置だ。


(あの馬車に潜り込んで屋敷から出る、というのが一番分かりやすい)


(だが、相手はあのヴァーミリオンだ)


(そんな誰もが思いつく手で来るか?)


考えながら、セレスティアは遠隔透視――遠隔視の魔法(リモートビューイング)を維持する。


庭園にいるアウグストゥスの姿を、視界の中心に置く。


動き。


表情。


視線。


歩幅。


会話の間。


何か一つでも普段と違えば拾う。


その時、腕の通信具が小さく鳴った。


ピリリリリリ。


通信は、屋敷の裏側を見張っているレオヴァンからだった。


彼もまた、ヴァーミリオン邸には入っていない。


裏通りに面した別の屋敷の屋根に潜み、同じように不可視の魔法で身を隠している。


『そっちの様子はどうだ、セレス』


『何も変わらん』


セレスティアは目を離さず答える。


『相変わらず貴族と話している。それだけだ』


『その貴族の中に仲間がいるかもしれねぇ。ちゃんと見とけよ』


『分かっている』


『それより、ヒューイはどうだ』


『俺が知るかよ。直接聞け』


ヒューイ。


パーラメント男爵から紹介された調査士である。


影のヒューイという二つ名を持ち、その業界では少し名が知れているらしい。


もっとも本人は、その二つ名を嫌っていた。


調査士の仕事は、顔を知られれば知られるほどやりにくくなる。


影などと呼ばれるのは、本人にとって誉れではなく厄介な札でしかない。


そのくせ、実物は拍子抜けするほど普通だった。


赤っ鼻。


やや崩れた顔立ち。


人混みに紛れれば、一呼吸後には忘れられる顔。


だからこそ、調査士としては優秀なのだろう。


『ヒューイ』


セレスティアは通信を繋ぐ。


『そちらで何か動きはあるか』


ヒューイは、ヴァーミリオン邸前にできた一般市民の群れの中に潜っていた。


紹介状を持たない彼は屋敷に入れない。


その代わり、群衆の中から門と屋敷前の動きを監視している。


『何もないッスね、姐さん』


『というか、ヴァーミリオン男爵が金持ちなのは知ってましたけど、ここまでとは思わなかったッス』


『いやー、俺も一回くらい、こんな贅沢してみてぇなあ』


『無駄口はいい』


セレスティアの声が冷える。


『必要なことだけ報告しろ』


『へいへい』


ヒューイは気の抜けた声で返す。


『ただ、忘れないでくださいよ。アタシは戦闘はからっきしですからね』


『ヤバくなったら速攻で逃げていい契約です』


『分かっている』


『それより、ちゃんとヴァーミリオンを見張れ』


『絶対に目を離すな』


『へいへい』


その返事と同時に、甲高い笛の音が群衆を裂いた。


ピピーッ!


治安局の警笛。


ヴァーミリオン邸の前にできた人だかりを取り締まるため、治安官たちがやってきたのだ。


ヒューイの周囲が、一気に騒がしくなる。


市民の不満。


治安官の怒号。


押し合う肩。


倒れかける屋台。


そしてその瞬間、セレスティアの全神経が、庭園のアウグストゥスへ注がれた。


始まる。


そう思った。


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