そして劇は動き出す
意外に思われるかもしれませんが、私は悪人よりも善人の方が好きなのです。
白く汚れのない魂が、醜く爛れ、堕ちていく姿を見るのが好きなものでして。
ですから、あの男にはあまり興味がありません。
あの男の魂は、最初から闇に片足を踏み入れている。
そんなものが堕ちたところで、何の面白みもないでしょう?
闇に属するくせに法に従い、秩序の中で生きようとする姿は少々滑稽ではありますが、それだけです。
ですが、あの男の義娘――あの娘は実に素晴らしい。
光に属しながら光に愛されず。
白い魂を持ちながら、闇の中を彷徨い続けている。
救いを求めながら、救いに手が届かない。
あの娘が最後に辿り着くのが救済か、それとも絶望か。
それを見届けるのが楽しみで仕方がないのですよ。
???の観察記録より抜粋——
◇
貧民街衛生改善基金の慈善晩餐会。
迎賓館の大広間は煌びやかなシャンデリアに照らされ、多くの貴族や商人たちで賑わっていた。
アウグストゥスが会場へ足を踏み入れると、すぐに見知った顔ぶれが近付いてくる。
「おや、ヴァーミリオン男爵」
最初に声を掛けてきたのは街有数の商人、シルバ・ゴールシップだった。
続いて若き議員であるレスター・レッドシールド。
そして街の防衛部隊を率い、今は晩餐会の警護に当たっている騎士爵ローレン・ゲイデン。
「皆さん」
アウグストゥスは微笑みながら軽く会釈する。
「お久しぶりです」
「いやいや、一週間前にも会ったでしょう」
レスターが笑う。
「一週間は十分久しぶりというものです」
「そんなものですかね?」
「私くらいの年齢になるとそう感じるものです」
適当な世間話が数分続いた。
天候。
最近の物価。
今年の収穫量。
社交界で交わされるありきたりな会話だ。
そして頃合いを見てアウグストゥスが尋ねた。
「ところで、今夜一番盛り上がっている話題は何でしょう?」
それに答えたのはローレンだった。
「コープスパーティー事変です」
アウグストゥスは少しだけ首を傾げる。
コープスパーティー事変。
三か月前、侶胡王国の凄蘭と言う都市で発生した大規模テロ事件だ。
旧大陸と新大陸の諸国が通商連合協定を結び、戦争を避ける流れが国際社会の主流となった現代。
それに反発する勢力が存在した。
隣国への憎悪を捨てられない国家。
戦争による利益を手放せない者たち。
彼らは枢軸国を形成し、連合諸国からは「魔王領」と呼ばれていた。
さらに、その支持者の中でも武力行使を肯定する過激派は「魔王軍」と総称されている。
三か月前。
凄蘭に潜伏していた過激派が猟奇的な大量殺人を実行。
犠牲者たちの怨念を触媒として大量のアンデッドを召喚した。
人口六万の都市は一夜で壊滅。
生存者は二万人にも満たなかった。
近年最大級の惨事である。
「ですが、その話題は少々古いのでは?」
アウグストゥスは疑問を口にした。
「事件そのものは三か月前の話です」
「その通りです」
ローレンが頷く。
「ですが新事実が判明しました」
「ほう」
「このテロは魔王軍によるものではありませんでした」
「違うのですか?」
「黒山羊と毒ヘビの教団」
ローレンは声を落とした。
「魔王支持勢力の宗教団体だったそうです」
「ああ、それは厄介ですな」
その横でレッドシールドが首を傾げた。
「それの何が問題なんです?」
「皆が騒いでる理由が、まったくわからないのですが」
途端にシルバが深々とため息を吐いた。
「本当に君は議員なのか?」
「失礼ですね」
「ちゃんと、胸にバッチを付けているではないですか」
「その割には政治に疎すぎる」
呆れた顔でシルバは続ける。
「例えばだ」
「はい」
「君の友人が殺人を犯したとしよう」
「嫌な例えですね」
「その時、君まで犯人扱いされたら不愉快だろう?」
「ああ」
レスターは納得したように頷く。
「そういうことですか」
「コープスパーティー事変を理由にスター&ストライプ合衆国は魔王領へ軍を送った」
シルバはワインを口に含んだ。
「連合諸国も引きずられる形で派兵した」
「ええ」
「だが犯人が魔王軍ではなく宗教団体だったとなれば話が変わる」
今度はローレンが引き継ぐ。
「戦争反対派が勢い付きます」
「軍を引き揚げろ、と?」
「そうです」
アウグストゥスも頷いた。
「軍事費だけ浪費して成果なし、という形になりますね」
「その通りです」
シルバが指を鳴らす。
「そして一番まずいのは合衆国だ」
「あの国は民主主義だからな」
「それと最大の商業国でもありますからね」
ローレンが後に続く。
「犯人違いを理由に、野党は政権交代を狙って今の大統領を引きずり下ろしに動くだろうな」
「そうなりゃ政治は混乱、世界経済も煽りを食らって少なからず不安定になるだろう」
シルバは肩を竦めた。
「商人としては勘弁してほしい話だ」
「なるほど」
レスターは感心したように頷いた。
「勉強になりました」
「もっと精進した方がよろしいですな子爵殿」
アウグストゥスは穏やかな笑顔で言った。
「議員なのですから」
「善処します」
「毎回そうおっしゃられますな」
レスターが苦笑する。
場に小さな笑いが起きた。
そしてアウグストゥスは本題へ移った。
「ところで」
「何でしょう?」
「近いうち下水道工事の予定はありませんか?」
シルバが即座に笑った。
「ああ、なるほど」
「?」
話についていけないレスターの頭の中に疑問符が浮かぶ。
「また馴染みの業者へ仕事を回す気だな」
「人聞きが悪いですね」
「事実だろう」
シルバは苦笑しながら答える。
「東側下水路の老朽化が問題になっている」
アウグストゥスの目が細くなった。
「ほう」
「だが予算不足だそうだ」
「なるほど」
「あと二、三年は放置されるらしい」
「まぁ、あそこはスラム街だからな、他に優先して予算を回したいことがあるのだろう」
「なにかあってからでは遅いと思いますが、予算が下りないというなら仕方ありませんな」
その時。
レッドシールドが不意に割って入った。
「そういえば」
「何でしょう?」
「ルーシュ殿は連れて来ていないのですか?」
アウグストゥスは一瞬だけ沈黙した。
「今夜は留守番です」
「珍しいですね」
「彼女は、こういう場所がすきでしょう?」
「来たがらなかったのですか?」
「慈善晩餐会とはいえ内容は仕事の話ばかりになりそうなので」
アウグストゥスは淡々と答える。
「連れてきたところで本人も退屈でしょうと思い、留守番をお願いしたのですよ」
「ああ。なるほど」
それだけだった。
アウグストゥスは話を切り上げる。
「では私は他の方々にも挨拶がありますので」
「おや?もう行かれるのですか?」
「ええ、他に話したい方々がおりまして、また後ほどと言う事で」
三人に会釈し、その場を離れる。
そして数歩後ろには、いつの間にかアエーシュモーが付いて来ていた。
「しばらくは安全そうですね」
アエーシュモーが小声で言う。
アウグストゥスは前を見たまま答えた。
「うむ」
短い返答だった。
それだけで十分だった。
少なくとも今夜は。
ルーシュとロバートが接触することはない。
そのはずだった。
同時刻。
ヴァーミリオン男爵邸。
使用人棟の一室。
ロバートの部屋。
月明かりだけが差し込む薄暗い室内。
床には赤黒い液体が広がっていた。
鉄臭い匂いが部屋を満たしている。
そして。
その中心で。
「ふふっ……」
ルーシュが笑っていた。
桃色の髪。
白い肌。
細い身体。
その全身は血で染まっている。
彼女は床に倒れたロバートへ馬乗りになっていた。
まるで恋人を抱き締めるように。
慈しむように。
愛おしむように。
「ふふふっ……」
口元が歪む。
頬に飛び散った血を指でなぞる。
そして恍惚とした表情で微笑んだ。
窓の外では静かな夜風が吹いている。
誰も知らない。
街の有力者たちが未来の世界情勢を語り合っているその頃。
ヴァーミリオン男爵邸では、別の惨劇が始まっていたことを。
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書いてから一日経ったら、侶胡王国の読み方忘れててルビを振るのに1分ぐらい悩んだ。




