おぞましき保管庫
ロバートがルーシュの関心を引いてしまった日の夕刻。
アウグストゥスは書斎で手袋をはめながら、向かいに立つギルエルへ視線を向けた。
「今夜は晩餐会に行く、知ってるな?」
「はい!この我が旦那様の予定を忘れるはずがございません!」
ギルエルが誇らしげに胸を張りながら言った。
いつも、返事だけは素晴らしい。
「その間、ルーシュとロバートを会わせないように気を付けて欲しい」
ギルエルは一瞬だけ目を見開いた。
「え?」
「偶然でもだ。理由はわかるな?」
「う、うむ……分かったのです」
元気よく返事をしたものの、その声にはどこか歯切れの悪さが混じっていた。
アウグストゥスは気付いていた。
昼間から様子がおかしい。
何かを言いたそうで、しかし言い出せずにいる。
「何かあったのかね?」
「い、いや! 何もないのです!」
反射的な返答だった。
ギルエル自身、昼間に起きた出来事を話すべきか迷っていた。
ロバートがルーシュに興味を持たれてしまったこと。
アウグストゥスが警戒していた事態が現実になりつつあること。
だが、それを報告すればルーシュがさらに厳しく監視されるかもしれない。
最悪の場合、外出まで制限される可能性もある。
それだけは避けたかった。
だから黙る。
少なくとも今は。
「そうか……」
アウグストゥスはそれ以上追及しなかった。
その時だった。
窓の外から馬のいななきが聞こえる。
ほどなくして扉がノックされた。
「旦那様。馬車の準備が整いました」
聞き慣れたアエーシュモーの声だった。
「では行くとしよう」
「はいなのです!」
結局、ギルエルは何も言えなかった。
胸の奥に小さな罪悪感を抱えたまま、二人を見送ることになる。
ヴァーミリオン男爵邸の門が開く。
二頭立ての黒い箱馬車がゆっくりと街道へ出た。
御者席にはアエーシュモー。
手綱を握る姿は相変わらず無駄がない。
馬車の内部では、アウグストゥスが窓の外を眺めていた。
夕暮れのザレイド。
石畳の大通りにはガス灯へ火を入れる作業員の姿が見える。
やがて街並みが流れ始めた頃、前方からアエーシュモーの声が聞こえた。
「そういえば旦那様」
「何だ」
「下水道の保管庫ですが」
アウグストゥスは片眉を上げた。
「もう空きがありません」
短い沈黙。
そしてアウグストゥスは小さくため息を吐いた。
「そうか」
保管庫。
それは表向き存在しない部屋の総称だった。
街の下水道の一角に設けられた秘密の保管場所。
そして、その中にはルーシュにできた"友人たち"が収められている。
「発作の周期は月の下旬頃だ」
「はい」
「それまでに新しい保管庫を作ればいい」
「かしこまりました」
馬車の車輪が石畳を鳴らす。
ガタリ、と小さく揺れた。
「候補地はありますか?」
アエーシュモーが尋ねる。
「ないな……」
「では、こちらで候補地を探しましょう」
「そうしてくれ」
「案外、暢気なのですね」
「急ぎではないからな」
実際、ルーシュの発作にはある程度の周期があった。
完全に予測できるわけではない。
しかし今までの記録から考えれば、まだ時間はある。
「どのあたりの下水道がよいか好みがあるなら聞いておきますが」
「下水道に好みなどあるまい」
「私は好きですよ。下水道……臭くて汚いところが特に」
「お前の好みなど聞いておらんよ」
「この後、食事があるのだ。食欲の失せる話は止めてもらえるかね?」
「失礼いたしました」
アエーシュモーは小さく鼻を鳴らした。
「人助けのためではなく死体を隠すために慈善事業へ参加する貴族、滑稽ですわね」
「死体を隠すのも人助けだ」
「少なくとも、俺のためではない」
「それはどうだか」
二人の会話はそこで途切れた。
やがて馬車は中央区へ入る。
貴族街の外れ。
市庁舎に隣接する白亜の建物が見えてきた。
かつて商人ギルドの迎賓館として建てられた三階建ての石造建築。
現在は市の公的行事にも利用されている。
今夜の会場――
貧民街衛生改善基金慈善晩餐会の開催地である。
入口には豪華なランタンが並び、多くの馬車が列を作っていた。
男爵、子爵、商人ギルド幹部。
街の有力者たちが次々と降車していく。
アエーシュモーが馬車を停めた。
「到着しました」
「ああ」
アウグストゥスは帽子を整える。
今夜の目的は慈善活動ではない。
近いうち予定されている下水道工事の情報収集。
そして可能であれば、自分たちと利害関係を結べる人材の選定。
そのための社交である。
扉が開いた。
夜の空気が流れ込む。
アウグストゥスは杖を手に取り、静かに馬車を降りた。
眩い灯火に照らされた会場を見上げる。
「さて」
口元に社交用の笑みを浮かべる。
「仕事を始めましょうか」
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