第二ラウンド
貴族街は、物資集積場から遠かったの。
それでも、コープスパーティーで街じゅうが騒がしくなった頃、屋敷の窓からも黒い空は見えたわ。
義父様もアエーシュモーも、悪い魔物を退治しに行くと言って、私を置いて行ってしまわれた。
でも、ギルエルが私を守ってくれた。
街はパニックだった。
他の貴族の家では、馬車に荷物を詰めて逃げようとしたり、逆に暴徒になった人たちが門を叩いたりしていたらしいの。
けれど、ギルエルが結界を張ってくれたから、誰もこの屋敷には近づけなかった。
え?
義父様が側にいなくて、寂しくなかったのか、ですって?
何でそんなことを聞くの?
ギルエルに私を守るように言ったのは、義父様よ。
つまり私は、ちゃんと義父様に愛されている。
見捨てられてなんかいないわ。
ねえ。
何で、そんなことを言うの?
ルーシュは不満そうに、君を見た。
――ルーシュの回想録より抜粋
◇
政庁の執務室には、焦げた紙の臭いが残っていた。
窓硝子の一部は板で塞がれ、壁には地震のように走った亀裂がそのままになっている。
机の上には、復興計画書、被害者名簿、治安局から上がってきた未整理の報告書、そして勇者ギルドへ提出するための下書きが乱雑に積まれていた。
その中心で、執政官パーク・バーガーは一枚の命令書を握りしめていた。
紙は軽い。
だが、やけに重そうに見えた。
「……では、改めて伝える」
パークは唾を飲み込んだ。
勇者が怒ると思っていた。
セレスティアが机を叩き、レオヴァンが牙を剥き、王都だの正義だの真実だのと面倒なことを言い出す。
そう覚悟していた。
「先日の事件をもって、黒山羊と毒ヘビの教団が一連の騒乱に深く関与していたことは明白となった」
「よって、ザレイドにおける特別捜査体制は終了する」
「勇者ギルド所属、セレスティア殿およびレオヴァン殿に与えていた特別捜査権は、本日この時刻をもって返上していただく」
言い終えたパークの指が、わずかに震えていた。
勇者二人は、しばらく何も言わなかった。
部屋の中で聞こえるのは、外から運び込まれる瓦礫の音と、遠くで誰かが泣いている声だけだった。
やがて、セレスティアが静かに頷く。
「承知した」
パークは、一瞬、聞き間違えたような顔をした。
「……よろしいのですか?」
「執政官から正式な返上命令が出た以上、勇者ギルド所属の私が拒む理由はない」
セレスティアは腰の革筒から、一通の書類を取り出した。
特別捜査権を認める執政官印付きの許可状。
それを、机の上へ置く。
紙が触れる音だけが、妙に大きかった。
「本日この時刻をもって、セレスティアはザレイドにおける特別捜査権を返上する」
淡々とした声だった。
感情がないわけではない。
むしろ、感情を刃の鞘へ押し込めている声だった。
レオヴァンも、遅れて小さく肩を竦める。
「俺も同じだ」
「勇者ギルドとしての戦闘協力と慰問は続ける。だが、捜査官ごっこは終わり」
「それでいいんだろ、執政官殿」
パークの顔に、露骨な安堵が浮かんだ。
すぐに隠そうとしたが、遅かった。
「理解が早くて助かる」
「いや、誤解しないでいただきたい。これは貴殿らを軽んじるものではない」
「ただ、街には秩序が必要なのだ」
「市民は不安がっている。貴族も商人も教会も、誰もが結論を求めている」
「これ以上、複数の権限が入り乱れれば、復興の足並みが乱れる」
セレスティアは静かにパークを見た。
「その判断が、街のためになることを願う」
言葉だけなら従順だった。
だが、そこには祈りよりも釘に近い硬さがあった。
パークは気づかなかった。
気づく余裕もなかった。
勇者たちが思ったより大人しく引いたことで、ようやく椅子の背へ体重を預ける。
「感謝する」
パークが安堵しながら、短く答えた。
「ただ被害者たちを慰問と言う形で勇気づけたいので、街に滞在する許可が欲しいのだが」
「ザレイドは今、英雄の姿を必要としている」
「人々に安心を与えてやりたい」
愚鈍と言えるパークの姿を、内心では憐れみながらセレスティアは街に滞在する許可を求めた。
「それは結構、大いにやって下さい」
「市民も喜ぶことでしょう」
市民の不満を手っ取り早く解消できるセレスティアの申し出に、深く考えることもなくパークは喜んで許可を出した。
「こちらのわがままを聞いていただき、感謝します」
セレスティアは最低限の礼だけを述べると、踵を返した。
レオヴァンもその後に続く。
扉が閉まる直前、パークはもう一度、机の上の許可状を見た。
ようやく厄介な剣を取り上げた。
そんな顔だった。
廊下へ出ると、レオヴァンが低く笑った。
「随分と大人しかったな、セレス」
「お前もだ」
「俺は元から品行方正な獣人だからな」
「尻尾で嘘をつくな」
レオヴァンの尻尾が、不機嫌そうに一度だけ床を叩いた。
セレスティアは歩きながら、小さく息を吐く。
「これで、私たちは法の外だ」
「ああ」
「だが捜査権を返しただけだ」
セレスティアの瞳が冷える。
「疑う権利まで返した覚えはない」
◇
一方、ヴァーミリオン邸の書斎では、アウグストゥスが勇者たちの動向を警戒していた。
机の上には、ザレイドの街図が広げられている。
焼け落ちた区画。
避難所。
政庁。
パーラメント邸。
商人ギルド。
そして、己の屋敷。
駒の位置を確かめるように、アウグストゥスは指先で地図の端をなぞった。
予想はしていた。
委員会が教団の犯行と結論づけても、勇者たちは街を去らない。
慰問。
復興協力。
被害調査。
理由はいくらでも作れる。
だが、その本音は分かりきっていた。
セレスティアもレオヴァンも、まだ自分を見ている。
疑っているどころではない。
捕まえるための道筋を探している。
(だが、ここまで街に被害が出ては、これ以上ルーシュの犯行を隠すのは難しい)
平穏な日常なら、失踪者などただの数字で片づけられた。
貧民街の子供が消えた。
下働きが戻らない。
娼婦が姿を見せない。
そんな話は、治安局の棚の奥で埃をかぶる。
だが今は違う。
今、誰かが消えれば、教団の残党、死霊術、悪魔、次のコープスパーティーと結びつけられる。
市民はヒステリックに犯人を求める。
遺族は治安局を責める。
新聞は書き立てる。
貴族は保身のために誰かの首を欲しがる。
そうなれば、今まで平民の失踪にやる気を見せなかった治安局でさえ、真面目に探し出す可能性が高い。
(つまり、もうこの街での犯行はリスクが高すぎる)
(隠し続けるのは難しい)
だが。
(ルーシュは、人殺しを止めない)
そこでアウグストゥスは、一度思考を切った。
「そろそろ潮時か」
独り言は、静かな書斎に落ちた。
どのみち、ルーシュも自分も年を取らない。
長く同じ街に留まり続ければ、いずれ誰かが気づく。
あと二年もすれば、この街を去らねばならない。
それ自体は変わらない。
問題は、予定より早くなったこと。
そして、勇者二人が今も街にいることだった。
(すでに四十二人の殺人は教団のせいにしてある)
(この場で逃げても指名手配犯にはならないだろうが)
(街を出れば、勇者が確実に追ってくる)
街中なら法がある。
人目がある。
貴族の肩書がある。
新聞がある。
しかし街の外なら、見ている者も止める者もいない。
勇者なら、正義の名の下に戦闘を仕掛けてくる可能性がある。
単純な戦闘なら、恐れる必要はない。
自分とアエーシュモーが負けるはずもない。
問題は、その後だ。
英雄級勇者が二人、死ぬ。
あるいは消える。
それだけで、勇者ギルドは確実に動く。
英雄級の勇者は、世界でも千人を少し超える程度しかいない貴重な戦力だ。
彼らはギルドと密に連絡を取り合っている。
何かあればすぐ支援に入れるよう、動向も把握されている。
連絡が途絶えれば、捜索が始まる。
その前後に、今回の事件で勇者と接触していた自分が街から消えれば、疑われるには十分だった。
(やるべきことは一つ)
(勇者に気づかれないよう、この街から姿を消す)
アウグストゥスは深く息を吐き、呼び鈴を鳴らした。
間もなく、扉が静かに開く。
アエーシュモーが姿を現した。
「お呼びでしょうか、旦那様」
「準備を始める」
「はい」
「ただし、急ぎすぎるな」
アウグストゥスは地図から目を上げる。
「逃げたと思われれば、追われる」
「死んだと思われれば、調べられる」
「だから幽霊のように、静かに消える」
「まるで砂漠の蜃気楼の様な幻だったかの様に、目に映りながら消える」
アエーシュモーは無表情のまま、わずかに首を傾けた。
「ルーシュ様は」
「連れて行く」
「ギルエルは」
「当然だ」
「屋敷の処理は」
「絶対に燃やすな」
アウグストゥスの声が低くなる。
気のせいか、アエーシュモーが何故だか無表情のなのに残念そうに見えた。
「燃えた屋敷は、燃やした理由を探される」
「空になった屋敷は、空になった時刻を調べられる」
「残すのは、日常だ」
「食器も、本も、衣服も、庭の手入れも、全て昨日と同じに見えるようにしておけ」
「人が消えた屋敷ではなく、主がたまたま留守にしている屋敷に見せる」
「畏まりました」
アエーシュモーは一礼した。
「勇者二名は、いかがいたしますか」
「それも絶対に殺すな」
即答だった。
「必要があれば、遅らせろ」
「迷わせろ」
「追う方向を間違えさせろ」
「だが殺すな」
「承知しました」
「旦那様は、あの二人を買っておられるのですね」
「買う? いや、評価しているだけだ」
アウグストゥスは微笑む。
「有能な敵は面倒だ」
「だが、無能な敵より読みやすい」
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