イザーク告書 その1
朝日は、灰を選ばずに照らしていた。
ザレイドの街には、まだ死の臭いが残っている。
焼け落ちた西区の瓦礫。黒く濁ったデトロン川。政庁前の石畳に染み込んだ血。物資集積場の跡地に残された巨大な穴。
死者の宴は終わった。
だが、終わったからこそ、街は死者を数え始めなければならなかった。
名を記す者。
責任を探す者。
責任から逃げる者。
そして、真実を殺すために紙を積み上げる者。
政庁別館、旧議事堂大広間。
そこに、臨時設置された長机が並んでいた。
机上には羊皮紙の束、証言録、被害者一覧、治安局の損耗報告、城衛府の出動記録、勇者ギルドへの緊急通達写し、商人ギルドから提出された物資流通報告、魔法ギルドによる残留魔力分析書が積まれている。
その表紙には、黒い印でこう記されていた。
【ザレイド都市災害及び黒山羊・毒ヘビ教団関与疑惑に関する第一次査問記録】
後に通称。
イザーク告書と呼ばれるものだ。
◇
【委員会構成】
委員長。
イザーク・グレイヴス議員。
王都議会治安監督派閥所属。
執政官パーク・バーガーとは、予算配分及び都市防衛改革案を巡り、長年対立関係にある。
査問委員。
リュシアン・ボルド議員。
エメリア・カスト議員。
トマス・ヘイル議員。
特命調査官。
クラウス・ヴェルナー。
議会より派遣。
ただし、執政官パーク・バーガーと私的な親交があり、委員長グレイヴスは本官を「議会の目をしたパークの舌」と非公式に評した。
専門弁護官及び助言観察人。
商人ギルド選任専門弁護官、ミリアム・エスカード。
魔法ギルド選任専門弁護官、オルド・ベイラン。
星十字教会観察人、ベルナンド司祭補佐。
勇者ギルド連絡官、シェイラ・モートン。
聴取対象。
治安局臨時局長代理。
城衛府総門衛長。
各防衛隊長。
勇者セレスティア・ヴァレンティア。
勇者レオヴァン・アシュハート。
アウグストゥス・ヴァーミリオン男爵。
アエーシュモー・ダエーワ。
ローレン・ゲイデン第一城門隊長。
ダンデ・クロイス上級捜査官。
なお、ローレン・ゲイデン及びダンデ・クロイスについては、所属組織の公式聴取とは別に、越権行為の有無を確認するため個別聴取を実施した。
◇
【第一日午前 治安局及び城衛府聴取抜粋】
委員長グレイヴスは、冒頭から執政官パーク・バーガーの初動対応について追及した。
「治安局長は死亡。第一課、第二課は指揮系統を失い、第三課記録官マリスは悪魔化。政庁正面は亡者に包囲され、城衛府は独自判断で出動した」
グレイヴス委員長は、机上の報告書を指で叩いた。
「この都市には、内側からの大規模テロに対応する規定が存在しなかった。そう理解してよろしいか」
治安局臨時局長代理は、唇を噛んだ。
「……存在しませんでした」
「なぜだ」
「ザレイドの防衛想定は、外敵、魔物、火災、大規模暴動が中心でした。死霊災害及び悪魔憑きによる内部破壊は、想定外であります」
「想定外」
委員長は鼻で笑った。
「便利な言葉だ。死人の数が多い時ほど、よく使われる」
城衛府総門衛長が、重い声で割り込んだ。
「委員長殿。現場は本当に想定を超えておりました。死者が歩き、噛まれた者が転じ、避難所の内側から感染が広がった。門を守る兵に、市民を斬る規定はありません」
「規定がなければ斬れなかったと?」
「違います」
総門衛長は拳を握った。
「斬ったのです」
広間の空気が少し沈んだ。
「兵は、昨日まで税を納めていた市民を斬りました。隣人を。顔を知る荷役夫を。門前で菓子を売っていた老婆を。子供を抱いたまま死んでいた母親を」
総門衛長は、声を落とした。
「規定がなかったから迷ったのではありません。規定があっても、人は迷います。あれはそういう戦場でした」
委員長は表情を変えなかった。
「感傷は記録に残らん」
その時、特命調査官クラウスが穏やかに口を挟んだ。
「ですが、委員長。都市行政の責任を問うにしても、今回の事案は黒山羊と毒ヘビの教団による広域複合テロと見るべきです」
「西区大火災、旧時計塔、星十字教大聖堂、物資集積場、政庁襲撃。複数地点で同時多発的に発生しています」
「執政官個人の初動遅滞のみで全責任を括るのは、やや乱暴では」
委員長グレイヴスは、特命調査官を冷たく見た。
「パークにそう言えと頼まれたか」
「議会の任を受けて申し上げています」
「いいや」
グレイヴスは薄く笑った。
「君は議会の紋章を胸に付けた、パークの火消しだ」
記録官は、そこで一度筆を止めた。
この査問は、最初から事件だけを裁く場ではなかった。
パーク・バーガーを落としたい者。
落とされては困る者。
都市の責任を明らかにしたい者。
ギルドの補償負担を軽くしたい者。
それぞれが、死者の名簿の上で椅子を奪い合っていた。
◇
【第一日午前 ダンデ・クロイス個別聴取抜粋】
ダンデ・クロイスは、椅子に座るなり言った。
「先に言っておくが、俺は綺麗な報告に向いた人間じゃない」
委員長グレイヴスは片眉を上げた。
「では汚い事実を話せ」
「言われなくても事実ならいくらでも話すぜ」
ダンデは椅子の背にもたれなかった。
背筋を伸ばし、手錠を掛けられているわけでもないのに、まるで被疑者席に座る人間の顔をしていた。
「政庁防衛時、私は執政官パーク・バーガーより臨時指揮権の譲渡を受けた」
委員長が顔をしかめる。
「パークは逃げたのか」
「違う」
「庇うのか」
「庇うわけねぇだろ」
ダンデは即答した。
「パークは臆病で、見栄っ張りで、決断が遅い。部下にしたい男じゃない。上司ならもっと嫌だ」
特命調査官クラウスの口元が固まった。
ダンデは続ける。
「だが、あの時、あいつは印章を渡した。臨時指揮権を俺に預けた。だから治安局、城衛府、避難所、物資配給の命令系統を一本化できた」
「そいつまで無かったことにするなら、報告書なんざ焼いた方がいい」
委員長グレイヴスは、少しだけ目を細めた。
「では、君はパークの判断を評価するのか」
「評価はしない」
「では何だ」
「事実だ」
ダンデの声が低くなった。
「人間ってのは不思議なもんでな。嫌いな相手が少しでも正しいことをすると、それを認めたくなくなる」
「だが、そこで嘘をついたら、死んだ奴らまで政争の道具になる」
彼は机上の死者名簿を見た。
「俺はそれが一番嫌だ」
「パークを吊るしたいなら、別の縄を用意しろ。あいつの失政なら山ほどある」
「だが、あの夜の臨時指揮権譲渡だけは、街を助けた」
「そこを捻じ曲げるな」
広間に、短い沈黙が落ちた。
記録官は以下のように記した。
――証人ダンデ・クロイス、執政官パークの人格及び行政能力について否定的見解を示すも、臨時指揮権譲渡の事実及び有効性については明確に肯定。
◇
【第一日午前 ローレン・ゲイデン個別聴取抜粋】
ローレン・ゲイデンは、疲れた顔をしていた。
目の下には隈があり、制服の袖口には洗っても落ちない血の跡が残っている。
委員長は、彼の前に一枚の出動記録を置いた。
「君はコープスパーティー発生時、城衛府の規定を超えて部隊を動かした」
「はい」
「治安局から正式命令は出ていない」
「はい」
「正式な命令がない中で部隊を動かし、さらには一時的に政庁への合流を遅らせ、民間人の子供を救出した」
「はい」
「噛まれた避難民を隔離し、場合によっては処分せよと指示した」
「はい」
委員長は、指先で机を叩いた。
「君は、ずいぶん簡単に越権を認めるのだな」
ローレンは静かに答えた。
「簡単ではありません」
「だが認める」
「認めます」
「理由は」
ローレンは少しだけ黙った。
答えを探したのではない。
言葉を選んでいた。
「規定は、街が生きていることを前提に作られています」
彼は、ゆっくりと言った。
「あの時、街は内側から死に始めていた」
「治安局の命令を待てば、間に合わない場所があった。城衛府の管轄外だからと見捨てれば、死ぬ人間がいた。感染者を見なかったことにすれば、避難所ごと墓場になった」
「私は規定を守らなかった」
「ですが、市民を守るという目的からは逃げなかったつもりです」
商人ギルド選任専門弁護官ミリアムが口を開いた。
「ローレン殿。あなたは商人ギルド会館を避難所として使用した際、ギルド側の正式承認を取っていませんね」
「取っていません」
「それにより、ギルド側には損害が出ています」
「補償手続きには応じます」
「そうではありません」
ミリアムは静かに扇を閉じた。
「あなたがそれをしなければ、何人死んでいましたか」
ローレンは、目を伏せた。
「分かりません」
「推定で結構です」
「百は超えたと思います」
「では記録に残しましょう」
ミリアムは委員会席へ向き直った。
「商人ギルドは、当該無断使用を緊急避難として扱うことに異議ありません」
委員長がわずかに顔を歪めた。
政争の材料が、一つ削られた顔だった。
ローレンは小さく頭を下げた。
「感謝します」
ミリアムは、表情を変えずに返した。
「礼は不要です。死者の数が増える方が、商売に響きますので」
その言葉は冷たかった。
だが、冷たいからこそ嘘ではなかった。
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