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サイコパス男爵とシリアルキラー姫~42人殺した娘を、父は今日も隠し続ける~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
第一部

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決着 後編

集積場へ向かう道は、街ではなく、傷口だった。


石畳は割れ、家々は半壊し、窓からは黒い布のような霧が垂れ下がっている。


その中を、三人は走っていた。


先頭にレオヴァン。


中央にローレン。


最後尾にアエーシュモー。


死者は襲ってくる。


だが、先ほどまでのような群れではなかった。


彼らは黒い心臓へ呼ばれていた。


集まり。


溶け。


混ざり。


一つのものになろうとしている。


「……気持ち悪ぃな」


レオヴァンが吐き捨てた。


「死体の臭いじゃねぇ」


「生きてる奴の臭いだ」


ローレンが横目で見る。


「どういう意味です」


「怒りだよ」


レオヴァンは鼻を鳴らした。


「恨み、妬み、恐怖、諦め」


「そういうもんが腐った臭いになって、街中にべったり張りついてやがる」


アエーシュモーが淡々と答える。


「正解です」


「コープスパーティーは、死体だけで成立する儀式ではありません」


「死者を動かすには、死者へ引き寄せられる感情が必要です」


「残された者の後悔」


「見捨てられた者の憎悪」


「奪われた者の怒り」


「それらが死者の肉を動かす燃料になります」


レオヴァンが立ち止まりかけた。


「お前、詳しいな」


「案外、お前がこの事件の犯人だったりしてな」


「はい」


「ふざけてる場合か」


レオヴァンの声が低くなる。


「そんなに素直に認められると、本当に疑っていいのか分からなくなるぜ」


「それが狙いですので」


アエーシュモーは即答した。


「と、ここまでが冗談です」


レオヴァンの戦斧が、わずかに上がる。


ローレンが二人の間に入った。


「じゃれ合いもそこまでにしてください」


「分かってる」


レオヴァンは奥歯を噛み締めた。


「失礼いたしました」


アエーシュモーは、二人を見ても表情を変えない。


「そろそろ集積場です」


「お静かに」


亡者の気配が濃くなる。


ローレンは、血のついた剣を握り直した。


会話はそこで切れた。


三人の前に、物資集積場の跡地が現れる。


そこには、もう倉庫街はなかった。


巨大な穴。


砕けた荷車。


溶けた鉄材。


黒い魔法陣。


そして中央に、黒い心臓が根を下ろしていた。


エディンムと戦っていた時には、魔力の流れに隠されていたのだろう。


今は違う。


隠す必要がなくなったのか。


あるいは、隠しきれなくなったのか。


心臓から伸びる無数の管が、街の方角へ続いている。


それは血管ではない。


糸だった。


死者と生者の感情を縫いつける、黒い糸。


その糸の上を、無数の声が流れていた。


《なぜ助けてくれなかった》


《貴族だけが逃げた》


《子供が死んだ》


《俺は税を払った》


《私は祈った》


《誰も来なかった》


《痛い》


《寒い》


《許さない》


黒い心臓の下で、何かが立ち上がった。


人型だった。


だが、人ではない。


顔はない。


輪郭は揺らぎ、身体は煙と血と涙でできている。


胸には無数の口。


腹には無数の目。


背中には、家、井戸、寝台、子供の玩具、折れた剣、破れた祈祷書。


ザレイドという街に積もった負の感情が、形を成していた。


レオヴァンが戦斧を構える。


「こいつが親玉か」


アエーシュモーが首を横に振る。


「違います」


「これは誰かが召喚した怪物ではありません」


「エディンムは火種です」


「教団は舞台です」


「核は器です」


「ですが、これを作ったのは、街そのものです」


ローレンは、その怪物を見上げた。


「街の……負の感情」


怪物が、ゆっくりと口を開く。


無数の声が重なった。


《お前たちは、いつも遅い》


《死んでから来る》


《焼けてから来る》


《奪われてから、守ると言う》


《泣き声が消えてから、名前を聞く》


ローレンの顔が歪む。


それは敵の声ではなかった。


市民の声だった。


守れなかった者たちの声だった。


レオヴァンが踏み込もうとする。


だが、ローレンが止めた。


「待ってください」


「何を待つんだよ」


「これは、ただ斬ればいい相手じゃない」


「じゃあ話し合うか?」


レオヴァンの声には苛立ちが滲んでいた。


「死者を歩かせて、生者を噛ませて、街を墓にしようとしてる相手と?」


ローレンは怪物を見たまま言う。


「話し合うんじゃない」


「聞くんです」


レオヴァンが息を呑む。


ローレンは一歩前へ出た。


「聞いた上で、終わらせる」


怪物の無数の目が、ローレンへ向いた。


《お前は誰だ》


「ローレン・ゲイデン」


《遅かった者》


「そうです」


《守れなかった者》


「そうです」


《なら、なぜ立っている》


ローレンは剣を下ろさなかった。


「まだ、生きている人がいるからです」


怪物が震えた。


怒りなのか、嘲笑なのか。


《死んだ者はどうする》


「忘れません」


《忘れる》


「忘れない」


《人間は忘れる》


「そうかもしれない」


ローレンの声が、わずかに揺れた。


それでも逃げなかった。


「それでも、私は記録します」


「名前を拾い、墓を作り、遺族へ伝え、賠償を求めます」


「報告書を書きます」


「間に合わなかった」


「助けられなかった」


「守れなかった」


「その事実ごと、残します」


「だから」


ローレンは剣を構えた。


「お前たちを、これ以上利用させない」


黒い心臓が激しく脈打った。


怪物が咆哮する。


声だけで、地面が裂けた。


アエーシュモーが手を掲げる。


「来ます」


黒い糸が、槍のように三人へ襲いかかった。


レオヴァンが前へ出る。


「考えるのはお前に任せた!」


戦斧が唸る。


「俺は叩き断る!」


黒い糸が、まとめて断ち切られる。


だが、切った先から再生した。


アエーシュモーが指を鳴らす。


黒赤い炎が広がり、糸を焼いた。


今度は再生が遅い。


「核の外殻は私が焼きます」


「レオヴァン殿は心臓を」


「ローレン殿は、周囲の祭具を破壊してください」


「祭具?」


ローレンが見回す。


瓦礫の陰。


砕けた倉庫の柱。


地面に刺さった黒い杭。


それらが、心臓から伸びる糸を街へ繋いでいた。


「分かりました」


ローレンが走る。


怪物の腕が伸びた。


それは腕ではない。


無数の手だった。


母の手。


子供の手。


老人の手。


兵士の手。


誰かにすがり、誰かを引きずり込もうとする手。


ローレンは歯を食いしばりながら斬った。


「すみません」


一つ斬る。


「間に合わなくて、すみません」


二つ斬る。


「でも、ここで止めます」


三つ斬る。


「あなたたちの死を、次の死の理由にはさせません」


黒い杭が砕ける。


心臓の鼓動が乱れた。


レオヴァンが跳ぶ。


「アエーシュモー!」


「外殻を開きます」


アエーシュモーの両手から、黒赤い炎が伸びた。


「世界よ。私に資格があるのなら応えよ」


珍しく、彼女の声に力がこもっていた。


「嗚呼、憐れなる迷い子らに、深き淵より祝福を」


「涙は凍てつき、魂は溶け合い、大いなる無の揺り籠へと誘う」


「奏でよ、終わりを告げる葬送の調べ。これより始まるは、永遠なる静寂の典礼なり」


「――深淵還葬(アビス・レクイエム)


黒赤い炎が、心臓の表面を焼いた。


悲鳴が上がる。


怪物ではない。


街中の死者が、一斉に泣いたような声だった。


レオヴァンは空中で戦斧を振りかぶる。


だが、その瞬間、黒い心臓の表面に顔が浮かび上がった。


子供。


老人。


女。


兵士。


ロゼらしき横顔も、一瞬だけ見えた。


レオヴァンの腕が止まりかける。


《斬るのか》


《また斬るのか》


《助けられなかったくせに》


《今度は殺すのか》


レオヴァンの奥歯が鳴った。


「……ああ」


低い声だった。


「斬る」


戦斧が光る。


「助けられなかった」


「間に合わなかった」


「綺麗事を言う気もねぇ」


「俺は勇者だが、神様じゃねぇ」


「死んだ奴を全員救えるほど、都合よくできてねぇ」


「だから――」


獅子の咆哮が、集積場に轟いた。


「これ以上、お前らを踊らせる奴をぶっ壊す!」


レヴァーンハウが黄金に輝く。


「世界よ!」


「俺がまだ立っていいと言うなら、牙を貸せ!」


「死者を縛る鎖を断て!」


「生者を呪う宴を砕け!」


「――獅子王破砕斬(ファング・クラスト)!!」


戦斧が、黒い心臓へ叩き込まれた。


一撃。


黒い外殻が割れる。


二撃。


鼓動が止まりかける。


三撃目。


ローレンが最後の黒杭を砕いた。


同時に、アエーシュモーの炎が心臓の内側へ流れ込む。


黒い心臓が、内側から膨れ上がった。


《いやだ》


《消えたくない》


《忘れるな》


《忘れるな》


《忘れるな》


ローレンが叫んだ。


「忘れない!」


その声は、剣よりも強く響いた。


「だから眠れ!」


レオヴァンが最後の一撃を振り下ろす。


心臓が砕けた。


音はなかった。


代わりに、黒い光が空へ噴き上がった。


ザレイド中を覆っていた黒い霧が、糸を失った布のように崩れていく。


歩いていた死者たちが、次々と倒れた。


政庁の扉を叩いていた亡者も。


路地を彷徨っていた子供の死体も。


家の前で立ち尽くしていた老人も。


すべてが、糸を切られたように静かに崩れた。



政庁前。


最後の死者が倒れた瞬間、ダンデはしばらく動けなかった。


剣を構えたまま、荒い息だけを吐く。


職員たちも、兵士たちも、誰も声を上げない。


勝利の歓声などなかった。


そこにあるのは、助かったという実感より先に押し寄せる疲労と、倒れた死者たちへの恐怖だった。


セレスティアは、政庁の階段に膝をついた。


アウグストゥスの黒球も、静かに消えていく。


ダンデが空を見た。


黒い心臓は、もうない。


代わりに、夕闇の空だけが広がっている。


「……終わったのか」


誰かが呟いた。


ダンデは答えなかった。


終わった。


少なくとも、コープスパーティーは終わった。


だが、街は焼けた。


人は死んだ。


記録は失われ。


家族は壊れ。


そして、犯人はまだ笑っているかもしれない。


ダンデは、血まみれの剣を下ろした。


「全員、動け」


疲れ切った声だった。


それでも、命令だった。


「負傷者を運べ」


「噛まれた者を隔離しろ」


「死者の数を数えろ」


「名前が分かるなら書け」


「分からないなら、場所と特徴を書け」


「一人も、ただの死体にするな」


職員たちが、震えながら動き出す。


セレスティアが、アウグストゥスを見た。


「ヴァーミリオン男爵」


「はい」


「これは終わりではないな」


アウグストゥスは、いつもの穏やかな顔へ戻っていた。


「ええ」


「ようやく、後始末の始まりです」


「私は、事件の後始末を言っているのではない」


セレスティアの目は鋭かった。


「犯人の話をしている」


アウグストゥスは微笑んだ。


「では、そちらもいずれ」


「いずれではない」


セレスティアは立ち上がる。


足元がふらつく。


それでも、彼女は目を逸らさなかった。


「私は、この街をここまで壊した者を許さない」


「教団だろうが」


「悪魔だろうが」


「貴族だろうが」


「老紳士の仮面を被った何者かだろうが」


一瞬だけ、アウグストゥスの笑みが深くなった。


「頼もしいことです」


「勇者殿がいてくださるなら、この街も安心ですな」


セレスティアは何も返さなかった。



集積場跡地では、黒い心臓の残骸が灰になって崩れていた。


レオヴァンは片膝をつき、肩で息をしている。


ローレンは剣を杖代わりにして立っていた。


アエーシュモーだけが、相変わらず乱れていない。


ただ、白い手袋の先だけが黒く焦げていた。


レオヴァンが、それに気づいて笑う。


「お前でも焦げるんだな」


「手袋が、です」


「可愛げのねぇ女だ」


アエーシュモーは、砕けた核を見下ろす。


「終わりました」


ローレンが、静かに首を振った。


「いいえ」


「コープスパーティーを終わらせただけです」


「まだパーティーの後始末が残ってます」


遠くで鐘が鳴った。


今度は警鐘ではない。


生き残った者たちが、互いの無事を知らせるために鳴らす鐘だった。


だが、その音はひどく弱い。


街全体が泣いているようだった。


ローレンは、その鐘を聞きながら呟く。


「名前を拾いに行きましょう」


「死者の」


「それと、生き残った者の」


レオヴァンは戦斧を肩に担ぎ直した。


「その前に、俺は一発寝たい」


「寝たら起きないかもしれませんよ」


「じゃあ起こせ」


「蹴っていいですか」


「噛みつかれてぇのか」


二人のやり取りを聞きながら、アエーシュモーは空を見上げた。


黒い心臓は消えた。


コープスパーティーは終わった。


だが、街に刻まれた負の感情は消えていない。


それは生者の胸へ戻っただけだ。


悲しみとして。


怒りとして。


疑いとして。


そしていつか、刃として。


アエーシュモーは小さく呟いた。


「……面倒なものですね」


誰に向けた言葉でもなかった。


レオヴァンが振り返る。


「何がだ」


アエーシュモーは答えない。


ただ、黒い灰の中を歩き出した。


その背中を、ローレンは黙って見ていた。


ザレイドの空には、ようやく夜が降り始めていた。


死者の宴は終わった。


だが。


宴を開いた者たちは、まだ食卓についている。


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