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サイコパス男爵とシリアルキラー姫~42人殺した娘を、父は今日も隠し続ける~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
第一部

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終結はまだ遠く

はい?


ダンデと私が戦っている間は誰が指揮をしてたのか?ですつて?


私が政庁に到着する前に、二階の安全な場所に通信設備と人を置いて、集まった情報を現場にそのまま送っていたそうですよ


必要な情報は送ってやるから、判断は各自の現場でしろ。だそうです


まぁ、あの場に作戦指揮をとれる人材は、私かダンデしかいませんでしたからね


二人とも前線指揮をしていては、仕方がないと思います


はぁ?現場に私かダンデ、一人いれば十分だった?


治安局がすでに落ちていたと言うのに、そのうえ政庁が落ちたら現場に必要な情報を誰がまとめて送るんですか?


まずは政庁の機能を維持すること、それが何よりも最重要だったと理解しております


——第一城門部隊長ローレン・ゲイデンの査問記録より抜粋。



 広場に、しばらく誰も声を出せなかった。


 死者の群れも減っている。


 核が砕かれたことで、周囲のアンデッドの動きも鈍った。


 倒れる者。


 膝をつく者。


 まだ這う者。


 完全に終わったわけではない。


 だが、政庁を叩き潰す腕は消えた。


 ダンデが半壊した玄関から顔を出す。


 頬は血まみれで、片目の上が腫れていた。


「おい!」


 彼は広場を見て、それから骨の山を見て、最後にレオヴァンを見た。


「何だ、今の骨の大掃除は。誰か説明しろ」


「俺は今日、役所の備品を壊した始末書だけで一生分の書類仕事を背負う予定なんだぞ」


 レオヴァンは瓦礫に仰向けで転がったまま、片手を上げた。


「俺がやった。褒めていいぞ」


「褒めてやるよ。よくやった。ついでにそのまま立て。まだ終わってねぇ」


「鬼かよ」


「治安局だ」


 ダンデはそう吐き捨て、アウグストゥスへ視線を移した。


 黒球は消えていた。


 老紳士はいつものように杖をつき、乱れた襟元を整えている。


 あれだけの魔法を使った直後だというのに、息一つ乱れていない。


 それが不気味だった。


「ヴァーミリオン男爵」


 ダンデの声が低くなる。


「あんた、随分と器用な魔法を使うんだな」


「貴族の嗜みですから」


「貴族ってのは、空間を噛み千切るのか」


「社交界では、噂話で人の心を噛み千切る方のほうが一般的ですな」


 ダンデは笑わなかった。


「冗談で流せる状況じゃねぇぞ」


 アウグストゥスは、そこで初めて彼をまっすぐ見た。


「クロイス殿。疑うなとは申しません」


「むしろ、疑っていただきたい。政庁がこの有様で、死者が街を歩き、治安局の内部には裏切り者がいる」


「今この街で、誰かを無条件に信じる者がいるなら、その方こそ危険です」


 言葉は丁寧だった。


 だが、妙に重い。


 まるで最初から、そう言えば疑う側が黙ると分かっているようだった。


「ただし」


 アウグストゥスは続ける。


「疑う順番は選ぶべきです」


「私を今ここで縛るのなら、それも結構」


「しかしその間に地下の感染者が暴れ、上階の悪魔憑きが逃げ、執政官が殺され」


「政庁が機能を失えば、この街は今夜を越えられません」


 ダンデの目が細くなる。


「よく喋るな」


「黙っていると、私は見た目だけで怪しい老人ですので」


「喋っても怪しいぞ」


「困りましたな」


 アウグストゥスは微笑んだ。


「では、怪しい老人として提案しましょう。」


「外の死者はアエーシュモーに任せる」


「レオヴァン殿とセレスティア殿は動ける範囲で広場を掃討」


「クロイス殿は内部指揮の立て直し、ローレン殿はマリス記録官の追跡」


「そして私は、執政官の安全確認へ向かいます」


 その場の空気が変わった。


 セレスティアが剣を支えに立ち上がる。


「待て」


 声は掠れていた。


 それでも鋭い。


「なぜ、あなたが執政官のもとへ行く」


「政庁の権限が失われれば、街の軍が動かせません」


「執政官パーク殿には、まだ印を押していただく必要がある」


「必要、か」


 セレスティアは彼を睨んだ。


「あなたは人を助ける時でさえ、駒の配置を話すのだな」


 アウグストゥスは、ほんの少しだけ沈黙した。


 そして、穏やかに答える。


「ええ」


「私はそういう人間です」


 短い言葉だった。


 だが、逃げなかった。


 セレスティアはその返答に、逆に押し黙る。


 善人ぶるより、ずっと不気味だった。


「ですが、セレスティア殿」


 アウグストゥスは続けた。


「駒という言葉がお嫌いなら、別の言い方をしましょう」


「人は誰かのために動き、誰かの都合で救われ、誰かの判断で見捨てられる」


「戦場では、それを美しい言葉で覆っている暇がない」


「私は今、パーク殿を救うのではありません。街を動かす権限を救いに行く」


 セレスティアの指が、剣の柄を強く握った。


「そして、そのついでに人が救われるのなら、私はそれで構わないと考えます」


 レオヴァンが低く笑った。


「最悪だな、あんた」


「よく言われます」


「だが今は、その最悪が必要ってわけか」


「残念ながら」


 ダンデが舌打ちした。


「気に入らねぇが、言ってることは間違ってねぇ」


 彼は半壊した玄関の奥へ振り返る。


 廊下の向こうから、悲鳴が聞こえていた。


 地下。


 上階。


 両方からだ。


「ローレンがマリスを追ってる」


「だが地下の隔離組が危ない。俺は内部指揮を取る。勇者殿、広場の残りを頼めるか」


 セレスティアは苦い顔で頷いた。


「任せろ、と言いたいところだが、正直、立っているのがやっとだ」


「正直でよろしい」


 ダンデは笑った。


「なら倒れるまで働け。倒れたら誰かに蹴って起こさせる」


「治安局は勇者を何だと思っている」


「高級な便利屋」


「覚えておく」


 少しだけ、空気が緩んだ。


 だが、それも一瞬だった。


 政庁の奥から、また悲鳴が上がる。


 今度は近い。


 ローレンの声も混じっていた。


「扉を閉めろ!」



 政庁内部の廊下は、血で滑った。


 ローレンは階段の前で、マリスと向かい合っていた。


 地下へ続く扉の向こうからは、隔離された感染者たちの呻き声が聞こえる。


 その声に混じって、泣き声もあった。


 家族を呼ぶ声。


 助けてくれと叫ぶ声。


 開けてくれと扉を叩く音。


 そして、扉の外側では職員たちが震えながら閂を押さえている。


「開けないでください!」


 若い職員が泣きながら叫んだ。


「中に、まだ人間のままの者がいるんです! さっきまで会話できていた者もいるんです!」


「 お願いです、ローレン隊長、あのまま閉じ込めたら――」


「閉じ込めろ」


 ローレンは即答した。


 若い職員の顔が歪む。


「でも!」


「聞け」


 ローレンはマリスから目を離さずに言った。


「お前が今、その扉を開けたいと思う気持ちは正しい」


「中に家族がいる者は、なおさらだろう。助けたいと思うのは当然だ」


「叫ばれれば手が動く。泣かれれば胸が裂ける。私だって、できるなら開けたい」


 ローレンの声は震えていなかった。


 だが、冷たくもなかった。


「だが開ければ、ここにいる全員が死ぬ」


「地下の避難民も、上の職員も、外で戦っている者も、助けを待っている市民も、全部巻き込まれる」


「俺たちは、今、助ける順番を選ばされている。最低の選択だ。だが、選ばない者から死んでいく」


 職員が歯を食いしばる。


 涙だけが落ちた。


「だから閉めろ。開けるな。中にいる者を見捨てるんじゃない」


「外にいる者をまだ死なせないために、扉を押さえろ」


 数秒の沈黙。


 やがて職員たちが、閂へ肩を押し当てた。


 扉の向こうから、爪で木を引っ掻く音が響く。


 マリスが楽しそうに笑った。


「美しいですね」


「何がだ」


「人間が人間を見捨てる瞬間です」


「自分だけは正しいと思い込みながら、誰かを扉の向こうに置いていく」


「その時の顔は、実に記録する価値がある」


 ローレンは剣を構えた。


「お前には分からないだろうな」


「ええ、分かりません」


 マリスの口元から黒い靄が漏れる。


「私は選ばない。私は悩まない。私は苦しまない」


「命じられた通りに、必要な混乱を作るだけです」


「あなた方が勝手に悩み、勝手に傷つき、勝手に壊れていく。その過程が面白い」


「なら、教えてやる」


 ローレンが踏み込んだ。


「悩まない奴は強いんじゃない」


 剣が走る。


 マリスの短剣が受ける。


 火花が散る。


「ただ、底が浅いだけだ」


 ローレンは押し込む。


 マリスの足が床を滑った。


「人間は悩む。迷う。選んだ後で吐きそうになる。間違えたと夜中に目を覚ます」


「救えなかった顔を忘れられずに、飯の味がしなくなる」


 さらに一撃。


 マリスの肩が裂ける。


 黒い血が壁へ飛ぶ。


「それでも次の日、また剣を持つんだ。守れなかった者がいたから、次は守る」


「見捨てた者がいたから、次は早く走る。そうやって立っている奴を、お前みたいな空っぽが嗤うな」


 マリスの笑みが消えた。


 ほんの一瞬。


 だが確かに、何かが揺らいだ。


「……空っぽ」


 マリスが呟く。


「ええ。そうですね。この器は空っぽです」


「エドワード・マリスは、もういない」


「妻の名も、同僚の顔も、仕事への小さな誇りも、全部食べちゃいましたからね」


 声色が変わった。


 その奥に、かすかなざらつきが混じる。


「ですが、空っぽだからこそ、よく響くのです」


 黒い靄が膨れ上がる。


「王の声が」


 ローレンの背筋に冷たいものが走った。


 マリスの身体が、不自然に反った。


 骨が鳴る。


 肩が外れ、首が曲がり、しかし笑っている。


「さあ、ローレン・ゲイデン」


「あなたは上へ行きますか」


「地下へ残りますか」


「それとも、私を追いますか」


 マリスが後ろへ飛んだ。


 窓ではない。


 壁でもない。


 黒い靄が廊下の一部を溶かし、細い穴を作っていた。


 その先に、執政官室へ続く階段が見える。


 ローレンの顔色が変わった。


「パーク殿がそこに居るのか!」


「記録官として申し上げます」


 マリスは血まみれの顔で、丁寧に一礼した。


「執政官死亡という一文は、混乱の仕上げとして大変分かりやすい」


「待て!」


 ローレンが走る。


 だが、地下扉が激しく揺れた。


 閂が軋む。


 職員たちが悲鳴を上げる。


「隊長!」


 上か。


 下か。


 マリスか。


 感染者か。


 ローレンの足が、一瞬だけ止まる。


 その一瞬を、マリスは笑った。


「ほら」


「選ぶ時間です」


 黒い靄が弾け、マリスの姿が階段の闇へ消える。


 直後、上階から執政官パーク・バーガーの悲鳴が響いた。


「誰か! 誰かおらんのか!」


 ローレンは歯を食いしばった。


 剣を握る手から血が滲む。


 地下の扉が、また一つ大きく軋んだ。


 上では執政官が叫んでいる。


 外では死者がまだ歩いている。


 政庁は、救う順番を誤れば、その瞬間に終わる。


 ローレンは、息を吸った。


 そして叫んだ。


「ダンデ!」


 その声は、半壊した政庁の中を突き抜けた。


「俺は上へ行く!」


「地下を頼む!」


 返事はすぐに来た。


 階下から、血まみれの怒号が響く。


「任せろ!」


「しくじったら、化けてでも説教してやる!」


 ローレンは走った。


 執政官室へ。


 マリスを追って。


 その背後で、地下扉の板が一枚、内側から裂けた。


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