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サイコパス男爵とシリアルキラー姫~42人殺した娘を、父は今日も隠し続ける~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
第一部

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白骨峠

 私は逃げたのではない!


 それは本当だ


 ただ市民の中にゾンビに噛まれた者が居たらしく、ローレンが処分したらしいと聞いて、安全な場所と言うか人が居ない部屋に籠っただけだ


 なんだその顔は!


 仕方がないではないか!


 私は執政官だぞ!


 私が居なければ、いったい誰がザレイドの指揮を執ると言うのだ!


 なに!指揮権ならダンデにだと!?


 私はそんなことは言ってない!


——パーク・バーカー査問記録より抜粋



 夕闇の空に、黒い星が浮かんでいた。


 星ではない。


 アウグストゥスが放った黒球だった。


 それらは政庁前の広場を囲むように静止し、落ちかけた太陽の赤を吸い込みながら、骨の巨人を取り巻いている。


 瓦礫の上を這う黒い靄。


 血で濡れた石畳。


 燃え残った死体。


 その中心で、餓者髑髏(ガシャドクロ)の骨の拳が政庁へ振り下ろされようとしていた。


 拳の影が、正面玄関を覆う。


 その下には、ダンデがいる。


 ローレンがいる。


 避難民がいる。


 まだ死んでいない者たちがいる。


「……落とされると困るのだよ、木偶の坊」


 アウグストゥスの声は、小さかった。


 だが、その声には先ほどまでの社交的な柔らかさがなかった。


 黒球が、一斉に動く。


 音はしない。


 ただ、空間が裂けた。


 ガシャドクロの拳へ、黒球が噛みつく。


 一つ目が親指を抉る。


 二つ目が手首の骨を削る。


 三つ目が肘の関節を消し飛ばす。


 切断ではない。


 破壊でもない。


 そこにあったものを、そこに存在しなかったことにするような、気味の悪い消失だった。


 骨の拳が政庁へ届く寸前で崩れた。


 ばらばらになった白骨が、広場へ降り注ぐ。


 屋根を叩き、石畳で跳ね、死者の群れの上に落ちる。


 ガシャドクロが叫んだ。


《いたい》


《いたい》


《いたい》


《いやだ》


《かえして》


 何十もの声が重なった。


 その声を聞いたセレスティアの顔が歪む。


 敵だ。


 倒さなければならない。


 それでも、その声はただの怪物の咆哮ではなかった。


 死んだ者たちの声だった。


 燃やされ、踏み潰され、噛まれ、助けを待っていた者たちの最後の欠片だった。


「……くそ」


 セレスティアは氷刻の円剣を握り締めた。


「こんなものを、誰が作った」


 問いではなかった。


 怒りだった。


 レオヴァンは血を吐き捨て、立ち上がる。


「決まってんだろ」


 彼はアウグストゥスを見た。


「この街のどっかに、人の死体を数じゃなく材料として見るクソ野郎がいるってことだ」


 アウグストゥスは答えない。


 黒球を操りながら、ガシャドクロの再生を観察している。


 砕いた腕は、すでに戻り始めていた。


 広場に散らばった骨が黒い靄に引き寄せられ、再び巨体へ貼りついていく。


「再生が止まらん」


 セレスティアが低く言う。


「核を砕くしかない。だが、さっきの一撃でも割れきらなかった」


「なら、もう一発叩き込む」


 レオヴァンは戦斧を肩へ担いだ。


 既に疲労は限界を超えている。


 それでも笑った。


 笑わなければ、身体が先に折れそうだった。


「男爵、さっきの黒い足場をもう一度出せ。だが落とすなよ。俺はまだ死ぬ予定が詰まってねぇんだ」


 アウグストゥスはゆっくりと振り返った。


「死ぬ予定がある方が珍しいと思いますが」


「勇者稼業やってりゃ、だいたい毎日仮予約だ」


「なるほど。では、今回は取り消しにしておきましょう」


 黒球が、再び空中へ並ぶ。


 階段ではない。


 安全な足場でもない。


 触れ方を間違えれば、足首ごと消える。


 それでもレオヴァンは、それを見上げて笑った。


「セレス」


「何だ」


「俺が核まで行く。お前は、あいつの胸を開けたまま固定しろ。できるか」


 セレスティアは一瞬だけ黙った。


 できる。


 そう即答するには、魔力が足りない。


 無理だ。


 そう認めるには、時間が足りない。


 彼女は剣先を石畳へ立てた。


「できるかどうかではない」


「やる」


「ただし長くは持たん。私の魔力はもう底が見えている。次に大技を撃てば、立っていられるかどうかすら怪しい」


「十分だ」


 レオヴァンは頷いた。


 その横で、アウグストゥスが静かに言う。


「では、私が再生を抑えましょう。もっとも、完全には止められません。あれは死体そのものより、死者の未練を骨格として結んでいる。切れば戻るし焼けば寄る。砕けば別の骨を拾う」


 セレスティアの目が鋭くなった。


「詳しいな」


「見れば分かります」


「私は見ても、そこまでは分からない」


 アウグストゥスは微笑んだ。


 だが、その笑みには感情がなかった。


「勇者殿は守るために戦う。私は壊すために戦う。視点が違うのでしょう」


「その答えで納得すると思うか」


「思っておりません」


 彼は黒い杖を握り直す。


「ですが、セレスティア殿。今この場で私を疑うことと、あの骸を止めること。」


「どちらを先になさいますか」


 セレスティアは唇を噛む。


 腹立たしい。


 だが正しい。


 正しいから、余計に腹立たしい。


「……終わったら聞く」


「ええ」


 アウグストゥスは穏やかに頷いた。


「生き残れたなら、いくらでも」


 レオヴァンが鼻で笑う。


「その言い方、毎回腹立つんだよ。」


「まるで俺たちが生き残るかどうかまで、てめぇの計算に入ってるみてぇでな」


 アウグストゥスは、ほんの一瞬だけ黙った。


 その一瞬が、返事より雄弁だった。


「……買い被りです」


「へぇ」


 レオヴァンは足元へ魔力を込めた。


「じゃあ、買い被りついでに俺を落とすなよ。」


「落としたら、死んでも化けて出て、てめぇの枕元で獣人の子守唄を朝まで歌ってやる」


「それは恐ろしい」


「だろ?」


 軽口。


 だが、声の奥には血の味が混じっていた。


 次の瞬間、レオヴァンが跳んだ。



 ガシャドクロが動いた。


 胸の核を守るように、肋骨が閉じていく。


 砕けた腕の代わりに、背中から何十本もの骨の腕が伸びた。


 それらが空中のレオヴァンへ殺到する。


 セレスティアが剣を掲げた。


「世界よ!」


 喉が裂けそうだった。


 それでも声を張る。


「私に資格があるのなら応えよ!」


 白い息が漏れる。


 足元の血が凍る。


「凍てつく理よ、その姿を鎖へ変えろ」


「動くな」


「泣くな」


「摂理を、そこへ縫い止めろ!」


 魔法陣が広がる。


「――氷棺縫鎖アイスコフィン・チェイン!」


 ガシャドクロの胸部へ、無数の氷鎖が走った。


 肋骨に絡みつき、骨の腕を縛り、胸の隙間をこじ開ける。


 黒い靄が氷を腐らせる。


 鎖はすぐに黒く染まる。


 ひびが入る。


 それでも、数秒だけ耐えた。


「レオヴァン!」


「分かってる!」


 レオヴァンは黒球を足場にして跳ぶ。


 一歩。


 二歩。


 三歩。


 空間の歪みを踏むたび、足裏に嫌な感触が走った。


 地面ではない。


 石でもない。


 世界の皮膚を踏んでいる感覚。


 吐き気がする。


 だが、落ちない。


 アウグストゥスは本当に足場を維持している。


 信用したくない相手ほど、こういう時に仕事をする。


「ほんと気に入らねぇ!」


 レオヴァンは吼え、最後の黒球を蹴った。


 ガシャドクロの胸へ迫る。


 核が見えた。


 赤黒い塊。


 その表面に、無数の顔が浮かんでいる。


 老人。


 女。


 子供。


 兵士。


 商人。


 誰かの母。


 誰かの息子。


 それらが一斉にレオヴァンを見た。


《やめて》


《こわい》


《まだしにたくない》


《いたい》


《たすけて》


 レオヴァンの戦斧が、一瞬止まった。


 声を聞いてしまった。


 ただの骨なら砕ける。


 ただの死体なら斬れる。


 だが、声がある。


 助けを求めている。


 死んだ後まで、まだ救われていない。


「……悪ぃ」


 レオヴァンは歯を食いしばった。


 戦斧を握る指に血が滲む。


「俺は勇者だが、神様じゃねぇ。」


「全部は拾えねぇ。お前らの名前も、家も、帰りたかった場所も、俺は知らねぇ」


 核の顔たちが、泣いている。


 泣いているように見えた。


「だけどな」


 レオヴァンの目に、獣の光が宿る。


「これ以上、お前らの死体を誰かの玩具にされるのは、俺が我慢ならねぇんだ」


 レヴァーンハウが黄金に輝く。


「だから終われ」


「恨むなら、後で俺を恨め」


 戦斧が振り上がる。


轟徠爆斧(ごうらいばくふ)!」


 雷が落ちた。


 黄金の奔流が核へ叩き込まれる。


 ひび割れた赤黒い塊が、内側から爆ぜる。


 ガシャドクロが絶叫した。


《あああああああああああああああ!!》


 声が街全体を揺らす。


 窓硝子が割れ、石畳が跳ね、政庁の壁が震える。


 セレスティアの氷鎖が砕け散った。


 レオヴァンの身体が反動で吹き飛ばされる。


 だが核は割れた。


 赤黒い塊が、真っ二つに裂ける。


 その奥から、黒い靄が噴き出した。


 人の顔を模した煙が、空へ逃げようとする。


「逃がしません」


 アウグストゥスが杖を振る。


 黒球が靄の出口を塞ぐ。


 逃げ場を失った靄は、ガシャドクロの内部で渦を巻いた。


 アエーシュモーが静かに手を上げる。


「燃やします」


 その一言だけだった。


 炎が走る。


 赤ではなく、黒を含んだ炎。


 核の残骸に絡みつき、黒い靄を焼いていく。


 ガシャドクロの巨体が崩れ始めた。


 まず腕が落ちる。


 次に肋骨。


 背骨。


 頭蓋の束。


 無数の骨が、支えを失って広場へ降り注いだ。


 最後に、青白い眼窩の炎が揺れた。


《おかあさん》


 小さな声がした。


 それきりだった。


 骨の巨人は、ただの骨の山になった。

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