怨嗟の骸
政庁前の広場へ出た瞬間、レオヴァンは舌打ちした。
「でけぇな、おい」
ガシャドクロは、瘴気を放ちながら立っていた。
巨体を構成している骨の一つ一つに、死者の顔が浮かんでいる。
泣いている顔。
怒っている顔。
何も分からない顔。
その全てが、同時に口を開く。
《あけて》
《なかにいれて》
《さむい》
《くるしい》
《いっしょに》
死者の声が重なる。
耳ではなく、頭の中へ直接流れ込んでくる。
セレスティアは膝を折りかけた。
レオヴァンが肩を貸す。
「聞くな」
「分かっている」
「分かってる奴の顔じゃねぇぞ」
セレスティアは唇を噛み、氷刻の円剣を握り直した。
政庁正面では、アエーシュモーが炎で死者の群れを分断している。
だがガシャドクロには効いていない。
炎が骨を炙っても、黒い靄がすぐに覆い、焼け焦げた部分を別の骨で補ってしまう。
「アエーシュモー殿!」
セレスティアが叫ぶ。
「あれは何だ!」
アエーシュモーは振り返らずに答えた。
「死者の集合体です」
「見れば分かる!」
「ならば質問の意味がありません」
「こいつ……!」
レオヴァンが苛立つ。
アエーシュモーは、淡々と続けた。
「おそらく、街中で発生した死体を核にしています」
「正確には、肉体ではなく未練と残留魔力を骨格化したもの」
「倒すなら、核を砕く必要があります」
「核はどこだ」
レオヴァンが尋ねる。
アエーシュモーは、ガシャドクロの胸部を見上げた。
無数の肋骨の奥。
そこに、赤黒く脈打つ塊があった。
骨と肉と黒い靄が固まった、心臓のようなもの。
「あちらです」
「分かりやすくて助かるぜ」
レオヴァンが戦斧を担ぐ。
だが、アエーシュモーが即座に首を振った。
「念のために言っておきますが、魔法による間接攻撃ではダメージは通りませんよ」
「あの黒い靄は結界ですので」
「飛べばいいだろ」
「お二人とも、そろそろ魔力が限界でしょう」
「飛びながら、魔法を撃てるのですか?」
「壁を蹴る」
「政庁の壁をこれ以上壊す気か」
セレスティアが割って入る。
「文句が多いぞ!」
「正論だ!」
その時、アウグストゥスが前へ出た。
黒い杖が石畳を叩く。
コツン。
「足場なら、私が作りましょう」
レオヴァンが睨む。
「また都合よく便利な魔法か」
「老人の取り柄は、小回りです」
「嘘くせぇな」
「ですが、必要でしょう?」
腹立たしいほど正しい。
レオヴァンは奥歯を噛んだ。
ガシャドクロが再び拳を振り上げる。
狙いは政庁の二階。
中にはまだ職員がいる。
避難民もいる。
ローレンもいる。
「やるぞ、セレス」
「分かっている」
セレスティアは痛む足で立ち、円剣を構えた。
彼女の魔力はもう多くない。
大技を撃てば、その後は動けない。
それでも目は死んでいなかった。
アウグストゥスが杖を振る。
空中に黒球が並んだ。
一つ。
二つ。
三つ。
それは階段ではなかった。
空間の歪みを固定した、足場のようなもの。
踏めば落ちるかもしれない。
触れれば身体ごと削られるかもしれない。
そんな不気味な足場だった。
「落ちたら恨むぞ、男爵殿」
「生きていれば、いくらでも」
「死んだら?」
「墓前で謝罪をいたしましょう」
「やっぱり信用ならねぇな」
レオヴァンは笑った。
そして走る。
黒球を足場に、空中へ跳び上がった。
◇
政庁内部。
ローレンとマリスの剣が、薄暗い廊下で交差した。
マリスの動きは速い。
記録官の身体とは思えない速度だった。
だが、剣術ではない。
反射。
筋力。
人間の身体を壊すことを前提にした無茶な動き。
骨が軋んでも、関節が外れかけても、止まらない。
「その身体を何だと思っている」
ローレンが斬撃を受け流す。
「玩具です」
マリスは即答した。
「玩具は壊れるまで使い倒すのが正しい」
「本人はもういないのか」
「ええ」
笑顔。
「綺麗に食べちゃいましたからね。 私が」
怒りでローレンの剣が一瞬だけ重くなる。
その隙を、マリスは見逃さない。
短剣がローレンの脇腹を掠める。
血が滲む。
「怒りましたか」
「当然だ!」
「人間は不便ですねぇ」
マリスの背後から、死んだ職員が掴みかかってくる。
ローレンは肘で砕き、蹴り飛ばす。
「感情があるから判断が遅れる」
「感情があるから迷う」
「感情があるから間違える」
「おもねる、妬む、嘘をつく」
「違うな」
ローレンは踏み込んだ。
「感情があるから、踏み止まれる」
剣が走る。
マリスの肩を裂いた。
黒い血が飛ぶ。
だが、マリスは痛みを見せない。
「なるほど」
「では、その感情でどこまで守れるか試しましょう」
マリスが指を鳴らす。
廊下の奥で、扉が開いた。
地下へ続く階段。
そこから、噛まれて隔離された者たちの呻き声が聞こえた。
ローレンの顔が変わる。
「貴様……!」
「変異が始まったようです」
マリスは笑う。
「上か、下か」
「私か、避難民か」
「選ぶ時間です」
ローレンの喉が鳴った。
その一瞬。
外から轟音が響く。
ガシャドクロの拳が、政庁の壁を砕いた音だった。
◇
空中で、レオヴァンは吼えた。
「邪魔だ、骨野郎!」
レヴァーンハウがガシャドクロの肩へ叩き込まれる。
骨が砕け散る。
だが、すぐに別の骨が集まり、穴を塞ぐ。
「再生が速ぇ!」
「核を狙え!」
下からセレスティアが叫ぶ。
彼女は地上で円剣を突き立て、ガシャドクロの足元を凍らせていた。
完全には止まらない。
だが、動きを鈍らせることができた。
骨の足が石畳に縫い止められ、ガシャドクロの巨体がわずかに傾いた。
「今です」
アウグストゥスが静かに言う。
黒球が胸部の前に三つ開く。
ガシャドクロの肋骨が、その黒球に触れた瞬間、空間ごと削られた。
胸の核が一瞬だけ露出する。
赤黒い塊。
脈打つ死の心臓。
レオヴァンの目が光る。
「見えた!」
だが、核の周囲から無数の腕が伸びた。
死者の腕。
子供の腕。
老人の腕。
焼け焦げた手。
その全部が、レオヴァンの身体を掴もうとする。
《たすけて》
《いたい》
《いかないで》
《おいていかないで》
声が、頭の中へ滑り込む。
レオヴァンの動きが一瞬だけ鈍った。
「レオヴァン!」
セレスティアの叫びが飛ぶ。
レオヴァンは歯を食いしばった。
「悪いな」
戦斧を振りかぶる。
「助けられねぇ」
黄金の魔力が戦斧へ集まる。
「だから、終わらせてやる」
レヴァーンハウが吼えた。
「獅子王破砕斬ォォォッ!!」
斧が核へ叩き込まれる。
轟音。
赤黒い塊に亀裂が走る。
だが、砕けない。
「硬ぇ!」
ガシャドクロが絶叫した。
無数の声が重なり、広場の全員が耳を押さえる。
巨体が暴れ、レオヴァンを空中で振り払った。
「ぐっ!」
レオヴァンの身体が吹き飛ぶ。
その先には、砕けた政庁の壁。
衝突する寸前、黒球が一つ開いた。
空間が歪み、勢いが殺される。
レオヴァンは石畳へ転がった。
「助けたつもりかよ」
血を吐きながら睨む。
アウグストゥスは涼しい顔で答えた。
「勇者殿には、まだ働いていただかねば」
「その言い方やめろ。殺したくなる」
「今はご勘弁を、ですが後でならいくらでも相手をいたしましょう」
ガシャドクロの核は、まだ脈打っている。
ただし、亀裂は入った。
あと一撃。
だがレオヴァンは片膝をついたまま、すぐには立てない。
セレスティアは魔力切れ寸前。
アエーシュモーは死者の群れを抑えている。
アウグストゥスは静かに杖を握り直した。
その目が、ほんの少しだけ冷たくなる。
「仕方ありませんな」
彼が前へ出ようとした、その時。
政庁の上階から、ローレンの叫びが響いた。
「地下を封鎖しろ!」
続いて、マリスの笑い声。
さらに、避難民の悲鳴。
セレスティアの顔色が変わる。
「中も限界だ」
ガシャドクロは砕けかけた核を抱え込み、再び拳を振り上げる。
狙いは、政庁の中央。
あの一撃が落ちれば、地下ごと潰れる。
アウグストゥスは、初めて笑みを消した。
「……それは困る」
小さな声だった。
誰にも聞かせる気のない本音。
だが、レオヴァンの耳は拾った。
「何が困るんだよ、男爵」
アウグストゥスは答えない。
ただ、黒い杖を掲げた。
その背後で、空間が歪む。
一つではない。
十。
二十。
三十。
無数の黒球が、夕闇の中に浮かび上がった。
それは防御ではない。
明らかに、殺すための配置だった。
セレスティアが息を呑む。
「ヴァーミリオン男爵……あなたは」
「ご質問は後ほど」
アウグストゥスは静かに告げる。
「今は、あの骸を黙らせます」
ガシャドクロの拳が落ちる。
同時に、黒球が一斉に動いた。
夕闇の政庁前で、空間そのものが牙を剥いた。
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