友軍散る
商人ギルド会館の扉が開いた時、外の風は熱を帯びていた。
燃えた肉の臭い。
煙。
血。
そして、アンデッド特有の湿った腐臭。
ローレンは剣を抜き、先頭に立った。
隣にはアエーシュモー。
黒いメイド服の裾は、相変わらず汚れていない。
その後ろに兵士たちが続く。
「道は私が開きます」
アエーシュモーが淡々と言った。
「ただし、政庁まで最短距離を進みます。遅れた者を助けに戻る余裕はありません」
「分かっている」
ローレンは短く返す。
それでも後ろを振り返った。
商人ギルドの内側では、先ほどの少女が母親に抱きしめられている。
泣き声。
祈る声。
扉を閉める音。
生者の音だった。
「行くぞ」
ローレンが踏み出す。
その瞬間、アエーシュモーが指先を振った。
炎が、石畳の上を走る。
一直線。
赤い剣で道を切り開くように、ゾンビの群れを左右へ分断した。
腐肉が焼け、死者たちの動きが鈍る。
「今です」
「走れ!」
ローレンの号令で、兵士たちが一斉に駆け出した。
その一団の中に居た年若い兵士だけは、アエーシュモーの横顔を追ってい居た。
——炎の道。
その左右から、死者たちが腕を伸ばす。
焼けた指が、兵士の肩当てを掴む。
ローレンが斬り落とす。
「止まるな!」
走る。
走る。
政庁の尖塔が見えてくる。
その鐘楼は、もう鐘を鳴らしていなかった。
鳴らす者がいないのか。
それとも、鳴らす意味がなくなったのか。
広場へ出た瞬間、ローレンの表情が強張った。
政庁前は、死者で埋まっていた。
バリケードの一部は砕け、正面扉には大穴が空いている。
中から槍が突き出され、死者の頭を貫いていた。
だが、数が違いすぎる。
押し込まれている。
「ダンデ……!」
ローレンは駆け出そうとした。
その前に、アエーシュモーが手を上げる。
「下がってください」
声は平坦だった。
「巻き込まれます」
炎が、彼女の足元に集まる。
それは通常の火ではない。
赤の奥に、黒が混じっている。
ローレンは本能的に一歩下がった。
アエーシュモーが詠唱する。
「世界よ。私に資格があるのなら応えよ」
炎が膨れ上がる。
「道を塞ぐ死肉を焼け」
「腐敗を灰へ」
「歩みを阻むものへ、終わりを」
「――炎壁葬路」
炎の壁が、政庁前の広場を横断した。
死者たちが焼ける。
倒れる。
だが悲鳴はない。
死体だからだ。
燃えながら、なおも這う。
それでも動きは鈍る。
正面扉へ押し寄せていた圧力が、一瞬だけ緩んだ。
「今しかない!」
ローレンが叫ぶ。
「突入する!」
兵士たちが走る。
政庁の破れた扉へ向かって。
中では、ダンデが最後の机を押さえていた。
肩から血が流れ、左頬には爪痕がある。
それでも、目だけは死んでいない。
「おい」
ローレンが扉の隙間から飛び込む。
「遅くなりました」
ダンデは振り返る。
口元だけで笑った。
「遅刻だ、馬鹿野郎」
「道が混んでいまして」
「死人の行列か」
「ええ。人気の店のようでした」
軽口を交わす暇は、ほんの一秒の沈黙。
「それで?私の部下は今どこにいるのですか。」
「部かぁ?」
言いかけて、ダンデはハッとした。
その反応を見てローレンは全てを察した。
どうやら彼らは、政庁にたどり着けなかったらしい。
ダンデがローレンに声をかけようとした次の瞬間、死者たちが再び扉へ殺到した。
ローレンが剣を構える。
ダンデが隣に立つ。
背後では職員たちが、崩れたバリケードを組み直している。
「状況は」
ローレンが尋ねる。
「最悪だ」
ダンデが答える。
「局長は通信に出ない。治安局の指示は来ない。執政官は地下で震えてる」
「いつも通りですね」
「笑えねぇよ」
ローレンは広場の向こうを見た。
アエーシュモーが、炎の中で死者を焼いている。
あまりにも静かに。
あまりにも簡単に。
その背中は頼もしい。
同時に、不気味だった。
「ダンデ」
「何だ」
「治安局が動かないのは、ただの混乱ではないかもしれません」
「……だろうな」
ダンデの顔から軽薄さが消えた。
「こっちも同じことを考えてた」
政庁の奥から、職員が駆けてくる。
「ダンデ殿!」
「地下の避難民の中に、噛まれた者がいます!」
空気が凍った。
ローレンとダンデが同時に振り返る。
「症状は」
「腕が黒く……それと、意識が混濁しています」
ダンデが舌打ちした。
「くそ」
「外だけじゃねぇのかよ」
政庁の中に感染者。
避難所と同じことが、ここでも起きる。
いや。
ここで起きれば終わりだ。
地下には執政官も、民間人も、負傷者もいる。
ローレンは剣を握り直した。
「私が行きます」
「外は俺が押さえる」
ダンデが即答する。
「お前は地下を見ろ」
ローレンは頷き、走り出す。
その背に、ダンデが叫んだ。
「殺す判断が必要なら迷うな!」
ローレンの足が一瞬だけ止まる。
だが振り返らない。
「分かっています」
そう答えて、地下へ向かった。
◇
集積場跡に、夜の気配が近づいていた。
黒い靄は薄くなったが、完全には消えていない。
瓦礫の隙間からは、まだ小さな呻き声が聞こえる。
セレスティアは、レオヴァンの肩を借りて立っていた。
「追うぞ」
「無茶言うな」
レオヴァンは即座に拒否した。
「お前、立ってるだけで限界だろうが」
「まだ戦える」
「そう言うことは、自分の足で立てる奴がだけが言って良いんだよ」
セレスティアは言い返そうとした。
だが、言葉より先に咳が出る。
口元に血が滲んだ。
レオヴァンの表情が険しくなる。
「ほら見ろ」
「……不覚だ」
「不覚で済むうちに黙ってろ」
「死んだら後悔もできないだろ」
アウグストゥスは二人を見ていた。
静かに。
観察するように。
「政庁へ向かいましょう」
彼は言った。
「エディンムは、あちらへ意識を向けさせようとしていました」
「罠かもしれねぇぞ」
レオヴァンが睨む。
「罠でしょうな」
アウグストゥスは、あっさり認めた。
「ですが、政庁が落ちれば街は終わります」
正論だった。
だからこそ厄介だった。
レオヴァンは奥歯を噛む。
目の前の男を信用できない。
だが、その言葉は間違っていない。
セレスティアが静かに言った。
「行くぞ」
「……分かったよ」
レオヴァンは戦斧を肩へ担ぎ直す。
アウグストゥスが歩き出す。
その背中へ、セレスティアが声をかけた。
「ヴァーミリオン男爵」
「はい」
「先ほど、エディンムに何を言った」
アウグストゥスは足を止めた。
少しだけ振り返る。
夕闇のせいで、その表情はよく見えない。
「お静かに、と」
「化け物にも礼儀は必要でしょう」
セレスティアは黙った。
嘘だ。
やはり、そう思う。
だが証拠はない。
レオヴァンも同じ顔をしていた。
アウグストゥスは穏やかに微笑む。
「疑われるのは慣れております」
「ですが、今は急ぎましょう」
「疑問は、生き残ってからいくらでも」
その言い方が、妙に引っかかった。
まるで。
自分たちが生き残ることまで、計画の中に入っているようだった。
遠くで、政庁の方角から轟音が響く。
何かが崩れた音だった。
セレスティアの顔が変わる。
レオヴァンが走り出す。
アウグストゥスも杖をつきながら、信じられない速度で後に続いた。
夕闇のザレイドに、死者の呻き声が広がっていく。
政庁はまだ落ちていない。
だが、崩壊の音は確かに近づいていた。




