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サイコパス男爵とシリアルキラー姫~42人殺した娘を、父は今日も隠し続ける~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
第一部

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ザレイド崩壊

愚かな生き物だ。


眼前を右往左往する人間たちを見ながら、私は心の中で嗤っていた。


エドワード・マリス。


今、この肉体に貼りついている名である。


だが、その人格はもう存在しない。


あの日、我が主――王の中の王、アエーシュマ様の命により、この男の魂はすり潰され、喰われ、輪廻の輪からも弾き出された。


残ったのは、治安局記録官エドワード・マリスという仮面だけ。


よくできた皮袋。


よく動く書記机。


それ以上の価値はない。


私は地下書庫に積み上げられた書類へ視線を落とした。


失踪者名簿。


首無し死体事件。


黒山羊と毒ヘビの教団。


魔力禍。


西区大火災。


人間たちは、それら全てを巨大な組織が引き起こした一連の事件として処理しようとしている。


滑稽だ。


全ては、個人が小さな犯罪を隠すために始めたことだというのに。


四十二の死体は、壊れた小娘の愛情表現。


大火災は視線を逸らすための幕。


偽りの教団は駒。


勇者は盤上へ誘導された剣。


そして、政庁そのものが最後の舞台になる。


もう間もなく幕は上がる。


そのためには――物語をもっと壮大に盛り上げる必要がある。


地下書庫へ、一人の若い職員が駆け込んできた。


「マリスさん! 局長から、動ける人員は全て――」


私は穏やかな笑みを浮かべた。


「ご苦労様です」


青年は一瞬、言葉を止めた。


怖気づいたのだろう。


肉体に染みついた本能が危険を告げる。


「今、外が大変で……」


言葉は最後まで続かなかった。


袖口から滑り落ちた短剣が、青年の喉元へ吸い込まれる。


ぶつり。


肉を裂く感触。


青年は何が起きたのか理解できないまま目を見開き、喉を押さえた。


「……ぁ……」


赤い血が指の隙間から溢れ、石床へ滴る。


私は倒れ込む身体を静かに支え、そのまま本棚の陰へ寝かせた。


「静かに眠りなさい」


「もうすぐ、この街はもっと賑やかになります」


死体を暗がりへ押し込み、私は再び記録官の仮面を被る。


誰にも気づかせない。


邪魔な職員の本性を隠し。


治安局を混乱の渦へと叩き落す。


それがこの男に与えられた、最後の仕事だった。



ローレン・ゲイデンは、門の関所へ来ていた。


ロゼ夫人が突き止めた薬品。


それを扱う商会へ、誰が品を卸していたのか。


その報告書を受け取るためである。


本来なら、ただの確認作業で済むはずだった。


だが集積場の方角で爆音が響き、空へ黒い靄が噴き上がった瞬間、話は変わった。


廊下の向こうから鈍い物音が響く。


「今の音は……!」


ローレンは足を止めた。


胸の奥に嫌な予感が走る。


だが、立ち止まっている時間はない。


教団と思われる勢力は、すでに各地へ散っている。


一人で対処できる規模ではなかった。


もしもを想定して、ローレンは兵士たちが集まっていた食堂へ駆け込む。


そこでは、ザレイド防衛部隊の一部が食事をしていた。


「総員招集だ!」


ローレンの声が食堂に響いた。


「第三中隊! 第五中隊! 武装して正面広場へ集結!」


「全員に伝えろ!」


兵士たちが一斉に振り向く。


だが、すぐには動けなかった。


こういう時の規定がない。


防衛部隊は、外敵との戦いを想定した組織である。


城壁の外から来るモンスター。


盗賊団。


侵攻してくる敵兵。


そういう相手に備えてきた。


都市内部で発生した大規模テロへの行動規定は、存在しない。


書かれているのは一つだけ。


治安局の指示に従うこと。


だが、その肝心の治安局が音信不通だった。


「ローレン隊長!大変です!」


「街でアンデットが暴れてます!」


若い兵士が不安げに声を上げる。


命令を待っている。


ローレンは一瞬だけ目を閉じた。


(仕方がない)


(状況は不明だが、こちらで勝手に動く)


目を開ける。


迷いは消えていた。


「まずは市民の安全確保だ」


「ここから一番近く、市民を収容できる施設は星十字教会の大聖堂だ」


「第三中隊は避難誘導」


「第五中隊は関所前で防衛線を張れ」


「怪我人を見つけたら、戦える者と動けない者に分けろ」


「動ける者は運ばせろ。泣いてる暇はない」


兵士たちが動き出す。


その時、通信用の魔導具が鳴った。


ピリリリリリ。


ローレンは即座に取る。


「こちらローレン。そちらの所属を確認したい」


返ってきたのは、聞き慣れた声だった。


『相変わらず真面目だな、お前さんは』


「ダンデか」


『そうだ。で、挨拶は省くぞ』


通信の向こうで、何かが扉を叩く重い音が聞こえた。


『政庁が襲われてる』


『お前の部隊、動かせるか?』



一方、西区。


崩れた鐘楼の前で、吹雪が渦を巻いていた。


「世界よ! 止まれ! お前は美しい!」


セレスティアの氷刻の円剣が、白銀の光を帯びる。


「――聖氷翼輝光輪穿(アセンション)!」


放たれた氷華が、大地ごとエディンムを飲み込んだ。


白銀の檻。


英雄級勇者の十八番。


並の魔物なら、肉も骨も魂すら凍りつく一撃だった。


しかし。


パキン。


氷に一本の亀裂が走る。


続いて。


パリンッ!!


巨大な氷塊が、内側から砕け散った。


「……効かぬ」


白い息を吐きながら現れたエディンムは、全身へ霜を纏っていた。


それだけだった。


傷一つない。


「残念よのう」


「その技は、妾には効かぬぞえ」


セレスティアが息を呑む。


「氷耐性……!」


瞬間、黒刃が閃いた。


ガギィン!!


レオヴァンの戦斧が、セレスティアとの間へ割って入る。


「セレス! 下がれ!」


「バカスカ大技ばっか撃ってんじゃねえ!」


押し返そうとする。


重い。


腕が軋む。


「くっ……!」


エディンムは笑った。


「ほっほっほっほっ」


「アーティファクトで戦闘力を底上げしても、その程度とはのう」


セレスティアは剣を握り直した。


得意の氷が封じられた。


ならば純粋な剣技で勝負するしかない。


だが、それは相手の土俵だった。


レオヴァンは頭の中で最善手を探す。


(セレスの技が効かねぇ)


(こいつとセレスを戦わせるより、街の救援へ行かせてぇ所だが)


(俺一人じゃこいつを抑えられねぇ)


(二人がかりで、ようやく戦いの形になってる状況だ)


(勝つには、あと一人)


(少なくとも俺たちと同格の奴が要る)


そこまで考えた瞬間。


アウグストゥスとアエーシュモーの顔が頭に浮かんだ。


レオヴァンは、皮肉に口元を歪める。


(無理だろ)


(この事件を裏で操ってる親玉に、助けを求めるわけにゃいかねぇ)


頭を振って別の可能性を探す。


探し続ける。


エディンムは余裕の笑みを崩さない。


街では亡者が増えている。


政庁へ向かっている。


だが、二人は動けない。


目の前の化け物を放置すれば、それこそ街が終わる。


「どうしたかえ」


エディンムが指先を揺らした。


黒い靄が、鋭い槍となって周囲に浮かぶ。


「妾は退屈が嫌いじゃ」


「もっと踊れ」


次の瞬間、黒槍が一斉に放たれた。



政庁正面玄関。


「急げ!」


ダンデ・クロイスの怒声が吹き抜けに響く。


「机を積め!」


「本棚も倒せ!」


「窓という窓を全部塞げ!」


職員たちは重い執務机を何人がかりで押し、入口へ積み上げていく。


棚。


樽。


石像。


掲示板。


ありとあらゆる物が、即席の防壁になった。


「使えるものは何でも使え!」


「武器が足りねぇなら、その辺のモップにナイフでも巻きつけろ!」


「庁内の民間人は地下へ避難させろ!」


「泣いてる奴は荷物を運ばせろ! 泣くだけの元気があるなら働け!」


ダンデは正面扉を睨み続ける。


外から、不気味な衝撃音が鳴り始めていた。


ドン。


ドン。


ドン。


何者かが、ゆっくりと扉を叩いている。


誰も口を開かない。


静寂の中で、ダンデだけが低く告げた。


「そのまま耐えてろ」


そう指示を出すと、腕の通信具へ魔力を流した。


通信先はローレンだった。


ピリリリリリ。


着信を告げる音。


すぐに繋がる。


『こちらローレン。そちらの所属を確認したい』


「相変わらず真面目だな、お前さんは」


「まあ、いいことだが」


「それより、政庁が襲われてる」


「お前の部隊、動かせるか?」


ダンデは名乗らず、さっさと本題へ入った。


『ダンデか』


ローレンの声が硬くなる。


『助けに行ってやりたいのは山々だが、こういう時は治安局の指示に従うことになっている』


『俺の独断でそこまで思い切ったことは……。」


「俺にできるのは、せいぜい近くの民間人を保護するくらい——』


「バッキャロー!」


ローレンが言い終わる前に、ダンデが怒鳴った。


「治安局の内情は、お前も知ってるだろ!」


「あいつらがまともに指示なんて出せるわけがねぇ!」


外で、さらに強く扉が叩かれる。


ドン。


木材が軋んだ。


「それより政庁を守れ」


「無能でも、執政官の権力は大事だ」


「街の治安局も、防衛部隊も、最終的には執政官パーク・バーガーの権限で動く」


「つまりだ」


ダンデは歯を剥くように笑った。


「ここを俺たちで押さえれば、街の全軍に指示が出せる」


通信の向こうで、短い沈黙があった。


ローレンが考えている。


ダンデには分かった。


あの男は生真面目だ。


規則を破る時でも、理由を必要とする。


だから、理由をくれてやる。


『……確かに』


ローレンの声が返る。


『パーク殿の能力は、お世辞にも高くない』


『俺たちで補佐した方が街のためになる』


「そういうことだ」


『分かった。すぐそちらに向かう』


『それまで死ぬなよ、ダンデ』


「あったりまえだ」


ダンデは、いつ破られてもおかしくないバリケードを見据えながら答えた。


「俺はこの後、街の英雄としてご婦人方に囲まれる予定だからな」


通信が切れる。


その直後。


正面扉の板が、一枚砕けた。


隙間から、黒く腐った指が差し込まれる。


職員の一人が悲鳴を上げた。


ダンデは剣を構える。


「来るぞ」


「ここを抜かれたら、政庁は墓場だ」


彼は職員たちを振り返らない。


背中だけで告げる。


「死にたくなけりゃ、机を押さえろ」


次の瞬間。


扉の向こうから、亡者の群れが一斉に体当たりを始めた。


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