コープスパーティー
私は、守らねばならないのです。
いえ。
信念などと呼べるほど、大層なものではありません。
ただ、漠然とそう思っているだけでして。
この街に生まれ、この街で育ちました。
ならば、何か一つくらい、この街の役に立ちたい。
常にそう思ってはいるのですよ。
――ローレンの回想録より抜粋
◇
昼の太陽が少し傾きかけた頃、黒く抉られた街並みがところどころ黒煙を上げていた。
崩れた石造りの家屋からは細い煙が立ち昇り、焼け焦げた梁が、時折耐え切れなくなったように崩れ落ちる。
風が吹くたび、灰が舞った。
その灰は雪のように静かだった。
だが、人の肌へ触れた瞬間、生温かい。
さっきまで、そこに誰かがいた証だった。
悲鳴はない。
泣き声もない。
あまりにも多くの命が、一瞬で奪われたせいだ。
静寂だけが、街を支配していた。
◇
「……っ!」
レオヴァンは、瓦礫の山を突き破って飛び起きた。
肺へ焼けるような空気が流れ込む。
全身が痛い。
右肩は外れ、左腕からは血が滴っていた。
レオヴァンは跪き、地面に外れた肩を思いっきり叩きつけて強引に嵌めなおす。
ゴッキン!
体の中で骨がぶつかり合う。
それと同時に、一瞬走った激痛を無視して、姿が見えないパートナーの名を呼んだ・
「セレス!」
怒鳴る。
返事はない。
レオヴァンは鼻を鳴らした。
血。
煙。
死臭。
焼けた石。
そして、わずかに氷の魔力。
「いた!」
瓦礫を蹴散らしながら走る。
十数歩先。
崩れた鐘楼の下敷きになったセレスティアを見つけた。
胸は上下している。
生きている。
「おい!」
レオヴァンは石材に手を掛けた。
筋肉が悲鳴を上げる。
それでも力任せに持ち上げ、投げ飛ばした。
ようやく自由になったセレスティアが、激しく咳き込む。
「……レオ、ヴァン」
「生きてんな」
「当然だ」
言葉とは裏腹に、その顔色は真っ白だった。
額から血が流れ、左足は不自然な方向へ曲がっている。
それでも彼女は、剣だけは離していなかった。
「ロゼ夫人は」
その問いに、レオヴァンは黙った。
答える必要はなかった。
魔法陣の中心にいた。
あの爆発だ。
生きている可能性は、限りなく低い。
セレスティアも理解したのだろう。
ゆっくり目を閉じ、小さく息を吐いた。
「……そうか」
その時だった。
遠くで鐘が鳴る。
いや、鐘ではない。
警鐘だ。
街中の鐘楼が、一斉に危険を知らせ始めていた。
レオヴァンが顔を上げる。
黒い靄は消えていない。
むしろ、街全体へ広がり始めている。
そして、その靄の中を。
人影が、ゆっくりと立ち上がった。
「……おい」
最初は一人。
次に三人。
十人。
二十人。
さらに増える。
倒れていた住民たちが、次々と起き上がっていく。
折れた首をぶら下げたまま。
腹を抉られたまま。
焼け焦げた身体のまま。
死人が歩いていた。
セレスティアが歯を食いしばる。
「まさか……」
レオヴァンは低く唸った。
「始まりやがった」
侶胡王国で黒山羊と毒ヘビの教団が起こした、死霊の祭典。
コープスパーティー。
亡者たちは、まだ二人に気づいていない。
だが、ゆっくりと同じ方向へ歩き始める。
何者かに呼ばれているように。
街の中心へ。
政庁のある方角へ。
その光景を見たセレスティアの瞳から、迷いが消えた。
「止めなければ」
「街へ行くぞ、レオヴァン」
レオヴァンは苦く笑った。
「足、折れてる奴が言う台詞じゃねぇぞ」
「ぬっ?」
セレスティアは自分の足を見下ろし、忌々しげに眉を寄せた。
「ええい、こんなもの!」
彼女は片手を傷口へかざす。
「世界よ、私に資格があるなら応えよ」
「傷は命の証」
「痛みは生の代償」
「されど今は、その試練を退ける時」
「欠けし肉を繋ぎ、裂けし血脈を結び、乱れし生命を調えたまえ」
「我は癒しを願う」
「世界よ、その願いを認めたまえ」
「――治々癒療」
淡い光がセレスティアの左足を包む。
折れた骨が音を立てて戻り、裂けた肉が塞がっていく。
だが、セレスティアは治癒魔法が得意ではない。
形は戻る。
血も止まる。
しかし痛みは残る。
「ぐっ……」
立ち上がろうとして、彼女の顔が歪んだ。
「ほら、乗れ」
レオヴァンが背を向ける。
セレスティアは一瞬だけ躊躇したが、すぐに彼の背へ身体を預けた。
「行くぞ」
「ああ」
二人は瓦礫を踏み越え、亡者が歩く街へ向かって走り出す。
その時。
背後から、邪悪な気配が膨れ上がった。
エディンム。
始祖のリッチー。
「どこへ行くのかえ?」
甘ったるい声が、灰まみれの空気を撫でた。
「まだ妾の相手が終わっておらんじゃろう」
「それとも、退屈しのぎに妾が街の住人を虐殺して回ってもよいと言うのか」
「のう、勇者よ」
レオヴァンは忌々しげに振り向いた。
「二人で速攻で蹴りつける」
「その後、あのアンデッドの群れを薙ぎ払う」
「それでいいな?」
返事を待たず、レオヴァンは背負っていたセレスティアを地面へ下ろした。
セレスティアは痛む足で踏ん張り、氷刻の円剣を構える。
「他に選択肢もなさそうだ」
エディンムが、楽しげに笑う。
「よい」
「妾を楽しませよ」
そして。
始祖のリッチーと、二人の勇者の死闘が始まった。
◇
その頃。
政庁の尖塔では、黒い靄を見上げながら、一人の男が拳を握っていた。
ダンデ・クロイスである。
彼は偶然、執政官へ現状報告をするため政庁を訪れていた。
「……最悪だ」
四十二人の首無し死体事件。
旧時計塔。
黒山羊と毒ヘビの教団。
その全てが、今この瞬間、一つへ繋がった。
そう見えるように、繋がってしまった。
そして彼は、まだ知らない。
これは教団が起こした災厄ではない。
誰かが、教団という舞台装置を使って仕組んだ、最悪の一手に過ぎないことを。
ダンデは腕輪型の通信具へ魔力を通す。
「局長」
「至急、政庁に人を回してくれ」
通信具の向こうから怒鳴り声が返ってくる。
ダンデの眉が動いた。
「はあ?」
「集積場にアンデッドが大量に湧いてる?」
彼は眼下を見下ろした。
政庁前の大通り。
そこには、黒い靄に包まれた死者たちが、ゆっくりと集まりつつあった。
「奇遇だな」
ダンデは乾いた声で言った。
「俺の目の前にも、アンデッドが日頃の政治不満をぶちまけに来てる」
「税金が高ぇってな」
通信具の向こうが一瞬黙る。
「冗談を言ってる場合かって?」
「分かってるよ、クソが」
ダンデは腰の剣を抜いた。
「政庁を落とされたら終わりだ」
「執政官を避難させろ」
「第三課と第五課の記録を地下へ移せ」
「焼くな。捨てるな。持てるだけ持ち出せ」
「それと――」
目の前の亡者の群れが、徐々に速度を上げ始める。
「誰でもいい」
「戦える奴を全部寄越せ」
通信を切る。
ダンデは階段へ向かって走った。
政庁の下では、門衛たちがすでに槍を構えている。
その先に、死者の群れ。
誰もが顔を青ざめさせていた。
ダンデは叫ぶ。
「門を閉めろ!」
「中へ入れるな!」
「噛まれた奴は下がれ! 強がるな、足手まといになる!」
亡者たちが、政庁前の広場へ押し寄せる。
政治へ不満を持つ市民のデモ隊なら、まだ話も通じただろう。
だが、彼らはもう市民ではない。
死体だ。
税を払わず、文句も言わず、ただ生者を引きずり込むだけの群れだった。
ダンデは奥歯を噛み締める。
「ローレン」
「生きてるなら、とっとと来い」
◇
パーラメント邸の会議室では、アウグストゥスとアエーシュモーが資料の整理をしていた。
突然。
雷鳴よりも大きな爆音が響いた。
一拍遅れて、屋敷全体が衝撃波に呑まれる。
窓硝子が震え、棚の書類が床へ散った。
使用人の悲鳴が廊下から聞こえる。
アウグストゥスは窓の外を見た。
集積場の方角。
そこには、巨大な煙が上がっていた。
「始まったようだな」
声は静かだった。
だが、眉間にはわずかな皺が寄っている。
「少し……いや、かなり予想より被害が出ているようだが」
アウグストゥスは、隣に立つアエーシュモーへ視線を向けた。
「あれは、お前の指示か? アエーシュモー」
彼の計画では、イフリートが焼き払った西区の被害者の怨念を媒介に、コープスパーティーを始める予定だった。
それだけで十分だった。
十分すぎるほど、街は教団を恐れる。
十分すぎるほど、執政官は事件解決を急ぐ。
だが窓から見える煙は、それ以上の被害を示していた。
必要のない破壊。
必要のない死。
計算外の犠牲。
アエーシュモーは、悪びれることなく答える。
「はい」
「我々の目的の性質上、事件の規模は大きければ大きいほど効果があると思いまして」
「いけませんでしたか?」
アウグストゥスは数秒、黙った。
「いけないわけではない」
声は低い。
「だが、必要のない犠牲者は出すな」
「無関係の人間を巻き込めば、ルーシュが嫌がる」
「お前も知っているはずだ」
「失念しておりました」
アエーシュモーは軽く頭を下げた。
「次からは気をつけます」
謝罪の言葉。
だが、声に悔いはない。
顔にもない。
いつも通りの無表情。
それなのに。
アウグストゥスには、彼女がどこか楽しんでいるように見えた。
「……お前」
言いかけて、止める。
今ここで責めても、時間の無駄だ。
街はすでに動き出している。
死者も、勇者も、治安局も。
ならば今やるべきは、叱責ではない。
修正だ。
「状況を確認する」
アウグストゥスは散らばった資料の中から、地図を拾い上げた。
「政庁の防衛状況」
「勇者二人の生存」
「ロゼ夫人の安否」
「そしてエディンムの制御」
「全て確認しろ」
「畏まりました」
アエーシュモーが一礼する。
アウグストゥスは窓の外を見た。
黒い靄が、街の中心へ流れていく。
「六日以内に、事件を終わらせる」
老紳士は静かに呟いた。
「その予定は変えん」
その横で、アエーシュモーは無表情のまま目を細めた。
「では、少々急ぎましょう」
「このままでは、街そのものが終わってしまいますので」
皮肉なのか。
忠告なのか。
あるいはただの事実確認なのか。
アウグストゥスには判断できなかった。
ただ一つ、確かなことがある。
盤面は、まだ彼の手の中にある。
だが、駒の一つが楽しみすぎている。
それは、極めて不愉快な誤差だった。
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