残り6日 昼(時計塔地下にて)
ああん?
俺が獣人の里から出て初めて人の街に行った時、探窟家ギルドで困ってたって?
誰に聞いた……。
ああ、セレスか。
ちげぇよ。
それ逆だ。
あいつは、もともと水の精霊に使える修道女だったんだが、修道院生活が肌に合わなくてだな。
修道院から旅費かっぱらって、探窟家になろうとしてカモにされかけてたのを、俺が助けたんだよ。
あの女、たまにヤベェこと言い出すから話半分に聞いとけよ。
——レオヴァンの回想録より抜粋
◇
地下通路の奥で、蝋燭の火が揺れていた。
壁にこびりついた黒い煤が、炎の明滅に合わせて蠢く。
湿った石壁。
腐った藁。
積み重なった木箱。
そして、空気に混じる獣臭。
人間の臭いではない。
もっと濃く、もっと生々しい。
長い時間をかけて染み付いた狂気の臭いだった。
天井の隙間から滴る水音が響く。
ポタリ。
ポタリ。
ポタリ。
まるで誰かが秒を刻んでいるようだった。
その静寂を破ったのは、血だった。
――ザシュッ!!
鋼が肉を裂く。
黒い外套の男が一人、首筋から血を噴き上げながら崩れ落ちた。
ローレンの剣だった。
先頭の一人を斬り伏せ、その勢いのまま横薙ぎへ移る。
二人目。
三人目。
狭い通路では人数差は活きない。
むしろ邪魔になる。
前列が倒れれば後列は詰まる。
「ヴォオオオオッ!」
狂信者の一人が叫びながら飛び込んできた。
剣術ではない。
ただ殺意だけで振るう短剣。
ローレンは半歩だけ身体をずらした。
空振る。
そのまま肘を顎へ叩き込む。
骨が砕ける音。
男が吹き飛ぶ。
だが異常だった。
普通なら怯む。
普通なら逃げる。
普通なら死体を見て足が止まる。
だが彼らは違った。
倒れた仲間を踏み越え。
血を浴びながら。
笑っていた。
「黒ヤギを讃エよ!」
「クロ山羊ヲ讃えよ!」
「クロ山羊を讃エヨ!」
祈りのように。
呪いのように。
何十回も繰り返している。
ローレンの眉がわずかに動いた。
(洗脳か)
狂信者では説明がつかない。
目が死んでいる。
意志がない。
まるで誰かに操られているようだった。
その時。
背後。
風を切る音。
ローレンは振り返らない。
剣を後ろへ流した。
キィィン!!
機械弓の鉄杭が弾かれる。
火花。
同時に前へ踏み込む。
射手との距離を詰める。
機械弓は強力だ。
だが再装填が遅い。
次を撃つ前に間に合う。
男が慌てて後退する。
遅い。
ローレンの剣が腹を裂いた。
内臓が零れる。
男は膝をついた。
だが。
そこで終わらなかった。
「……?」
男が笑っていた。
口の端を裂くような笑み。
そして次の瞬間。
男の首筋が膨らんだ。
血管が浮く。
皮膚の下で何かが動いている。
ローレンは反射的に飛び退いた。
直後。
男の口から黒い何かが飛び出した。
蛇。
いや。
蛇に似た影だった。
煙のような身体。
虫のような牙。
生き物と魔法の中間。
それが一直線にローレンへ襲いかかる。
「ちっ!」
剣が閃く。
影は真っ二つになった。
だが切断面から黒い煙が噴き出す。
床へ落ちた瞬間、溶けるように消滅した。
ローレンは初めて表情を険しくした。
魔物ではない。
召喚獣でもない。
見たことがない。
「なんだ今のは……?」
そう呟いた時だった。
奥の大部屋から歓声が上がった。
「始マった」
「始まっタ」
「ハジまった」
狂信者たちが笑う。
気味が悪いほど揃っていた。
まるで同じ夢を見ているように。
そして。
部屋の中央に立っていた祭司らしき男が、ゆっくりと両手を広げた。
「兄ダイ姉マイよ」
掠れた声だった。
だが地下全体によく響く。
「冒トクの時カンだ」
空気が変わった。
温度が下がる。
蝋燭の火が一斉に青く染まった。
ローレンは直感した。
まずい。
これはただの教団ではない。
何かを始める気だ。
そして、その何かは。
四十二人の首無し死体よりも。
西区の大火災よりも。
さらに深い場所へ繋がっている。
祭司の男は、ゆっくりと笑った。
「死者ニ証言シテいただコう」
その言葉と共に。
大部屋の奥から。
重い扉が開く音が響いた。
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