開かずの間
アウグストゥスは魔法ギルドで錬金術の素材を受け取ったあと、仕立て屋へ戻った。
しかし店を覗いてみても、ルーシュたちの姿はない。
店主のナトーに尋ねると、どうやら二人は店先で知り合った少年を連れて、先に屋敷へ戻ったらしい。
アウグストゥスが屋敷へ帰ると、応接室には見慣れない少年がいた。
年は十四歳ほどだろうか。
名前はロバート・デーン。
栗色の髪に、鳶色の瞳。
顔立ちは整っているが、まともに食事を取れていないのだろう。頬は少しこけていた。
身にまとっているのは薄汚れた服。
おそらく一張羅なのだろう。
だが、その身なりとは不釣り合いに、ロバートは高級なティーカップの持ち手をつまみ、妙に優雅な仕草で紅茶をすすっていた。
「それで?」
アウグストゥスは、少年から視線を外さずに言った。
「彼は何者で、なぜ我が家にいるのか。説明してくれるかね、アエーシュモー」
説明を求められたアエーシュモーは、表情一つ崩さなかった。
ただ、小さく息を吐く。
「はぁ……」
明らかにやる気のない溜息だった。
それから、淡々と説明を始める。
どうやらロバートは、店先でルーシュとぶつかった際に怪我をしたらしい。
その治療のため、屋敷へ連れてきたということだった。
事情を理解したアウグストゥスは、ロバートへ向き直る。
「こちらの不注意で怪我をさせてしまったようだ。申し訳ない」
そして、割ってしまった酒の弁償を申し出た。
アエーシュモーが、小さな革袋をロバートへ手渡す。
ロバートが中を確認すると、そこには金貨が六枚ほど入っていた。
明らかに、割れた酒の代金を超えている。
普段の生活では見ることもない大金に、ロバートは目を丸くした。
「こ、こんなに!?」
「気にすることはない」
アウグストゥスは穏やかに言う。
「酒の代金に加え、君の時間を奪ったことへの謝罪も含めた金額だ。受け取ってほしい」
「いや、でも……あの酒、オイラのじゃなくて、ケインさんのところへ届けに行く途中だったやつです」
ロバートは革袋を見つめながら、困ったように続けた。
「だから弁償って言うなら、オイラじゃなくてケインさんにお願いします」
「なるほど」
アウグストゥスは小さく頷いた。
「だが、その金はやはり君に受け取ってほしい」
「え?」
「こちらの不注意で君に怪我をさせたのは事実だからな。ケインさんとやらには、また別に弁償しよう」
「えっ! いいんですか?」
「構わんさ」
アウグストゥスは冗談めかして肩をすくめる。
「社交界で、平民の子に怪我をさせておきながら知らん顔をしたなどと陰口を叩かれずに済むなら、安いものだよ」
場を和ませるための軽口。
少なくとも、表向きはそうだった。
だが内心では、かなり本音に近い。
平民に冷たい貴族だと評価されるより、平民にも手を差し伸べる博愛主義者だと見られた方が、社交界では味方が増える。
そう判断していた。
アウグストゥスは、口に出した方が評価の上がる本音なら、惜しみなく口にする。
もちろん、嫌味に聞こえないよう細心の注意を払った上で、だ。
そういう打算に、ロバートは疎いのだろう。
彼は革袋を握りしめると、ぽつりと呟いた。
「……やった。これで母さんに、栄養のあるものを食べさせてあげられる……」
素直な驚き。
その後に浮かんだ、安堵の表情。
そして小さな声で漏れた母親への心配。
アウグストゥスは、それを聞き逃さなかった。
「君の母親が、どうかしたのかね?」
ロバートは気まずそうに視線を泳がせた。
「実はオイラ、三年前から母さんと二人で暮らしてて……親父は、その……どっか行っちゃって」
「でも母さん、体が弱くて、ろくに働けないから」
「オイラが一人で……」
そこまで聞いて、アウグストゥスは静かに手を上げた。
「いや、失礼。不躾なことを聞いてしまったようだ」
それから少し考え、続ける。
「だが、お詫びと言ってはなんだが、仕事に困っているなら、しばらく我が家で働いてみるかね?」
「え?」
「君さえよければ、だが」
アウグストゥスはロバートの服装を一瞥した。
「その様子から察するに、配達の仕事ではろくな収入もないのだろう?」
「我が家の仕事なら、もう少し色をつけて払ってもいい」
「え? いいんですか?」
「構わんさ。怪我をさせてしまったお詫びだ。引き受けてくれると助かる」
ロバートは信じられないという顔で、アウグストゥスを見つめた。
貴族から仕事を紹介されるなど、彼の人生では一度もなかったことである。
だが、喜びより先に不安が頭をよぎった。
「でもオイラ、字もあんまり読めないし、礼儀とかも分からないですよ?」
「問題ない」
即答だった。
「君に執事や貴族の真似事をさせるつもりはない」
アウグストゥスは紅茶を一口飲み、続ける。
「やってもらうのは日常の雑務だ」
「雑務?」
「ああ。荷物運び、買い出し、使い走り、庭の掃除」
「難しい仕事はアエーシュモーに任せればいい」
アエーシュモーは無表情のまま、わずかに目だけを動かした。
「明日からにでも来てくれるかね? 君さえよければ、だが」
ロバートは少し迷った。
話があまりにうますぎる。
だが、母親の状態を考えれば、断る理由などなかった。
短い沈黙の後、ロバートは深く頭を下げた。
「はい。ぜひ、やらせてください」
不安を心の奥底へ沈め、ロバートはその話を受けることにした。
その後、ロバートは屋敷を後にした。
玄関まで見送りに出たアウグストゥスは、ロバートが門をくぐっていく後ろ姿に軽く手を振る。
その横に控えていたアエーシュモーが、静かに口を開いた。
「よろしかったのですか?」
「何がだね?」
「あの少年を屋敷で働かせることです」
「話し相手がギルエルだけでは、ルーシュも退屈そうなのでな」
アウグストゥスは門の向こうへ去っていくロバートを眺めたまま答える。
「働いてもらうとしても、せいぜい一ヶ月かそこらだ」
「そう大事にもならんだろう」
「承知いたしました」
アエーシュモーはそれ以上深く尋ねなかった。
スカートを軽くつまみ、膝を曲げ、姿勢よく一礼する。
そのまま屋敷の中へ戻ろうとした。
しかし、アウグストゥスが背を向けたまま問いかける。
「そういうお前は、なぜあの少年を屋敷に招き入れた?」
不意の質問に、アエーシュモーは振り向かなかった。
ただ、足を止めて答える。
「その質問には、すでにお答えしたかと思いますが」
「あの子が、お嬢さまとぶつかって怪我をしたので、治療のために連れてきた。それだけです」
「それだけか?」
「他に何があると?」
「……まあ、いい」
アウグストゥスはそれ以上追及しなかった。
「仕事に戻りたまえ」
「かしこまりました」
その後、錬金術研究の支援について話し合うため、ユーリッヒ男爵が屋敷を訪れた。
会談はつつがなく終わった。
その夜。
屋敷の中にある、ギルエルが“開かずの間”と呼んでいる一室。
そこでルーシュは、一人でくすくすと笑っていた。
手には、滑らかな楕円形の硬質な塊を抱えている。
「ねえ、知ってる?」
ルーシュは、その楕円形の物に向かって話しかけた。
「義父さまがね、私に内緒で、私のためにドレスを作ってくれているのよ」
「やっぱり、私はお父さまに愛されているのね」
うっとりとした笑みを浮かべながら、ルーシュは楕円形の物を天井へ掲げる。
だが、指先の上でバランスを崩した楕円形の物は、するりと手からこぼれ落ちた。
ゴロゴロ、と床を転がっていく。
やがて楕円形の物は、部屋の隅に置かれた棚にコツンとぶつかって止まった。
その棚には、大量の頭蓋骨が並べられていた。
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