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サイコパス男爵とシリアルキラー姫~42人殺した娘を、父は今日も隠し続ける~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
第一部

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残り6日 朝(治安局にて)

朝日が、政庁の尖塔を黄金色に染めていた。


鐘楼から響く鐘が、石造りの街へゆっくり広がっていく。


中庭では清掃人たちが箒を動かし、事務官たちは革鞄を抱えて次々と庁舎へ吸い込まれていった。


いつもと変わらない朝。


そう見えるように、街は動いていた。


治安局第三課。


戸籍と失踪届を管理する部署の一角で、エドワード・マリスは机に向かっていた。


羽根ペンが羊皮紙を走る。


さらさらと。


迷いなく。


寸分の躊躇もなく。


机の上には、昨夜から積み上げられた書類の山がある。


失踪者名簿。


戸籍照合記録。


区域別集計表。


巡察隊報告書。


その全てが、整然と並んでいた。


いや。


正しくは、整えられていた。


本来そこに存在していたはずの偏りは、もうない。


西区。


南西街区。


河川沿いの貧民区。


三年前から続いていた、不自然な失踪者の集中。


その痕跡は、綺麗に削り取られていた。


代わりに散らされているのは、別の数字だった。


旧時計塔付近。


廃倉庫街。


南西スラム。


失踪者は、スラムの特定区域に集中している。


そう見えるように。


誰かが欲しがる答えへ、数字が膝を折っている。


エドワードは最後の一枚へ印章を押した。


第三課記録官承認。


赤い印が羊皮紙に刻まれる。


それだけだった。


表情は空虚で、瞳には何も映っていない。


失踪者の名前も。


数字の意味も。


自分が書き換えた事実すら。


彼の中は、すでに空っぽだった。


「マリス記録官」


声がした。


若い事務官だった。


「上級監察官ダンデ・クロイス殿が来られています」


エドワードは顔を上げる。


ゆっくりと。


糸で操られている人形のように。


「そうですか」


声に感情はない。


書類を革紐で束ねる。


集計表を重ねる。


確認印の位置を揃える。


そして立ち上がった。


廊下の窓から差し込む朝日が、羊皮紙を照らしている。


そこに記された数字は歪だった。


不均衡で、特定の場所に失踪者が偏っている。


あまりに分かりやすく。


あまりに都合よく。


応接室の扉を開くと、ダンデ・クロイスが待っていた。


椅子へ深く腰掛けた男は、相変わらず鋭い眼差しをしている。


机には冷めかけた茶が置かれていた。


「朝早いな、マリス記録官」


「ご依頼の件がまとまりましたので」


エドワードは書類束を差し出した。


ダンデが受け取る。


一枚目を開く。


二枚目。


三枚目。


四枚目。


沈黙。


紙を捲る音だけが続いた。


やがて、ダンデの眉がわずかに動く。


「随分偏った数字だな」


「十年分を再調査しました」


エドワードは淡々と答える。


「年単位では失踪者発生率そのものに、大きな変動はありません」


「ほう」


「中央市場付近に集中しているように見えたのは、集計上の錯誤です。実際には、スラムの特定区域に偏っております」


ダンデの視線が止まった。


羊皮紙から目を離さないまま、低く言う。


「中央市場?」


「そんな話があったのか」


「初耳だが」


エドワードは瞬きもしない。


「初期集計で、そのように見える箇所がありました」


「再集計の結果、誤差と判断しました」


「誤差、ね」


ダンデは次の頁を開く。


区域別集計表。


旧時計塔周辺。


廃倉庫街。


南西スラム。


「偏っているのは、スラムの旧時計塔付近か」


「はい」


「そこが教団関係者の活動区域だと言いたいのかね」


「四か月前から失踪者が増えているので、その可能性が高いかと」


即答。


迷いはない。


それがかえって薄気味悪かった。


「なるほどな」


ダンデは書類を閉じた。


納得した顔ではない。


だが、否定する顔でもない。


監察官としては、使える資料だった。


少なくとも、表面上は。


「助かった」


ダンデは立ち上がり、書類束を革鞄へ収めた。


「これで捜査方針を固められる」


「お役に立てて何よりです」


機械のような返答だった。


ダンデは扉へ向かう。


その直前。


足を止めた。


「ところで、マリス記録官」


「はい」


「昨夜は寝ていないのか?」


エドワードは瞬きをした。


ほんの一瞬。


空白が生まれる。


だが、それもすぐに消えた。


「問題ありません」


「そうか」


ダンデは数秒だけ彼を見つめた。


疲労ではない。


罪悪感でもない。


何かを隠している人間の気配でもない。


ただ、抜け落ちている。


表情ではなく。


人間としての湿り気が。


「……無理はするなよ」


「お気遣い、痛み入ります」


返答は丁寧だった。


丁寧すぎた。


ダンデは踵を返す。


扉が閉まる。


足音が遠ざかる。


応接室に静寂が戻った。


エドワードは窓の外を見た。


朝日が街を照らしている。


平和な朝だった。


少なくとも。


そう見えるように、作られていた。



治安局の廊下を歩きながら、ダンデは再び書類へ目を落とした。


失踪者発生区域一覧。


旧時計塔周辺。


廃倉庫街。


南西スラム。


どれも貧民が多く住む場所だった。


不自然ではない。


むしろ、あまりにも自然すぎる。


革靴が石床を叩く。


一定の速度で。


迷いなく。


だが、思考だけは止まらない。


マリスの様子がおかしい。


徹夜明けだからではない。


疲労とも違う。


あれは、何かを隠している顔でもない。


何も感じていない顔だった。


階段を降りた先で、一人の男が待っていた。


治安局という古巣を離れ、今は兵を従え街の警備に携わる男。


ローレンである。


「クロイス殿」


「待たせたな」


ダンデは確認していた書類束を差し出した。


「それとこっちは、改めて調べさせた四十二人の首なし死体の検視結果だ。」


ローレンが受け取る。


その場で一枚目を開く。


数秒後。


眉がわずかに動いた。


「失踪者がスラムに集中?」


「第三課の再集計だ」


「十年分だそうだ」


ローレンは無言で頁を捲る。


数字を追う。


区域名を確認する。


発生率を見る。


最後の頁まで目を通すと、最初へ戻った。


「どう思う」


ダンデが尋ねる。


ローレンはすぐには答えなかった。


資料を閉じる。


再び開く。


今度は、失踪者数の推移だけを見る。


「数字だけ見れば、筋は通っています」


「だろうな」


「ですが」


ローレンの指が、一つの欄を叩いた。


中央市場周辺。


そこに記された数字は、驚くほど少ない。


「少なすぎます」


ダンデの目が細くなる。


「ほう」


「市場は人が集まる場所です」


「旅人も来る。日雇い労働者もいる。孤児もいる。身元の曖昧な者が、毎日出入りしている」


ローレンは頁を捲る。


「失踪者が出ても発覚しにくい条件が揃っている」


「なのに、十年間ほぼ横ばいです」


「逆にスラム側だけ、四か月前から綺麗に増減している」


ローレンは指先で羊皮紙を軽く弾いた。


「作り物みたいな数字です」


沈黙。


ダンデは口元を歪めた。


「面白いことを言う」


「根拠は勘です」


「捜査官にとっては十分だ」


ローレンは資料を革紐で束ね直した。


「まずは確認してみます」


「何をだ?」


「スラムの旧時計塔です」


即答だった。


「数字が正しいなら、何かあるでしょう」


「間違っているなら……治安局の人間に任せたクロイス殿が悪いということで、後日ご自分で集計を取り直してください」


ダンデは、心底嫌そうな顔をした。


「うげっ」


数秒だけ沈黙する。


そして頷いた。


「そうしてやるよ」


「ただし旧時計塔の捜査は表向きは、適当にでっち上げた行方不明者の聞き込みと言う事にしておけ」


「教団関係者に探っていると知られれば、逃げられかねん」


「承知しました」


「それと」


ダンデは声を落とす。


「四十二人の首無し死体だが、身元は結局、分かりそうにない」


「個人を特定できるものが少なすぎる」


ローレンの表情がわずかに曇った。


「そうですか」


「ではなおさら、この資料はありがたい」


「死体の名前が分からないなら、失踪者側から当てるしかないですからね」


「ああ」


うなずくダンデにローレンは一礼した。


「では、旧時計塔を見てきます」


そのまま踵を返す。


窓の外では、朝の市場が動き始めていた。


荷車が行き交い。


商人が店を開き。


鐘の音が街へ響いている。


誰も知らない。


その喧騒の先に。


アウグストゥスが用意した、教団へ続く道が敷かれていることを。


そして。


その道を疑いながらも、ローレンが今まさに歩き出したことを。


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