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サイコパス男爵とシリアルキラー姫~42人殺した娘を、父は今日も隠し続ける~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
第一部

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接近警戒 前編

夜明け前のザレイドは、奇妙な静けさに包まれていた。


鳥はまだ鳴かない。


市場も開かない。


空だけが薄青く染まり始めているのに、街は眠ったままだった。


だが、ハウスマン子爵邸だけは違った。


廊下を使用人たちが右往左往し、侍女たちは泣きそうな顔で走り回っている。


怒号が飛び、陶器が割れ、誰かが短い悲鳴を上げた。


その中心にいるのは――リーベル・ハウスマンだった。



「お嬢様! お待ちください!」


「うるせぇ!!」


花瓶が飛んだ。


壁に激突し、甲高い音を立てて砕け散る。


老執事は反射的に身を屈めたが、飛び散った破片が頬を掠めた。


薄く血が滲む。


リーベルは豪奢な客間の中央で、次の獲物を探すように視線を走らせていた。


椅子を蹴り飛ばす。


机をひっくり返す。


引き千切ったカーテンを床へ叩きつける。


目に入るものすべてが、彼女の苛立ちの餌食になっていた。


「クソが!!」


「クソクソクソクソ!!」


「イライラすんだよ!!」


叫び声は、昨夜までのリーベルのものではなかった。


ルトベール・ハウスマン子爵は、客間の入口で立ち尽くしていた。


娘が反抗期になった。


そんな言葉で済むなら、どれほど楽だったか。


目の前にいるのは、行儀よく笑い、父を気遣い、夜会で会釈の角度まで気にしていた娘ではない。


皮だけ同じで、中身が違う。


そう思ってしまうほど、完全に別物だった。


「リーベル……」


ルトベールは震える声で呼びかけた。


「頼む。話を聞いてくれ」


「黙れ」


即答だった。


リーベルは父を睨みつける。


そこに愛情はない。


信頼もない。


あるのは、皮膚の下を這い回る苛立ちだけだった。


「お前さぁ」


「何でそんな顔してんの?」


「リーベル……?」


「何、泣きそうな顔してんだよ」


リーベルは鼻で笑った。


「キモいんだよ」


ルトベールの顔から血の気が引いた。


周囲の使用人たちも動けない。


だがリーベルは止まらない。


「娘が帰ってきて嬉しいか?」


「感動の再会?」


「馬鹿じゃねぇの」


吐き捨てる声に、父親への遠慮は一欠片もなかった。


「知らねぇよ」


「そんなもん」


リーベルは割れた陶器を踏みつけた。


靴底の下で、破片がじゃり、と鳴る。


その音に、彼女は少しだけ楽しそうに口元を歪めた。



その頃。


パーラメント男爵邸では、セレスティアがようやく目を覚ましていた。


上位精霊(イフリート)との戦いで魔力を使い切り、そのまま意識を失っていたのである。


身体は重い。


頭の奥に鈍い痛みが残っている。


喉は乾き、指先にはまだ魔力切れ特有の痺れがあった。


アーティファクト《氷刻の円剣フロストグレイス》が壁に立てかけられている。


この剣は厄介な代物だった。


術の威力を三倍に引き上げる代わりに、消費魔力は六倍に跳ね上がる。


短期決戦を好むセレスティアにとっては、性格面では悪くない相棒だ。


ただし、レオヴァンはこの剣をあまり好いていない。


彼の言い分は単純だった。


短期決戦で倒しきれなければ、魔力切れを起こしたセレスティアがそのまま荷物になる。


正直に言って邪魔だった。


それは正しい。


正しいが、セレスティアは今まで「まあ何とかなるだろう」で生き残ってきた。


希望的観測というより、楽観的な願望に近い。


だが実際に生きている。


ならば、自分の考えは間違っていない。


そう率直に伝えたところ、レオヴァンは呆れた顔で黙った。


(つまり、私の勝ちだな)


そんな雑な結論を出しながら、セレスティアは身を起こした。


窓の外は明るい。


時間を確認して、動きが止まる。


「……まずい」


朝の会議は、もう始まっている頃だった。


セレスティアは慌てて最低限の身支度を済ませた。


髪を整える時間は削る。


服の皺も無視する。


顔色の悪さだけはどうにもならないが、死んでいないなら問題ない。


彼女は剣を腰に戻し、会議室へ向かった。



会議室では、朝の顔合わせが終わりかけていた。


昨日決めた今日の予定。


追加で調べるべきこと。


教団、診療所、西区の大火災、ハーネストの日記、関所の検閲記録。


それぞれの確認が済み、そろそろ解散しようという空気になっていた。


その矢先、扉が乱暴に開いた。


「おはよう、諸君!」


セレスティアが勢いよく入ってくる。


とりあえず明るさで押し切るつもりだった。


だが、室内の視線が一斉に突き刺さる。


レオヴァン。


ローレン。


ロゼ。


アウグストゥス。


全員が無言だった。


セレスティアの勢いは、三歩で死んだ。


「あー……いや……」


彼女は頬を赤くし、視線を泳がせる。


「何と言って入ろうか迷ってな」


「とりあえず、元気で押し切ってみようかと……」


「いいから座れ」


レオヴァンが親指でクイッと自分の隣の席を指した。


「自分の席くらい覚えてるだろ」


「分かっている」


セレスティアはしどろもどろになりながら席へ向かった。


腰を下ろしたところで、レオヴァンが紅茶を置く。


「体調は?」


「ああ。もう大丈夫だ」


「ならいい」


「それより、何日経った?」


魔力切れによる昏睡だったため、セレスティアの時間感覚は曖昧だった。


レオヴァンは肩をすくめる。


「まだ昨日の今日だ。安心しろ、兄弟」


「私は女だ」


セレスティアは不満そうに眉を寄せる。


「そこは姉妹と言え」


「知らねぇよ、面倒くせぇな」


レオヴァンは軽口を打ち切り、本題に入った。


「それよか、お前が寝てる間に話してたことだが、昨日の上位精霊(イフリート)については、何か大掛かりな組織が動いてる可能性が高いって話になった」


「それで政務官殿が王都に軍の派遣要請を出した」


「昨日の夜、あの大火災が鎮火してすぐの話だ」


セレスティアは目を見開き、机に手をついた。


「待て」


「まだ断定するには早すぎる」


その反応に、レオヴァンも少しだけ頷く。


「俺も半分はそう思う」


「だが、上位精霊を単独で使役できる人材は限られる」


「英雄級の力が要るが、そんな奴は稀だ」


レオヴァンは指で机を叩いた。


「なら、複数の魔法使いが儀式を行い、上位精霊を召喚した」


「そう考える方が、自然な流れだ」


シンプルに考えれば、そうなる。


だが、この会議室には一人、それをやれてもおかしくない男がいる。


セレスティアの視線が鋭くなる。


アウグストゥス。


彼女は迷わず、老紳士を睨んだ。


その視線に気づいていながら、アウグストゥスは涼しい顔で紅茶を啜っている。


(やはり、俺を疑うのはやめないか)


(予想通りだ)


アウグストゥスは内心で静かに笑う。


(だが、勇者……いや、この捜査チームは組織犯の可能性を報告に含めている)


(ローレンが執政官へ出す報告書には、すでにそう書かれる)


(つまり、お前たちは自分たちの手で、俺を犯人候補から外すことになる)


(残念ながら、盤面はこちらに傾いた)


(ここからさらに、組織犯を示す証拠が次々に出てくる)


(俺が、そう仕向ける)


セレスティアは疑っている。


だが、疑いは証拠ではない。


証拠の流れは、アウグストゥスの作った水路を進んでいる。


その内心に気づかぬまま、ローレンがセレスティアへ尋ねた。


「それで、セレスティア殿」


「昨日は貴族の方々から話を聞いていたのですよね」


「何か分かったことは?」


それは確かに、昨日セレスティアが自分で言い出した仕事だった。


表向きは、貴族の中に黒山羊と毒ヘビの教団の信者がいないか探るため。


本音を言えば、アウグストゥスの交友関係を洗うためだ。


さすがに、そこまでは口にできない。


セレスティアは椅子に座り直し、記憶を整理した。


「端的に言えば、皆、教団については知らないそうだ」


「ただ、関係していそうな怪しい人物の噂はいくつか聞いた」


「もっとも、ほとんどはゴシップの域を出ない」


ロゼが扇を開き、会話に入ってきた。


「具体的には、どなたの名前が出ましたの?」


「たとえば、マルゲリータ夫人」


セレスティアは指を折る。


「年齢の割に若く見えるのは、悪魔に魂を売ったからだ。おそらく教団の関係者に違いない、と」


ロゼの口元が、少しだけ歪む。


「ありがちな嫉妬ですわね」


「次に、イルザールという商人」


「最近妙に羽振りがいいのは、悪魔に未来の相場を教えてもらっているからに違いない。だから教団の財政担当だ、と」


「それは商売で負けた方の恨みでしょう」


「それから、ルサール准男爵」


セレスティアは淡々と続ける。


「王都のコーネリア侯爵令嬢と婚約できたのは、悪魔から受け取った媚薬を飲ませたからだ」


「悪魔と契約できたのは、奴が教団幹部だからだ。そういう話もあった」


ローレンが額に手を当てた。


「噂というより、悪口ですね」


「だが一応、リストにはする」


セレスティアは言う。


「今は犯人候補を幅広く拾ってく必要がある」


正直、信じてはいない。


出てきた名のほとんどは、嫉妬と怨恨と酒場の悪口を煮詰めたものだった。


それでもリストは作る。


捜査している形を整えるため。


そして、本命を隠すため。


セレスティアの本命は、最初からほぼ一人に固定されている。


(結局、ヴァーミリオンについて得られた情報は、あの誕生パーティーで聞いた話と大差なかった)


新しく加わったのは、下世話な噂くらいだ。


いつも黒髪のメイドを連れている。


あれは愛人ではないか。


その程度。


情報を頭の中で並べていたセレスティアは、ふと動きを止めた。


(そういえば)


(ヴァーミリオンには、娘と黒髪のメイドの他に、金髪のメイドもいると言っていたな)


今までは流していた。


アウグストゥスが家族に、自分の抱えている重要な話をするとは思えなかったからだ。


だが、娘や金髪のメイドに会えば、何かの切っ掛けになる話が聞けるかもしれない。


直接の証拠でなくてもいい。


暮らしぶり。


外出。


不審な荷物。


地下室。


屋敷内の空気。


本人が隠せても、周囲が零すことはある。


他に当てもない。


なら、試す価値はあるはずだ。


セレスティアは顔を上げた。


「さて、私の報告は以上だ」


そして、静かに本命へ切り込んだ。


面白かった思う方が作者の精神安定のために、ブックマーク、評価をお願いします。


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