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サイコパス男爵とシリアルキラー姫~42人殺した娘を、父は今日も隠し続ける~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
第一部

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狂姫再び

また、貴方ですか。


今度は何を聞きたいのです?


……また、あの娘の話ですか。


突き詰めれば、ただのメンヘラですよ。


それ以上でも、それ以下でもありません。


ですが、まあ良いでしょう。


あの娘は不眠症を抱えています。


運よく眠れたとしても、悪夢で目を覚ますことが多い。


ですが、なぜかあの男が側にいる時だけは、悪夢を見ずに眠れるらしいのです。


はい?


愛の力?


何を穢らわしいことを言っているのですか。


その口、引き裂いて腸を詰め込んでやりましょうか。


もう貴方とは口を利きたくありません。


お引き取りください。


――アエーシュモーの回想より抜粋



月明かりが、石畳を白く濡らしていた。


昼の喧騒を失った大通りは静まり返り、遠くから酒場の笑い声と巡回兵の足音だけが流れてくる。


焼け残った建物の黒い影が、夜のザレイドをいびつに切り取っていた。


西区の火災跡からは、まだ焦げ臭い風が吹いている。


ルーシュは先を歩いていた。


リーベルは、その後ろを追う。


最初は少し緊張していた。


父に黙って夜の街へ出るなど、今まで一度もなかったからだ。


だが、ルーシュが何気なく話しかけてくるたびに、その緊張は少しずつ薄れていった。


「夜の街って、こんなに静かなのですね」


「昼とは別の場所みたいでしょう?」


「ええ」


リーベルは笑った。


「少しだけ、冒険している気分です」


「そうね」


ルーシュも微笑む。


本当に楽しそうだった。


だからリーベルは気づかなかった。


ルーシュの視線が、何度も自分の首筋へ落ちていることに。


歩幅を合わせるふりをして、距離を測っていることに。


二人は路地を抜けた。


やがて大聖堂の尖塔が見えてくる。


夜空へ突き刺さる巨大な影。


鐘楼は高く、古く、月明かりを受けた石壁には冷たい光が張りついていた。


「すごい……」


リーベルは思わず声を漏らす。


「近くで見ると、こんなに大きいのですね」


「上まで登れるのよ」


「本当に?」


「ええ」


ルーシュは振り返り、人差し指を唇に当てた。


「秘密だけれど」


その仕草が妙に可愛らしくて、リーベルは小さく笑った。


「わたくしたち、悪いことをしていますわね」


「少しだけよ」


「少しだけ」


二人は顔を見合わせた。


まるで、本当に親友同士のように。


鐘楼の裏手には、小さな木製の扉があった。


古びた扉だった。


鍵は掛かっていない。


ルーシュが押すと、軋んだ音を立てて開く。


中から冷たい空気が流れ出た。


「こちらよ」


ルーシュは先に入った。


リーベルも続く。


石造りの螺旋階段が、闇の中を上へ伸びていた。


足音が反響する。


外の音は一段ずつ遠ざかり、代わりに自分たちの呼吸だけが耳につく。


上へ。


さらに上へ。


途中で、リーベルは手すりに指をかけた。


「ま、まだですの……?」


「もう少し」


「鐘を鳴らす方々は、大変ですわね……」


「ふふ」


ルーシュは笑った。


その声だけが、階段の奥で妙に楽しそうに響いた。


やがて最上階へ辿り着く。


夜風が吹き込んできた。


視界が開ける。


ザレイドの街並みが、一望できた。


家々の灯り。


魔法の外灯で照らされる道並み。


遠くの城壁。


黒く焼けた西区の火災跡。


昼間の世界では見えなかったものが、夜の高さからはひどく小さく見える。


「綺麗……」


リーベルは呆然と呟いた。


「本当に綺麗ですわ……」


彼女は夢中で景色を見た。


だから気づかなかった。


ルーシュが一歩、後ろへ下がったことに。


景色ではなく、自分だけを見ていることに。


「リーベル様」


「はい?」


リーベルが振り返る。


ルーシュは笑っていた。


昼間、庭園で見た時と同じ笑顔だった。


友達になれたと喜んでいた、あの笑顔。


なのに。


なぜか、リーベルの胸の奥が冷えた。


「どうかなさいました?」


ルーシュは答えなかった。


夜風が薄桃色の髪を揺らす。


月光を受けた髪は淡く光り、その下でルーシュの瞳だけが、妙に濡れていた。


「ねえ、リーベル様」


「はい」


「わたくしね」


ルーシュの声は優しかった。


優しすぎて、逃げ道を塞ぐ声だった。


「貴女のこと、とても好きになってしまったの」


リーベルは微笑んだ。


「わたくしも――」


言いかけて、言葉が止まる。


ルーシュの瞳が、友人を見るものではなかった。


欲しいものを見つけた子供の目。


壊してでも手に入れると決めた目。


鐘楼の上。


二人きり。


逃げ場はない。


ルーシュが一歩近づいた。


リーベルの肩に手を置き、そっと顔を寄せる。


口づけは、驚くほどやわらかかった。


リーベルは拒まなかった。


目を閉じた。


頬が熱くなる。


初めての秘密。


初めての恋人。


初めて、誰かに選ばれた感覚。


その全部に、少しだけ酔った。


次の瞬間――腹部が熱くなった。


「……え?」


目を開く。


ルーシュの顔が近い。


笑っている。


リーベルは自分の腹へ視線を落とした。


ドレスの布地が、黒く濡れていく。


太ももを、熱い液体が伝った。


最初は、尿を漏らしたのかと思った。


けれど違う。


臭いが違う。


鉄の臭い。


血の臭い。


身体から力が抜けた。


膝が折れ、石の床へ倒れ込む。


頬に冷たい感触。


床に広がった血だまりが、月明かりを鈍く返していた。


「ぁ……あ……」


息がうまく吸えない。


「なん……で……」


呂律の回らない声を、ルーシュは満面の笑みで見下ろしていた。


「怖がらないで」


ルーシュは膝をつく。


「大丈夫。わたくしたちはずっとお友達、そうでしょう?」


「だから、ずっと一緒にいてあげる」


「誰にも貴女を傷つけさせない」


リーベルの指が床を掻いた。


逃げようとしているのか、助けを求めているのか、自分でも分からない。


ルーシュは気にしなかった。


「楽しい思い出を、これからもいっぱい作りましょうね」


「わたくしね、いつか海を見てみたいの」


「青い海、白い雲、きらきら輝く砂浜」


「そこに義父様の優しい微笑みがあったら、きっと素敵でしょう?」


ルーシュは夢見るように話し続ける。


「その時は、たくさんのお友達をバッグに詰めて、みんなも一緒に連れていくの」


「ああ、大丈夫」


「みんなといる時も、貴女を仲間外れになんてしないわ」


「貴女は特別」


「だって、他のどんなお友達よりも可愛いもの」


リーベルの身体が震えた。


恐怖のせいか。


血を失った寒さのせいか。


もう判別できなかった。


ただ、怖かった。


目の前の少女が。


昼間、友達になってほしいと笑った少女が。


「これからも、いっぱい、いっぱいお喋りしましょうね」


ルーシュは楽しげに言った。


リーベルの視界が滲む。


鐘楼の天井が歪む。


父の顔が浮かんだ。


(お父さま……)


(言いつけを破って、申し訳ありません……)


声にはならない。


喉から漏れるのは、ひゅう、と細い音だけだった。


「ああ、でも今は駄目ね」


ルーシュはふと思い出したように言う。


「あのね、今は勇者様がいらして、わたくしを探しているらしいの」


リーベルの状態など見ていない。


自分の話だけをしている。


「おかげで、みんなが集まっていたお部屋から、みんなの頭が片付けられてしまったの」


「ああ、早く会いたい」


「早く、みんなに会いたいわ」


その言葉を聞き取る力は、もうリーベルには残っていなかった。


どれほど一方的に話していただろう。


やがてルーシュは、リーベルが何の反応も示さなくなっていることに気づいた。


「あら」


首を傾げる。


「もう亡くなられてしまったの?」


「もっと持つかと思ったのに」


少しだけ残念そうに言い、それからすぐに笑った。


「まあ、いいわ」


ルーシュは動かなくなったリーベルを指差す。


足元の影が揺れた。


黒い影から、茨が伸びる。


棘だらけの蔓が、音もなく床を這った。


「やって」


無感情な命令だった。


茨が勢いよくリーベルの死体へ襲いかかる。


その先端が、白い喉元へ届こうとした刹那。


何者かが茨を掴んだ。


動きが止まる。


そこにいたのは、アエーシュモーだった。


「ようやく見つけたと思えば、手遅れですか」


彼女は茨を片手で押さえたまま、リーベルの死体を見下ろす。


「まあ、それならそれで仕方ありませんが」


声に同情はない。


ただ、状況確認だけがある。


(この娘……たしかハウスマン子爵の)


(死んでから、すでに少し経っていますね)


(治癒魔法では無理)


(蘇生なら可能性はありますが、やるなら対価が要る)


アエーシュモーの視線が、ゆっくりとルーシュへ向いた。


(この場で対価を払える人間は、お嬢様だけ)


(ですが、この娘から対価を取ることは禁じられている)


(となると、選択肢はありませんね)


「お嬢様」


不意に呼ばれ、ルーシュの肩が跳ねた。


「な、なに」


「お、義父様はわたくしの味方よ」


「絶対に、わたくしを叱ったりしないんだから」


禁止されている行為。


現行犯。


言い逃れのできない状況。


ルーシュの声は震えていた。


それでも威張ろうとして、失敗していた。


「承知しております」


アエーシュモーは淡々と答える。


「ただし、人に見つかるとまずい」


「少々、乱暴に進めさせていただきます」


言い終えると同時に、アエーシュモーの指先から小さな魔力の塊が飛んだ。


銃弾のように速い。


それはルーシュの額へ命中した。


「……っ」


ルーシュの目が一瞬だけ見開かれる。


次の瞬間、糸を切られた人形のように、その場へ崩れ落ちた。


アエーシュモーは表情を変えない。


次に、リーベルの死体へ影を伸ばした。


影は床を広がり、血だまりごと死体を飲み込んでいく。


まるで黒い沼へ沈むように、リーベルの身体は音もなく消えていった。


血の臭いも。


足跡も。


引きずった痕も。


すべて影の中へ沈む。


(これで、証拠は残りません)


アエーシュモーは鐘楼の外へ視線を向けた。


夜のザレイドは、まだ西区の火災でざわついている。


だが貴族令嬢が一人、突然消えたとなれば話は別だ。


(この状況で、ハウスマン子爵の娘が行方不明)


(しかも最後に接触したのが、お嬢様だと知られれば……)


アエーシュモーは足元で気絶しているルーシュを見た。


「面倒なことになりましたね」


その予想は、正しかった。


後日。


この夜の失踪は、アウグストゥスを追い込む事となる。


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