報告会
夜風が、焼けた木材の臭いを運んでいた。
鎮火から数時間。
それでもザレイド西区は、まだ死にきれていなかった。
崩れた建物。
黒く煤けた石壁。
水を含んだ灰が泥のように路地へ広がり、月明かりを鈍く返している。瓦礫の隙間からは細い煙が立ち上り、焦げた梁の奥で、時折ぱちりと火種が鳴った。
泣き声がある。
怒鳴り声がある。
名を呼ぶ声がある。
「エミリー!」
「こっちを掘れ!」
「まだ下にいるかもしれん!」
消防隊と住人たちは、夜を徹して瓦礫を掘り返していた。
誰も眠っていない。
眠れば、その間に誰かが死ぬ。
そんな西区の喧騒から離れた場所。
――パーラメント男爵邸。
勇者と協力者のために空けられた一室に、アウグストゥス、レオヴァン、ローレン、ロゼの四人が集まっていた。
卓上には茶器と書類。
そして、診療所から押収された黒い本。
黒山羊と毒ヘビの教団の教典である。
レオヴァンは、スラムでチンピラに絡まれたこと、その後、診療所でゾンビ化した医者ハーネスト・ギャラティに襲われたこと、そこで教団の教典を発見したこと、治安局へ通報した帰りに西区の大火へ遭遇したことを順に報告した。
聞き終えたローレンは、眉間を押さえた。
「災難……という言葉では足りませんね」
ロゼも扇を閉じる。
「今でなければ、与太話と切り捨てておりますわ」
「俺だって驚いてるぜ。初日から盛りすぎだ」
レオヴァンは肩をすくめた。
アウグストゥスだけは何も言わず、紅茶を啜っている。
静かすぎる。
その静けさが、レオヴァンには気に入らなかった。
「それで、そっちはどうだった?」
レオヴァンが促すと、最初にローレンが口を開いた。
「まず、城門の関所に残っている検閲記録を洗わせています。エンバーミングに使えそうな薬品を、誰が、いつ、どこから持ち込んだのか。部下に確認を命じました」
ローレンの声は淀みない。
「その後、治安局の古い友人を訪ね、行方不明者リストの作り直しを依頼しました。例の杜撰な一覧では使い物になりませんからね。新しいリストが出るまで、もう少しかかります」
「そいつは有能なんだろうな?」
レオヴァンが低く確認した。
犬まで混じっていた行方不明者リストを見た後では、疑うなという方が無理だった。
ローレンは少しだけ口元を引き締める。
「当然です。治安局の現状を憂い、改革を訴えている者たちです。士気は高い。少なくとも、椅子を温めるだけの連中ではありません」
「ならいい」
「それと、診療所から治安局が持ち出した資料の中に、カルテとハーネスト・ギャラティの日記が見つかりました。こちらも友人たちに整理させています。患者名、来院日、薬品の使用記録。拾えるものは拾わせます」
レオヴァンは頷いた。
「日記は当たりだな。医者がいつから教団と関わったのか、あるいは関わってねぇのか。そこが分かる」
「ええ」
ローレンが言う。
「本当に教団関係者だったのか、それとも教典を置かれただけなのか。そこを見誤ると、捜査が腐ります」
その言葉に、アウグストゥスの指が茶器の縁を一度だけ撫でた。
レオヴァンはそれを見た。
ただし、何も言わなかった。
次に身を乗り出したのはロゼだった。
「では、私の報告ですわね」
待っていましたと言わんばかりだった。
「まず商人ギルドの皆様に、エンバーミングに使えそうな薬品を最近誰かに売ったか、聞いて回りました」
「成果は?」
「皆様、きょとんとなさいましたわ」
レオヴァンの目が半分になる。
ロゼは悪びれない。
「エンバーミングとは何か、と逆に聞き返されましたの」
「まあ、当然ですわね。この世界では一般的に使われない稀人由来の技術ですもの。知っている者など、物好きか変人か、よほど死体と仲のよい方ぐらいですわ」
「で?」
「そこで問題が一つ」
ロゼは扇で自分の顎を軽く叩いた。
「私、エンバーミングに使う薬品名を聞いておりませんでしたの」
レオヴァンが天井を見た。
ローレンが目を閉じた。
アウグストゥスは紅茶を啜った。
「ですので、後日こちらから薬品リストを渡し、改めて照会していただくことになりましたわ」
「成果なしじゃねぇか」
「下準備です」
「言い方で誤魔化すな」
レオヴァンは呆れた顔でロゼを見る。
そういえば、この夫人は会議中、ずっとアウグストゥスと噛み合わない喧嘩をしていた。
聞くべきことを聞き落とすのも、納得できすぎて困る。
その視線を拾ったのか、ロゼの眉が吊り上がった。
「そもそも、そこの貴方が悪いのです!」
矛先は当然のようにアウグストゥスへ向いた。
「そのやる気のない態度! その他人事のような顔! あれが私を苛立たせたから、聞くべきことを忘れてしまったのですわ!」
「ほう」
アウグストゥスは顔を上げる。
「それは興味深い理屈ですな」
「責任をどう取っていただけるのかしら?」
「責任」
アウグストゥスはゆっくり瞬きをした。
「私が、夫人の記憶力まで管理しているとは存じませんでした」
「んっま!」
ロゼの頬が赤くなる。
「これだけの犠牲者が出ている事件に関わっていながら、なぜそこまで涼しい顔でいられますの!」
「涼しい顔をしていると、薬品名を聞き忘れるのですか?」
「貴方という人は、本当に!」
「夫人、論点が逃げていますよ」
「逃げているのは貴方の人間性ですわ!」
「それは困りましたな。捕まえた覚えもございません」
ロゼが噛みつき、アウグストゥスが淡々と受け流す。
その応酬を横目に、ローレンとレオヴァンは無言で会議を続行した。
慣れるしかない。
「他に付け加えることはありますか、レオヴァン殿」
ローレンが問う。
「今のところは――」
言いかけて、レオヴァンは思い出した。
「いや。セレスのことだ」
ロゼの怒声がぴたりと止まる。
「大火の鎮火で魔力切れを起こして寝込んでる。だが命に別状はねぇ。早けりゃ明日の昼には起きる」
「まあ……それは何よりですわ」
ロゼは一瞬、本気で胸を撫で下ろした顔をした。
セレスティアに対する敬意だけは本物らしい。
「倒れられた時は、どうなることかと……」
そこでロゼは、自分の報告がまだ終わっていないことを思い出した。
「ああ、そうでしたわ」
扇を開き直し、声を戻す。
「星十字教会の司教様方にも、黒山羊と毒ヘビの教団について確認してまいりました。今のところ、この街で目立った動きは掴んでいないそうです。ただし、教団は名前も拠点も変える連中ですから、教会側にも再確認をお願いしております」
「魔術ギルドは?」
「同物同治の秘術に関する文献を調べた者がいないか確認しました。この街のギルドでは該当文献を扱っていないそうですわ。調べるなら本部に問い合わせる必要があります」
「手配は?」
「こちらで人を出します。急がせますわ」
先ほどまで怒鳴っていた女とは思えないほど、報告は簡潔だった。
必要な情報だけを抜き、次の手まで決めている。
レオヴァンは小さく息を吐いた。
「アウグストゥス殿が絡まなければ有能なのですがね、ロゼ夫人は」
ローレンが疲れた声で呟く。
「どうやらな」
レオヴァンも否定しなかった。
初日の成果としては、十分すぎるほど材料が揃った。
教団の教典。
ハーネストの日記。
診療所のカルテ。
関所の物品記録。
行方不明者リストの再構築。
教会と魔術ギルドへの照会。
問題は、材料が揃いすぎていることだった。
綺麗に並びすぎている証拠ほど、レオヴァンは信用しない。
やがて四人は翌日の分担を決め、会議を終えた。
◇
パーラメント男爵が用意した馬車の中で、アウグストゥスは窓の外を眺めていた。
夜のザレイドは静かではない。
遠く、西区の方角からはまだ人の声が聞こえる。泣き声か、怒号か、祈りか、区別はつかない。
馬車の車輪が石畳を叩く。
規則正しい音が、思考に心地よかった。
(スラムのチンピラ)
(診療所の医者)
(黒山羊と毒ヘビの教団)
(そして、その日のうちに起きた西区の大火災)
偶然としては出来すぎている。
だからこそ、人は考える。
考えた末に、用意された答えへ歩いていく。
(この規模の事件が起これば、四十二人の首なし死体を個人犯の仕業と見る線は薄れる)
(勇者どもはまだ疑うだろう。特にセレスティアとレオヴァンは、目の前に餌を吊るされても尻尾まで飲み込む犬ではない)
(だが、執政官、治安局、教会、商人ギルド――街を動かす連中は違う)
(彼らは分かりやすい敵を欲しがる)
(教団という名前は、それにちょうどいい)
アウグストゥスは唇だけで笑った。
(愚か者どもめ)
(ここからさらに、私が用意した答えへ辿り着いてもらう)
(自分たちで調べ、自分たちで疑い、自分たちで納得しながらな)
馬車の窓に映る老紳士の顔は、穏やかだった。
穏やかすぎて、死人の方がまだ温度を持っている。
その頃――。
◇
ヴァーミリオン男爵邸では、ギルエルが完全に慌てていた。
「あわわわわ……違います」
「これは違うのです。違わないけど違うのです。違うという方向で処理していただけると、我としては大変ありがたいのです」
ギルエルは目を泳がせながら、両手を胸の前でばたばた動かしていた。
その前に立つアエーシュモーは、冷えた目で見下ろしている。
「貴女には最初から期待していません」
「お嬢様が屋敷にいないと気づいたのは、いつです」
声は平坦だった。
怒鳴らない。
責めない。
だから余計に刺さる。
「半刻前……」
ギルエルは一瞬、そう言いかけた。
しかしアエーシュモーの目が細くなるのを見て、喉が詰まる。
「……いえ、本当は、今さっきです」
「でしょうね」
「仕方なかったのです!」
ギルエルは慌てて身を乗り出した。
「普段はアエーシュモーがやっている仕事も、今日は我――いえ、わたしがやらなければならなかったのです。洗濯物は畳むと増えるし、食器は洗うと滑るし、廊下は掃いても掃いても終わらないし、それでルーシュ様を見張る余裕が、その、少しだけ、ほんの少しだけ……」
「屋敷から消える程度には、余裕がなかったと」
「……はい」
最後は蚊の鳴くような声だった。
アエーシュモーはそれ以上聞かなかった。
時間の無駄だ。
ルーシュが屋敷を抜けた。
それだけで十分だった。
ロバートを殺してから、まだ日が浅い。
なのに、また外へ出た。
理由など一つしかない。
発作だ。
殺人衝動。
あの娘の中に巣食う、どうしようもない飢え。
「屋敷にいなさい」
アエーシュモーは短く命じた。
「旦那様がお戻りになったら、余計なことは言わず、私が探しに出たとだけ伝えなさい」
「は、はい!」
次の瞬間、アエーシュモーの姿は部屋から消えた。
◇
貴族街の上空に、黒い靄が浮かんでいた。
月明かりを吸い込むような黒。
その靄は屋根の上を滑り、煙突を越え、夜の街を見下ろす位置でゆっくりと人の形を取り始める。
アエーシュモーだった。
黒いドレスの裾が夜風に揺れる。
彼女は眼下の街を眺め、唇を歪めた。
(全く)
(こんな時に発作とは)
(もうロバートとかいう子供を殺しているというのに)
(今月、二人目ですか)
呆れではない。
怒りでもない。
面倒を片付ける者の冷えた計算だけがあった。
どの路地へ向かったか。
どの匂いが残っているか。
誰を狙うか。
どこなら人目が少ないか。
ルーシュの行動は不安定だが、殺す時だけは妙に一貫している。
「早く見つけ出さねばなりませんね」
アエーシュモーの瞳が、夜のザレイドを舐める。
「今度は、目撃者ごと消す羽目になります」
黒い靄が広がった。
そして彼女は、ルーシュの臭いを追って夜へ溶けた。
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