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サイコパス男爵とシリアルキラー姫~42人殺した娘を、父は今日も隠し続ける~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
第一部

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氷刻の冷姫VS爆熱の魔人

夕焼けが、黒煙に呑まれていた。


燃え上がる炎の赤と、沈みかけた太陽の赤が混ざり合い、ザレイドの西区一帯を血の色に染めている。


熱風が路地を吹き抜けた。火の粉が舞い、屋根を叩き、消防隊の怒号と住人の泣き声が入り乱れる。


そのすべてを断ち切るように、一筋の白銀が夜空を走った。


矢より速い。


黒煙の向こうから飛来した光は、燃える区画の上空でぴたりと止まった。


火の明かりを受け、長い金髪が揺れる。


英雄級勇者。


セレスティアだった。


腰には、アーティファクト氷刻の円剣(フロストグレイス)


セレスティアは上空から火災現場を一瞥し、すぐに剣を抜いた。刀身へ魔力が流れ込む。刃の表面に幾何学模様が浮かび上がり、蛇のように絡み合いながら銀の剣身を覆っていった。


光が強まる。


そのたびに、周囲の温度が落ちた。


街はまだ燃えている。


それなのに、石畳の端に白い霜が降りた。焼けた壁面がぱきりと鳴り、消防隊員の吐く息が白くなる。


屋根の上からそれを見上げていたアウグストゥスが、感心したように目を細めた。


「おお……これが勇者の力ですか」


「この業火の上で、あの美貌にあの剣。実に絵になりますな」


レオヴァンが横目で睨む。


「呑気なこと言ってんじゃねぇよ」


「離れた方がよろしいですかな?」


「いや、あの技なら平気だ。巻き込むような女じゃねぇ」


「信頼しておられる」


「腕はな」


「性格は知らん」


セレスティアの魔力が限界まで高まる。


上空に冷気が集まり、炎の熱とぶつかって白い霧を生んだ。


次の瞬間。


セレスティアが剣を振り抜いた。


「――氷華ノ絶舞(フェアウェル)


冷気で形作られた無数の氷花が、燃える区画へ降り注ぐ。


花弁は人を避けた。


消防隊員を避け、逃げ惑う住人を避け、燃え盛る建物だけを正確に包み込んでいく。


炎に喰われていた梁が凍る。


窓から噴き出していた火柱が白く固まる。


屋根を這っていた火が、音もなく氷の中へ閉じ込められる。


一瞬だった。


西区の業火は、巨大な氷像へ変わった。


「消えた……?」


誰かが呟いた。


次に、歓声が上がる。


泣き崩れる者がいた。


手を叩く者がいた。


勇者の名を叫ぶ者もいた。


だが、レオヴァンは笑わなかった。


耳が動く。


足裏に、嫌な振動が伝わっていた。


地面の下だ。


歓声を踏み潰すように、低い地鳴りが響いた。


セレスティアの目が鋭くなる。


レオヴァンが吠えた。


「下だ!」


「そこから離れろ!」


アウグストゥスだけが、妙に静かな声で言った。


「間に合いませんな」


言葉が終わる前に、石畳が割れた。


亀裂の奥から赤い光が膨れ上がる。


次の瞬間、地下から噴き出した炎が氷を砕き、通りを丸ごと吹き飛ばした。


爆風。


悲鳴。


砕けた氷片が屋根に突き刺さる。


噴き上がった炎は空中で一箇所へ集まり、人の形を作っていった。


頭には山羊の角。


上半身は人間に近い。


だが下半身は炎そのもので、脚は存在しない。


上位精霊。


イフリート。


その灼熱の巨体が、黒煙の中に浮かび上がった。


(我が契約を阻むのは、お前か)


声ではない。


念が、直接脳を焼く。


セレスティアは空中で剣を構え直した。


「契約?」


「誰に使われている」


(お前が知る必要はない)


イフリートの眼窩で炎が揺れる。


(我が契約の履行を阻むとは万死に値する)


(醜く焼かれて死ね)


言い終えると同時に、イフリートの周囲で炎が渦を巻いた。


竜巻だ。


一本ではない。


三本、四本、さらに増える。


氷漬けにされた建物の表面が赤く染まり、再び炎が走り出す。


「鎮火の魔法が効かなかった理由は、あいつか」


レオヴァンが低く呟いた。


「火災そのものに、精霊が食い込んでやがる」


隣でアウグストゥスが燃える街を見下ろす。


「セレスティア殿を助けなくてよろしいのですか?」


「あのくらいなら、フロストグレイスがあれば十分だろ」


「属性相性も悪くねぇ」


レオヴァンは屋根の下へ視線を走らせた。


通りには逃げ遅れた住人が残っている。氷花の一撃で助かった者たちが、今度は再燃した炎に追い詰められていた。


「それより下だ」


「逃げ遅れを出す方がまずい」


「確かに」


アウグストゥスはゆっくり両手を前へ出した。


レオヴァンの耳がぴくりと動く。


魔力の気配がない。


詠唱もない。


それなのに、アウグストゥスの両手の先で空間が歪み始めた。


熱気で揺らいでいるのではない。


空間そのものが、指で押された薄膜のようにたわんでいる。


「位置は……そうですな」


アウグストゥスは燃える街の中心を見た。


八本の通りが交わる円形広場。


炎がそこへ流れ込み、逃げ道を塞いでいる。


「中心は、あの辺りでよろしいでしょう」


右手の指が鳴る。


パチン。


歪んだ空間が一瞬で円形広場の上空へ移動した。


そこからさらに歪みが深くなる。


黒く。


濃く。


底のない穴のように。


やがて、それは漆黒の球体へ変わった。


直後。


びゅおおおおおおお――ッ!


周囲の空気が一斉に黒球へなだれ込んだ。


突風が屋根瓦を剥がし、煙を引き裂き、火の粉を吸い上げる。炎までもが風に巻かれ、蛇のように身をよじりながら黒い球体へ吸い込まれていった。


燃えていた通りが、ぽっかりと息を吹き返す。


逃げ道が開いた。


消防隊が叫ぶ。


住人が走る。


レオヴァンは素直に目を見開いた。


「おお……すげぇな、男爵殿」


「今のは何だ?」


「魔力が動いた気配がしなかったぞ」


アウグストゥスは微笑んだ。


「企業秘密です」


「ですが、これでご理解いただけましたかな」


「なぜ私が、深淵の魔法で記憶を読まれることを拒んだのか」


レオヴァンの目が細くなる。


「……なるほどな」


「オリジナルの魔法、ってことだけは分かった」


「ご理解が早くて助かります」


屋根の上で交わされる穏やかな会話とは裏腹に、上空ではセレスティアとイフリートが激しく火花を散らしていた。


イフリートが炎の矢を放つ。


セレスティアはフロストグレイスでそれを斬り落とす。


一撃ごとに白い霧が爆ぜ、赤い火の粉が降った。


セレスティアは戦いながら下を見る。


黒い球体へ、街の炎が吸い込まれていく。


(レオヴァン?)


一瞬そう思い、すぐに否定する。


あれはレオヴァンの術ではない。


ならば。


(ヴァーミリオン男爵……)


何をした。


どうやって。


疑問が喉元まで上がる。


だが、考える時間は与えられなかった。


(人間にしてはやるな)


イフリートが、セレスティアの真正面で燃え上がる。


(だが、ここまでだ)


(我が真の力を見せてやろう)


人の形をしていた炎が崩れた。


角も、腕も、胴も、輪郭を失い、巨大な炎の柱へ溶け込んでいく。


火柱は地上から空へ伸びた。


その内側に、上位精霊の気配が渦巻いている。


街を焼くためだけの災害。


イフリートの必殺技。


烈火霊導柱(ソウルピラー)》。


「まずい……!」


セレスティアの顔から血の気が引いた。


このまま落とせば、一区画どころでは済まない。


西区全体が呑まれる。


逡巡は一瞬だけだった。


セレスティアは奥歯を噛み、フロストグレイスへ残る魔力を叩き込む。


「後は任せるぞ、レオヴァン!」


聞こえたかどうかは確認しない。


確認している時間もない。


氷刻の円剣が最大光度へ達した。


白銀の光が、黒煙を裂く。


セレスティアは炎の柱を睨み、叫んだ。


「世界よ、止まれ!」


「お前は美しい!」


剣が振り下ろされる。


「――聖氷翼輝光輪穿(アセンション)!」


冷気をまとった光の斬撃が、空を裂いた。


白銀の閃光は炎の柱へ突き刺さり、その中心を真っ直ぐに貫く。


一拍遅れて。


「ごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


大気が震える、イフリートの絶叫らしき音がザレイドの空に響いた。


炎の柱が真っ二つに割れる。


割れた断面から氷が走り、灼熱が白く凍りつき、砕けた。


炎が消える。


黒煙だけが、空に残った。


セレスティアは結果を見届けなかった。


魔力を使い果たした身体から力が抜ける。


空中に留まる術が解け、金髪がふわりと浮いた。


落ちる。


その寸前、屋根を蹴ったレオヴァンが跳んだ。


空中でセレスティアの身体を受け止める。


お姫様抱っこの形になったセレスティアは、意識を失ったまま、かすかに眉を寄せていた。


レオヴァンは屋根へ着地し、深く息を吐く。


「何が『任せるぞ』だよ」


「もうちょっと後先考えて戦え、馬鹿お姫様」


そう吐き捨てながらも、抱える腕の力は緩めなかった。


西区の炎上は、ようやく鎮まった。


だが、被害は軽くない。


この日、重軽傷者は八百九十六人に上った。


焼け落ちた範囲は、西区の六分の一。


市場裏から職人街の外縁まで、約三万平方メートルが灰と黒い瓦礫に変わった。


そして、誰もまだ知らない。


その大火災が、ある男による陽動であったことを。



ザレイド中央時計塔。


街で最も高いその塔の頂で、黒いフードの女が西区を見下ろしていた。


アエーシュモー。


夜風がフードの裾を揺らす。


眼下では、鎮火したばかりの街がまだ煙を吐いている。人々は泣き、叫び、瓦礫を掘り返し、名前を呼び続けていた。


彼女はその光景を、じっと眺めていた。


「旦那様の言いつけとはいえ……」


アエーシュモーは胸に手を当てる。


「酷いことをしました」


「とても、胸が痛みますわね」


フードの奥で、唇がゆっくりと吊り上がる。


次の瞬間。


彼女の姿は、時計塔の上から消えていた。


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