誘導の序曲
レオヴァンは、路地で捕まえたチンピラどもをアウグストゥスに押し付けると、診療所の奥へ足を踏み入れた。
静かだった。
さっきまで死人が暴れていた場所とは思えない。
棚。
机。
薬品棚。
どれも几帳面に整えられている。
血の臭いさえなければ、まともな医者の診療所に見えた。
(さて……)
(どこから調べる)
まず薬棚を見る。
エンバーミングに使えそうな薬品がないか——。
(いや、違うな)
レオヴァンは舌打ちした。
(そもそも何でこの医者は殺された?)
一般人が偶然何かを見たのか。
それとも何らかの事件の関係者だったのか。
共犯者だったのか。
口封じされたのか。
考える。
そして結論を出した。
(まずは最近こいつの周りで何が起きてたかだ)
(カルテか日記だな)
記録棚を漁る。
カルテ。
カルテ。
またカルテ。
五分。
十分。
読み進めるほど顔がしかめられていく。
量が多すぎた。
全部読んでいたら夜になる。
(駄目だな)
(これは後で持ち帰る)
(先に絞る)
診療所は住居も兼ねていたらしい。
奥に書斎を見つけた。
机へ向かう。
引き出しを開ける。
一つだけ鍵が掛かっていた。
レオヴァンの口元がわずかに歪む。
「世界よ、俺に資格があるのなら答えろ」
「隠されし真実よ」
「封じられし秘密よ」
「正当なる探求者の前に、その扉を開け」
「――《アンロック》」
鍵穴が淡く光る。
カチリ。
拍子抜けするほど簡単に開いた。
対抗術式はなし。
罠もなし。
レオヴァンは眉をひそめる。
(警戒しなさすぎだろ)
引き出しを開く。
中には一冊の黒い本。
表紙には見覚えのある紋章。
黒山羊と毒ヘビ。
教団の紋章だった。
レオヴァンの顔が険しくなる。
(おいおい……)
(こんなもんが出てくるのかよ)
本を手に取る。
だが違和感が消えない。
(簡単すぎる)
(鍵付き引き出しから教団の経典)
(出来すぎてやがる)
それでも証拠は証拠だ。
持ち帰らない理由はない。
書斎を出たところで、ちょうどアウグストゥスと鉢合わせた。
「おや」
「どこへ行かれたのかと思いましたよ、レオヴァン殿」
「それで?」
「何か見つかりましたか」
レオヴァンは一瞬だけ考える。
隠すか。
話すか。
だが――
反応を見たい。
その欲求が勝った。
「一応な」
そう言って黒い本を持ち上げる。
アウグストゥスの視線が表紙へ落ちた。
ほんの一瞬。
それだけだった。
「ほう」
小さく頷く。
驚きはない。
焦りもない。
レオヴァンはその反応を見逃さなかった。
「男爵殿」
「この医者が教団関係者だって知ってたのか?」
「いいえ」
アウグストゥスは即答した。
「知っていたなら、貴方が私の屋敷へ来た時点でお伝えしていましたよ」
間が空く。
レオヴァンはアウグストゥスの顔を眺めた。
嘘を吐いている匂いはしない。
少なくとも今は。
「……だよな」
そして本題へ戻る。
「整理するぞ」
「まず路地でチンピラ五人に襲われた」
「ぶつぶつと、黒山羊がどうのと全員頭がおかしかった」
「その後ここへ来たら、今度は死人の医者が襲ってきて書斎を調べたらこれだ」
「全部教団の仕業って考えるのが自然だが……」
レオヴァンは鼻を鳴らした。
「気に入らねぇ」
「何がです?」
「分かりやすすぎる」
アウグストゥスは黙って続きを促した。
「医者はゾンビだ」
「死んでも口を割れない」
「だがチンピラどもは生きてた」
「洗脳されてただけだ」
「何でだ?」
「消したいならチンピラも殺してゾンビにすりゃいい」
「証言される危険も無くなる」
「なのにやってねぇ」
レオヴァンは腕を組んだ。
「そこが引っ掛かる」
アウグストゥスも考える素振りを見せる。
「単純に価値の差では?」
「価値?」
「チンピラは捕まっても何も知らない」
「ですがハーネストは違った」
「教団の情報を持っていた」
「だから殺された」
「そして死後も口を開かぬよう、使い潰された」
「そう考えれば辻褄は合います」
レオヴァンは黙る。
理屈は通る。
だが何かが残る。
喉に刺さった骨みたいに。
「……まぁ」
「今考えても答えは出ねぇか」
「ええ」
「情報不足です」
結局。
今は証拠を持ち帰るしかない。
「治安局に通報する」
「一旦戻るぞ」
「承知しました」
二人は診療所を後にした。
レオヴァンが先を歩く。
その背中を見つめながら。
アウグストゥスは静かに目を細めた。
(ふむ)
(黒山羊と毒ヘビの教典を手に入れてしまっては、たとえ勇者どもが俺を疑っていたとしても、優先順位を変えざるを得まい)
(疑いは疑いでしかないからな)
アウグストゥスの口元がわずかに緩む。
誰にも見えない場所で。
男は静かに笑っていた。
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