動く死体、死体の医者
知り合いの診療所は、スラムの外れにあった。
看板は傾き。
窓ガラスは半分ほど砕けている。
だが中だけは妙に綺麗だった。
床にゴミ一つ落ちていない。
――綺麗すぎる。
診療所の扉を開いた瞬間、レオヴァンの鼻が動いた。
血だ。
しかも、ついさっき流れた血。
「男爵殿」
レオヴァンは低く唸る。
「警戒しろ」
「友人さんは多分――」
最後まで言わせてもらえなかった。
扉の陰から雄叫びが飛ぶ。
何かが飛び出してきた。
レオヴァンは反射で動いた。
肩に担いでいたチンピラ四人をまとめて放り投げる。
次の瞬間には半歩横へ。
襲撃者の腕が空を切る。
「チッ」
腰を落とす。
踏み込む。
全身の力を拳に乗せる。
顎へ。
渾身のアッパー。
骨を砕いた感触が拳に伝わった。
まともな人間なら終わりだ。
立てるはずがない。
だが――
襲撃者は立ち上がった。
何事もなかったかのように。
ぶらりと首を揺らし。
再び飛びかかってくる。
レオヴァンの眉がひそめられた。
(なんだ、こいつ)
攻撃をかわしながら観察する。
その時だった。
白衣が大きくはだけた。
腹が見える。
レオヴァンの目が細くなる。
深い。
深すぎる。
内臓がこぼれ落ちてもおかしくない傷口だった。
しかも乾きかけている。
(返り血じゃねぇ)
(こいつ自身の血か)
普通なら死んでいる。
間違いなく。
生きて動ける状態ではない。
それでも暴れている。
理屈が通らない。
「面倒くせぇな」
飛んできた腕を掴む。
そのまま首根っこを引っつかみ――
壁へ叩きつけた。
全力で。
グシャッ。
嫌な音が診療所に響く。
今度こそ。
襲撃者は動かなくなった。
静寂。
レオヴァンは死体を見下ろした。
それからアウグストゥスへ視線を向ける。
「あー……男爵殿」
「まさかとは思うが」
死体を親指で示す。
「友人ってのは、こいつか?」
「ええ」
アウグストゥスは溜息を吐いた。
「残念ながら」
「私の友人のハーネストです」
レオヴァンが顔をしかめる。
尾行者。
襲撃者。
そして今の死体。
厄介事が続きすぎていた。
「さっきの連中といい、こいつといい」
「何が起きてやがる」
「私も知りたいところですね」
アウグストゥスは死体を見つめた。
表情は変わらない。
だが目だけが冷えている。
「で?」
レオヴァンが尋ねる。
「そのハーネストさんに何を聞くつもりだったんだ?」
「彼は医者です」
「それだけではありませんがね」
アウグストゥスは静かに続ける。
「スラムで診療所を営んでおりますと、様々な患者が訪れます」
「盗賊」
「密売人」
「殺し屋」
「裏社会の住人というのは、意外と怪我が多いものですから」
レオヴァンが鼻を鳴らした。
納得はできる。
「つまり裏社会の情報屋か」
「そういう側面もありました」
「黒山羊と毒ヘビの教団について何か知っているかもしれなねぇと?」
「ええ」
アウグストゥスは頷く。
「それに、エンバーミングの知識も期待しておりました」
その言葉でレオヴァンの頭に一つの可能性が浮かぶ。
医者。
裏社会。
死体処理。
首なし死体。
全部つながる。
(教団の関係者?)
(首なし死体を作ってた犯人)
(こいつだった可能性もあるか)
だが今は考えても仕方がない。
推測だけでは前に進まない。
レオヴァンは頭を切り替えた。
「男爵殿」
「なんでしょう」
「さっき捕まえたチンピラどもだが」
「目ぇ覚ます前に縛っといてくれ」
「隅に転がしておけばいい」
「承知いたしました」
「俺は家の中を見てくる」
レオヴァンは診療所の奥へ向かう。
獣人の勘が告げていた。
まだ何かある。
血の匂いの先に。
隠された何かが。
そして数十分後――
レオヴァンは診療所の奥で、一冊の本を見つける。
黒山羊と毒ヘビの教団。
その経典だった。
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