エンバーミングの理由
最初に口を開いたのは、ローレンだった。
「では、現状の確認から始めましょう」
机の上へ、数枚の資料が並べられる。
「現在確認されている被害者は四十二名」
「年齢は十代から六十代まで」
「男女比は二十七対十五」
「氏名、職業、身分、居住区に明確な共通点はありません」
「そして、すべての遺体に共通しているのが――」
ローレンは一拍置いた。
「エンバーミング。異世界由来の防腐処理です」
室内の空気が、わずかに沈む。
「問題は、なぜ犯人がそんな手間をかけたのかです」
その言葉で、セレスティアは思い出した。
「そういえば、アシュハート」
「何だ」
「エンバーミングには、死者の憎悪を増幅する効果があるのか?」
レオヴァンが眉を寄せる。
「……何の話だ?」
「コープスパーティー事変だ」
その名が出た瞬間、ロゼの表情も硬くなった。
セレスティアは続ける。
「あの事件で使われた遺体は、生前に凄惨な拷問を受けていた。怒り、憎悪、絶望。それを糧にして大量のアンデッドを呼び出すためだ」
「なるほどな」
レオヴァンが低く唸る。
「つまり、今回のエンバーミングも死者を苦しめるための処置かもしれねぇ、ってことか」
「そうだ」
「遺体を辱められた魂が怒る。そういう仕組みがあるなら、犯人の目的は死霊魔法に近い」
ロゼが首を横に振る。
「死者への拷問、ですか」
「少なくとも、私は聞いたことがありませんわ」
「信仰の関係で神聖魔法を学んでおります。黒魔法や死霊術への対抗策も一通り調べましたが……エンバーミングで死者の怨念を増幅する、という文献は記憶にありません」
「レオヴァンは?」
「俺も知らねぇ」
即答だった。
だが、否定だけで終わらせない。
レオヴァンは資料に目を落とし、指で机を叩いた。
「ただし、可能性を完全に切るのはまだ早い」
「異世界由来の技術なら、こっちの魔法体系にそのまま当てはまらねぇかもしれねぇ」
「防腐処理そのものに意味があるんじゃなく、防腐処理で変質した肉体を何かに使う可能性はある」
ロゼが小さく頷いた。
「遺体そのものを触媒にする、ということですわね」
「死者の怨念ではなく、肉体を魔法の素材にする」
「触媒か」
レオヴァンは腕を組む。
「まず考えられるのはゾンビの作成だな」
「腐敗を抑えれば、肉体の形を保てる。動かすだけなら、状態が良い方が扱いやすい」
セレスティアが資料をめくる。
「だが、遺体は動いていない」
「現場にも、アンデッド化の痕跡はない」
「魔力残滓は?」
ローレンが問いかける。
「報告では、死霊魔法に特有の濁った魔力反応は確認されていません」
「なら、ゾンビ目的の線は薄いか」
レオヴァンはそう言ってから、アウグストゥスへ視線を向けた。
「ヴァーミリオン男爵」
「そちらはどう見る?」
部屋の視線が、自然と一点へ集まる。
アウグストゥスは紅茶のカップを持ち上げた。
慌てない。
考え込むそぶりすらない。
「遺体を触媒にするのであれば、いくつか考えられます」
「まず、人の皮膚を用いた魔導書の作成」
ローレンが目を細める。
「人の皮膚……ですか」
「ええ。紙よりも魔力の定着がよい。血管や皮下組織が残っていれば、術式の保持にも向いています」
「趣味の悪い話ですわね」
ロゼが吐き捨てる。
アウグストゥスは微笑む。
「便利な話ですよ」
「魔法を使えない者でも、読み上げるだけで魔法を発動できる」
そして、ローレンを見た。
「どうです、ローレンくん。一冊くらい持っていてもよいのでは?」
ローレンの顔が引きつる。
「結構です」
「私は騎士です。剣に命を懸ける覚悟はありますが、外法に頼るつもりはありません」
「高潔ですわね」
ロゼが冷ややかに笑う。
「聞きましたか、アウグストゥス・ヴァーミリオン。ローレン殿は貴方と違うのです」
「妙な道へ誘うのはおやめなさい」
「妙な道、ですか」
アウグストゥスは首を傾げる。
「私はただ、便利な道具を紹介しただけですが」
「貴方のそういうところが不快なのです」
「それは残念だ」
二人の間に、薄い毒が流れる。
ローレンが慌てて割り込んだ。
「そ、それで、他には?」
アウグストゥスは何事もなかったように続ける。
「同物同治の秘術も候補に入るでしょう」
ローレンが眉を寄せた。
「同物同治?」
「知らねぇのも無理はねぇ」
説明を引き取ったのはレオヴァンだった。
「目が悪い者には目を」
「足が悪い者には足を」
「悪い部位と同じ部位を摂取して治す、古い治癒術の一種だ」
「薬膳や民間療法に近い発想ですわね」
ロゼが補足する。
レオヴァンは頷いた。
「ただし、魔法として使う場合はもっとえげつねぇ」
「人間の治療に使うなら動物の目より、人間の目」
「獣の心臓より、人間の心臓」
「同じ種族。同じ部位。その方が効果が高い」
ローレンの喉が動いた。
「つまり……」
「治癒の名を借りた共食いだ」
沈黙。
レオヴァンは続ける。
「だから魔法協会が、この治癒魔法を禁術に指定して一般に知られないようにした」
「広まれば、病人の家族が金で人間の臓器を買い始める」
「貴族なら、若い身体を求めるかもしれねぇ」
「それだけで市場ができる」
ロゼの顔が露骨に歪む。
「吐き気がしますわね」
「まったくだ」
セレスティアは資料を見たまま呟いた。
「だが、今回の遺体には部位欠損がある」
「背中の皮膚が切除された遺体もあったな」
ローレンが資料を確認する。
「はい。ただし全員ではありません。共通して欠損している部位もない」
「なら同物同治とは噛み合わねぇ」
レオヴァンが言う。
「この秘術なら、必要な部位だけを持ち去るはずだ」
「目なら目」
「肝臓なら肝臓」
「心臓なら心臓」
「四十二体を丸ごと防腐処理する理由がねぇ」
セレスティアは頷かない。
代わりに、さらに問いを重ねた。
「魔導書は?」
「人皮の魔導書なら、皮膚を使う。エンバーミングで保存する理由はあるのでは?」
アウグストゥスが静かに答える。
「あり得ます」
「ただし、その場合は皮膚の剥離痕がもっと広範囲に出るでしょう」
「一冊作るだけでも相応の面積が必要です」
「四十二体すべてを保存するのは、過剰ですね」
「過剰」
セレスティアがその言葉を拾った。
「犯人は過剰なことをしている」
「死霊魔法としても過剰」
「触媒としても過剰」
「魔導書としても過剰」
「同物同治としても過剰」
レオヴァンが笑う。
「いい線だな」
「犯人の目的は、実用だけじゃねぇのかもしれん」
ローレンが顔を上げる。
「では、儀式ですか?」
「可能性はある」
セレスティアは言う。
「四十二という数に意味があるのかもしれない」
「年齢、性別、身分に共通点がないのなら、遺体そのものではなく、数、配置、保存期間に意味がある可能性もある」
ロゼが口元に手を当てる。
「保存期間……」
「腐敗させずに一定期間保つ必要があった?」
「あるいは、腐敗しては困る儀式」
ローレンが書き留める。
「死霊術」
「遺体触媒」
「人皮魔導書」
「同物同治」
「数を用いる儀式」
「保存期間を必要とする魔法」
彼はそこで手を止めた。
「……しかし、どれも決め手に欠けますね」
「そうだ」
セレスティアの目は資料から離れない。
「だからこそ、エンバーミングが重要なんだ」
「犯人は、遺体を処分できた」
「燃やすことも、川へ流すことも、解体することもできた」
「なのに、わざわざ保存した」
「手間も時間も薬剤も必要な処理を、四十二体に行った」
「これは偶然ではない」
レオヴァンがアウグストゥスを見た。
「犯人は、エンバーミングを必要としていた」
「だが、その理由が見えねぇ」
アウグストゥスは紅茶をかき混ぜていた。
カップの中で、茶が静かに回る。
(必要としていた、か)
(正しい)
(だが、君たちが考えている必要とは少し違う)
灰にすればよかった。
肉も骨も、薬品で溶かせばよかった。
下水に流せば、跡形も残らない。
アウグストゥスには、それができた。
できない理由などなかった。
ただ一つを除いて。
ルーシュが嫌がった。
彼女は、殺した相手を忘れない。
忘れられない。
友人だと言った。
大切な人だと言った。
守らなければならない人だと言った。
死んだ後も。
首が落ちた後も。
血が抜けた後も。
彼女の中では、まだ関係が続いていた。
だから雑に捨てれば、壊れる。
見えない場所へ移せば、疑う。
焼けば、泣く。
溶かせば、叫ぶ。
そして問い続ける。
――あの子はどこ?
――ちゃんと眠っている?
――寒くない?
――ひとりにしていない?
そのたびに、見せてやる必要があった。
綺麗な服を着せ。
丁重に埋葬し。
穏やかに眠っていると、信じられる形にした。
それがルーシュには必要だった。
だから保存した。
保存せざるを得なかった。
愚かだとは思わない。
甘いとも思わない。
それで彼女が一晩でも眠れるなら、安い手間だった。
だが、その手間が今、首に縄をかけている。
四十二体。
消せたはずの証拠。
残す必要のなかった死体。
それが、勇者たちの前に並んでいる。
アウグストゥスは、わずかに目を伏せた。
ほんの一瞬。
誰にも拾われない程度の一瞬の沈黙がそこにはあった。
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