攻守交替
アエーシュモーは、微かに笑った。
本当に、微かに。
見間違いかと思うほどの変化だった。
「旦那様が犯人だと?」
「ええ」
セレスティアは即答した。
「私はそう考えています」
「なるほど」
アエーシュモーは小さく頷く。
怒るでもない。
動揺するでもない。
まるで興味深い議題を提示されたような反応だった。
「結論から申し上げれば、旦那様が犯人である可能性は、十分にあるかと思います」
その言葉に、セレスティアとレオヴァンの空気が変わった。
まさか、認めるのか。
その一瞬の驚きを、二人は隠しきれなかった。
だが当のアウグストゥスは、澄ました顔で紅茶を飲んでいる。
まるで、自分の話ではないかのように。
「認め……るのですか?」
セレスティアが尋ねる。
「はい」
アエーシュモーは静かに頷いた。
「なら聞くが」
レオヴァンが口を挟む。
「何で四十二人も殺したんだ?」
その目が鋭くなる。
「コープスパーティーでも開くつもりだったのか?」
「まぁ、お待ちください。アシュハート様」
アエーシュモーは落ち着いたまま答えた。
「私は、旦那様が“犯人の可能性も十分にある”と申し上げただけです」
微塵も揺らがない声。
「旦那様を疑うだけなら、十分でしょう」
そして、何の遠慮もなく続ける。
「旦那様は普段から計算高く、利己的です」
アウグストゥスは紅茶を置かない。
「寛容なのではなく、寛容そうに見せているだけの冷血漢」
セレスティアの眉がわずかに動く。
「目的のためなら、当然、殺人も選択肢に入ります」
アウグストゥスは何も言わない。
ただ、穏やかに茶を啜る。
「そして必要なら実行するでしょう」
部屋の空気が、さらに冷えた。
主人の前で、ここまで言うのか。
勇者二人はそう思った。
だがアエーシュモーにとっては、ただ事実を述べているだけだった。
「ですが」
アエーシュモーは目を伏せる。
「旦那様が人を殺す時は、必ず明確な理由があります」
その言葉だけは、少しだけ温度が違った。
忠誠ではない。
信頼でもない。
分析。
分類。
理解。
そういう種類の確信だった。
「今回の事件のように、四十二人もの人間を無意味に殺すということは、絶対になさいません」
「それだけは、ないと断言できます」
アエーシュモーはセレスティアを見る。
「ですので、勇者様が旦那様を疑うのでしたら」
淡々と告げた。
「相応の動機を説明していただかないと、私も賛同いたしかねます」
まるで会議で報告書の不備を指摘するような口調だった。
レオヴァンは黙ってアエーシュモーを見つめる。
思っていたより崩れない。
挑発にも乗らない。
主人を庇うわけでもなく、必要以上に感情を見せることもない。
厄介だ。
「動機ねぇ……」
レオヴァンはソファに深く腰掛けたまま呟く。
「確かに、それを断言できるほどには、まだ調べちゃいねぇ」
そこで目を細めた。
「だが、いくつかの情報が、今のところ限りなくこう言ってやがる」
レオヴァンはアウグストゥスを見た。
「おたくのご主人様が犯人です、ってな」
アウグストゥスは紅茶のカップを持ったまま微笑んでいる。
「まず第一に、遺体が見つかった場所だ」
レオヴァンは指を一本立てた。
「四十二体の遺体は川から発見された」
「そして俺たちは、その上流にある下水道で不自然な空洞を見つけている」
アエーシュモーは黙って聞いていた。
「空洞は自然にできたように偽装されていた」
「だが、そこにはモルタルの破片が落ちていた」
「多分、壁や天井をモルタルで補強してたんだろう」
「つまり、あそこには元々、部屋のような空間があった可能性が高い」
レオヴァンは続ける。
「第二に臭いだ」
「その空洞からは薬品の臭いがした」
「雨でだいぶ流されていたが、それでも残っていた」
獣人の鼻。
それは嘘を許さない。
「恐らく、死体をエンバーミングした時に使った薬だろう」
セレスティアの視線がアウグストゥスへ向く。
「そして、おたくの旦那様は錬金術師だ」
レオヴァンは低く言った。
「薬の扱いには長けているはずだ」
アウグストゥスは動じない。
まるで、自分とは関係のない講義を聞いているかのようだった。
「第三に、行方不明者だ」
レオヴァンは三本目の指を立てる。
「その中には旦那様の屋敷で働いていたガキも含まれている」
セレスティアが静かに補足した。
「ロバート・デーン」
その名が出た瞬間、応接室の空気がわずかに重くなる。
「彼の母親からも話を聞きました」
「息子は男爵家で働くようになった直後に姿を消したそうです」
セレスティアはアウグストゥスを見据えた。
「さらに、発見された遺体には背中に切除痕がありました」
「母親の証言にあった痣の位置と一致します」
沈黙。
紅茶の湯気だけが、静かに揺れていた。
アエーシュモーは数秒だけ目を伏せる。
そして頷いた。
「なるほど」
反応は薄い。
だが、理解はしている。
「確かに、旦那様を犯人と疑うだけの状況証拠は揃っていますね」
「だろ?」
レオヴァンが言う。
「だから俺たちは――」
「ですが」
アエーシュモーが遮った。
静かな声。
だが、よく切れる刃のようだった。
「それらは全て、“旦那様が犯人であって欲しい”という前提で並べれば、そう見えるというだけです」
レオヴァンの眉が動く。
「何だと?」
驚いたように見せる。
だが内心では、同意していた。
(その通りだ)
メイドを揺さぶれば、何か出るかと思った。
だから攻めた。
だが、崩れない。
この女は冷静すぎる。
主人への忠誠で反論しているのではない。
論理で返している。
それが一番厄介だった。
レオヴァンは腕を組んだまま、セレスティアに見える角度で人差し指を軽く動かした。
クイ、クイ。
(このメイドは駄目だ)
(このまま攻めても崩れねぇ)
(別の方向から聞け)
合図の意味は伝わった。
だが、セレスティアは引かなかった。
もう少しだけ食い下がる。
ここで退けば、主導権を完全に奪われる。
「アシュハートも先ほど言いましたが」
セレスティアはアウグストゥスへ向き直る。
「遺体はエンバーミングされていました」
アウグストゥスは黙って紅茶を啜る。
「エンバーミングとは、稀人の世界で行われている防腐処理のことです」
「ただ、この技術を知る者は少ない」
セレスティアの声が低くなる。
「ですがヴァーミリオン男爵」
「貴方は錬金術師だ」
「エンバーミングの技術も、知っているのではありませんか?」
初めて。
アウグストゥスが口を開いた。
「確かに、エンバーミングの知識ならあります」
あまりにもあっさりした返答だった。
セレスティアがわずかに目を細める。
レオヴァンも表情を変えた。
「ですが、知識があるだけです」
アウグストゥスはカップを置く。
「実際に行ったことはありません」
「理由を伺っても?」
「もちろん」
アウグストゥスは穏やかに答えた。
「ご存知の通り、この世界では、稀に死体がアンデッド化することがあります」
「そのため、遺体は灰になるまで焼くのが一般的です」
彼は少しだけ肩を竦めた。
「おかげで、試してみたくとも機会に恵まれませんでな」
正直すぎる返答。
いや。
正直に聞こえる返答。
知らないと白を切ることもできた。
だが、それではダメだ。
アウグストゥスの目的は、身の潔白を証明することではない。
勇者たちの捜査に、善意の協力者として入り込むことだ。
(これは投資だ、勇者)
アウグストゥスは穏やかに微笑む。
(俺は、いくつか不利な事実を認める)
(その代わり、お前たちにこう思わせる)
(この男は隠す必要のないことは隠さない、と)
信用を植え付ける。
疑念の中に、わずかな安心を混ぜる。
それが狙いだった。
レオヴァンは内心で困惑していた。
(思ったより、あっさり認めやがる)
エンバーミングについては、知らないと答える。
そう予想していた。
だが、アウグストゥスは認めた。
それも自然に。
(もしかして、深淵の魔法で隠している情報は、この事件とは関係ないのか……?)
一瞬。
そんな疑念が浮かぶ。
それこそが、アウグストゥスの狙いだった。
「ではヴァーミリオン男爵」
セレスティアはなおも食い下がる。
「そのエンバーミングの知識は、どこで覚えたのですか?」
「ああ、もういい。セレス」
レオヴァンが制した。
「男爵殿をこれ以上困らせるな」
「なっ……!」
セレスティアが振り返る。
「まだ尋問は終わっていないぞ、アシュハート!」
「だから止めたんだよ」
レオヴァンの声は低い。
「男爵殿が犯人と決まったわけじゃねぇ」
「これ以上は失礼だろうが」
「くっ……だが……」
セレスティアは納得していなかった。
だが、レオヴァンの判断も分かる。
これ以上押してくても、こちらにはもう手札がない。
そいて相手は貴族。
しかも、まだ確証はない。
ここで決裂するのは悪手だった。
その沈黙を破ったのは、アウグストゥスだった。
「いやいや。構いませんよ」
穏やかな声。
だが、先ほどまでとは少しだけ違う。
守勢ではない。
「私もこの街の市民です」
アウグストゥスは微笑む。
「捜査には、いくらでも協力いたしましょう」
セレスティアが目を細める。
レオヴァンの耳がぴくりと動く。
来る。
二人とも、そう感じた。
「例えば――」
アウグストゥスはゆっくりと言葉を続けた。
「こうして取調に付き合う以外にも」
指先が紅茶のカップの縁を撫でる。
「捜査に役立ちそうな人材の紹介など」
攻守が入れ替わった。
つい先ほどまで追及されていた男が、今度は捜査を進める側へ回ろうとしている。
「如何でしょうな?」
アウグストゥスはセレスティアを見た。
穏やかに。
善良そうに。
そして、底知れない笑みで。
「セレスティア殿」
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