俺は猫じゃない!
「端的に言えば、治安局のリストは役に立たなかった」
セレスティアはそう言って紅茶を一口飲んだ。
先ほどまでの得意満面な顔とは裏腹に、その言葉には心底疲れたような響きが混じっている。
レオヴァンは嫌な予感を覚えた。
「おい」
「成果あった顔してたじゃねぇか」
「最後まで聞け」
セレスティアは手を振った。
「私も最初は真面目に調べていたのだ」
「最初は?」
「最初はだ」
既に不穏だった。
レオヴァンは黙って続きを促す。
セレスティアは少しだけ遠い目をした。
「四十代女性と思われる遺体の候補者として挙がっていた行方不明者を訪ねた」
「うん」
「会って話を聞いた」
「うん」
「その女性は六十歳だった」
「……」
「しかも元気だった」
「生きてたのかよ」
「生きていた」
セレスティアは真顔で頷いた。
レオヴァンは額を押さえる。
嫌な予感がどんどん強くなっていく。
「他も似たようなものだ」
セレスティアは続けた。
「年齢が違う」
「性別が違う」
「特徴が違う」
「何なら遺体の候補者だと思われていた人物が、普通に酒場で酒を飲んでいた」
「治安局どうなってんだ」
「私もそう思った」
セレスティアは深々と頷く。
「挙句の果てにはジョナサンが行方不明者として登録されていた」
「ジョナサンって誰だ」
「私が知るか!」
机を叩く。
「話を聞いたら犬だった!」
「せめて人間を登録しろ!」
レオヴァンは吹き出しそうになった。
なるほど。
それで疲れていたのか。
行方不明者リストそのものが滅茶苦茶なのだ。
首のない遺体と照合できるわけがない。
「それで?」
「諦めた」
「早ぇな」
「無理なものは無理だ」
セレスティアは開き直った。
「午前中いっぱい使って分かったのは、あのリストが信用できないという事実だけだ」
それはそれで収穫だった。
少なくとも今後は別の方法で身元を探さなければならない。
「だから私は早々に男爵邸へ戻った」
「そして傷ついた心を癒やすためにやけ食いをしていた」
「お前それ絶対食いたかっただけだろ」
「違う」
即答だった。
「少ししか食べていない」
「どれぐらいだ」
「ケーキを三つほど」
「十分食ってるじゃねぇか」
セレスティアは聞こえなかったふりをした。
「するとだな」
「パーラメント男爵が声をかけてくれたのだ」
彼女の表情が少し和らぐ。
「良い人だったぞ」
「趣味も多い」
「話も面白い」
「植物の話から始まって、狩猟の話になり、そこから絵画の話になり――」
「そういうのはいい」
レオヴァンが遮る。
「結果だけ言え」
「女の話を急かす男はモテないぞ」
「お前にモテたいとは思ってねぇ」
「失礼なやつだな」
セレスティアは不満そうだったが、それでも話を進めた。
「雑談をしているうちに、話題がヴァーミリオン男爵へ移った」
その名前が出た瞬間。
レオヴァンの表情も少し真面目になる。
今のところ最も怪しい人物。
それは間違いない。
「お前が誘導したんじゃなくてか?」
「……」
「したんだな」
「多少は」
「多少じゃねぇだろ」
レオヴァンは呆れた。
だがセレスティアは気にしない。
むしろ胸を張る。
「捜査の基本だ」
「違うと思うぞ」
完全に誘導尋問だった。
だが結果が出たのなら文句も言えない。
「それで?」
「例の豪雨で四十二体の遺体が発見される少し前だ」
「ヴァーミリオン男爵は、どうやらスラム街の少年を使用人として雇っていたらしい」
レオヴァンは黙って聞く。
まだ決定打ではない。
それだけなら珍しくもない。
貴族がスラムの人間を雇うことはある。
「そして豪雨の後、その少年の姿を見た者がいない」
レオヴァンの目が細くなった。
「行方不明か」
「ああ」
「どうだ?」
セレスティアが身を乗り出す。
「怪しいだろう?」
「それだけじゃ何とも言えねぇな」
即答だった。
「スラムのガキなら親に売られた可能性もある」
「夜逃げした可能性もある」
「別の仕事に移った可能性もある」
「うむ……」
セレスティアは少しだけ不満そうだった。
だが反論できない。
事実だからだ。
「そう言うと思った」
ニヤリと笑う。
「だからさらに調べた」
「だったら先に言え」
「何で勿体ぶるんだよ」
「演出だ」
「いらねぇよ」
レオヴァンは本気でそう思った。
だがセレスティアは満足そうだった。
「その少年の実家へ行った」
「すると病弱そうな母親が出てきてな」
先ほどまでの軽い空気が少し変わる。
セレスティアの表情も真面目になった。
「生活は苦しそうだった」
「家具も少ない」
「家も古い」
「食料もあまり無かった」
「典型的なスラムの貧困家庭だ」
レオヴァンは何も言わない。
そんな家庭は珍しくない。
だからこそ余計に話の続きを待った。
「その母親が言うには」
「少し前に差出人不明の袋が届いたらしい」
「中には金貨が五十枚」
レオヴァンの眉が動いた。
金貨五十枚。
一般市民なら一生働いても貯められるか怪しい額だ。
「そしてその後」
「ヴァーミリオン男爵の屋敷のメイドが訪ねてきた」
「少年が屋敷にいない」
「どこへ行ったか心当たりはないかと聞いてきたそうだ」
部屋に沈黙が落ちる。
セレスティアは真剣な顔で言った。
「これはもう、ほぼ確定ではないか?」
「少年が死んだ」
「だから賠償金として金貨を送った」
「そんな大金を払える人間など限られている」
「しかも少年はヴァーミリオン男爵の屋敷で働いていた」
論理の飛躍はある。
だが状況証拠としては十分強い。
レオヴァンもそれは認めざるを得なかった。
「……なるほどな」
「だろう?」
セレスティアの目が輝く。
だがレオヴァンはまだ首を縦には振らない。
「それでも確定じゃねぇ」
「まだ何かあるのか?」
「ある」
セレスティアはニヤリと笑った。
「遺体には個人特定に繋がる特徴を切除した痕跡があっただろう?」
「ああ」
「だから母親に聞いた」
「少年の身体に特徴は無かったかと」
そこでセレスティアは少し間を置いた。
「すると母親が言った」
『あの子は生まれた時から背中に痣があった』
レオヴァンの表情が変わる。
今までで初めてだった。
「……それで?」
「治安局の記録を確認した」
「年齢が近い遺体」
「そして背中に切除痕がある遺体」
「一体だけ存在した」
沈黙。
数秒。
レオヴァンはぽかんと口を開けていた。
正直に言えば呆れていた。
セレスティアは勘で動く。
勢いで動く。
他の可能性を無視する。
それはいつものことだ。
だが。
今回は。
本当に犯人へ繋がりそうな証拠を持ち帰ってきた。
偶然にしては出来過ぎている。
レオヴァンは深々と息を吐いた。
「お前って神に愛されてそうだよな」
心からそう思った。
もちろん皮肉だ。
百パーセント皮肉だ。
だがセレスティア本人は違った。
「そうだろう?」
胸を張る。
「普段から清く正しく美しく生きているからな」
「その自信はどっから来るんだ」
「日々の積み重ねだ」
レオヴァンはもう何も言わなかった。
言うだけ無駄だと知っている。
するとセレスティアがふと鼻をひくつかせた。
「ところでアシュハート」
「何だよ」
「帰ってきた時から思っていたのだが」
嫌な予感がした。
レオヴァンは顔をしかめる。
セレスティアは鼻を摘まんだ。
「漏らしたなら早く着替えた方がいいぞ」
沈黙。
「かなり臭う」
さらに沈黙。
数秒後。
「違ぇよ!!」
レオヴァンの怒鳴り声が部屋に響いた。
「下水道だ!」
「四時間も下水道の中歩き回ってたんだよ!」
「臭いが移っただけだ!」
「ああ、なるほど」
セレスティアは納得したように頷く。
「つまり全身から下水の臭いがしているのか」
「言い方!」
「もう少し言い方があるだろ!」
レオヴァンは頭を抱えた。
確かに臭う自覚はある。
だが漏らした扱いは心外だった。
「もういい!」
立ち上がる。
「風呂入ってくる!」
そう吐き捨てるように言うと、レオヴァンはゲストルームを出ていった。
その背中を見送りながら、セレスティアは首を傾げる。
「そんなに怒ることか?」
そして残っていた焼き菓子を一つ摘まみ、
「やはり猫系獣人は繊細だな」
と、完全に的外れな感想を呟いたのだった。
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