捜査開始
男爵家の長男、セブン・ヒルの誕生パーティーの翌日。
パーラメント・ヒル男爵邸のゲストルームで、セレスティアとレオヴァンは向かい合っていた。
朝の陽光が窓から差し込み、磨き上げられた床に淡い光の帯を落としている。昨夜の華やかな喧騒はもうない。廊下の向こうから聞こえる使用人たちの足音も、どこか遠いもののように感じられた。
二人の間にあるのは、湯気の消えかけた紅茶と、昨日出会ったひとりの男の記憶。
アウグストゥス・ヴァーミリオン男爵。
セレスティアは腕を組み、低く言った。
「私は、彼は白か黒なら黒だと思う」
昨日のアウグストゥスの笑顔を思い出す。
穏やかで、理知的で、礼儀正しい。
だが、その奥にあるものが見えなかった。
人の形をしているのに、人と同じ場所に心がない。そんな違和感があった。
「アレは悪意なく悪が行える。そういう類いの人間だ」
「同感だ。否定はしねぇよ」
レオヴァンは椅子の背に身体を預けながら答えた。
表情はいつものように荒っぽく、気怠げだったが、その声に軽さはない。
「ならばなぜ、彼の捜査をお前は止める。アシュハート」
「お前が何も考えてないからだよ、セレス」
即答だった。
セレスティアの眉がぴくりと動く。
「何も考えていないだと?」
「ああ。少なくとも、今すぐあいつに突っかかるのは考えなしだ」
レオヴァンは窓の外へ視線を向けた。
庭では使用人が朝露に濡れた草花の手入れをしている。平穏な朝の風景。だが、その向こうにある街では、首のない死体と、失踪者の噂が静かに人々の生活を蝕んでいる。
「やつは強い」
レオヴァンの声が低くなる。
「英雄級の俺たち二人で戦っても、勝てるかどうか怪しいぐらいにな」
英雄級。
それは、魔法を使える者たちに与えられる等級のひとつだった。
一番下が下級。
次が中級。
さらに上級。
その上に英雄級があり、さらに上には神話級、そして創世級がある。
下級は、日常生活に必要な魔法を扱える程度。
火を灯す。水を生む。簡単な傷を癒やす。
暮らしの中では十分に価値があるが、戦場では決定打にならない。
中級からは、個人戦の戦闘で通用する威力の魔法が使えるようになる。
上級ともなれば、軍の戦術行動に影響を与える規模の魔法を扱える。
そして英雄級。
それは、個人でありながら軍隊と戦い、勝利し得る存在を指す。
戦場において、兵ではない。
兵器でもない。
ひとつの災害に近い。
神話級は、文字通り神々の戦いに等しい魔法力を持つ上位存在の等級とされる。だが、実際にこの等級に認定された“汎亜人種”は存在しない。
創世級に至っては、この世界の創造に関わった神を指す言葉だった。
この世界を創造したとされる女神クリシラ。
その名を冠するための等級。
だが、女神の実在を確認した者はいない。
つまり、現実の戦力として意味を持つ最高等級は英雄級まで。
その英雄級であるセレスティアとレオヴァンの二人を相手にしても勝ち得る。
それが、アウグストゥス・ヴァーミリオン男爵という男だった。
セレスティアも、その事実を軽く見ていたわけではない。
昨日、彼と対面した瞬間に分かった。
アウグストゥスは老いている。
少なくとも、外見上はそうだ。
だが、あの身のこなし。
あの気配。
こちらを値踏みするでもなく、見下すでもなく、ただ当然のように観察していたあの眼差し。
強者の目だった。
戦い慣れている者の目ではない。
もっと厄介な狩り慣れてる者の目だ。
戦う前から、相手を解体する手順を考えている者の目だった。
「そんなことは分かっている」
セレスティアは言った。
「だが、他に怪しい人物をお前は知っているのか」
「知らねぇけど、捜査は始めたばかりだろ」
レオヴァンは短く息を吐いた。
「あいつのことは後回しでいい」
「なぜだ」
「何の確証もなく突っかかるのは危険だっつってんだよ、俺は」
レオヴァンは指で机を軽く叩いた。
「仮にも貴族様だぞ。しかも、昨日のパーティーを見る限りじゃ、ただの貴族じゃねぇ。敵も多いが、味方も多い。下手に踏み込めば、こっちが捜査妨害を受ける側になる」
「むうっ」
セレスティアは唇を尖らせた。
悔しい。
だが、レオヴァンの言うことは正しい。
昨日の誕生日パーティーを思い返す。
アウグストゥスの名が出たとき、貴族たちの反応は一様ではなかった。
好意的に語る者がいた。
露骨に嫌悪を浮かべる者がいた。
口を閉ざし、何も聞かなかったふりをする者もいた。
そして、その誰もが彼を無視できていなかった。
アウグストゥス・ヴァーミリオンという男は、社交界の中に食い込んでいる。
好かれている。
嫌われている。
恐れられている。
だが、少なくとも軽んじられてはいない。
そんな男に、確証もなく踏み込めばどうなるか。
アウグストゥスが警戒する。
貴族たちが警戒する。
治安局が動きづらくなる。
情報が隠される。
証言が消える。
捜査は、今よりも遥かに難しくなる。
さらに厄介なのは、アウグストゥスが感情で暴走する男には見えないことだった。
怒りに任せて剣を抜くような男ではない。
けれど、自分の敵だと判断した相手は必ず潰す。
昨日の彼の笑みには、そう思わせるだけの冷たさがあった。
もし、彼が隠している何かが今回の事件とは無関係だったなら。
そのとき、こちらは無駄に敵を増やすことになる。
アウグストゥスを調べるなら、ある程度の確証を得てから。
それが最善だ。
分かっている。
分かっているが、納得するのとは別だった。
「むぅ……」
セレスティアは小さく唸った。
正論を言われたときの、いつもの反応だった。
レオヴァンはその様子を見て、わずかにばつが悪そうに目を逸らす。
言い過ぎたか。
そんな思いが顔に出ていた。
「別に、あいつを捜査対象から外したわけじゃねぇ」
レオヴァンは頭を掻きながら続けた。
「今から行く捜査のついでに、あいつの情報も集めながら調べていけばいいんじゃねぇの」
それは、セレスティアをなだめるための譲歩だった。
だが、同時に現実的な提案でもある。
セレスティアの顔がぱっと明るくなった。
「おお! その手があったか! さすがレオヴァン!」
「急に機嫌直ったな」
「猫の獣人なことだけはあるな!」
「ライオンの獣人だ。そもそも褒めてるのか、それ」
「褒めている! そもそも私は猫が好きだ」
「お前が猫好きかどうかなんて知らねぇよ」
レオヴァンは呆れたように肩をすくめる。
だが、セレスティアは胸を張った。
「重要な情報だぞ」
「どこがだ」
「猫は可愛い」
「意味わかんねぇこと言ってんじゃねぇよ」
重苦しかった空気が、少しだけ緩んだ。
朝の陽光がゲストルームの窓から差し込み、二人の間にあった緊張を薄く溶かしていく。
けれど、連続失踪事件そのものは何一つ解決していない。
冗談で終われる状況ではなかった。
セレスティアは背筋を伸ばし、表情を引き締める。
「では、予定を確認しよう」
「ああ」
「私は治安局へ向かう。昨日見せてもらった行方不明者と、死体の主と思われる候補者リスト。その写しを貰いに行く」
「まぁ、あのリストはあまり当てにならんだろうが、一応、念のためこちらでも調べたい」
「俺は川と下水道だな」
レオヴァンが椅子から立ち上がる。
大きな身体が動くと、それだけで部屋の空気が少し揺れたように感じられた。
「死体が流れてきた川を上流まで辿る。途中で臭いが消えたら、その周辺を重点的に調べる」
「下水道に、まだ遺体が残されている可能性もあるか」
「ああ」
獣人特有の鋭い嗅覚。
腐臭。
血臭。
死の臭い。
それらを追跡することに関して、レオヴァンの右に出る者は少ない。
セレスティアは彼の能力を信頼している。
だからこそ、迷わず頷いた。
「何か分かったら連絡する」
「了解した」
二人は互いに拳を軽く合わせた。
それだけで十分だった。
長い付き合いだ。
余計な言葉は必要ない。
「じゃあ行くか」
「ああ」
勇者たちは、それぞれの捜査へ向かった。




